第21話

「少し難しい話になるが、構わんか?」


魔術、奇跡について問われたオルレニアは、苦笑してそう言った。

ルフィアを馬鹿にしたのではなく、疲れてはいないか、という事だろう。


「大丈夫です」

「そうか。疲れが出たら言え」


即答するルフィアに返答しながら、オルレニアは携えていた剣を壁に立てかけて小さく息を吐いた。


「ルフィア。貴様には 奇跡、と伝えていたか」

「はい。傷を治したり、人の動きを止めたりする力を見ました」


ウラガーンの傷を治したり、暗殺集団を地面に抑えた力。

それを見たときの驚愕は、まだ脳裏に焼きついて離れない。


「アレらの正確な名称を『色の力』と呼ぶ。その応用が、『魔術』と呼ばれる物だ」


ふわりと手の平に黒い靄を作り、それが一瞬の間に燃え盛る炎へ変わる。

オルレニアは言葉を紡ぎながら、それを実演して見せた。


「『色の力』は人それぞれで行使できる物が違う。多くは赤、青、黄の三色を基にした色を持ち、その特徴を体に持つ。

赤ならば炎、青ならば水、黄ならば地といった所か」

「……オルレニアさんは、何色なんですか?」

「ああ、我は少々特殊故に後で説明するとしよう」


すぐさま疑問を口にするルフィアの質問に軽く応えて、オルレニアはそのまま話を続けた。


「ルフィアに見せた奇跡は『色の力』だ。単純な言葉で発動出来る。

対して、森の中の大吹雪は『魔術』。複雑な命令を重ねる事で発動するが、自分の色を変色させるゆえに使い過ぎると自我を失い『黒』に染まる」


オルレニアはほんの僅かに顔を顰めながら最後の言葉を言い放った。

赤、青、黄、その中に含まれない色の話に、ルフィアは小首を傾げる。


「『黒』は最高の『色の力』にして、最も狂気に近しく、危険な物だ。

使用者に異常なまでの害意を生み出し、使用者はそれに耐え切れなければその場で理性を失って暴れ始める。


この状態を『魔者』に堕ちた状態という。


仮に耐え切る事が出来たとしても、苦痛の余り自害する者がほとんどである」


故に、人が触れてはならぬ色である。


オルレニアは作り出した炎を徐々に黒色に変え、説明に合わせてそれを動かし、消した。


「『黒』があるという事は、白もあるんですか?」


オルレニアが一度口を閉じた間に、ルフィアがそう疑問を口にした。


良い質問だ、と頷きながらオルレニアは少し考える素振りを見せて、ルフィアの手を取った。


「お、オルレニアさん……!?」

「そう、その反応だ」


目を丸くして顔面に朱の色を浮かべるルフィアに対して、淡々と話しながらその反応を見て笑うオルレニア。


「今、貴様は顔を赤くしたが、次第にその色は消える。

『白』はどんな色にでも一定の期間変化するが、それだけでは大した力を持たぬ色だ」


そう言って丁寧にベッドの上に戻された自らの手を眺め、ルフィアは非常に困惑した。


オルレニアが遊び半分でこの様な事をするだろうか。

しかし今の説明をするのに、わざわざ自分の手を取る必要があったのか?と。


そこまで考えて、自分を例にした理由を把握した。


「つまり、私の色は」

「『白』だ。滅多に居る物ではないが、それ以外には有り得ん」


一瞬、ルフィアの目が見開かれ、酷く悲しみを湛えた表情に変わった様に見えた。

瞬きをしたオルレニアは、ただ驚きの表情を浮かべる白い少女を見て、内心で安堵の息を吐く。


「そういえば今の私では使えない、と以前に言っていましたよね」

「ああ。『色の力』は本来人間では扱えぬ物だ。それを使えるように、より上位の生物の手を借りて調整する必要がある」

「より、上位の生物?」

「そうだな……ウラガーン、あるいはイヴリアナか」


言われて、ルフィアは巨大な狼と一人の少女を思い浮かべて、眉を困惑にひそめた。

普通の狼より遥かに大きく、会話の出来る狼は確かに超常的な存在だとは思うが。


「イヴさんも、ですか?」

「……? ああ、そうか。貴様はイヴの人型の姿しか見ておらんのだな」


そんなルフィアの反応に、オルレニアはふむ と呟き、思案げに視線を上にやった。


「……イヴリアナについては、後で自分で聞くが良い。重要であるのはウラガーンらの手を借りる事で、貴様でも『色の力』を扱える様になるという事だ」


調整する、とはどういう事なのか。


疑問を持ちつつもルフィアはオルレニアの言葉に小さく頷くと、別の言葉を口にする。


「オルレニアさんも、同じ方法で?」

「それは……その話は、我の『色』から説明せねばならん」


ルフィアの質問にふいと口を開き、しかしオルレニアは再びほんの少し考える様子を見せてから右手を挙げた。


「ルフィアよ。我の色は何であるか、判るか?」

「えっと、『色の力』によって身体の一部に特徴を持つ、でしたよね」


オルレニアの問いを受けて、ルフィアは改めてオルレニアの全身を見た。


撫で上げた漆黒の髪、深い闇を思わせる黒色の瞳。

顔や腕などに見える色は肌の色だが、それ以外の部分は――服も含めて――黒一色に染まっている。


オルレニアの説明によれば、黒は魔術を使い続けた場合に変色する危険な色だという。

しかしそれ以外の色が見当たらないその容姿に、ルフィアはおずおずと口を開いた。


「黒、ですか?」


オルレニアの顔が険しくなり、ルフィアはビクリと身をすくめた。


間違えたのか。

なら一体彼の色は何なのだろう。


焦りつつも高速で思考し推測を行うルフィアの前で、険しくなったオルレニアの表情が解かれていた。


「如何にも。我が色は『黒』である」


そして放たれた内容に、ルフィアの目が丸くなる。


「随分と分かり易い反応をする物だな」

「でもオルレニアさん、黒は危険な色だって……!!」


驚きと心配の混じった声を出すルフィアに少し頬を緩め、オルレニアは軽く挙げていた右手を開いた。


「制御出来なければ、の話である」


言葉と共にオルレニアの右手の上に黒一色の猫が現れ、消える。

すると次の瞬間にはまたもや黒一色の蛇が巻き付き、その形が変化して狼になった。


「この様に、我はこの力を制御しておるのでな。何も問題など無い」

「ほんとうに、大丈夫なんですか……?」


目の前でその例を披露されても、尚ルフィアはそう問いかける。


オルレニアは、静かに目を閉じて。


「大丈夫だ。心配するな」


自信ありげに笑った。


仮に問題があったとしても、オルレニアはそれをルフィアの前では見せないだろう。

ルフィアはその事を察してそれ以上の追及はやめた。


「して、我がどうやって『色の力』を得たのか、だが――」


そしてオルレニアが話を戻そうとした所で、ふらりとルフィアの体がよろめき、しっかりと羽毛の詰まった白いベッドに倒れこんだ。


数瞬の間、静かな空気が広がり。


ごほん、とオルレニアが咳払いをした。


「続きは明日以降でも良かろう。今はしっかりと休むべきであったな」

「ごめんなさい、オルレニアさん……」

「構わぬ。貴様が調子を取り戻すのが最優先であるからな」


自分の状況に唖然としつつ、ルフィアは不甲斐なさに目を伏せた。


普段は険しい顔をしているオルレニアが、気を使うように――ほんの僅かだが――表情を和らげていることにも、若干の申し訳なさを憶える。


「では、我は別室で休息を取る。何かあれば呼ぶが良い」

「あっ……」


そうしておもむろに立ち上がったオルレニアを見て、ルフィアが声を洩らす。


「どうした?」


訝しげに問うオルレニア。

ルフィアは、蚊の鳴くような声で。


「こ、怖い夢を見たもので……」


と、俯きがちにそう言った。


仕方ない とばかりにオルレニアがもう一度席に着く。


朝までに、もう夢は見なかった。





◎◎◎◎





コンコン、とはノックの音。


やや重い瞼を上げて、薄っすらと目に映る明るい光。

騒々しく、活気のある街の音が耳に入り、ルフィアは目を覚ました。


「ルフィア。起きておるか?」


扉の外から聞こえるのは、少女の声。

寸前まで感じていた眠気に誘われ、ついつい目を閉じてしまいそうになる。

春が近づく頃のどうしようもない心地よさは、悪魔の誘いと言ってもおかしくないだろう。


「はい。どうぞ」


寝起き特有の喉の渇きを感じながら、ルフィアは声を返した。

ほとんど同時に扉が開き、黒い長髪を揺らしながらイヴが入室する。


「朝食ができたが、体の調子はどうかと思ってな。まだ調子が悪いのであれば持ってこようと思ったのだが」


イヴの気遣いには、頭が上がらない。


ベッドから降りて手を開閉し、ぐっ、と伸びをすれば、身体は僅かにも遅れることなく思い通りに動いてくれた。


「大丈夫そうです。案内していただけますか?」

「うむ。と言いたいところだが、まずは着替えるがよい。朝食はそれからだ」


イヴは片手に抱えていた服を広げると、小さく笑う。

言われて自分の身だしなみを確認したルフィアは、なるほどと理解した。


ルフィアの今の服装は、病人のための羊毛をふんだんに使用した羽織一枚のみだった。

もちろん高級品なのは間違いがないだろうが、だからといって外出する服装ではない。


「ぬしの着ていた服を仕立て直し、勝手だがもう少し楽に着られるようにしておいた」

「そんなことまで……本当にありがとうございます」


イヴから服を受け取って、ルフィアは羽織を脱ぎ、手渡す。

そこでふと、ルフィアはイヴの視線を感じて首を傾げた。


「どうかしましたか?」

「ああ、その、本当に白いのだな、と」


儚げで、透明感のある顔立ち。


程よく筋肉が付き、均整の取れた肢体。


決して女性らしさが損なわれている訳ではない。むしろその線の細さは、庇護欲を煽る弱さを思わせる。

一糸纏わない姿で日光に照らされたルフィアの身体は、より一層白く、芸術品のように美しかった。


「あまり、見て気持ちの良いものでは無いと思いますが……」


素直に美しいと思ったイヴに、しかし本人はそう反応した。

勿体無い、とイヴが苦笑している間にルフィアはそそくさと服を着て、外套の留め具を合わせると、最後に革紐で髪を一纏めにくくって着替えを終えた。


「では、案内をお願いします」

「良かろう。ここはノーグ商会の敷地内に作られた簡易生活施設ではあるが、食事に関してはその域を軽く超えておる。期待しておくがよい」


部屋から出ると、すぐ目の前に本館へ続く渡り廊下があった。


イヴはそちらへは向かわず、右側から一階へと降りる階段を進んで行く。

すると程なくして、香ばしいパンの匂いや、空腹を刺激する芳しいスープの匂いが鼻を突き抜け、ルフィアは顔に喜色を浮かべた。


階段を下りて少し廊下を歩き、突き当たりの扉を開く。


「どうだ?」


ふわりと体を包む暖気に誘われ、ついつい頰が緩んでしまう。


開かれた先は、無数の長机が並び、幾人もの商人らしき者たちが談話している大きな食堂だった。

商人たちの身なりは良く、時折見かける貴族のような者までいる。


改めて、ノーグ商会の強大さを思い知らされる。


イヴに連れられて適当な席に座ると、すぐに給仕が盆を持って現れて次々に食事の用意を始めた。


「全部食べる必要はない。好きな物を好きなだけ食べるがよい」


とは、イヴの言葉。


卓上に並べられたのは、色とりどりの果実、まだ香ばしい匂いを残した、ほんのりと褐色に染まる白いパン。

さらに野菜がふんだんに含まれたスープと、その隣には瓶に詰まった蜂蜜漬けの桃。


とてもではないが、ルフィアが普段目にかかることすらないような、そんな食べ物ばかりが用意されていた。


「もちろんの事だが、金は要らんぞ。商会長の客をもてなすのは当然の事であるからな」

「で、では。いただきます……」


おそるおそる、ルフィアは白パンに手を伸ばす。


普段口にしているライ麦のパンや黒パンと違って、手に持っただけで指が沈んで行く感触。

ふわり、もちり、と指に伝わる触感が、この上なく心地良い。


思い切って、一口。


手に感じた心地よさが、香ばしい味と芳醇な風味と共に口の中を支配する。

思わずあまり信じてもいない豊穣の神に祈りを捧げたくなった。


「……本当に美味しそうに、食べるものだな」


給仕が思わず微笑むほど喜びを顔に表すルフィアを横目に見て、イヴはそう呟いた。

そうしてから、自分も食事に手を伸ばす。


そこからは静かな物だった。


ルフィア程ではないが、イヴもまた食事に夢中であり、他の一切に対する意識を捨て去っている。


パンを、果物を、スープを。


後から追加された物にも手を伸ばし、食事が終わったのは、半刻を過ぎた頃であった。


「美味しかったです……」

「うむ。やはりここの食事は素晴らしい」


本館へと繋がる渡り廊下を歩きながら、同じような笑顔で、二人はそう言った。


「この後は、ロンバウトさんのところに行くんですよね?」

「そうだな。今回の事件についての話など、まだまだやるべき事は残っておる」


ケビンについてや、ヴァロータの動向について、ロンバウトは事後処理に追われているのだとイヴが言う。

どうやら個人の傭兵が請けた依頼は、この大商会を騒然とさせるほどに大きな物になっていたらしい。


悪魔によって破壊された建物の修繕や、ノーグ商会が懐柔していたヴァロータ下層部との駆け引き。

契約していた傭兵団が一時的に壊滅させられた事は相手が悪かったとしか言いようがないが、それらの全てを同時に対応するロンバウトの苦労がうかがい知れるという物だ。


「もちろんぬしにも用事はあるそうだ。主に依頼についての報酬等々、な」

「そういえば……そうでしたね」


今回の件について、最初はケビンから報酬を受け取れる筈だったのだ。

しかし途中で起きた様々な問題のせいで、依頼を達成するどころか、その目標すらあやふやになり、報酬に関する話はどこかに飛んで行ってしまっていた。


元々ケビンが言っていた金額が貰えるのならば良いのだが、結果から見れば依頼を達成したとはとてもではないが言い難い。


「一応ロンバウトと話はしたが、今回の件については内密に済ませたい故、我らからそれほど金は出せぬ。

命を救われておきながら、本当に申し訳がないことなのだが、な」

「いえ、こちらこそお世話になりましたので」

「そう言って貰えると、助かる」


当然、貰えるのならば貰うつもりだが、ルフィアは今回の件について、自分が金を貰えるほど何かをできたかと言われると黙らざるを得ないだろう。

今回の件で得られた経験はとても大きく、むしろルフィアはイヴ達に感謝を示したいとすら思っていた。


そうしているうちに複雑な通路を進み、壊れた壁などを越えて二人は下働きの小僧達が騒々しく働く正面玄関を見下ろす、最も光の入りやすい部屋の前に着いた。


「ロンバウト、来たぞ」


商会長が相手だというのに、イヴは全く気負うことなく普段通りに声を上げた。

すぐに扉の反対側から返事が聞こえ、部屋の内側へと開いていく。


「やあ、良く来てくれたね」


明るい茶髪に、優男然とした顔立ち。

怪我をしているのか、右頬を布で覆い。


イヴとルフィアの二人を出迎えたのは、今回の騒動の主犯。


「ケビンさん……!!」


ケビン=カルデロンであった。


































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