第16話

青の中に、薄い白のヴェールが掛かった雄大な自然の空の下。

朱色の屋根を持った大きな屋敷の門を、ロンバウトとイヴが訪ねていた。


辺境とも言える地だからだろうか。

男爵というには豪奢な屋敷だと、ロンバウトは思う。

ぼうっとしながら立っていた門番に声をかけると、程なくして三人の使用人が現れた。


一人は初老の男、また一人は熟年の女性。

最後の一人はまだ年端もいかぬ少女であった。


「ロンバウト様に、イヴ様ですね?」


使用人の初老の男は、二人を見ると事前に知っていたかのような応対をした。

ケビンはどうやら、こんな状況も想定していたらしい。


ロンバウトはそう、驚きも半分に関心する。


「失礼しました。私はケビン様の執事を担わせていただいている、ウィリアムと申します。以後、お見知り置きを。」


さて何を言われるかと身構えた二人に、ウィリアムと名乗った男は小さく微笑んで門を開く。

まさに拍子抜け、といった所か。


「ケビン様には、あなた方をある場所に案内しろと命じられているのです。」


怪しさの溢れる言葉を躊躇いなく口にしながら、ウィリアムは苦笑していた。

この執事、なかなか愛嬌のある男らしい。


「いかにも罠だ、という文句ですが、ケビン様はあなた方が希望だと仰っておりました。悪いようにはなさらないでしょう。」

「希望?」

「ええ。」


イヴとロンバウトは身に覚えのない言葉に顔を見合わせたが、少なくとも目の前のウィリアムから悪意は感じられない。


あるいはウィリアムの演技がそれ程に上手いのかもしれないが、そうであったならば既にロンバウト達は相手の掌中だ。


いずれにせよ、ついて行くべきであろう。


そそくさと歩き始めるウィリアムの後ろを、二人は軽く警戒しながらついていくのであった。




◎◎◎◎




「こちらでございます。」


屋敷に入り、五分ほど歩いただろうか。


ウィリアムが案内したのは、二階建ての屋敷の、丁度中央にあたる部屋だった。

扉に特別な意匠が施されている訳でもなく、別段普通の部屋に見える。


「ここには、何が?」

「……私どもには、分かりませぬ。ですがご注意を。ケビン様は我々に、絶対に中に入らぬよう命じております。」

「そうか。ありがとう。」


親切な老執事はロンバウト達に一礼すると、背後に控える二人の侍女と共に下がって行った。

そして周囲に人がいなくなったのを確認すると、ロンバウトはイヴに声をかける。


「イヴ。君はどう思う?」

「……ウィリアムという男の言葉、嘘ではないと思う。だが最後の、中が分からないというのは若干怪しい。」

「中に何があるかは知っているが、それ以外はわからない。といった所か。」


念の為だ、とロンバウトは腰に下げた剣の柄に手を掛け、いつでも動けるように準備する。

イヴも短剣を抜くと、空いている手でそのまま扉の取っ手を握った。


「ロンバウト、いな?」

「ああ。開けてくれ。」


ロンバウトの承諾を得ると同時に、イヴはゆっくりと扉を押し開けた。

蝶番が軋む音が、静かな空気に緊張感を走らせる。


コツ、と床を踏んだ時の音が変わり、石造りに変わったのだとイヴは理解した。

理解した、というのは、その床がまるで石には見えないほど美しかったからだ。

後続のロンバウトも、それを見て、ほうと眼を見開いた。


「大理石、か。」


中に入ったロンバウトは、床に触れるとそう呟く。

加工が難しく、建築用の石材には向いていない物だ。

石の中では柔らかく壊れやすいのだが、見た目の美しさから高級品であり、建物に使用する貴族は少なくないという。


しかしケビンはあくまでも男爵。


財力にそれほど余裕がない筈の彼が大理石を使うほどの部屋という事は、恐らくこの部屋が、屋敷の中で最も重要とされる場所なのだと思われる。


「……む。」


そうしていると、ふとイヴが部屋の奥へと目を向けて、警戒を露わにした。

ロンバウトも、何かの気配を感じて剣を抜く構えを取る。


すると。


「……だれ?ケビン様、ですか?」


部屋の中に響く、霧のように儚く、湖畔の水のように澄んだ声が部屋に響いた。


二人の視線の先に、ぼうっと白い影が現れた。

否、元からそこに居たのだろう。


目を閉じて、毛布の上に座り込む、白い少女がそこにいた。

その髪は白一色。肌も同様に陶器のような、美しい白肌。


まるで絵画の中から出て来たような、人形のような少女である。


そんな少女を見て、ロンバウトは確信した。


この少女が、ケビンの行動の理由であると。


「――我々は、ノーグ商会の者だ。ケビンより何か、話は聞いていないかね?」


カツカツと靴音を響かせながらロンバウトが少女に近付くと、そう問いかける。

現状では下手に出るより、少し図々しいくらいが相手を怪しませないで済む。

貴族の客とは、物怖じしない者が多い為だ。


「ノーグ、商会?もしかして、ロンバウト様と、イヴ様という方?」


少女は目を閉じたまま、ロンバウトの方へと顔を向ける。

ふと、ロンバウトは少女のその動きに違和感を覚えた。


自分は剣に手を掛けているというのに、少女からはまるで警戒心という物が感じられないのだ。


「君、もしかして目が見えないのか?」

「ぁ……申し訳御座いません。わたし、何か変な事をしてしまいましたか?」

「ああいや、大丈夫。」


どうやら、当たりのようだ。


ロンバウトは多くの支店を転々としながら、様々な者たちと商談をする。

その中に、少女と似たような、盲目の者もいたのだ。


恐らく少女は、ロンバウトがどこにいるのかすら正確な位置を掴めていないのだろう、

顔の向いている方向が若干ズレている事から、そう分かる。


「それで、どうして君は我々の名を?」


ひとまずはそんな事より、だ。


ロンバウトが問いかけると、少女は丁寧に頭を下げて言った。


「あなた方なら、わたしの体に取り憑いた悪魔・・を何とかできると、ケビン様がそう仰っておりました。……あなた方は、ケビン様に呼ばれたのではないのですか?」


とんでもない事を。

そう内心で呟きながら、ロンバウトは眉間に皺を寄せた。


悪魔、というのは宗教的に悪と見做される、人々をたぶらかし悪へと導く者のたぐいである。

人に取り憑いたという記録も多々あるが、そういった物は大抵が聖職者による浄化で対処されている。

少なくとも、一介の商人や冒険者の手によって対処された事例など聞いた事が無い。


「それはつまり、我々が悪魔を奇跡的な行為で打ち祓えると。彼はそう言いたいのかね?」

「いえ……ケビン様はおっしゃりました。この世界の生き物には『色』があると。」


問いかけるロンバウトに、軽く首を横に振り、少女は静かに言葉を紡ぐ。


「『色』は、赤、青、黄、白、黒という五つの力を基本として、全て生きとし生けるものに宿る力。

戦いにも、生活にも、その力はあらゆる物に変化し、使用できるという。

その力は、例えば身体の一部に現れる。

私であれば体の各所に白の色、ケビン様であれば髪に黄と赤と黒の配合である茶色。


それぞれがそれぞれ特有の力を持ち、特に五大原色は凄い力を持つのだ、と。」


ロンバウトは少女の解説を聞いて、顔を驚きに歪めると同時に、少し違うか、と心の中で呟いた。


「古き大戦により、いまや『色』の事を知る者は僅か。ケビン様のような古い知識を漁っているお方か、古き大戦で戦った者の子孫か、あるいは大戦の生き残り・・・・そのものか。」


淡々と言葉を紡いでいく少女が、額に汗を浮かばせる。

どこか苦しそうにしながら話を続ける少女を見下ろしながら、ロンバウトは剣に掛けていた手を離した。


「あなた方は、大戦の生き残りだとケビン様は言いました。ならば『色』の力で、私に取り憑いた悪魔――いいえ、『黒』を祓えるのでは無いのですか?」


少女の声音に焦りが混じり、見えない筈のうつろな目を開き、ロンバウトへ問いを投げる。

その姿は、もはや神にすがるしかなくなった人々のそれと似ていた。


「そろそろ時間が来ます。もしも、もしも彼の言った、その話が嘘でないのなら。

私に取り憑いた『黒』を祓い、ケビン様をお救いください。

彼は優しい人。これ以上彼を、苦しませたくないのです……!!」


五大原色の『黒』。それが少女を蝕んでいる物であり、ケビンがウィリアム達をこの部屋に入れなかった理由であった。


制御のされていない、強すぎる『色』の力は、他の生物を侵食する。


少女の体が足先から徐々に黒く染まっていくのを見て、ロンバウトは急いで少女の肩を掴み、顔を寄せた。


「名を言え。」

「え……?」

「早く!!」

「し、シルヴィア……私の名前は、シルヴィアです……っ!!」


少女、シルヴィアが悲鳴のように叫んだ瞬間。


その体から霧のような、『黒』という色を表すような何かが噴き出した。

霧のような何かは蝋燭の灯りに照らされてなお黒く、まるで風景というキャンパスに黒色の絵の具を広げていくように形を作っていく。


ロンバウトはすぐさま床を蹴って数歩分背後に跳び、膨張した黒から身を遠ざけた。


「これは、流石に想定外だった。」


少女が座っていた場所を中心に、漆黒の霧が形を徐々に整えていく。


まずは人の形。


そして巨大な翼、鉤爪、捻じ曲がった山羊の角。


なるほど。とロンバウトは思った。


これはまさに、人々が畏怖する悪魔の姿そのままだ、と――。


『ォォ……』


漆黒の体に山羊の顔。

手足は大きく、指先から鷲のような鉤爪。

背中からは巨大な蝙蝠の翼を生やし、山羊の口に並ぶのは、獰猛な肉食獣の牙。


二足で立ち、その身長はおよそ人の倍近い。


そんな異形は唸り声を上げ、二人の前に立ちはだかった。


『――ケビンめ。死体だけ寄越せば良い物を。』


そしてロンバウト達を見下ろし、そう一言。


その声は本能的な恐怖を呼び覚まし、常人ならば失神するか、命乞いせざるを得ない、恐怖の声なのであろう。


しかし対するロンバウト達には微塵の恐怖も、動揺も、焦りも無い。


「イヴ。」

「うむ。」


ただの一言でロンバウトとイヴは、元々決まっていたかのように場所を入れ替わった。


そこにあるのは信頼の繋がり。


前に出たイヴは、悪魔の顔を見上げて声を上げる。


「貴様が悪魔か。」

『……ああ、そうだ。』


堂々と目の前に立ち、問いを投げたイヴに気圧されるように悪魔は小さく頷いた。


「では、悪魔よ。」

『何だ。』

「何故、この少女に取り憑く?」


この悪魔は、シルヴィアという少女を核として『黒』の力で体を作っている何者か・・・だ。

本体は別の場所にいて、意識だけをこの悪魔の姿に移しているのだろう。


イヴは古き戦争の生き残りである。


『色』の力ならばそれが可能であることを知っていた。


『言うと思うか?』

「まあ、言わぬであろうな。」


さして重要な事ではない、とイヴは適当に話を終えると、今度は力強い目で悪魔を睨めつけた。


「では、我が同胞はらからを何故殺した。」


明確な殺意の乗った言葉である。


悪魔は一瞬それにたじろいだが、すぐに反撃とばかりに圧を放つ。

しかしイヴはそれをそよ風でも流すかのように、容易く受け流した。


『アレらは、我等が王の供物となった。喜ばしい役目だ。何を怒る?』


まるで理解できないとばかりに、悪魔はそう言った。

何かを盲信する愚か者の発言である。


イヴは、僅かに眉を寄せて短剣を構える。


「ぬしの言う王とやらを我等は知らぬ。しかしどの様な俗物かは知らぬが、知性ある者を供物にするとは随分と趣味が悪いのだな。」

『貴様……!!』


そして嘲るように言い返すと、悪魔は明らさまに怒りを露わにした。

そしてそのまま手刀を作り、指先から伸びる鉤爪をイヴに向かって思い切り振り下ろす。


「全く……そう急くでない!!」


悪魔の巨体から放たれる強力無比な一撃。

重く、速く。それは石の壁程度なら簡単に砕いてしまうような、まさに必殺の一撃。


しかしイヴはそれを、短剣を使ってほとんどの重量をするりと受け流した。

そしてそのまま懐に入り込み、逆手に持った短剣を突き刺そうとして――


「むっ!?」

『ふん。』


悪魔の表皮を貫けずに止まった剣先を見て、急いで悪魔の攻撃をかわしながら距離を置いた。


「ロンバウト!!」

「わかっているとも。」


飛びのいたイヴに追撃を加えようとした悪魔に、無数の白金色の槍が襲いかかった。

槍はギリギリで体を捻った悪魔の鼻先と腕を掠め、壁に衝突して霧散する。


槍を放ったのは、イヴの背後で待機していたロンバウトである。


『白金色』の力。


ロンバウトが放ったのは、槍の形を取った『色』の攻撃だ。

もはや隠す必要もなく、ロンバウトは無数の槍を放って悪魔を攻撃する。


『小賢しい真似をしてくれる。その程度の攻撃に、この我が当たると思っているのか?』

「勿論、ただの牽制だよ。」


ロンバウトは飽くまでも、イヴの離脱を援護するために攻撃したに過ぎない。

悪魔はたったそれだけの攻撃に過剰に反応し、その結果イヴを視界から外したのだ。


その隙を、イヴが見逃すわけがない。


『っ……!?』


壁が崩壊する音が鳴り響き、それと共に悪魔の体に3本の傷が走る。


剣で斬りつけた傷ではない。

それならば先と同じように皮膚に防がれて止まるからだ。


ならば、余程切れ味の良い剣でも持っていたのか。

それでも一瞬にして3本の傷を作るほどには至らず、そもそも壁が崩壊することなどあり得ないだろう。


『貴様……!?』


驚く悪魔を眺めながら。ロンバウトがにやりと嗤う。


巨大な悪魔が少女の体にいたというのならば、同じことが起こっても良いだろう。

そもそもイヴの身体能力は、人としておかしいほどの物なのだから、気づいても良いものだというのに。


驕りを見せて早く仕留めようとしなかった悪魔の失態である。


『久しぶりにこの姿になった。……人の体はやはり窮屈だ。』


そうやって、耳ではなく直接頭に聞こえるような声が響く。

天井を突き破り、壁を破壊し、それ・・はそこに立っていた。


『どうだロンバウト。何か、感想は?』


黒緑に輝く鱗。美しい角。他の生物とは比類出来ない程に大きく、立派な爪。

後頭部から尻尾の先にかけて棘が続いており、その背中には、広げれば小屋ほどにもなる翼。


開いた口から燻る炎の匂いが洩れ、エメラルド色に輝く縦長の瞳が、ロンバウトへ視線を向けた。


「素晴らしい。その威圧感、その力強さ、相変わらず全く衰えてはいない様だ。」

『たわけ。衰えるわけが無かろう。』


見上げながら嬉しそうに賞賛を送るロンバウトを軽く見下ろしながら、それ・・は照れたように顔を背けてそう言った。


『さて、せっかちな悪魔よ。この我が――この黒緑竜イヴリアナが、この姿になってやったのだ。』


常人の倍はあるかという悪魔の更に数倍。巨大な竜と化したイヴは、その凶悪な顔を歪めて笑った。


『我が同胞の分も、愉しむがよい。』


どうやらイヴは怒っているらしい。


ロンバウトはその時初めて、山羊の引きつった顔という物を目にしたのだった。

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