第23話

 暗い暗い、夜の帳が落ちる。


 蒼く光る目、金色が落ちる。

 それは古い誓いの為。


 緑に輝く双眼、漆黒の流れ髪。

 それは古い約束の為。


 傷む身体は、幾度も破られた契りの対価。


 それらには何者も寄り付かない。寄り付いてはならない。


 月明かりは弱まり、炎すら儚く心許なく。


 生ける者なら忌諱するだろう。


 だがそれは、彼らの本来あるべき姿。


『黒』に触れた、その罪である。




 ◎◎◎◎




 目を開けると、まだ夜は明けていなかった


 寝ている間でも油断なく強張った身体は、幾年か過ごす内に慣れきっていて、苦痛という事もなく動いてくれる。


 半ば無意識に周囲の気配を探り、部屋の付近に誰もいない事を確認。

 ゆっくりと立ち上がると、小さく息を吐く。


 既に睡眠を取ることに、ほとんど意味などない。


 ただ長い時間を過ごすことに適した状態というだけだ。


 外套を羽織ると、部屋を出る。


 日が昇る前とは言うが、すでに商会の小僧たちは動き始めている。


 足音を隠す必要はない。

 コツコツと靴音を鳴らしながら歩き、連れのいる部屋の周辺に怪しい気配が無いかを確認して、中庭へと向かう。


「お早いですね」


 薄く雪の積もった中庭に着くと、背後から声が掛かった。


 もちろん気配を感じてはいた故に、驚くことはない。


「貴様も、随分と早起きではないか」


 振り向くと、金髪の青年が立っていた。


 言葉を返すと、彼は小さく笑みを浮かべる。


「仕事が終わらなくて。小休止している所です」

「ああ……苦労を掛けるな」

「いえ、元々そういう立場ですので」


 随分と謙遜するものだ。


 この数日の間、ロクに休憩も取れていないというのに。


 しかしそれを口にはしない。

 この男にも自尊心という物があるのだろう。


「オルレニア様は、どうして此処に?」

「様付けはやめろ。下の者に示しが付かぬであろう」


 角にある井戸へ歩きながら、言葉を交わす。


 金髪の青年――ロンバウトは笑みを苦いものに変えながら、頷いた。


「……たまには剣でも振ろうかと思ってな。体が鈍っては適わぬ」

「そういえば、ルフィアさんと剣の稽古をするのでしたか」


 井戸に立て掛けてある長い棒で、水面に張った氷を割る。


 桶を持ち上げて、冗談にならないほど冷たい水へ指先を入れると、オルレニアは僅かに顔を顰めた。

 隣にいるロンバウトも、その様子を見て眉をひそめる。


「この時期の水は眠気覚ましには冷たすぎる。そうは思わんか?」

「ははは、多くの者が悩む事案です。早くに来た理由が、バレてしまいましたか」

「頼めるか?」

「ええ。任せてください」


 手桶を井戸の淵に置いてオルレニアが少し下がると、ロンバウトは跪き、手桶に手をかざした。

 ふわりと、明るい色が輝く。


 月明かりのような寒色ではなく、炎のように荒々しい色でもなく。


「”退け”」


 一言を呟くと、冷たい水の中から何かが抜けて井戸に消える。


 そして桶の中の水に、ロンバウトの手から放たれる暖色の光が集い始める。


 程なくして、冷水は湯気を上げるぬるま湯に変化した。


「手際が良いな」

「この辺りに来て、二ヶ月程経ちます」


 湯の中にそっと指を入れて温度を確かめると、ロンバウトは手拭いを二枚、その中に入れて温める。

 冷たくなった手は、ぬるま湯の温かさに痛みを感じるほどだ。


「……あの少女は、ソーティエなのですか?」


 ふと、湯の中で暖めた手拭いを使いながら、ロンバウトがそうオルレニアに問いかけた。


 笑みはない。


 それは彼らにとって、とても重要な事だからだ。


「ああ」


 オルレニアの言葉はそれだけ。

 しかしロンバウトは目を見開いて驚き、喉を鳴らした。


 そして、真剣な表情で空を見上げる。


「では、いよいよという訳ですか」


 手桶の中の水を捨てて、井戸に立て掛ける頃にはロンバウトの表情は先ほどと同じ、微笑をたたえていた。


「近い内に事が動き出す。備えておけ」

「はい。心得ております」


 首肯しながら、ロンバウトが拳を強く握りしめる。

 オルレニアは ちら、とそれを見るが、何も言わずに目を伏せた。


「イヴはどうした?」


 そしてふと、話題を逸らすようにロンバウトへ声を掛けた次の瞬間、突風が吹き、巨大な影が二人を包み込む。


 どうやら聞こえていたようだ。


『――随分と早起きだな。ぬしら』


 夜闇の中で、エメラルド色の瞳が輝く。


 黒く、巨大な竜。


 しかしもう一度突風が起こると、二人の視線の先には黒い長髪の少女が一人、小さく笑って立っていた。


「……イヴ。見張ってくれるのはありがたいが、人型で頼む。ただでさえ悪魔が出た後なんだ」

「ケチ臭いことを言うでない。窮屈なのだ」


 ロンバウトが咎めるように言うと、イヴは口を尖らせてそう声を上げる。

 傭兵たちの多くが復帰できていない状態を補う為に、イヴが見回りをしていたのだろう。


「イヴリアナよ。ルフィアの様子はどうだ」


 二人のやりとりを眺めつつ、オルレニアはイヴに声をかけた。


 ここにいる間、ルフィアの身の回りの世話はほとんどイヴが担っている。

 見回りをしたのならば、ルフィアのいる部屋に入っている筈。


「ぐっすり寝ておる。別段おかしな様子はなかったぞ」

「……そうか」


 ルフィアはとても傭兵とは思えないほど華奢な身体をしている。

 身体が動くようになったとはいえ、疲労は色濃く残っているはずだ。


 そして体が弱っている時は、特に酷い夢を見る物である。


 気遣いすぎている、と言われればそうかもしれないが、気は使いすぎくらいで丁度いいとオルレニアは思う。


「正午には稽古をするのでな。身体を休めてもらわねば困る」

「ほう?そんな話、我は聞いていないのだが」

「お前には言っておらんからな」


 問われた事に対して、投げやりに応えたオルレニアへ、イヴは 信じられないとばかりに目を見開いた。


「なぜそんな面白そうなことを黙っていた。我にも手伝わせるがよい」


 そして大きく口を開けて、鋭い牙を見せながらオルレニアへの非難を口にする。

 この場合の手伝う、というのは決して準備を手伝うという訳ではなく、ルフィアの稽古相手をさせろ、という意味である。


 イヴは元が竜である為か、人の姿をしていても尋常ではない膂力を持っている。

 ルフィアの稽古相手などさせよう物なら、剣を交わした時点で互いに刀身が壊れて終わりだ。

 最悪、イヴの攻撃をルフィアが受け止めたなら、ルフィアはそのまま両腕に大きな怪我を負うことになる。


「阿呆め。お前はルフィアから腕を奪う気か」


 ゆえに、却下する。


 深くため息を吐き、さてどんな反論が来るのか、と眺めていると、イヴはそのまま唇に人差し指を当てて黙り込んだ。


 どうやら悩んでいるようだ。


「……仕方、ない。観るだけにしておく」


 そして、歯切れ悪く諦めを口にする。


「代わりに、ぬしが相手してくれ。それくらい良いであろう?」


 どうやら鬱憤がたまっているらしい。


 竜は無闇に他の生物に手を出すことはしないが、元来戦いを好む性格をしている。


 小首を傾げて問うイヴに、少し間を置いてオルレニアは歩き出した。


「……?」


 僅かな困惑を浮かべて、すぐにパッとイヴの顔が明るく切り替わったその一瞬。


 オルレニアがブレてその拳が突き出されていた。


「今ならば、構わぬ」


 一拍遅れて風圧が外套を捲り上げる。

 拳が受け止められた事を確認し、オルレニアは嗤った。


 イヴもまた、エメラルド色の目を思い切り見開いて、顔いっぱいに嬉々とした感情を浮かべる。


「私は人が来ないように見ています。イヴ、オルレニア様、どうぞ存分にやって下さい」


 ロンバウトがそう言うと、見合っていた二人が同時に動き出した。


 地面が削れ、空気が震える。


 加減はしない。


 傭兵たちがここに来る頃には、この場はきっと酷い有様になっているだろう。

 だが、それで良いのだ。


 これは久々に再会した彼らの挨拶のような物。


 ただ建物を壊さないでくれよと、求めるのはその程度である。




 ◎◎◎◎




 日が昇ってしばらく。


 ようやく日の光に暖かさを感じるようになった頃、ルフィアは一人で街を歩いていた。

 やっと体が自由に動くようになり、健康のありがたさを噛み締める。


 知己の街人達から声を掛けられ、笑顔で返し。


 時々路地裏に消えていく小動物を眺めながら。


 大通りを進んで、先に見える巨大な建物へ。


 暫くぶりの平和な感覚はとても心地よく、特筆して良いことがあったわけでもないのにルフィアは軽く鼻歌までも歌いながら、軽やかに足を運ぶ。


「……ここ、かな」


 そして立ち止まると、そう呟いた。


 見上げると、銀と青で描かれた盾の紋様が壁に描かれている。

 石造りのそこは、貴族達の住む中央区に入る直前にある。


 教会の権威の元で医療活動を行う、『白教会』の建物だ。


 荘厳な空気を纏った扉を開けて、中に入る。


「こんにちは。本日はなんのご用事でございますか?」


 すぐ前に白い服で身を包んだ男が現れ、ルフィアは剣に手を伸ばしかけて、ただの案内人だと気を抜いた。


「えっと、こちらにいるゲルダンさんとの面会を……」

「ああ、あの方の。お待ちしておりました」


 そう。オルレニアに敗北したゲルダンは意識を失い、ケビンの使者によってこの白教会へと送られた。

 それまで積雪の上に放置されていた事もあり、外傷に関わらず随分と衰弱していたと聞いている。


 白服の男に付いていき、ルフィアは階段を登ると、その先にある一室へ案内された。


「対話ができるほどには回復していますが、あまり無茶をさせないようにお願いします」


 扉を開けようとすると、そう注意を促される。


 それほどまでに弱っているのか、とルフィアは小さく驚きを覚える。


 ゲルダンといえば誰も体調不良になった姿を見たことのない、健康の塊のような男だからだ。


 白服の男に小さく頭を下げて、ルフィアは扉を開ける。


「……誰だ?まだ飯時じゃねえだろう」


 途端に聞こえたのは不機嫌そうな声と、ピリっとした警戒を感じさせる空気。

 大きなベッドとテーブルだけが置かれた質素な部屋に、ゲルダンはいた。


「おはようございます、ゲルダンさん」


 ゲルダンの放つ殺気をそよ風のように受け流して、ルフィアはにこやかに笑顔を見せた。


 身に似合わない小さな椅子に座ったゲルダンの顔が、不機嫌そうなしかめ面から口を半開きにした間抜け面に変わる。


「る、ルフィア……?」

「はい、ルフィアです」


 わなわなと指を指し、信じられない物を見たような顔をする。


 ルフィアは小首を傾げて、ゲルダンの問いに答えた。


「なんで、おぇ、こんなところに?」


 そして絞り出すように、ゲルダンはそんなことを言うのだ。


「お見舞いですよ。なんですか、嬉しくないですか」

「いや、そういう事を言ってるんじゃねぇ」


 右手に抱えたパン入りの籠を机に置いて、ルフィアは不服そうな声をあげる。

 男性は年若い少女の見舞いが来れば無条件に喜ぶだろうと、勝手な考えを示しながら。


 しかしもちろんゲルダンの言いたいことはわかっている。


「俺は、お前ぇの敵に回ったんだぞ?」


 つまりはそういう事。


 困惑したように声を絞り出しているゲルダンに、ルフィアは珍しく眉をひそめる。


「傭兵をしていれば、そういう事もありますよ。べつに気にしてませんし、むしろなんでそんなに気にしてるんですか?」


 傭兵というのは、人に傭われる職業である。


 傭兵団ほどにもなれば団同士で同盟のような物を持つこともあるらしいが、個人の傭兵ではそうはいかない。

 雇い主が敵同士だったなら、敵対することも多々ある話だ。


「あ、あぁ……そりゃそうなんだがよ」

「気負い過ぎです。パンでも食べて落ち着いてください」


 籠からパンを一本抜いてゲルダンの顔に投げつけると、ゲルダンはそれをしっかりと片手で受け止める。


 随分と余裕のある動きだ。


 先程の男が嘘を吐いていたのか、それとも弱っていてこれなのか。


「あー……すまねえ、どうにも調子が悪ぃみたいだ」

「おいしいパンを食べれば治りますよ。いつも通りしていてください」


 調子を崩されたように頬を掻きながら、ゲルダンは苦笑した。


 ルフィアはそれを見て微笑すると、机を挟んでゲルダンの反対側に椅子を置いて座りこむ。


「で、見舞いってのは本当か?それだけならありがてぇ話なんだがよ」

「もちろん、少し聞きたいことがあって来たんですよ」


 当然でしょう?と肩をすくめるルフィアは、普段と違って自信ありげである。

 それほどにはこの男を、信頼しているのだ。


「だろうなあ。で、なにが聞きたい」


 ゲルダンも、先の態度が嘘のように不敵に笑った。


 それが少し自嘲げに見えるのは、おそらく間違いではない。

 自分より年若い傭兵、それも少女の傭兵にたしなめられては、もはやそうするしかないだろう。


「少し、聞きにくいことなのですが……」


 躊躇いがちに視線を迷わせて。


「構わねえよ。言ってみろ」


 その言葉は、まさしく最適解である。


「オルレニアさんと戦って。その動きや特徴をなにか聞かせて欲しいんです」


 ルフィアは、ゲルダンにそう問いを投げた。




 ◎◎◎◎




 日が丁度真上に差し掛かり、日差しのお陰で体も温まり、よく動く。


 ノーグ商会の中庭で、ぐっと伸びをしたルフィアは、周りを見回して改めて苦笑する。


「初めは数人であったのだが、な」


 同じく隣で苦笑するのはオルレニアだ。


 その視線の先には、壁にもたれかかったり、地面に突っ伏して休憩する無数の傭兵たちがいた。


「稽古をつけていただき、ありがとうございました」


 オルレニアに対して頭を下げているのは、その場の傭兵たちをまとめていた一人の男。

 そしてその場にいる傭兵たちは全員、先ほどまで果敢にオルレニアへ特攻し、見事なほど呆気なく投げ飛ばされていた者たちである。


 ルフィアが戻る少し前。

 ある一人の傭兵が、特別待遇されているオルレニアの実力を試そうと稽古を申し込んだらしい。


 その一人が容易く捻られると、どこで見ていたのかもう一人が現れ、またもう一人とそれが続いた結果、十数人ほどの傭兵が地に伏すこととなった。


「上昇意欲があるのは良いことだが、有り余っていてはいかんな」


 息切れ一つせずそんなことを呟くオルレニアを見ていると、隔絶した実力差を感じられる。


 ただ今は、傭兵たちの話はそう重要ではない。


「そろそろ始めるかい?」

「ああ。少し離れているが良い」


 シルヴィアと共に一連の出来事を眺めていたケビンがそう問うと、オルレニアは外套を翻しながらそう応えた。


 太陽が真上に来るということは、オルレニアが指定した、手合わせの時間だ。


 オルレニアの言葉を聞いて、ルフィアも傭兵たちが使っている模擬剣を手に取り、何度か握り直して感覚を確かめる。


「審判は僕が行うよ。剣闘試合のように細かな規約はないけど、始めと終わりくらいは決めておこうか。


 始めは僕が号令を掛ける。号令が終わったその時から、相手に攻撃を当てても良い。

 終わりは致命的な部位に攻撃を受けるか、この中庭を出てしまうか、またはどちらかが負けを認めた時だ」


 手合わせとはいえ、最低限のルールは必要だ。


 全力で振られた剣が当たれば、たとえ模擬剣であったとしても無傷ではすまない。

 殺し合いとは訳が違うのだ。


 中庭の隅にイヴがいるのも、もしもの時に止めに入る為だろう。


「ルフィア、準備は出来たか?」

「はい、大丈夫です」


 剣を構えて、一直線にオルレニアを見る。


 オルレニアも剣を片手に持ち、ルフィアの方へ体を向ける。


 そんな自然な動作一つで、その気配が変化したことをルフィアは感じ取る。


「決闘じゃないから、出来るだけ血は流さないように気を付けて」


 ケビンの声を聞きながら、ルフィアは肌に触れる気配からオルレニアの注意が自分へ向いた事を察した。

 ゲルダンが放っていた殺気よりも、はるかに冷たく、鋭い。


「では二人とも、構えて……いるね」


 ケビンは二人に声をかけると、手を高く上げた。


 その間にルフィアは、僅かに構えを変化させる。


「はじ――」


 その一瞬、鈍い銀色の閃光が走った。


 め、と言ったケビンが息を呑むのが判る。


『絶対に奴より早く攻撃を仕掛けろ。先手を取らせるな。じゃなきゃあ一撃でやられる』


 とは、ゲルダンの言葉。


 ゆえにルフィアは、最高最速の一撃を放つ。


 鉄をも切り裂く一撃を。


「ッ!!」


 火花が散り、手に強い痺れが起こる。


 オルレニアが刃に刃を擦らせるようにして勢いを緩め、ルフィアの剣を受け止めたのだ。


 おそらくは、読まれていた。


「ぃッ!!」


 すぐに反撃が来る。


 ルフィアが放った初撃に及ぶほどの突きが、予備動作なしに放たれる。

 それを最初に追いついた思考で認識して、思考に追いついた体でかわす。


『奴は攻撃の間を作らない。どんな状況になろうと、絶えず攻撃してくる。初撃が失敗したなら、全力で奴の連撃を止めろ』


 ゲルダンの言う事は間違いなく正しい。


 突きにより出来る脇腹の隙へ剣を滑り込ませようとすると、オルレニアは既に剣を添えていて、力負けしているルフィアの剣は酷く暴力的な音と共に止められた。


「っ――」


 手が痺れている事も構わずに、手首を捻って刃同士を離す。


 間に合わない。


 オルレニアは既に一歩を踏み込み、下からの斬り上げが来る。


「ャァアッッ!!!」


 右手に握っていた剣を一瞬手放し、思い切り半身を逸らして斬り上げをかわし切ると。

 ルフィアは息を呑む間もなく左手で剣を掴んで振り下ろされる剣を防いだ。


 しかしその一撃もまた、重い。


 襲い来る衝撃を背後に跳んで和らげながら、それでも距離を離さず付いてくるオルレニアへ右手に持ち替えた剣を振るう。


「ふん」


『連撃を受けて、もし動きを乱されたのなら』


 苦し紛れの一撃でオルレニアを止めることなど出来るはずがない。


 迫るオルレニアを見て思い切り目を見開いて。


 互いの剣が交差すると、オルレニアは剣を思い切り捻ってルフィアの手から弾き飛ばした。


『てめえの負けだ』


 首筋に添えられた刃。


 思考よりも早い、直感が追いつかない。


 オルレニアの剣は、速すぎるのだ。


「勝者、オルレニア」


 ケビンの声が静かな空間に響き、風が吹き抜ける。


「……中々良い動きではあったが、些か直情的すぎるな」


 首筋から剣を離し、オルレニアはそう告げる。


 自分もそれなりの実力を持っているとは思っていたが、ここまで手も足も出ないとは。

 ルフィアは驚きと若干の悔しさ、喜びを覚えながら肩から力を抜いた。


「すごい迫力でしたね。ケビンさま」

「ああ、まさか僕が始めを言い終える前に動くとはね……」


 戦いの気迫に驚いたのか、口を半開きにしたシルヴィアが呟き、ケビンも苦笑してそれに同意した。


 オルレニアの強さが目立っているが、ルフィアの動きも充分に超人的である。

 周囲で休憩していた傭兵たちも、まさかあんな少女が、と唖然としている者たちばかりだ。


「ルフィアよ。よもや一度で終わりではあるまいな」


 場の空気を一変させた戦い。


 たった一度で随分と体力を奪われたように感じたが、ルフィアはオルレニアの言葉に頷いて、離れた場所に落ちた剣を拾う。


 一度剣を交えて分かったことは、オルレニアに隙が無いこと。


 オルレニアの攻撃は速く鋭く。防御もまた、硬く厚い。


「もちろんです。ケビンさん、お願いします」


 切っ先はオルレニアへ。


 初撃は変わらない。


 この短い時間でそう多くの技術を得ることなど不可能だ。


 それなら今は、ただ自分の最高の一撃をどこまでも研ぎ澄ます。


 それだけを考える。


「では二人とも、準備は良いね?」


 念押しの言葉に頷くと、ケビンはそれを確認して手を高く挙げた。


「では、始めようか」


 降ろされていく手を見ながら、全神経を一太刀に集中させて一歩を踏み出す。


 今度はオルレニアが構えるのが見えた。


 それだけでも成長だろう。


 小さな経験の積み重ねが、良い技を生み出すのだ。



 そうしてこの日、ルフィアは五度の敗北を味わったのであった。




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