第17話

「ウィリアム!!屋敷にいる者を全員退避させろ!!」


ロンバウトが部屋を出てそう叫ぶと、どこからか返答が聞こえ、屋敷のあちこちから人の動く音が聞こえ始めた。


そして次の瞬間、ロンバウトのすぐ隣の壁が崩壊し、イヴの体当たりを受けた悪魔が口の形をした屋敷の中庭へ吹き飛ばされ、落下していく。


『ロンバウトよ。避難にどれほど掛かる?』

「様子を見る限り、あと数分だろう。」

『ならばその間、奴を抑える。ぬしも行くがよい!!』


それだけ言ってロンバウトが走り去るのを見届けると、イヴは翼を羽ばたかせて飛び上がり、雪の中から立ち上がる悪魔へ青く光る炎を吹いた。


悪魔はそれを黒い霧を作り出して防御すると、石の壁の破片を掴み取り、イヴに投げつける。

しかし竜の鱗が破片を弾き、イヴへ手傷を負わせるには至らない。


『竜よ!!貴様程の存在が、何故人間に与する!!』

『愚問なり。それを理解できぬ者に、我が言葉など届きはしない。』


悪魔の問い掛けを切り捨てて、イヴは急降下と共に鉤爪のついた腕を振るった。

悪魔はそれを紙一重でかわしたが、横薙ぎに襲いかかった尻尾の追撃が直撃する。


しかし悪魔もイヴの尻尾へ喰らい付き、鱗の隙間に牙を突き刺して反撃を行った。


『グ……!!』


うめき声を洩らしながら、イヴは尻尾を振り上げ、そこから思い切り地面に悪魔を叩きつける。


『燃えよ!!』


そして地に伏した悪魔へ、鎌首をもたげて炎を吹きかけた。

今度こそ悪魔に炎が直撃し、尋常ではない熱量がその体を蝕んだ。


竜の吐く炎は、人が作り出せない特殊な物である。

それは体を越えて魂にまで到達し、深く、その存在の根底から焼き尽くす。

もろに浴びてしまえば、それはどれだけ強靭な体であろうと関係がないのだ。


『まだ……だ……!!』


悪魔は強靭な表皮を溶かされ、苦しむように地面を鉤爪でズタズタに引き裂く。

もがき苦しみ、のたうちまわり、必死に逃げようとする悪魔に、しかしイヴは炎を絶やさず吹き続ける。


だがそこに、ほんの違和感。


地面を引き裂く悪魔の動きに、イヴは違和感を覚えたのだ。

それはまるで、何かを描くように――


『っ!!』


"我が体に" "調和あれ"


のたうち回りながら描かれた、奇妙な文字の羅列。

目を見開いたイヴの顔に、跳び上がった悪魔の蹴りが直撃する。


『魔術……!!』

『竜よ、油断したなッ!!』


大きく仰け反ったイヴは、尻尾で悪魔を突き飛ばしながら、後ろ足で地面を蹴って屋敷の上に立った。


灼熱の炎に包まれた筈の悪魔の体からは傷が消えてなくなり、僅かに焦げ跡が見える程度。

効果的に見える傷はない。


文字の羅列を見た限り、『魔術』を使ったのだろうとイヴは理解した。


『色』の力を変質させ、本来は使えないはずの力を行使する術。

常人には扱うことの出来ない技であり、無理矢理の行使をすれば、力に呑まれて『魔者まもの』に堕ちるといわれている技。


『魔者』に堕ちる『術』。


あるいは他の理由があったのやもしれないが、今ではこの言葉を基にして『魔術』という言葉が使われている。


しかし『色』の力を扱い慣れた者ならば、魔術の行使は容易く、危険性は限りなく低い。

今、『黒』の悪魔が『白』の力である治癒能力を使ったように。


『下等生物の悪知恵だとは言ってくれるなよ。貴様相手にはこれ位はせんとならん。』

『……不意打ちで仕留めきれぬ時点で、悪あがきに過ぎぬ。無駄なことはやめておけ。』

『抜かせッ!!』


悪魔が小さく何かを呟くと、その足がほのかに輝き、地面の爆ぜる音と同時にその体がイヴの眼前に現れた。

先ほどまでの数倍の力強さと、速さだ。


確かに、強くなっている。


『……竜の能力を舐めるなよ。』


しかしイヴは二足で立ち上がると、悪魔が放った蹴りを寸前でかわし、その体を掴んで屋根に叩きつけた。

だが悪魔もやられるがままに屋根を突き破って落下し、今度は無数の氷柱をイヴに飛ばす。


『ふん……!!』


竜の鱗は岩よりも堅い。

氷柱など意にも介さず、イヴは先の尖った尻尾で悪魔の右腕を根元から吹き飛ばした。


有利を取ったと思ったイヴの体から血が飛ぶ。

悪魔が怯むことなく左腕で手刀を作り、イヴの喉元――最も鱗の薄い部分を切り裂いたのだ。


『よくやる物だ……!!』

『っ浅いか!!』


悪魔の腕が体内から漏れ出した黒により再構築され、イヴも異常な治癒力で傷を閉じる。


さらに悪魔が間髪入れずにイヴの鼻面に肘打ちを食らわせると、その腕に噛み付いた。

ギリギリと万力程の圧力を受けて、イヴは、僅かに目を細める。


悪魔の力は恐ろしく強く、竜の鱗すら砕こうとしている。

おそらくはイヴが右腕で悪魔を吹き飛ばすより早く、鱗が割れて比較的柔らかい皮膚に悪魔の牙が至ってしまう。


悪魔がそう、確かな手応えを覚えた刹那。


ふっ、と噛み付いていた筈のイヴの腕が消失した。


「たわけが。」


そして背後から投げかけられる罵倒の言葉。

振り向いた悪魔の瞳に、鋭い蹴りがめり込んだ。


『貴様……ァ!!』

「どうだ。人の身体も良いものであろう?」


黒い長髪が舞い、悪魔がそれを目で追った次の瞬間には、その影から巨大な鉤爪が現れ、悪魔の身体を抉る。


人の身体と竜の身体の使い分け。


人になるリスクを抱える技も、イヴは歴戦の経験から絶好のタイミングを逃さなかった。

悪魔の身体はすぐに修復されるが、大きすぎる傷であれば、そう簡単には治らない。


『諦めるがよい。ぬしに勝ち目はないぞ。』


唸り声を上げながら後退する悪魔に、そう声を掛ける。

戦況はイヴに傾いた。


しかし決め手に掛ける。

故にイヴは、降伏させるという選択肢を提示したのだ。


『竜よ、冗談はよせ。』


やはり、当然というべきか。

悪魔はイヴの提示した選択肢を切り捨てて、強靭な足を踏みしめて仁王立ちになった。


だが悪魔は半ば詰んでいる。うかつに動けば、炎の息吹に身体の隅まで焼き尽くされてしまうからだ。


そうして互いに動きを止めた瞬間だった。


『ヌッ!!?』


床を突き破り、プラチナ色に輝く十数本の槍が悪魔に襲いかかった。

数本を叩き落とし、体を捻るも、完全には躱しきれずに数本が悪魔の体に突き刺さる。


『……ロンバウトか。』

「ああ。避難が終わった。」


一切の気配を察知させずにイヴの背後から現れたロンバウトに、イヴは別段驚くこともなくため息を洩らした。


『下がっておれロンバウト。すぐに終わらせる。』

「おっと、まだ屋敷の外に出ただけだ。気をつけてくれたまえよ。」

『我を馬鹿にするでない。』


唸り声を上げて不満を表すイヴの反応に笑いながら、ロンバウトは屋根から飛び降りて姿を消した。

そして悪魔が傷を修復し、ゆっくりと立ち上がるのを眺めながらイヴは翼を広げる。


『悪魔よ。これで、加減する必要がなくなった。』

『……来るが良い。』


何かを諦めるように悪魔が応じたのを見届けると、イヴは思い切り飛び上がって翼を羽ばたかせると、宙空に浮き上がる。


『"力となり"、"動き出せ"、"風よ"。』


それを見上げながら、悪魔もまた油断なく声を出して魔術を唱え始める。

するとイヴが、今までは見せなかった動きを見せた。


炎を溜めるでもなく、空中に留まったのだ。


『"ゾル ヴラーヤ アノルダ ヘアティ テウ ダル ウーマ"。』


続いて口から紡ぎだす、人の物では無い言葉達。

人よりも優れた生物である、竜の言葉だ。


そして、その紡がれた言葉は魔術を創るための言葉。


『"喰らい付き"、"打ち倒せ"。』


悪魔の唱える魔術は、長い詠唱と引き換えに無数の言葉の掛け合わせにより強い力を持つ。

それに対してイヴの詠唱は、たった二つの意味しか持っていない。


しかしそれでも、竜の言語はその差を埋めて余りある物だ。


『"アケティゾ ヌァティエ発動せよ"!!』

『"発動せよ"!!』


悪魔の魔術が発動し、屋敷を巻き込みながら風が吹き荒れ、収束して一気にイヴへと襲いかかった。

人に当たればその体を八つ裂きにして、余波だけで大勢は死に至るであろう強力無比な一撃。


一拍遅れて、イヴの魔術が発動した。


『何だと!?』


悪魔としては、そう叫ぶしかない。


確実にイヴへ何らかの影響を及ぼせると確信していた一撃が、命中する事なく霧散したのだから。


『よい魔術であった。』


悪魔を見下ろす、黒緑の鱗を持つ竜。


その翼膜が熱した石が如く光り輝き、そこから放たれた熱の波動が、屋敷を包み込むように落とされた。


一瞬にして屋敷の雪が蒸発し、石造りの部屋が溶解して行く。


『ォォ……ォォオオオオオ……!!!』


今度ばかりは、悪魔も打つ手がない。


強靭な肉体は再生する側から灼かれ、発動する魔術はそれを上回る力によって消滅する。


たまらず膝を着き、少しでも熱から逃れようと体を動かすが、屋敷の外に出ない限りイヴの魔術から逃れる事は出来ない。


そして遂に悪魔が抗う事をやめて、動きを止めた。


『……んむ。よろしい。』


イヴはそれを見ると、降下して悪魔へ近付いた。

当然、自分の発動した魔術は、自分にも影響を及ぼす。


だがイヴはまるで気にする素振りもなく、ゆっくりと手刀を作ると、悪魔の心臓部分に突き刺し、そのまま拳を閉じた。


『"リェレアイア ゾルテ解除せよ"。』


そしてその腕を引き抜くと同時に魔術を解除する。


『シルヴィア、と言ったか。』


ゆっくりと拳を開くと、その中には盲目の少女、シルヴィアが横たわっていた。


悪魔という存在は、核となる何かから力を引き出して活動する。

ゆえに、悪魔はシルヴィアを抜かれると同時に、断末魔を上げる間も無く崩れて消える。


イヴはそれを見届けてからゆっくりと人の姿に戻ると、シルヴィアの胸に手を当てて、鼓動も呼吸も問題なくしていることを確認すると、思い切り息を吐いて座り込んだ。


「お疲れイヴ。」

「っ……驚かせるな。」


またもや唐突に背後から現れたロンバウトに恨みがましい目を向けながら、イヴは差し出された手をとって立ち上がった。


「それに、疲れてなどおらぬ。」


名誉に関わるとばかりに口を尖らせるイヴを見ながら、楽しそうにロンバウトは笑う。


「それにしても、君が全力で戦うとは。あの悪魔はそれほどの相手だったのかね?」


それからふと真面目な表情に戻り、問いかける。


竜化はイヴの隠し技だが、ロンバウトのいう全力は、それの事ではないだろう。

竜の言葉を使った魔術の話だ。


「悪魔が魔術を使うたびに、核であるこの娘がその分の力を消耗する。……死んでしまっては、都合が悪かろう。」

「なるほど。」


確かにケビンは味方にするべきだ。と打算的な考えを口にするロンバウトを横目に見ながら、イヴは、それに、と言葉を続けた。


「あの悪魔が次に行く先での戦いを援助してやろうと思ってな。」

「ああ、実に君らしい。」


仲間を優位に立たせて、敵を陥す。

イヴの戦い方は、個々の戦いではなく集団での戦いを想定した物だ。


シルヴィアを媒介にして現れていた悪魔は本体が死んでいない以上、そのまま次の誰かに移動するはずだ。

そして媒介にする人数が少ないほど悪魔は強くなる。


しかしそれでも、イヴの攻撃により思いきり力を削がれている今ならば、その強さも発揮出来ないだろう。


「ただまあ、この娘の次に向かうといえば、ケビンのところであろう。」

「余計な気遣いだったかもしれない、か。」

「うむ。」


イヴはシルヴィアを抱え上げながら、今、ケビンの元に誰がいるかを思い出して呟き、ロンバウトも同調するように呟いた。


「それよりも、イヴ。」

「何だ。」

「屋敷の弁償は」

「ぬしらが払え。我が動いてやったのだ。」


倒壊、または半分以上溶解している巨大な屋敷を見渡しながら、ロンバウトは苦笑した


ノーグ商会として金を出せるのなら良いのだがね。と心の中で呟きながら。

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