第18話
「貴様の行動は、貴様の本意なのか?」
首に触れる、冷たい刃。
絶望、恐怖、そんな物を詰め込んだかのような、黒衣の男。
そして続々と押し寄せる、鎧の騎士達。
背後には吹雪。
膝を着いた雪の絨毯は、まるで今の恐怖が痛みになったかのように、足を蝕む。
「は……?」
そんな状況で放たれたオルレニアの問いかけに、ケビンは一瞬反応する事が出来なかった。
そもそも、首を断たれると緊張に身を固めていた体が、まともに言葉を口に出来なかった事もある。
「答えよ。」
刃によって首筋から鮮血が滲み出し、つ、と一本の赤い線を作る。
ケビンは震える体を抑えるように深呼吸して、オルレニアの目に視線を合わせた。
「……本意なものか。僕はただ、平穏に生きたかっただけだ。」
「そうか。」
何がそうか、なのだろう。
疑問に思うケビンの首筋から、ゆっくりと刃が離れる。
オルレニアはケビンに背を向けて、十数人ほどにもなる聖堂騎士たちに向かって立つと、剣先を持ち上げ、その先に聖堂騎士を睨んだ。
「我らに剣を向ける事。その意味を分かっているのか?」
聖堂騎士の先頭に立つ、兜に羽根飾りを付けた隊長格の騎士がそう言った。
聖堂騎士は、教会の騎士。
それに刃向かう事は教会に刃向かう事と同意である。
「解らずに出来る行為ではあるまい。」
これだけの騎士を前にすれば、普通は否が応でも戦いを諦めるというものだ。
オルレニアは言外に、聖堂騎士にそう思わせるほどの実力がない、と馬鹿にしたのだ。
「泥に汚れた傭兵風情が。」
「外が怖くて親元を離れられぬ小鳥が何を言うか。」
「貴様……!!」
挑発の言葉を返されて聖堂騎士は憤りを露わにするが、動かない。
常時なら既に指示を下し、複数人で敵を制圧する所だというのに。
動かない、否。
動けないというべきか。
「さあ、来るが良い。」
ただ剣を持ち上げただけ。
黒衣の男はまるで隙だらけの姿なのに、打ち筋が見えない。
どう動いても対処される。
そんな未来しか見えないのだ。
「どうした。来ないのか?」
騎士達の内心を知ってか知らずか、オルレニアは小首を傾げる。
そしてじっくりと十数秒の間、騎士達を眺め、口を開いた。
「では、我から行くとしようか。」
聖堂騎士はそれぞれが重厚な鎧を着込み、大盾に長槍を持ち、腰には幅広の剣を携えている。
鎧を取っても大盾を見てもただの剣に敗れるほど脆い装備では無い。
故に戦闘において後手に出る事は多くの剣士に対して有効な作戦だが。
「は……?」
ずしゃりと、雪の上に大盾が落ちる。
目の前に、剣を振り終えたオルレニアが立っていた。
「ゥ……ぉああああっ!?」
一拍遅れてやってきた激痛に、あるいは理解出来ない一撃に、羽根飾りの騎士が悲鳴を上げながら右手に持った槍を振るった。
しかしがむしゃらに振り回した槍は簡単に弾かれ、手首を強打されて騎士は槍を手落としてしまう。
そして大盾を持っていたはずの左腕は鎧ごと二の腕が貫かれ、ドクドクと鮮やかな赤色の血液が雪を染めていた。
「次は首を断つ。貴様らの全員を、そこのネズミを含めてな。」
オルレニアがそう言うと、森の中から悲鳴が上がり、足から血を流した男が転げ出た。
全てが終わった後に、教会の本部へ連絡を送る為の伝令だ。
腱を断たれているのか、立つのもままならない姿である。
「アレを見れば解ろうが、我の剣は貴様らの想像を越えた先まで届く。逃げるのは勝手だが、結果は変わらんぞ。」
ああ、なんという事だ。
そう嘆く声が聞こえてくるほど、騎士たちは哀れな状況になってしまった。
オルレニアは本当に、騎士たち全員の首を刎ねる事が出来るのだろう。
騎士たちも、それを見ているケビンも、そう理解した。
そしてオルレニアが動いたのを見て、先ほどまで堂々と立ちはだかっていた騎士たちの数人が思わず後ずさる。
首を断たれる、その恐怖が迫る。
「……さて。この状況で一つ、取引がしたい。」
そして張り詰めた空気の中で紡がれた言葉は、とてもではないが殺気と緊張の満ちた空気にはそぐわない、言うなれば気の抜けた言葉ともとれる物だった。
騎士達が呆気に取られている間に、オルレニアは話を続ける。
「我が貴様らに求めるのは、我らに関する一切をなかった事にすることだ。」
「は……?」
間抜けな声を上げる騎士隊長を見て、オルレニアは訝しげな顔をした。
そしてあろう事か剣を納め、手放した。
「我は人殺しをする必要が無くなり、貴様らは生き長らえる。都合の悪い条件ではあるまい?」
そして相手が何かを言う前に、オルレニアは言葉を並べていく。
優位を取っていればこそ使える力押しという物だ。
しかしオルレニアの言う『取引』にはおかしな点が一つあった。
「返答は早めに頼む。手がかじかんで誤ちを犯すやもしれぬ。」
現状では教会がオルレニアと戦う必要はない。
それはオルレニアが、教会の者達に大した危害を加えていない為である。
オルレニアと戦えば大勢が死ぬ事はわかった。怪我を負った程度で敵対すべき相手ではない。
だがそれは、まだ怪我を負った程度の話だからだ。
この場にいる全員が殺されれば、教会はオルレニアと敵対せざるを得ないだろう。
オルレニアのいう取引は、相手が約束を破ってもそれに気付く方法がオルレニア達には無い、取引とは呼べないような物だ。
だからと言って騎士達を殺す方法を選択し、ふと何かの拍子にオルレニアが騎士達を殺した事が教会に気づかれたならば。
自分は良い。追手を片付ければ済む。
だがルフィアは、そうも行かないだろう。
故に、取引とは名ばかりの行為を行うのだ。
「……い、良いだろう。条件を呑んでやる。」
「そうか。」
誰だろうと命は惜しい。
オルレニアは騎士の言葉に小さく首を縦に振ると、ため息を吐いた。
後はケビンを連れて、ヴァロータにいるであろうイヴ達に届ければ、この騒動は終わりだ。
「オルレニア。」
そんな事を考えていると、背後からケビンが声をあげた。
「どうした。」
少し感じた違和感に、剣の柄へ手を掛けて振り返る。だがそこには、変わらず膝を着くケビンの姿。
「すまない。もう少しだけ、世話を掛ける。」
「む……?」
苦しそうに俯きながら、ケビンが言う。
先ほどまでと何かが違う様子に、オルレニアはそれを見下ろしながら眉を顰めた。
「奴が、来る……!!」
そして、ケビンの体から黒い霧が噴き出した。
「総員、武器を――」
「止めろ。動いてはならん。」
咄嗟に声を上げた騎士を、オルレニアが
静かに制止する。
その間に、黒煙に見えるほど視界を遮る黒い霧がケビンを中心として、徐々に形を作り始めた。
人の体に山羊の頭、その牙、その鉤爪は獰猛な肉食獣の物。
背中から巨大な蝙蝠の翼を生やし、表皮には竜の物を模したと思われる鱗が無数に生えている。
『ォォ……ォ…』
そうして唸り声と共に完成した、禍々しい姿をした山羊頭の全容は、なるほど悪魔と呼べる物。
知らずのうちにイヴ達と同じことを考えたオルレニアだが、明確な違いがそこにはあった。
『ヌっ!?』
悪魔がオルレニアを見るなり、地を蹴って距離を取ったのだ。
一瞬遅れて、悪魔の立っていたすぐ側の地面に一本の線が走った。
それはオルレニアが放った斬撃。
「見た所、貴様がケビンの行動の元凶の様だな。」
『貴様――ッ!!』
一撃目を回避し、声を上げようとした悪魔の山羊頭が体を離れて地面に落ちる。
イヴですら人の身では貫く事を諦めた表皮ごと、オルレニアが木の幹ほどもありそうな首を寸断したのだ。
『ッ!!』
「ほう、まだ動くか。」
溢れ出ていた黒い霧を固めて首を再生すると、悪魔はオルレニアへ鉤爪を振り下ろした。
「重量の乗った一撃だが。」
3本の鉤爪に、ピンと張った剣先をかざす。
「鋭さが足りん。」
一瞬の見切りにより自分に向けられた力を全て受け流したオルレニアは、反動で弦のように震える刃で悪魔の右腕を断ち切った。
そして悪魔が体勢を立て直す前に、翼膜を削ぎ落とし、決して逃さぬようにと足首を切り裂く。
『ガァッ!!』
一瞬にして傷だらけの体にされながらも、悪魔は全身から黒い霧を噴き出し、それを無数の槍に変えて放った。
黒い霧が固まって出来た槍は、同じく黒く、そして鉄よりも硬く重い。
それでいて宙に浮き、矢よりも速く飛ぶといえばその強さがわかるだろう。
しかし悪魔は間違えた。
熟練の剣士は、受け手に回る物だ。
「ふん」
オルレニアが動き、正面、右方左方から迫る漆黒の槍を全て受け流した。
油断せず構えていた悪魔は鉤爪を振るったが、ヴンという音と共に腕が飛び、続けて首が撥ねられる。
『まだだッ!!』
宙空で首が声を上げ、切断面から黒い霧をオルレニアへと噴き出した。
高密度な『色』の力はそれだけで攻撃となる。
撥ねられた首から攻撃するなどという不意打ならば――
「"消えよ"」
悪魔の期待も虚しく、オルレニアの一言で黒い霧は消滅した。
そしてオルレニアは何事も無かったかのように悪魔の隻腕を斬り飛ばす。
一目で分かるほどの劣勢だが、悪魔は再生することが出来た。出来てしまった。
そうして首から上を修復した瞬間、四肢を断たれ、四肢を治す間に首を断たれる。
なんとか足だけを修復して飛びのこうとすると、上半身と下半身が分断される。
『"燃やせ"!!』
僅かな隙に発動した魔術の炎は、あろう事か剣の一撃によって寸断された。
修復し、絶たれ、治して、失い。
そんな事を何度も何度も繰り返し、ついに悪魔は地に伏したまま、動きを止めた。
「この程度か?」
と、修復が追いつかずケビンのいる胸部分だけになった悪魔に、オルレニアはそう声をかける。
まるで期待外れだとでもいうように。
『貴様……何者だ。』
頭を修復した悪魔が、視線だけをオルレニアに向けて問いかける。
『貴様は、
その声音は、純粋な疑問の物であった。
オルレニアはそれを聞きながら、眉根一つ動かさずに治り始めた悪魔の腕を斬り飛ばした。
「『黒』ゆえにだ。貴様らの行い、貴様らの目指す物を止めねばならぬ。」
そして、悪魔の疑問にそう応えた。
『貴様は、貴様は戻りたくないのか。我らが虐げられる事の無い、我らが栄華を誇っていたあの頃に!!』
「その栄華は、この世界の毒である。」
理解出来ぬとばかりに叫ぶ悪魔の言葉をそよ風が如く受け流し、オルレニアは悪魔の首に剣を翳した。
「して、言うべき事はそれだけか?」
表情の分かりにくい山羊頭でありながら、その瞬間の憎悪の顔は明確に理解出来た。
『この、裏切り者がァアアッ――!!』
叫び、顎を開いてオルレニアに食らいつこうとする。
最後に振り絞った力を嘲笑うかのように、悪魔は一瞬にして首を飛ばされ、オルレニアはそのまま悪魔の胸を抉って核であるケビンを引きずりだした。
悪魔の体がゆっくりと霧状になり、風に吹かれて消えて行く。
「……連戦になるとは、思わなんだが。」
ケビンを肩に担ぎ、オルレニアはそう呟いた。
「教会の者達よ。ケビンの『黒』は消えた。以後、この者の事は放って置くがよい。」
そして唖然とした様子でオルレニアを見る騎士達に振り向き、声を掛ける。
先頭に立っていた羽飾りの騎士がハッとしたように頷いたのを見て、オルレニアは騎士達に背を向けた。
視線の先にはケビンの従者達が乗る壊れた馬車がある。
「
最後にそれだけ言うと、一瞬目を細めて、オルレニアは吹雪の中に駆け出した。
悪魔は核となる人物に自らの一部を植え付け、任意でその場に出現する。
そしてその一部が全て自分に返還された時、半ば強制的に本体の力が解放される。
では、その一部ではない本体はどこにいるのか?
それは適度な監視が可能な距離であり、かつ怪しまれずに活動できるほど、人が入り混じる場所。
つまりはケビンの行動を把握出来る程度の距離で、いきなりいなくなっても気にされる事のない街に、悪魔の本体はいる。
「厄介な事だ。」
幸か不幸か、北と南の様々な人物が入り混じるヴァロータには、その条件が揃っていたのであった。
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