第26話

 ――いつから、こうなったんだろうか。


 変異していく体を見て、ふと思った。


 自分はただの商人で、悪事に手を染めたこともなければ、特別おかしな血筋でも無い。


 だから、恐らく始まりは、行商の途中で出会ったあの男たちとの関わりだろう。



 行商の途中で出会った彼らは、裾の擦り切れた黒いローブを見に纏い、まるで浮浪者のようだった。


 まさか盗賊か、と警戒したものの、こちらを取り囲む気配もなく、しばらく馬車を停めて様子見をしていると、先頭の者が声を上げた。


 近くの町までの道を教えてくれ。それなりの対価は払う。


 彼らの要求はそれだけだった。


 お安い御用と地図を見せ、方角を示してやると、彼らはとても嬉しそうな声を上げた。

 浮浪者のような男たちだ。大して期待はせずに対価を求めると、先頭の男が懐からあるものを取り出した。


 それは、金色に輝くペンダント。


 完全な純金ではないだろうが、その美しい輝きは、贋作ではないと一目でわかるもの。

 秤を使うと、それが本物の金だという事は簡単にわかった。


 少し不思議な模様が刻まれていたが、どこかの没落貴族が持っていたものが、流れ出たものだと男は言った。


 さらに男はこちらを商人と知ってのことか、近くに発展途上の町があると情報を寄越したのだ。


 発展途上の町は、何かと商人と関わりを持つことが多い。

 早期のうちに関わりを持てば、長い付き合いになることもしばしば、というものだ。


 今、自分が店を構えることができているのは、この街との関わりが大きかっただろう。


 それからどうしてか、彼らと出会ってからは、思わず違和感を覚えてしまうほどに都合良く事が進んで行った。


 関わりを持った町とは、とても良好な関係を築くことができ、ペンダントは高額で売りさばくことができた。

 偶然出会った南の旅人から香辛料を破格の値段で購入し、薪を運べば薪不足の町に着き、森で狼に追われたときは傭兵団の隊列に遭遇し、難を逃れた。


 当時はただ幸運だ、と思っていたが、今思えば幸運の一言で済ませてしまうには、都合が良すぎるだろう。

 ほんの少しずつ貯蓄していた懐に余裕が出来ると、それからはもう、寒さも暑さも空腹も忘れて、金を稼ぐことだけに気を向けることが出来た。


 馬車を大型にして、護衛を雇い、行く先々で成功ばかりの取引をして、周囲からの賞賛を受け。

 そしてついには、南と北の門と呼ばれる街、『ヴァロータ』にてノーグ商会とつながりを持ち、その力を借りて小さな店を持つことが叶った。


 毎日が楽しく感じる日々が来るとは、あの男たちと出会う前には全く想像もできなかった話だ。


 苦しく、辛い旅を終え、暖かな店の中で、慎ましく暮らす。

 それは、多くの行商人の夢だろう。


 自分は、その行商人たちの夢の先にたどり着いたのだ。


 優越感、といえば聞こえは悪いが、間違いなく行商人たちの憧れになれる存在だと自負するほどには、自信も付き、それなりに上手く過ごしていたように思う。


 そうしてある日、再び彼らが現れた。


 どうやってこちらの居場所を知ったのか、その方法はわからないが、浮浪者のような姿をした彼らは、店を閉じようとした頃に、あの時よりは少し少ない人数で現れた。


 その日はヴァロータで祭りがあった日。


 宿が取れなかった、一晩でいいから泊めてはくれないか。


 彼らの言葉に、自分は二つ返事で了承した。

 幸運のきっかけは彼らだった。少なからず恩を感じていたからだ。


 そしてその日は、彼らと盃を交わした。

 彼らは自分達を『ケルミデ・ケルラィ』と名乗り、世界中を渡り歩き、太古の文明を研究している者だと言った。


 長い長い旅をする上で上等な服は意味がないと、浮浪者のようなボロ切れを好み、酒は神の祝福だと笑う。

 聖職者の巡礼とは全く違うらしい。


 彼らの旅の話は面白く、その日は朝まで飲み明かした。


 そして最後に、酒の代だ、と彼らはこの辺りに出回る通常の物の倍はあるであろう、巨大な金貨を置いて行った。

 曰く、それは幸運の金貨とよばれる、太古の祝福を得られる道具だそうだ。


 それからしばらくして、金貨の力か、はたまた偶然か。


 彼女が現れた。


 白く煌めく長髪に、薄っすらと輝く赤い瞳、そして人とは思えないほどの白さの、陶器肌。

 体は細く頼りなく、だがどこか芯のあるような、ピンとした空気を纏っている。


 白い吐息を吐きながら、店に入って驚きの声を上げる彼女を見て、思わず言葉を失った。


 一目惚れ、というものだろうか。


 思わず店の者としての立場を忘れて、声をかけてしまった。


 あなたのお名前は。


 彼女は白く長い髪をふわりと風に浮かせて振り返り、こくりと首を傾げながら困ったような顔をして、口を開いた。


 ルフィア。


 ルフィア・エリンツィナ。


 それが彼女の名前。


 その名を聞いた瞬間、なぜか、身体を痛みが襲った。


 彼女は傭兵をしているらしい。

 また利用してくれ、贔屓するから、と言葉を交わして、ジクジクと体を襲う痛みに、裏口のほうへと引き下がる。


 それが、この身体に変化している証拠だったのだろう。


 彼女と初めて出会ってから、一週間ほどが経った頃に、二の腕に小さな黒いシミが出来た。

 だが、その程度なら気に留めるほどの事でもない。

 放っておいても大丈夫だろうと気を抜いていた。

 当時はその程度、と思えるほどには心の余裕があったのだ。



 彼女、ルフィアはよく笑う少女だった。


 店に来ると、新しく仕入れた物に飛びつくように関心を示し、説明を聞かせると、目をきらきらと輝かせながら、すごい、と言うのだ。


 その笑顔を見るたびに、嬉しさと、酷い痛みが襲った。


 しばらくすると、真っ黒いシミは、二の腕全体にまで拡がった。

 さすがに焦りを覚え、医師、薬師の元へ掛かったが、原因不明、異常なし、何一つの手掛かりすら掴めない。


 袖の長い服を着て、手袋を着けて隠した。


 右腕だけならば、まだ大したことはない、と日々を過ごしたが、それも次第にできなくなる。


 シミは体へと移り、胸、腹、そして左腕。


 少しずつ拡がり、ついに人前で顔以外の肌を晒すことは難しくなった。


 さらに、ルフィアと出会うたびに感じる痛みが増し、どうしてか彼女は、こちらを不信な目で見るようになった。

 黒いシミを見たのだろうか、と思ったが、彼女の前では特に気をつけているのだ。

 そんなこと、あるわけが無い。


 それからも治療の手立てを探したが、忌々しいシミの進行を止める手立てはない。


 幸運の金貨に祈りを捧げる日々。

 だが幸運は訪れない。


 ルフィアが笑顔を見せなくなり。


 ついには、四肢は手先と足先を除いて完全に黒く染まり、首元まで黒くなってしまった。


 取引をするときも、肌が見えないように細心の注意を払わなければならない。

 黒く黒く染まった肌は、教会の示す悪魔の色。


 もはや、希望はない。


 顔までこの黒が拡がってしまえば、人前に顔を出すことはできなくなるだろう。

 諦めを覚え、日々を暗い気持ちで過ごし。


 ある日、ルフィアがひとりの男を連れて現れた。


「オルレニア・ヴィエナだ」


 男はそういいながら、こちらの腕、足へ目をやって、顔をしかめた。

 まさか気づかれたのか、と一瞬笑顔を崩してしまう。


 しかし男はこちらの反応を見ても、特に何もいう事は無かった。

 なんとか取り繕ってその場をやり過ごしたが、もしかしたら彼は気づいていたのかもしれない。


 ルフィアがそばに居るせいで、震えそうになるほど痛む体。

 それを無理やり動かして、二人の求めるものを用意した。


 そして彼女たちが退店したあとは、店を閉めた。

 しばらく痛む体をその場で横倒しにして、休憩した。



 その日の夕方頃、店の扉が叩かれた。


 開いたそこにいたのは、ノーグ商会で時折見かける少女、イヴリアナと、彼女に抱えられたルフィアの姿。


 驚いたが、すぐさま事情を聞き、カウンターの裏から隠し部屋へ案内した。

 ノーグ商会はなにかと問題を抱えることが多いため、こう言うこともあるだろうと、事前に話を聞いてはいたからだ。


 そして寝付けないまま夜は明けて、再びドアが叩かれる。


 ゆっくりを体を起こそうとすると、ドアが破壊されて、黒衣の男、オルレニアが飛び込んできた。


 オルレニアはこちらにルフィアの居場所だけを聞くと、ノーグ商会でも優秀な護衛と名高いイヴリアナをわずか数十秒で打ち倒し、その後しばらくしてから、落ち着いた様子でルフィアとイヴとともに店を出て行った。


 なにがなんだかわからなかった。


 ただ、なにか騒動が起きていることだけはわかった。

 もちろん自分に何かができるとは思っていないが、なにか、ルフィアのためにできるならば、そう思った。


 だがその日、店に彼らが現れた。


『ケルミデ・ケルラィ』


 彼らは言った。


 古き者と接触した貴様は、処分しなければならない。

 残念だ。


 と。


 幸運の金貨から、黒い何かが飛び出して、体の中に入っていく。


 そして、僕の中に潜んでいた『黒』と出会い、僕は『黒』に呑み込まれてしまった。

 幸運の金貨を得た時から、どうやら僕は『黒』の力に蝕まれていたようだった。


 いつからこうなったのか。


 考えればすぐにわかる。


 だが思わず、己の不幸を呪いたくなったのだ。


 まるで濁流のように『黒』の持っていた情報が流れ込んで来る。


 二人の貴族を脅していること。殺さねばならない古き存在、イヴリアナとロンバウト。色の力。『黒』を殺す『白』の娘。


『黒』の集団。『崩れた色彩ケルミデ・ケルラィ


 僕に『黒』を植え付けた者たち。彼らのことはよく覚えている。伝えなければならない。

 ルフィアに、オルレニアに、イヴリアナに、ロンバウトに。


 だがもう、間に合わない。


 だんだんと、自分が自分でなくなっていく感覚。


 人の形が崩れ、ミシミシと大きくなっていく痛み。


 なんてあっけない終わり方だろう。

 幸運だったとはいえ、店を構えられるほどには努力もしたはずだ。


 その記憶すら曖昧になっていく。


 これから自我が消える。そして、ルフィアたちを襲うだろう。


 一目惚れで、片思いで、最後には嫌われてしまっていたけれど、それでも彼女を襲うなんて嫌だと思った。


 変異した体で、必死に部屋で蹲った。


 自分を蝕む黒と戦った。


 そして願った。変異した自分が、彼女を襲わないことを。

 彼女を襲う前に、誰かが自分を殺してくれることを。


 願って、願って。


 しかしその願いは、ユーリ・フラトコフという存在。


 僕と共に、溶けていった。





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