第13話


夜闇が醒めて、降雪が止み。


山を越えた太陽が、街を光で包み込む。


荷物を運ぶ小僧に、疲れ目をこする役人に、剣を磨く傭兵に。等しく降り注ぐ暖かな光。


そしてそれは街の外、見る者変えれば森の外。


朝日に煌めく雪原を一頭の狼が駆ける。


その毛並みは銀。その瞳には深い知性を宿し、その色は美しい黒。


そしてその脚は疾く。


まるで馬などは比類に値しないのである。




◎◎◎◎




「オルレニア様と、ルフィア様ですね。トリア様より話は伺っております。」


商会に向かうと、門の前にいた一人の青年が、恭しく頭を垂れて声を上げた。


「奴は、何と言っていた?」

「はい。黒と白の二人組が現れたら、馬を渡すように、と。

あの方はいつも抽象的な言い方をなさるので不安がありましたが……実に適当な言葉であったようで。」

「我が黒で、ルフィアが白か。」


無言で目を伏せる青年に、オルレニアは銅貨を一枚放り投げた。

青年は慣れた様子でそれを受け取ると、懐に仕舞って再び一礼。


「急ぎの用と伺っていますので、当商会におります最高峰の駿馬を用意させて頂きました。」

「い、良いんですか?そんなに凄い馬を借りてしまって……」

「お気になさらず。トリア様はそれ程までに我々

にとって重要な人物なのです。」


青年が連れてきた馬は艶やかな毛並みと逞しい筋肉を有し、如何にも名馬であると言うように精悍な姿形をしていた。

ルフィアに馬の良し悪しは分からないが、隣にいるオルレニアが僅かに驚いているのを見る限り、相当な馬なのだろう。


「ケビンの身辺調査は、我々ノーグ商会にお任せ下さい。これでも修羅場を潜り抜けて来ています。実力は確かな物なのですよ。」


青年は自信ありげな表情でそう言うと、再び一礼してその場を去っていった。

そして、おもむろにオルレニアは片方の馬に近付き、その背に跨る。


「あ、あの、オルレニアさん。」

「どうした。」

「私、馬の乗り方、わかりません。」


貧乏な傭兵が馬を持っているはずもなく、またそれに騎乗する腕もある訳がない。

自らの馬を持ててようやく一人前だと言うのは、傭兵達の中では半ば常識のような物だった。


「……我の後ろに乗れ。今、悠長に一から教えている時間は無い。」

「はっ、はい!」


オルレニアは手を差し出すと、ため息でも吐きそうな顔でルフィアを馬の上へ引き上げた。


「思ったより、高く感じますね。」

「……思ったより揺れるぞ。我のどこでも良い、掴んでおけ。」

「わかりました。」


ルフィアはオルレニアの肩を掴もうとして、危ないかと腹に手を回そうとして。

それも躊躇い、結局控えめに背にもたれかかった。


一瞬オルレニアは困惑したように首を傾げたが、すぐに馬の腹を蹴り、出発したのであった。




◎◎◎◎




街を出て、存分に速度を出しながらオルレニアとルフィアの乗った馬は雪原を駆ける。


不幸中の幸いと言うべきか、降雪の止んだ空は澄み渡り、何とかケビンに追いつく事が出来る程には天候の心配は無い。


「……ルフィアよ。無事か?」

「はっ、はいぃい!!」


肩を強く握り、背中に密着する少女に軽く目をやり、オルレニアはそうやって時折声をかける。

ルフィアの返答は変わらず、また、その震え等も収まる様子は無かった。


「最短距離で向かう故、少々荒い道を行く。念の為、戦える程度には肩の力を抜いておけ。」

「はいぃぃ……」


肩の力ではなく、声の力が無くなっているぞ。


より一層肩を握る力が強くなったルフィアに対して、内心そんな事を思いながら、オルレニアは馬を最高速で走らせ続ける。


街を出てすぐに加速を始めたが、この馬は速い。

通常の馬に比べて、持久力も速度も、従順な姿勢までもがよく調教されていた。

この馬を使えば、想定よりも早くケビンに追いつける事は間違い無いだろう。


「む……」


ふと、雪原の先、地平線の先に小さな黒い影が見えた。

ケビンではない。流石に早すぎる。


「ルフィアよ。戦いの準備をしておけ。」

「わかりっ、ました……!!」


本当に大丈夫なのか。


ルフィアに対する不安を残しながら、オルレニアは黒い影の正体を確認した。


鎧を着た二人組だ。


片方は体格が良く、獲物は大剣。片方は細身で、長さ2メートルほどの槍を持っている。

出来るだけ戦闘を避ける為にオルレニアが馬を方向転換させると、二人組が動いた。


その先は森に入る小道。


避けては通れぬ場所である。


「仕方、あるまい。」


僅かに時間が掛かるが、問題はない筈。


オルレニアがそう考えた瞬間。


「ぬ……っ!!」


僅かな違和感。

馬の足から伝わる振動が、まるで地面を踏み外したかのように消えたのだ。


「ルフィア!!」

「っはい!!」


馬の足元の雪が崩れ、オルレニアはルフィアを投げ飛ばすと、馬から飛び降りながら空中で体制を整えて着地する。


「厄介な……っ!!」


そこにあったのは、馬一頭を落とせる大きさの落とし穴だった。

底には尖った木片が大量に詰め込まれ、それが馬に突き刺さって即死させている。


「小賢しい真似をしてくれる……っ」

「オルレニアさん、どうしますか。」


ルフィアが白銀に光る細身の剣を抜き払いながら、先ほどまで馬上で怯えていた物とは似ても似つかぬ剣士の目で敵を睨めつける。


「とにかく敵を無力化する。話はそれからだ。」

「了解です。」


敵二人との距離は、約150メートル程度。


オルレニアを前に、罠へ注意を払いながら二人は駆け出した。




◎◎◎◎




それはルフィア達が馬に乗る数時間ほど前。


「いつも」の酒場。オレンジ色の光の漏れる『子山羊と子羊亭』にケビンが訪れていた。

見た目はただの優男であるケビンに対して、当然傭兵達は良い目を向けない。

それは部外者を差別するものではなく、どちらかと言えば貧相な身体つきに対する軽蔑の視線だ。


しかしそんな中の一人、ケビンが向かう先のテーブルに座る男だけはケビンを軽蔑でも敵意でもなく、疑う様に眺めていた。


「やあ。」


ケビンが、まるでよく見知った相手であるかの様に片手を上げて男に声を上げた。

男は一瞬渋い顔をしたが、すぐにため息と共に片手を上げて挨拶を交わす。


「……貴族様が、こんな底辺の傭兵に何の用ですかね?」


男が邪険に言う。貴族という発言に周囲が騒々しくなるが、ケビンは構わず笑みを浮かべ、男の隣に座った。


「君に、依頼したい事があってね。」


そして、ほんの少しトーンを落として、喧騒に紛れる程度の声を掛ける。

貴族からの依頼。普通は諸手を挙げて喜びそうな物だが、男は眉を顰め、酒を煽った。


「ああ?……なんだ。そうやって人攫いでもしてんのか?」

「おっと、声を小さく頼むよ。だが……やはり君には依頼出来る。頼む。話だけでも聞いてくれたまえよ。」


男の発言に、ケビンは目を細め、そして嘘っぽい笑みを申し訳なさそうに歪めて合掌する。


ゲルダンはこの男が卑劣極まりない存在という事は理解していたが、まさか本当に人攫いまでしているとは思わずに、一瞬だけ目を見開いた。


「ッ……クソッタレ野郎め。」


どうやら最初に貴族様と呼んだのがいけなかったらしい。

周囲の視線が男に集まり、男が依頼を取りこぼさないかとハイエナのように周囲の傭兵達が待ち構え始めた。


こんな状態で断れば、間違いなくその情報は大きく拡がる。

貴族からの依頼を断った男に、誰が依頼をする物か。

そもそも個人の傭兵を雇う必要性が少ないと言うのに、説得まで必要な傭兵を雇う者など片手で数えられる程だろう。


「聞いてやるよ。気が変わらん内に早く話すこった。」


男はケビンを睨み付け、吐き棄てるようにそういった。


「……話が早い人は良いね。手を回す必要がない。」

「余計な事言ってるとてめえの顔面に拳骨ぶち込むぞ。」

「それは勘弁して欲しいなぁ。……君に声を掛けたのは、この依頼が彼女・・に関係する物だからさ。気になっているんだろう?」


男の怒気が膨れ上がった。ケビンは予想していたとばかりに肩を竦める。

そんな一動にさらに顔を顰めた男は、殺気まで帯びながらケビンを睨み付けた。


「てめえが、アイツを誑かしたってのか?」

「勘違いしないで欲しいな。僕は何も、そう。何もしていないさ。」


今にも拳が飛んできそうな状況だというのに、ケビンの余裕は無くならない。

男は小さく、長く唸ると、横目にケビンを見る。


「これが依頼の契約書だ。内容もしっかりと書いてある。」

「おい待て。まだ依頼とアイツの関係性を聞いてねえぞ。」

「簡単に言うと、彼女を誑かした男と出会えるんだ。君に丁度良い話だろう?」


ギブアンドテイクだ。


いかにも優男風に笑うケビンに、男は人差し指でテーブルを叩き始める。


「君ほどの男が何故こんなに底辺で燻っているのか、僕は知らないがね。無事にこの依頼を果たしてくれたら、君の名を広める事にも協力しようじゃないか。」

「そりゃありがてえな。てめえの部下に寝首をかかれる心配で夜も眠れなくなる訳だ。」

「勘弁してくれ。流石の僕でもそこまではしないさ。」


暗に、そこまではすると言っているような物だがケビンは悪びれた様子もない。

下衆野郎が、と内心で罵りながら男はため息を吐いた。


「君には期待しているんだ。勿論報酬も相応の物を払おう。」

「どうせ拒否権なんざねえだろうが。受けてやるよクソッタレめ。」

「ははっ、本当に話が早くて助かるね。」


そう嘘っぽい笑いを見せた後に、ケビンはテーブルに銀貨を数枚置くと、立ち上がった。


「それじゃあ、頼んだよ?」


そうして去っていくケビンの後ろ姿に、男は何か奇妙な感覚を覚えながら、断れる訳が無いだろうと舌打ちして依頼書を広げる。


【少女、ルフィア=エリンツィナ一行の足止め】


簡潔に書かれた依頼内容に、男は眉間の皺を濃くしながら、傍らの酒を煽る。


ルフィアは、男にとって娘のような存在だった。

いつも笑顔で、街を明るくさせて、どんな人物にも分け隔てなく接する。彼女はそんな優しい少女だ。


そんな彼女が、魔獣へ挑み、謎の男と共に帰ってきたと思えば、声を荒げて怒るまでするようになっていた。


彼女の事をある程度知る者は皆、疑問を覚えていた。

一体この数日で彼女に何があったのか、と。


その事について、男はずっと悩んでいたのだ。良くも悪くも純粋な彼女の、ついこの前の反応を見るに、隣にいる黒い男は恋人的な存在ではない。


もしやすると、ルフィアは何者かに誑かされているのではなかろうか。


男はいつからかそう思うようになった。

そこに現れたのが先ほどのケビンで、渡された依頼がこれだ。


「まさかこんな事で久々に、剣を振る羽目になるたぁな。」


男は自嘲気味に苦笑し、立ち上がった。


男の名をゲルダン。


数年前に魔獣と戦い、傷を負って活躍を潜めた『大熊』の二つ名を持つ大男。

そしてこの街で唯一、ルフィアという少女の過去を知る男だった。



◎◎◎◎




雪原に仕込まれた罠を一切の迷いなくかわし、無言で突き進むオルレニアの後をルフィアが追う。

罠の多くは簡単な物で、ネズミ捕りのような物や小さな落とし穴だが、それでも動きが阻害されれば危険ではあった。


何故ならば、槍を持っていた男の方が弓を取り出し、攻撃を始めたからである。


どちらか片方だけでは二人の脅威にはなり得ないが、弓矢と罠という組み合わせは流石にルフィアでは対処できなかった。


「ルフィアよ。我が大剣士を相手する。貴様は槍使いを倒せ。」

「わかりました。」


最も、オルレニアに罠や弓矢といった小細工は通用しない。

難なく歩みを進める二人と敵との距離は、残すところ50メートル程までになっていた。


「……ふっ!!」


そしてさらに数メートル。ふと放たれた矢にオルレニアが飛び上がり、宙空でそれを掴むと、あろう事か見事な技術を保ってそれを投げ返したのだ。


当然、いくらオルレニアであっても、数十メートルの距離から相手が反応出来ない速度で矢を投げることは出来ない。

しかし矢が持つその挺身性により、低速ながらもオルレニアが投げた矢は、射手の方へと飛んで行き、牽制の役目を存分に果たした。


「罠が無くなった。……ルフィア、駆け抜けるぞ。」

「行きますッ!!」


オルレニアが大剣士へと走り始めると、ルフィアも走る速度を上げて、槍使いの方へと疾駆する。


もう既に、弓を使っていられる距離ではない。

敵は槍を手に取ると、戦闘態勢を取った。


距離は残り10メートルも無い。


ルフィアはすぅ、と小さく息を吸い、身を低くしながら地面を蹴る。

そして僅かに槍の射程に入らない距離で立ち止まり、剣を両手で構えた。


「私の相手は、弱い方か。」

「……随分な言い方ですね。」


ふと、槍を持った男が口を開いた。


ルフィアは剣の構えを崩さず、攻勢に出る事もなく距離を取りながら、抑揚の無い声で応じる。


「どうした。攻めて来ないのかね?」


やはり、とルフィアは目を細めた。


この男は弓から武器を持ち変える時、あたかも焦っているかのように槍を構えた。


普通ならば好機と踏んで攻撃に出るだろうが、ルフィアはその構えに隙が無い事を察知していた。

この発言も構えも、こちらを誘い込んでいるのである。


「残念な事に、攻めずとも私はあなたに勝利出来ますので。」

「ほう?」


オルレニアがもう一人を倒すまで時間を稼げば、こちらの勝利は確定している。

相対する男は興味深げな笑みを浮かべてもう一つの戦いへ視線を向けると、片手で持っていた槍を両手で構え直した。


「ならば、こちらから行くとしよう。」


完全にルフィアの狙い通りだが、男とて誘われて攻めるほど単純な思考をしている訳ではない。


ルフィアがこの状況へと誘導したという事に気付いてはいるが、時間が経てば自分が敗北するというのもまた事実であり、男はここで攻勢に出る以外の選択肢を見つけられなかったのである。


「ふ……」


ぐっ、と脚に力を込めて、槍先を低く構え。


見据えるは一人の少女。


大きく息を吸い、容赦という物を排除する。


「ッェエエエエエイ!!」


地面を蹴り、一本の槍と化した男の一撃がルフィアに迫る。


その攻撃は単純明快。


ただ高速で突くだけという物であったが、それ故にその速さは厄介だった。


だがルフィアも、突出した技量を持つ剣士の一人。

瞬きする間に眼前に迫った槍先を紙一重で躱すと、思い切り剣を下段から斬り上げ、槍を打ち上げる。

それにより腹ががら空きになる男へ、防御する間も与えずに斬撃を叩き込んだ。


しかし、筋力自体は大したことのないルフィアの技量の乗らない斬撃は、鎧を貫通出来ず、今一度といった程度のダメージしか与えられない。


「ッ……!!」


男は衝撃に顔を歪めながらもルフィアを蹴り飛ばして再度槍を構え直す。

まともに受けた訳では無かったが、ルフィアは蹴りを受け流し切れず、左腕に大きな影響が出てしまった。


「焦っているようだな。どうした。攻撃を受けたのがそんなに驚きか?」


剣を片手で持ち直したルフィアに、男はニヤリと笑って言い放った。

それに対してルフィアは痛みをこらえるように深呼吸し、目を細めた。


「――ちょっとだけ、調子に乗っていたみたいです。」


最近、目立った敗北という物をルフィアは経験していなかった。

魔獣は例外として、暗殺者にも割と余裕を持って戦えたと自負していた。


静かに呟き、雪を握ると、それを顔に叩き付ける。

痛みに近い冷たさが皮膚を貫き、歯を食いしばってルフィアは邪魔な感情を排除した。


そして顔を拭うと、適当に付けていた灰色や肌色の染料が剥がれ、雪のように白い顔が露わになる。


自分の実力を過信すれば、一撃を貰って当然だ。


戦いはそんなに甘くない。分かっていた筈。命を掛けて、全力で挑み、相手への容赦などいらない。


――昔は、こんな余裕など無かっただろう。


自らに喝を入れ、相手の技量を再確認。


ルフィアは剣先を男の喉へ向けて、構えた。


「全力で行きます。どうぞ御覚悟を。」


そうして放たれた声の色は、とても先程までそこにいた少女だとは思えぬほどに冷たく。


純粋な殺意を体現するかのように、恐ろしい気配を放っていたのであった。









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