第12話
ルフィアは今、戸惑っていた。
目の前に座る黒髪の少女は、変わらずにこにこと笑顔を浮かべている。
そこに殺気はなく、普段ならば警戒するべき相手ではないだろう。
しかしこの少女はつい先ほどまで、自分達に敵対していた人物だ。
判断を全て直感に委ねるべきではないとルフィアは考えていた。
「あの……」
「ん?」
「何を、話せばいいんでしょう」
少女は話をしようと言った。
しかしこの少女に敵という認識しか持たないルフィアは、その話の話題すら欠片も浮かばない。
ルフィアが苦悩しながらそう言うと、少女は一瞬だけ目を丸くして。
そしてくつくつと小さく笑い出した。
「どうしたんですか?」
「ふ……いや、何を会話すれば良いのか。などと聞く人物は久方ぶりに見たのでな」
僅かに眉を顰めるルフィアに対して、少女は若干呆れたような顔で人差し指を立て、ゆっくりと口を開いた。
「……最近あった嬉しかった事。苦しかった事。質問もあるな。オルレニアの話、ロンバウトの体の話。そういった話をすれば良いのだ」
少女はかなり具体的な例を上げたのだが、これにルフィアは再び困惑した。
ここで言われた通りに質問をするのはあまりにも単純すぎる。
もしも敵が「自分を殴れ」といえば警戒するのは当然、無視して斬り殺すのが一番である。
加えて現状のルフィアの選択肢が少ない事も考えると、都合の良い方向に話を進められているような気になるのだ。
「……じゃあ、オルレニアさんの、昔の話について聞かせてください」
「そうか。やはり、気になるか」
迷った結果、少女の企みに乗る事にした。
オルレニアならばもっと良い方法が思い付いたのかもしれないが、下手に間違った選択をすれば、ルフィアでは取り返しがつかない事にもなり得る。
ならば相手の手の平の上で踊る方がまだマシだと考えたのだ。
「ぬしは、奴の事をどこまで知っている?」
少女は確かめるようにそう問うた。
またもや尋問されている感覚になるが、一度企みに乗ったのだ。ここで退くような事はしない。
「かつての大戦争の生き残り、当時は『冷王』という名前で呼ばれていたこと。彼が戦うのをやめた理由と、あとは剣の達人という事、くらいですね」
一瞬思い返したルフィアは、自分がオルレニアと出会ってほんの短い間しか共に行動していなかった事を実感する。
少し、厚かましかったかと反省も覚えた。
「ふむ……奴がそこまで話すとはな。では、我は少々細かい話でもするとしよう」
驚いたように目を細めて、少女は微笑して話を始めた。
「……奴、オルレニアは、我の目から見れば英雄だ」
「英雄?」
「我は、オルレニアの味方であった。故にかつての大戦争を終結させたオルレニアは、我にとっては英雄。敵からすれば大量の犠牲者を生み出した悪魔だ。当然であるがな」
オルレニアの味方だという事は、この少女もかつての大戦争の経験者なのだろう。
一体どうやって長すぎる年月を生きてきたのかはわからないが、それは今重要な話ではない。
「当時のオルレニアは、まあ、一言で言うなら存在自体が殺気のような物だった。隣に奴がいる時、我はいつも怯えていた物だ」
「その当時、あなたも戦っていたんですよね」
「うむ。我は強かったからな、先頭を行くオルレニアと共に暴れまわったものよ」
話しながら、感情豊かに表情を小さく動かす少女。
本心を隠す盾のように、その表情は上手くルフィアの視線を惑わせた。
ルフィアがそうして少女を眺めていると、少女は軽くルフィアから視線を逸らし、横目にルフィアを見る。
「しかしそれも昔の話だ。今の奴は、世界の均衡を崩す事が出来る、不確定要素だ」
「世界の均衡を、崩す?」
うむ。と首を縦に振り、少女は言葉を続ける。
「奴は強い。それこそ人知を超えた物といっても良いほどにはな。
そんな奴が動けば、軍勢を滅ぼし、権力機構を根底から破壊する事も夢ではない。……いや、可能だ」
少女は笑みを消し、真面目な表情でそう言い放った。
そんな馬鹿な、というのは簡単だ。
しかしルフィアは実際にオルレニアの実力を目にしている。
数千数万の軍は無理だとしても、数百程度の敵ならば簡単に倒せてしまえそうな戦闘力だった。
「故に、我は奴を危険視する。……しかしまあ、年月を重ねた今ならばあるいはと思ったのだがな」
自嘲げに笑いながら、少女は体に巻かれた包帯を見せた。
その包帯が全て命に関わらないような箇所に巻かれていると気付いたのは、ルフィアがある程度の剣士だからだ。
命に関わらない傷を与える。それはつまり、敢えて手を抜き、殺さない様に戦ったという証明になる。
ルフィアと同等かそれ以上の実力を持ったこの少女に対して、オルレニアは圧倒しながらそれを行ったのだ。
「それでもあなたは、オルレニアさんと戦うんですか?」
「無論、戦わねばならぬ。ぬしらが敵対するのであればな」
少女の声が、ほんの一瞬だけ震えた。
それは、オルレニアに対する恐れから来るものでは無いだろう。
むしろその注意はオルレニアになく、目の前にいる少女が敵対することを酷く恐れている様だった。
「……そうですか」
故に、これ以上の追及はやめた。
この少女は少なくともルフィアの敵ではない。
そして恐らく、オルレニアに敵対したい訳でもないのだろう。
であれば無理に争う必要はない。
ルフィアは最初からずっと少女に放ち続けていた殺気を納め、微笑した。
「次の話をしましょう。この綺麗な服を血に染めたくはありません」
白いドレスの裾をつまみながらルフィアが言うと、少女は大きく息を吸い、静かに吐き出した。
冷えた部屋の中に、白い吐息が浮かび、消える。
「……全く、我も肩に力を入れすぎていた様だ」
少女は改めてルフィアに視線を合わせると、肩をすくめようとして傷に触ったのか顔を顰め、そして作り物ではない微笑を顔にたたえた。
「ぬしにはまだ、名前すら教えていなかったな」
優しげに浮かべる微笑に自分の非礼を詫びるように苦味が交わり、少女は軽く背筋を伸ばしてルフィアを見据えた。
「……我の名は、イヴリアナ=トリア。現在は冒険者をしている。気軽にイヴと呼ぶがいい」
冒険者といえば、騎士くずれの者や、野蛮な人間が多いと聞く。
ルフィアは一瞬、少女ーーイヴと冒険者という職業が一致せず、何度か頭の中を反芻させて頷いた。
「イヴさん。良いお名前です」
「ふ、くく。ぬしはまるで傭兵とは思えぬ事を言うな?」
見た目も相まって、今ならば貴族を騙れるぞ?と笑うイヴに、ルフィアは丁重に断る旨を伝えて笑う。
「それで、イヴさん。また質問なんですけど」
「ああ、なんだ?」
「私を捕まえているのは、教会に告発する為ですか?」
ルフィアは自分の体がどういう影響を持つか、今までの経験で理解している。
ケビンの味方に付いているルフィアを上手く利用すれば、ケビンごと排除出来ることくらいは予想が着いている。
しかしルフィアの予想と違い、イヴは目を丸くしてその問いを受け止めていた。
「……結果的には攫うという形になってしまったがな。むしろ逆だ」
「逆、ですか?」
「我は飽くまで守る為に動いている。……告発を行おうとしているのは、ケビンだ」
ケビンという名を呼ぶ瞬間、イヴの気配が変化した。
煌々と光る緑の瞳が明確なる殺意を持って虚空を睨めつけ、剣呑な空気が部屋に漂う。
「奴は、我が同胞を何人も罠に掛けて殺した。ある者は部下に裏切られ、ある者は悪魔として教会に葬られ、またある者は……我の過ちによって死んだ」
噛み締めるように死因を語り。
徐々に殺気を収めながら、イヴは息を吐き、落ち着いた声で話を続けた。
「そして今度は我らだ。事前に対策はとっていたが、よもやオルレニアを味方に付けているのは想定外であったな」
そう話すイヴの顔には諦観が見えた。
恐らく、何をしても悪あがきにしかならないと悟っているのだ。
オルレニアは倒せない。ロンバウトは殺され、イヴも何らかの方法をもって殺されるのだと。
「でも、オルレニアさんにこの事を話せばーー」
「無駄だ。奴は傭兵として動く。雇い主の命令に逆らう事などあり得ぬだろう」
「そんなもの、ただの憶測です。まだ可能性はあります」
敵であるイヴ達では話し合うどころの話ではないだろう。
しかしルフィアが笛を使ってオルレニアにこの情報を伝えれば、少なくとも敵ではなくなるかもしれない。
オルレニアが敵で無くなれば、どうにかなる可能性はあるのだ。
「あと一日、足掻きましょう。思いの外上手くいくかもしれませんよ?」
何とかできる根拠などない。
「……つくづく、面白い娘だ」
だが、最後まで諦めない者に奇跡は訪れるのだ。
死を目前に奇跡を体感した事のあるルフィアは、苦々しい笑みを浮かべるイヴにそう笑いかけたのであった。
◎◎◎◎
イヴが去り、ルフィアは服に文句を付けた結果運ばれてきた服に着替えながら、オルレニアに渡された笛を取り出した。
使い方がいまいち分かっていない上に、原理が欠片も分からないという問題はあるが、とにかく吹けばいいのだろうとルフィアは笛を口に付けようとして。
「ッーー!?」
イヴが出入りしていた扉の向こうから溢れ出る殺気に、動きを止めた。
それと共に、イヴの叫ぶ声と、物が破壊される音。
「誰かの……襲撃…?」
イヴであれば大抵の相手には勝てると見込んでいるルフィアは、落ち着いたまま眉を顰めて考える。
襲撃であるならば、ケビンからの刺客である可能性が高いだろう。
そしてケビンはルフィアの重要性を知っている。
であれば、イヴだけで耐え切れるだろうかと不安になったのも束の間。
扉の奥から衝撃音が鳴り響き、鍵が壊れる音と共に扉が開け放たれた。
「ルフィア!!」
部屋に響き渡る、焦りと緊張が入り混じった声。
ルフィアには一瞬、それを誰が言ったのかわからなかった。
普段どころか戦いの時ですら大声を上げない男が、まさかそんな声を上げるとは思っていなかったのだ。
「オルレニアさん!?」
驚きの声を上げるルフィアを見て、オルレニアは安堵したように大きく息を吐きながら、ルフィアの装備一式であろう物を床に降ろした。
ルフィアが攫われて、凡そ六時間程度。
たったそれだけの間にオルレニアはルフィアの居場所を探し出し、ここまで来たのである。
あまりにも、予想外であった。
「すまぬ。……探すのに少々手間取った」
そう謝罪するオルレニアの頬には、一本の傷が走っていた。
イヴの話では、軍すら相手に戦えるオルレニアに、傷が付いているのだ。
赤黒い血が垂れて、オルレニアは違和感を覚えたのか自分の頬に手をやり、僅かに目を見開いた。
「オルレニアさん、頬が……」
「久方振りに傷を負った。どうやら我も相当に焦っていたらしい」
オルレニアはぎこちなく苦笑し、大した怪我ではないと呟いた。
恐らく、イヴは全力を尽くした筈だ。
しかしそれでもオルレニアに与えられた傷は、かすり傷程度。
イヴが諦めかけていたのも理解できる。
だがオルレニアの様子を見て、ルフィアは問題ないと踏んだ。
自分ならば、説得出来ると。
「……行くぞルフィア。日の入りまでに奴隷売買の書類を集めねばならぬ」
そしてルフィアが口を開こうとした瞬間、オルレニアがそう言った。
「し、書類を集めるって……どういう事ですか?」
「ケビンに準備をさせている。後は我々が奴隷売買の書類を奴に渡せばこの依頼は完了だ」
背筋を悪寒が走り抜けた。
恐怖ではない。当然、嫌悪感でもない。
ルフィアは、とてつもない緊張を覚えたのだ。
「どうした、ルフィアよ」
息を呑み、オルレニアを見上げながら絶句するルフィアに、困惑気味の声でオルレニアが問う。
「……オルレニアさん」
「何だ」
「もしも、例えばの話です。ケビンさんの話が嘘で、ノーグ商会が奴隷売買をしておらず、むしろケビンさんが悪者だったとしたら……オルレニアさんは、どうします?」
『奴は傭兵として動く。』
イヴの言葉が脳内で反芻する。
オルレニアは優れすぎている程、依頼に対する行動が早い。
実際。既にケビンに書類を渡せば依頼達成という所まで持って来てしまった。
金で動く、実直な傭兵の模範だ。
「決まっている」
僅かな間も置かず、オルレニアが口を開いた。
「我ならば雇い主の命令の通りに動く。善悪など、関係はない」
なるほど、イヴの推測通り。
冷酷なる王、オルレニア=ヴィエナ。
彼は本当に傭兵として動くのだ。
傭われの、兵として。
「そう、ですよね」
イヴには後一日と言った。
だがルフィアは、今この瞬間でその望みを捨てようとしている。
「逆に問おう。ルフィアよ」
ルフィアが目を伏せ、諦めようとした瞬間。
オルレニアが眉を顰めながら声を上げた。
「貴様であれば、どうするというのだ」
意地の悪い問い掛けである。
目の前で言われた答えに逆らうという行為は、相手の意思を否定するような物だ。
そしてオルレニアは、恐らくルフィアの返答を分かっていて問うている。
しかしルフィアは、伏せていた目を開き、オルレニアの視線と合わせた。
「私なら、」
ふとオルレニアの手が動き、腰の剣へと伸びた。
敵対する自分を斬り捨てる為だろうか。
ルフィアはそんな事を思いながらも、言葉を止めない。
「ケビンさんを裏切り、ノーグ商会に付きます」
次の瞬間、オルレニアの剣が振るわれ、その背後から迫った剣が受け止められた。
「……我は貴様の付き人だ。貴様がそう言うのであれば、我に異論は無い」
ルフィアにとって望ましい返答。
それを口にしながら、オルレニアは背後に現れた襲撃者の胴へ拳を振り抜き壁に叩き付け、一撃にて気絶させた。
「この人は……?」
「ケビンからの刺客であろうな。早く動かねば、奴は貴様を告発する積もりであろう」
告発する為の材料は、証人と事実確認の為の目付役と、金銭と立場も大きな関係がある。
敢えて告発可能な人物を雇おうとするケビンの事だ。それくらいの事は既に根回ししてあるのだろう。
「後を着けられていた理由がわかるという物だ」
どうやらオルレニアを説得出来たのにはこの刺客の存在も大きかった様だ。
ケビンが嘘を吐いているのであれば、辻褄は合う。
「ルフィアよ。門が開くのはいつ頃だ」
「雪が降っている日なら、日の出から半刻くらい。晴れている日なら、四半刻の内には開くはずです」
ルフィアが答えると、オルレニアは懐から羊皮紙を取り出してそれを広げた。
「此処から最寄りの教会が馬車で一日の場所にある。教主は知らぬが、恐らくは司教であろう」
「オルレニアさん、外の様子は」
「既に日が顔を覗かせている。急がねばなるまい」
門が開けば、ケビンはすぐさま街を出て教会へ向かう筈だ。
馬車で移動されたならば、流石のオルレニアでも追いつく事は厳しい。
そうなる前にケビンたちに追いつくのが一番の方法だ。
そうルフィアが考えていると、オルレニアの背後で黒い影が動いた。
「イヴリアナか」
オルレニアは振り向く事すらせずに呟き、剣の柄に手をかける。
対してイヴの方は、丸腰どころか満身創痍で既に戦える姿では無かった。
「っ……オルレニアよ。足が、必要なのだな?」
イヴは立ち上がったまま一歩も動けないようで、辛うじて口角を上げて声を上げる。
「一つ借しとして。ノーグ商会の馬を貸しても良い」
オルレニアは静かに羊皮紙を丸め、それを紐で結んで懐に仕舞った。
そして堂々とした動きで振り向くと、息も荒いイヴの緑色の目を睨め付け。
「……ついでにお前達の居場所を救ってやるのだ。借し借りなどある訳がなかろう」
見下ろす形でそう言いながら、オルレニアはイヴへと歩き、その目の前に立ってため息を吐いた。
「イヴリアナよ。我はお前を信じてはいないが、ルフィアを信じている」
「随分と、入れ込んでいるのだな」
「戯けが。……借りるぞ」
オルレニアが断りを入れたと同時に、イヴは笑みを浮かべながら気絶した。
全身傷だらけの状態でオルレニアと戦い、尚も動けたのは気合いの賜物だったのだろう。
開いた扉の奥から、人々が動き出す声が微かに聞こえ始める。
事態は大きく変化し、少しずつ終わりへと進み始めたのであった。
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