第19話

日が傾くと、人々は闇を恐れて火を作る。


囮から門へと名を変えた大きな街でも、そこに住む人々は変わらない。


闇は恐ろしく、火は安らぎを。


盲目的に火を信じ、人々はただ、闇から目を背けていることに気付かない。


少し目をそらせば、そこにある。


少し目を閉じれば、そこにある。


氷の柩も風の歩みも、全ては闇と共にある。


小さな家屋の内側で、大きな闇が現れた。


しかし人々は気付かない。


それは、目を背けるべき物だから――。




◎◎◎◎



『白き少女よ。我は外にいる。何かあったら呼ぶと良い』


つい少し前にウラガーンと別れた時に聞いた言葉を思い出しながら、ルフィアはヴァロータの中心を一本に続く大通りを歩いていた。


体力はウラガーンに乗っている間にある程度回復しており、一戦くらいならば出来ないこともない状態である。


「宿に、戻るかな……」


オルレニアが自分を気遣ってくれている事はわかる。

そしてオルレニアの言う通り、自分の体は吹雪には耐えられなかっただろう。


それでも。


「もう少し、がんばりたかったなぁ」


今回の一件はルフィアにとっては久しぶりのまともな依頼であり、初めてとも言えるほど大きな依頼であった。

もちろんこの依頼を受けたのはオルレニアだったが、オルレニアはルフィアの依頼を取ってきたのだ。


ならば自分が何もしないというのは、いけないと思う。


「……あ」


ふと、一つの看板が目に入った。


少し前に自分が捕らえられていた、ユーリの店だ。

あとで話を聞いてみると、ユーリはノーグ商会と協力していたという。


質の良い商品を入荷出来ていたのは、ノーグ商会の力が大きく影響していたから。

そう考えれば納得のいく話だった。


「剣、買おうかな」


オルレニアに剣を渡したルフィアは、最低限身を守れる程度の短剣しか所持していない。


それでも大きな問題はないのだが、懐に余裕がある今の内に、予備として買っておくのは良い筈だ。


「うん、買える」


懐に持っていた巾着袋の紐を解き、中に入っている大銅貨の枚数を数えると、ルフィアはむふふと笑みを浮かべた。


そして、ゆっくりと店の扉を開ける。


カランコロン、とドアのベルが鳴り。


普段なら愛想笑いを浮かべたユーリがうるさいほどに言葉を並べながら出てくるのだが。


「あれ?」


なぜか今日は、物音一つしなかった。


一拍遅れて、貴族用の時計が静かな空間の中で、秒針を刻む音が耳に入ってくる。


「あのー……ユーリさん?」


滅多に呼ぶ事のない店主の名を口にする。


近付かれるだけでなんとなく気持ち悪く感じる、正直苦手というか嫌いな相手だが、この妙な雰囲気の中では、そんな相手だとしてもいて欲しい。


トン、トンと足音を鳴らしながら、ルフィアは周囲を見回しながら歩き始めた。


ランタン、砥石、油壺のような物から、よく分からない人形やいかにも高級品というネックレスまで。


本当に小さな一店舗とは思えないほど、この店は品揃えが良く、その品質も高い。


「ランタンの灯りも……?」


先ほどから感じていた違和感に、光源がないという物があった。

薄暗く、どこか不気味さがある店内。


その気持ち悪さを、ルフィアは経験した事がある。


「ユーリさんの気配と同じだ。」


そう口にした時、音が聞こえた。


くぐもった声のような、重低音。


「……借りますね。」


すぐ側に売り物として置いてあった細身の剣と幾つかの道具を手に取ると、ルフィアは店の奥。音のする方向へと剣先を向けた。


音からして、人間のものではない。


おそらくは獣、それも大型の肉食獣の唸り声に近い音だ。

店内がやけに静かなのは、ユーリが食われてしまったからだろうか。


そんなことを考えながら、今度は足音をほとんど起こすことなく、ゆっくりと音の主へ近づいていく。


店のカウンターを越えて、さらにその奥。


以前ルフィアが捕らえられていた部屋の扉の奥から、音が聞こえた。


「ふ……っ!!」


ルフィアはそれを確認すると、カウンターに道具を置いて、火薬の詰まった玉の導線に火打石で火を点けると、扉を開けると同時に思い切り投げ込んだ。


破裂音と共に煙が上がり、狭い部屋の中に広がる。

ルフィアはそのまま剣を抜き放ち、相手の影を頼りに急所へ刺突を打ちこんだ。


「……!?」


しかし、返ってきたのは鈍い手応え。


完全に刺さらなかった訳ではない。

貫いた訳でもない。


『……ルフィア、か』


煙が晴れ、目に映るのは黒く、巨大な山羊の頭。

同時に、ルフィアは自らの剣がその表皮に受け止められている事を視認した。


そして驚愕を顔にするルフィアに目だけを向けて、山羊頭はルフィアの名を呟く。


「なぜ、私の名前を……?」


剣を表皮から抜き、大きく背後へ飛び退いたルフィアは、剣先を山羊頭へ向けながらそう問いかけた。

すると山羊頭は一瞬目を見開いた後、自らの手を見て自嘲げに笑った。


『大事なお客様の名前を、忘れる訳が無いだろう?』


声はまるで獣のような、聞くだけで悪寒の走る恐ろしい声。

見た目は山羊の頭とコウモリの翼を持った大きな化物。


だがその言葉は、ルフィアもよく知る人物の口調によって放たれた。


「あなた、もしかして」

『そうだ。お前の思う通りの人物で、間違いない』


徐々に立ち上がりながら、山羊頭の化物はルフィアの問いに頷く。


『我が名はユーリ=フラトコフ。この小さな商店の主であり、我らが王の二百番目の僕』


山羊頭の化物。名前は、ユーリ。


なるほど、こんな姿では商売など出来よう筈もない。

滅多なことでは休業しないこの店が閉まっていたことや、妙な気配を感じた理由を理解すると同時に、あれほど商売に固執していたユーリの事を思ってルフィアは顔を悲哀に歪ませた。


『……なんだ、その顔は。まるで同情でもしているようだが』


しかし、当の本人は随分と軽い声を返した。


『いや、確かに奴らと出会ったのは不幸であったか』


そしてその巨体でルフィアに一歩近付くと、屈みこんで視線を合わせ、その恐ろしい山羊の顔を歪ませる。


『だがお前が来てくれた。我の元に、愚かにも』

「それは、一体――」


なんのこと、と言おうとして、ルフィアは背筋を駆け抜けた悪寒に、頭が理解するよりも早く飛び退いていた。


『ほぉ。やはり腐っても『白』か』


見ると、元々ルフィアが立っていた石の床が、ユーリの振り下ろした拳により砕けていた。

その明らかな敵意を察知して、ルフィアはそれを回避したのだ。


『ルフィア、喰われてくれ。お前を喰えば奴らに勝てる』

「なんの、話ですか」


ユーリは人食いではなかった筈だが。


ルフィアは冷や汗を流しながら、ユーリの言葉に眉を顰める。


『話す必要があるか?お前は今から食われるというのに』


だがこの男、ユーリはオルレニアたちとは違う。牙の隙間から鬱陶しそうにため息をこぼすことで、ルフィアの問いに応えた。


と。


ユーリは、目の前に立つ少女の気配が変化したのを感じた。


「つまり、あなたは私の敵というわけですか」


明るい紅の瞳を無感情に細め、普段からまとっている穏やかな気配が、鋭い刃のような殺気に変わる。

いつの間にか、手に持っていた剣をユーリの鼻先に突き付け、ルフィアは呟いた。


「理解出来ないことばかりですが、そういう事なら心得ました」


あなたは今から、ただの醜悪な化け物です。



ルフィアはそう告げると、右手に持っていた剣を振るフリをして、腰に差していた短剣を抜き払い、ユーリ――悪魔の瞳に突き刺した。


『ヌゥっ!!』


片目に傷を付けられ、悪魔は傷を手で抑えると同時に右手を振り下ろす。

ルフィアはそれを背後に跳んで躱すと、店内に移動しながら扉を閉じた。


『逃さぬ!!』


それを追いかけて壁ごと敷居を破壊した悪魔は、あろう事か地面を踏みしめられずに前のめりに倒れる。


床に、いつの間にか油が撒かれていたのだ。


『小癪な……!!』


悪魔が思わず舌打ちしながら顔を上げると、目の前では壺一杯に詰められた灯心に火が点いており、ルフィアがそれを投げる瞬間だった。


『貴様っ』


倒れて油まみれになった悪魔に、火の点いた灯心が降り注ぐ。

先に床が燃え、一瞬にして火が悪魔を包み込んだ。


「猛獣用の用意ですが」


燃え盛る悪魔に、無数の道具を組み合わせながらルフィアが言う。


『ァァォオオオオッ!!!』


苛立ちに吠えながら、全身から火を立ち昇らせた悪魔がルフィアに飛び掛った。

ルフィアはそれを跳び上がり、壁掛けを掴んで回避する。


「ヤァッ!!」


そして真下を通過していく悪魔の足に、落下の勢いを付けて剣を突き刺した。


しかし、鈍い手応え。


『ハッ!!効かんわ!!』

「っ――!?」


悪魔が振り返り、剣を引き抜いたルフィアへ鉤爪を振るう。

ルフィアもそれに反応するが、僅かに間に合わない。

ほとんど反射を頼りに、剣を盾として受け流す要領で衝撃を軽減しながら吹き飛んだ。


「くぁっ!!」


直撃は免れても、悪魔の力は途轍もなく強い。

吹き飛ばされ、地面を転がって壁に打ち付けられる。



倒れながらルフィアは、隣で燃え盛る火で導線に火を灯し、煙玉を投げた。

パン、という音と共に白い煙が広がり、悪魔とルフィア、双方の視界を奪う。


『ふん……小細工程度で我から逃げられると思っているのか?』


煙の中から悪魔の声を聞きながら、続けてルフィアは小さな笛を取り出した。

そして脳内に白い大狼を思い浮かべ、吹く。


『何のつもりだ。』


美しい音色が響き、それを頼りに悪魔がルフィアの目の前に立った。

そして、片手でルフィアを掴み、顔の高さまで持ち上げる。


『貴様……何をした』


拳に力を込めつつ問う悪魔を無言で睨みながら、ルフィアは身体から力を抜き、剣を持った片手をだらんと垂らした。


『まあ良い、既に遅い』


掌中で大人しくなったルフィアを見て、悪魔は顔に獰猛な笑みを浮かべると、大きく口を開けた。


「まったく……あなたが短絡的で助かりました」


口が迫るのを見つめながら、ルフィアは腕を少しだけ動かし、ため息を吐く。


そして、悪魔の首に線が走った。


「非常に大きな、隙ですので」


悪魔の首がズレて落ちると、ルフィアは掌中から抜け出し、そう言った。


右手には刃こぼれした剣。


ルフィアの振れる最速の剣。

鉄をも切り裂く一撃が、悪魔の首を絶ったのだ。


「ふ……」


意識していなかった倦怠感が身体を襲う。

くらりと視界が揺れ、ルフィアは思わず膝を着いた。


「まだ、大丈夫です」


そう自分に言い聞かせて、足に力を込め、思い切り身体を持ち上げる。

死体を確認しようとしたルフィアは、正面を向き、目を丸くしながら剣を両手に持った。


『中々、不意を突かれたな。』

「ええ……不意を突かれました。」


何事もなかったかのように頭上から聞こえる声を聞き、ルフィアの顔には自然と苦笑が浮かんでいた。

眼前に立つ悪魔の首は、まるで何事もなかったかのように繋がっている。


「……それでは私を、食べますか」


ルフィアは既に使いようのない剣を放り捨て、悪魔を見上げた。

しかしそんなルフィアを見て、悪魔は訝しげに目を細め、声を上げる。


『何のつもりだ』

「なんのつもり、とは?」


ルフィアは苦笑したまま、小首を傾げて問いを返した。

自嘲的な笑み、それだけならばただ諦めているだけだろう。


しかしその気配が、悪魔を緊張させる。


自らの圧倒的有利な状況が、むしろ警戒すべき状況になっていた。


『……!!』

「シッ!!」


その時、悪魔の背後から人々の悲鳴が聞こえ、悪魔はそれに反応して振り返る。

同時にルフィアが、悪魔の足元に懐から取り出した短剣を投げ付けた。


『ヌっ!?』


驚き、飛び退こうとした悪魔は、しかし自らの足元を見て踏みとどまる。

そこにあるのはなんの変哲もない。短剣一本である。


『貴様ァ……』


ふざけるなと言わんばかりに怒りのこもった声を上げ、全身に力を漲らせる。


するとルフィアは、苦々しい笑みを浮かべながら、悪魔の背後に向かって口を開いた。


「今ですッ!!」

『何――ッ!?』


木造の壁が崩壊し、夕焼け色の光と共に、白く輝く大狼が悪魔へ飛び掛った。

ルフィアに向いていた悪魔は、振り向こうとして巨大な質量と衝突し、思い切り地面に叩きつけられる。


「ウラガーンっ!!」

『乗れ、白き少女よ!!』


その一瞬の隙にルフィアが地面を蹴って跳び、大狼――ウラガーンもそれを受け止めるように滑り込むと、そのまま背中に乗せて屋外へ飛び出る。

悪魔もそれを追って外に出ると、大狼に驚愕していた街人達がさらに悲鳴をあげて逃げ出した。


『何が起きているかは判らぬが、白き少女よ。どうする。あの化け物は私だけでは手に余るぞ』

「周囲の人たちが逃げ終えるまで、ここで食い止めます。恐らくはすぐに衛兵が駆けつけるはず……!!」

『ひとまずは奴を留めておけば良いのだな』


話しながら、ウラガーンは向かってくる悪魔の右手側に回り込むように走り始めた。


悪魔の右手側は、ヴァロータの外側。


つまり避難する人々と真逆の方向である。


『白き少女。貴女は戦えるのか?』

「……少しだけなら」

『充分だ。振り落とされないように注意せよ』


ウラガーンがそう言い終えた瞬間、氷柱が飛来し、ルフィアが咄嵯に店から回収した剣でそれを弾き飛ばす。


悪魔を見ると、立ち止まり、周囲に無数の氷柱を浮遊させていた。


「あれは……!?」

『魔術だ。面倒な事をしてくれる……』


ルフィアが驚愕に目を丸くし、ウラガーンはそれに応じながら数本の氷柱を躱すべく身体を捻って動いた。


一部躱しきれなかった物をルフィアが弾き飛ばすが、わずかにぶれる太刀筋のせいか、想像以上の衝撃を受けて顔を顰める。


この様子だと、悪魔は恐らくルフィアの体力切れを狙っているのだろう。


「ウラガーン。あなたは魔術を使えないんですか?」

『魔術はわからぬ……だが、この攻撃を凌ぐくらいのことは、出来るかもしれない』

「なら、お願いします!!」

『試してみるとしよう』


氷柱に対処しながら、ウラガーンが唸り声を上げ始める。

同時に銀色の毛が発光し、円状に半透明の膜を作り出した。


『少し、時間がかかる』

「まだいけます!!」


多大な集中力を要するのか、動きが鈍ったウラガーンの分を必死に剣を振ってルフィアが補う。


迫る氷柱は矢の如き速度で、もはやルフィアは直感を頼りに剣を振っていた。


『……効果が、あってくれたか』


ウラガーンの安堵の声。


最初は膜を貫通していた氷柱が、膜の色が濃くなるにつれて、硬い壁に当たったように弾かれていく。

悪魔もそれに応じて氷柱を鋭く、大きく変化させるが、徐々にその効力は無くなっていった。


そして氷柱による攻撃を無意味と見た悪魔は、攻撃を止めてルフィア達に向かって走り始めた。


『次はどうする?』

「足を潰します……!!」


ルフィアの言葉に頷くと、ウラガーンは身を低くして悪魔に向かって走り出した。


『我と真っ向からやり合う気か!!』


大声で悪魔が叫ぶのに無言で応じ、ウラガーンは無言で悪魔の振り下ろした拳を躱すと、その足首を前足の爪で切り裂いた。

一撃では千切れなかった足にルフィアの渾身の一斬が滑り込み、悪魔の足が断たれる。


『グゥウウッ!!』

「翼を!!」


苦痛のうめき声を上げる悪魔を見て、ルフィアはウラガーンと共にコウモリのような翼の根元を断ち切った。


そして悪魔が行動を起こす前に、元の位置まで疾駆する。


『……アレは、厄介だな』


悪魔が足を再生し、立ち上がっているのを見て、ふとウラガーンが溢した。

小さくため息を吐いて、ルフィアもそれに同意する。


『白き少女。貴女はもう体力が保たんだろう。後は我に任せても良いのだぞ』

「いえ……おそらくあと少しです」

『……?』


小首を傾げてウラガーンは周囲を見やる。


するとその瞬間、悪魔の隣を黒い影が通り過ぎ、同時に鮮血が散った。


「ひー、こいつぁ硬ぇな。」


悪魔の足首が再び断たれたかと思うと、すぐ隣からそんな声が聞こえ、ルフィアは声の主へ目を向けた。


そこにいたのは赤茶色の髪を肩あたりまで伸ばし、頬に一筋の傷を持った青年。

引き締まった上半身を質素な革鎧で包み、その両手に長剣とも呼べる剣を軽々と握っていた。


そして注目すべきはその下半身だ。


ちょうど腰の辺りから、山羊の足が生えていた。


『亜人、か?』

「おおっ!?俺ぁ嬢ちゃんに話しかけたつもりだったんだが……狼さん、アンタ、喋れんのか」


男は素っ頓狂な声を上げると、誤魔化すように後頭部を掻きながらそう言った。


それから小さく咳払いをすると、男は自分の足を叩き、剣を一回転させる。


「アンタら味方だろ?俺は傭兵団長の――そうだな……ジョンってもんだ。よろしく頼む」

「偽名ですか?」

「職業柄、敵が多くてね」

「……わかりました。ではジョンさん。あの化け物を倒すために傭兵の人たちを集められませんか?」


見ると、悪魔の周囲に集まっているのは野次馬ばりの傭兵や冒険者だ。

数も少なく、皆腰が引けている様子である。


それに比べれば、実力は同等でも統率の取れた者たちの方が遥かに有用だろう。


差し出された手を軽く握り、ルフィアがジョンにそう問いかけると、ジョンは苦々しい笑みを浮かべて、無理だな と言った。


「ちょっと前にノーグ商会ってとこの警備をしていたんだがな。情けねえ話だがたった一人の侵入者に団員のほとんどがやられちまったのさ」

「あ……そうですか。なら、仕方ないですね」


そんな芸当が出来る人物などそういない。

心当たりが無いでもないルフィアは、思わず目を逸らしてしまう。


そんなルフィアの反応に首を傾げながら、ジョンは剣を逆手に持ち、身を低くして構えた。


「そいじゃ、俺はもう一回アイツに突っ込んで来る。嬢ちゃんも、出来れば手伝ってくれよな」

「私、嬢ちゃんじゃなくて、ルフィアです」

「おう、ルフィアさんね」


ジョンはルフィアに頷くと、軽くジャンプしてから、思い切り地面を蹴った。

ドン、という音が響き、ウラガーンに比類するほどの速度でその姿が遠ざかっていく。


『白き少女。私も"ルフィア"と呼ぶべきか?』

「どちらでも大丈夫ですよ」

『……そうか』


ウラガーンの呼び方は嫌いではない。


何か考え込むように黙るウラガーンの喉元を撫でながら、ルフィアは戦況を眺めた。


傭兵が十人。冒険者が六人程度。それにジョンを合わせて、計十七人が悪魔と戦っている。

傭兵の方はジョンの指示を受けているのか、攻防を五人ずつで担当し、悪魔へ的確に攻撃している。


しかし冒険者は元々戦闘を生業とする者たちではなく、動きは傭兵達と比べて劣っているのが明白である。

そのため、傭兵達が街の中心部を背に悪魔を食い止め、冒険者達はその補佐に回っているようだ。


そして、時折ジョンが急襲し、悪魔に大きな傷を負わせている。


即席にしては見事な連携であろう。


しかし。


「あれじゃ、駄目だ……」


その強靭な表皮に、圧倒的な再生能力。


このままではジョン達が敗北する。


「ウラガーン」

『行くか」


ルフィアは長い白髪を翻し、隣で身を低くするウラガーンに飛び乗った。

そして剣を両手持ちに構えると、ウラガーンは地面を蹴って走り出す。


「胴を貫きます」

『背から行くぞ』


風を切る音が耳を包む。


一瞬だけジョンが反応すると、意図を汲んだのか、傭兵達と共に悪魔の注目をルフィア達の反対側に誘導した。


距離が狭まり、ウラガーンが足音を潜め、すぅ、と息を吸い込んでルフィアも息を止める。


『ッ見つけたぞ!!』


迫るウラガーンの気配を感じた悪魔が振り返る姿を、時間の流れが遅くなったような、そんな世界の中で見る。


「うるぁあああッ!!」

『"加速せよ"』


そして飛び掛かる寸前、ジョンが悪魔の頭を正面から貫き、ウラガーンが一言呟く。

速度が二倍ほどまで跳ね上がり、言葉の通り瞬き一つの間にルフィアの剣が届く距離に入った。


「貫くッ!!」


銀閃。


ルフィアの突きは音を超え、尋常ではない力を纏いながら悪魔の体に打ち付けられた。

およそ剣撃の音ではない物を響かせながら手に持っていた剣に罅が入り、ルフィアはそれを手放す。


『グ――』


悪魔の体が崩壊し、ルフィアの持っていた剣も先から徐々に割れていく。

ゆっくりとした世界の中で、それはおぞましく、奇妙なまでに美しい。


『見事だ。白――ルフィア、よ』


見た目からは想像できないほど軽く着地したウラガーンが、悪魔に向かって振り返り、そう声を上げた。

ルフィアの突きを受けた悪魔の体は、内側に発生した鎌鼬によって引き裂かれ、四肢を残して肉片となっていたのだ。



悪魔は胴体から頭を再生し、足を生やす。



落とされた腕や足から体が生えることはなく、悪魔の再生は胴体から行われているようだった。

ゆえにその胴を粉々にすれば、悪魔は再生出来ないだろうとルフィアは推測を建てたのだ。


「すみません……もう、限界です」


ウラガーンの賞賛に、しかしルフィアは背に伏してそう応えた。


屋内戦闘の時点で体力はほとんど無くなっていた。

ウラガーンという足を使い、上半身の動きだけに全力を尽くした為に、ルフィアは今まで動けていたのだ。


「おぉ……アンタら、とんでもねえな」


と、そこに悪魔の首を持ったジョンが現れた。

その片手に持った剣は刃こぼれし、悪魔の体に傷をつけるのが如何に難しい事だったかがわかる。


「このバケモンも相当だったが、まさか倒しちまうなんてよ」

「なんとか、賭けみたいな物でしたが……」


呆れ半分の言葉にルフィアはウラガーンの上で青ざめた顔をしながら、小さく笑顔を見せた。

そんなルフィアやジョンの元に、周囲で戦っていた傭兵や冒険者たちが集まり始める。


中には人一人を上に寝かせて余りある大狼に恐れの目を向ける者もいたが、笑顔を向けるルフィアの姿を見て安堵の息を吐いている者も多かった。


「てめえらァ!!バケモンの体を回収して火に掛けろ!!」


少しして、ジョンが傭兵たちにそう指示を出すと、冒険者たちまでもが走り出す。

この短時間でここまで人をまとめ上げているのは、さすが団長といった所だろう。


「火に掛ける、とは?」

「昔にアイツみたいに自然治癒力が高いバケモンとやり合った事がある。その時、傷口に火を点けて治癒出来ないようにしたのさ」

「へぇ……」


そう言っているうちにユーリの商店から火打石や薪木が持ち出され、手際よく火が灯され始めた。

太陽が地平線の先に半分ほど隠れ、影の多くなった街の中に、ポツポツと小さな火が現れる。


しばらくして、衛兵が数人駆けつけ、事態を聞くなり手伝いを申し出ていた。


『……ルフィア。人の作る光は、この街全てを覆えるのか?』


ふと、ウラガーンが疑問を口にした。


ルフィアはそれに、無理だと思います と応える。

当然だ。人の作る光は小さなもので、いくら数を用意しても街全体に行き渡らせるなど不可能に等しい。


ウラガーンはそれを聞き、ピンと張っていた耳に、さらに緊張を走らせる。


『闇は奴らを強くする。不味いぞルフィア』

「えっ――」


まるでルフィアの驚きの声に合わせたように。

日が落ち、街に闇が広がった。


「チィッ!!」


ウラガーンの言葉を聞いていたジョンが、即座に剣を抜いて動き出した。


視線の先では灯した筈の炎が陰り、徐々に消えていく姿。


「チクショウ!!なんだよこれは!!」


響いた大声に目を向けると、一人の傭兵が黒いもやに包まれ、恐怖に顔を歪めながら必死に槍を振り回している。


しかし抵抗も虚しく、その体が闇に溶けるようにして、呑み込まれた。


それを切っ掛けとして、ジョンが辿り着く前に傭兵たちが四人、衛兵が一人、闇に呑み込まれ消える。


「ウラガーン……!!」

『人間よ!!影に入ってはならぬ!!』


ルフィアが焦ってウラガーンの名を呼ぶと、狼は躊躇いつつも一声吠えると同時に、頭の中に響き渡る不思議な声で傭兵たちにそう言った。


『オオ……力が満ちるぞ。素晴らしい感覚だ』


火が完全に消えると、一回りほど大きくなり、より堅固な鱗を身に着けた悪魔が立っていた。

闇の中でその身体は更に黒く、禍々しい。


「ゼァアアアッ!!」


ルフィアと向き合っていた悪魔に、背後からジョンが襲い掛かった。


『ふん』


ギィ、と刃が軋む音。


火花が闇に散り、ジョンの持つ剣は砕け散った。


「ウソだろッ!?」

『遅いぞ、人間!!』


壊れた剣を捨て叫ぶ間に悪魔の剛腕が振るわれ、ジョンはなんとか直撃はかわしながらも大きく吹き飛ばされてウラガーンの前に転がる。


無謀にも槍を突き出した衛兵達も適当に振るわれた拳を受け、一瞬も耐えられず即死する。


『こんなものか』


手に付いた血を払い、悪魔はルフィア達に向き直ってつまらなさげに呟く。


先ほどよりも明らかに、悪魔は強くなっている。

ウラガーンが身を強張らせるのが分かった。


『手こずらせてくれたな』


体力が底を着き、もはや意識すら微睡み始めている。

そんなルフィアを背に乗せながら悪魔を食い止めるなど出来るわけがない。


ウラガーンは全身に力を張り巡らせて、視線だけを悪魔に合わせると、石畳を砕きながら後方へ大きく跳躍した。


『っ!!』


しかし地に足が着く寸前、悪魔がウラガーンに追い付き、掬い上げるように腕を振るった。


体の大きいウラガーンは、ルフィアやジョンと違って回避が難しい。

直撃を喰らう前に、ウラガーンは背に乗せたルフィアを出来る限り丁寧に地面に落とし、そのまま吹き飛ばされる。


『ッガァアア!!』


強烈な衝撃が身体を襲い、痛みが骨を、肉を駆け巡る。

それでもウラガーンは空中で一回転して着地すると、既にルフィアへ歩き始めた悪魔へ疾駆した。


『邪魔をするな、狼!!』


背後から迫るウラガーンに、苛立たしげに悪魔が叫び、腕を横薙ぎに振る。

それを紙一重でかわしながら、ウラガーンはその腕に食らい付いた。


硬い感触。


牙が、悪魔の奇妙な鱗に阻まれている。


『厄介な貴様を、先に喰らうとするか』

『ッ……』


ウラガーンを片手で掴み、悪魔は山羊の顔をニタリと歪ませ、その顎を開いた。


無数の牙が生えた口が、ウラガーンへ近付いていく。


「ウラ、ガーン……」


虚ろな意識でそれを眺めるルフィアは、鞭打ってでも動かない自らの身体を激しく呪った。

このままではウラガーンもジョンも、関係のない人々も、皆殺されてしまう。


明言した訳ではないが、悪魔はルフィア達を捕食した後、街を襲うつもりなのだろう。


だがジョンほどの剣士が一太刀すら入れられずに負けた。

ウラガーンほどの大狼が呆気なく圧倒された。


もはやこの街に、この悪魔を止められる者などいるのだろうか。


「オルレニアさん……」


気がつけば、その名を呼んでいた。


この状況を打破できるのが彼だから、という考えすら無かった。


ただ来てほしいと。


この場にいて欲しいと、その思いだけで名を呼んだ。


来るはずがないのに。


彼は今、教会にいるというのに。




「――愚かな事だ」


バサリと風に吹かれ、黒衣が翻る。


同時に悪魔の腕と首が跳び、宙を舞った。

解放されたウラガーンがすぐさまその場を離れる。


「その程度で我に勝とうとはな」


響く声は、怒りと恐怖を打ち消した。


「無事かルフィア」


視界を失った悪魔がよろめいている間にルフィアの身体が抱き上げられ、薄い意識の中でルフィアは笑みを浮かべる。


「オルレニアさん……!!」

「後は、我に任せよ。」


闇の中でその笑顔は恐ろしく、しかしなぜだろうか。自然と安堵の息を吐く。


そして頭と腕を再生した悪魔がギリギリと牙を鳴らしながら咆哮すると、オルレニアは左手にルフィアを抱えながら、静かに剣を構えた。


「……終わりにしてやろう。未熟者よ」


オルレニアの声を聞きながら、ルフィアの意識は落ち着いて眠るように暗転したのだった。





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