第10話


凍りつくような寒さ。


暗くは無いが、椅子と机だけが置かれた、石造りの小部屋。


牢獄、というには少々明るすぎるほど、壁には煌々と輝くランタンがある。


そして、格子の嵌められたガラス窓に、鍵が掛けられた重厚な鉄の扉。


私、ルフィアは今、そんな場所にいた。


剣は奪われ、勿論隠し持っていた道具を奪われ。

一方的に体を洗われて、普段ルフィアが着ることが無いような、白一色のドレスに着替えさせられて。


およそ囚人の扱いではない応対を受け、私は困惑に塗れながら椅子に座り、ため息を吐いた。


自分の状況を思えば、人質という可能性が高いが、正直ただの人質にここまでするというのも、違和感がある。

それに、オルレニアさん相手に人質程度の小細工が通用するかという疑問もある。


実際オルレニアさんと私の繋がりは大した物じゃない。

最悪私を見捨てるくらい、躊躇いもなくするんじゃないだろうか。


と、そう考えて再びため息を吐いた。


「まあ、おおよその理由は解りますけど。」


恐らく、私の体の話だ。


体を清められ、今まで染色して隠していた物が露わになった。

白く、ただ白い睫毛を見た女中の反応は少しだけ不快だったけれど、隣にいた少女の反応を見る限り、バレていたのだろう。


そう。私は全身の色がほとんど無い。


目が薄っすらと紅いことを除けば、白一色といっても間違いではないのだ。

そしてその姿は人外の物と言われ、幼い頃は度々教会に襲われた。


つまり、私を上手く利用すればケビンを教会に捕らえさせられ、ついでに襲撃者を一人、亡き者に出来るという事だ。


「……何とか、しないと。」


そう言いながら、私は腰に手をやって、不思議な模様の描かれた小笛を取り出した。

装具を回収される瞬間、この小笛だけは急いで下着に作っておいた小さな内ポケットに隠したのだ。


オルレニアさん曰く、この小笛を吹いている間はオルレニアさんへ思念が送れるそうだ。


どういう原理かは知らないし解らないけれど、多分オルレニアさんの言う事だから、本当だと思う。


私はそんな事を思いながら、小笛を吹こうと口を近づけようとして。


扉が開く音を聞いて急いで隠した。


「起きていたか。白き娘よ。」


重厚な扉を開き入って来たのは、漆黒の髪に緑の目を持つ少女。

出会うのは、これで三度目だ。


「そう警戒するでない。我も傷だらけだ。」


少女は黒い装束に覆われた腕を晒し、血の滲む包帯を見せた。

確かに足取りは重く、どこかその声音も弱々しいが。

足音は無いし、動きに隙が無い。


いずれにせよ、この少女には謎が多すぎる。


「名前も知らず、襲い掛かってきた相手を前に警戒するなって言うんですか?」

「うむ。互いに警戒していては談笑など出来ぬだろう?」

「っ……?」


正直言って、気味が悪い。


つい先程まで私を殺そうとしていた少女が、談笑をしたいと目の前に現れる。

どう考えても、警戒せずにはいられないだろう。


「まあ、警戒したままでも構わぬ。とりあえず話を聞いてはくれぬか?」

「……少しだけなら。」


甘いな、とはつくづく思うが、現状では自分の居場所すら解らない。

オルレニアさんと連絡を取るにしても、この少女から何か情報を引き出すべきだ。


私はそう考えて、少女との会話の席に着いた。




◎◎◎◎




「お待たせした。オルレニア殿。」

「いや、こちらこそ夜分遅くに申し訳ない。」


ケビンが席に着くと、僅かな焦りを隠そうともせずに、オルレニアは礼を述べた。


「さて、こんな時間に、それも焦りが見て取れるという事は、依頼について何か?」

「ああ、ケビンよ。事は貴殿が思うより厄介であったやも知れぬのだ。」

「……ほう?」


ケビンの目的は、奴隷売買の通商ルートであるノーグ商会のヴァロータ支店を告発し、この街より退ける事。


オルレニアとルフィアはその依頼を受け、その支店長を殺害、奴隷売買の証拠となる書類を回収する作戦を建てていた。

そうして行動に移ったルフィアが罠に嵌められ、二人の行動がケビンとの接触時から既に見張られていたことが判明した。


「話の通りなら、僕が先に目を付けられていたという事かな。」

「で、あろうな。だが、見張り程度に気付かぬ我では無い。」

「ああ。君なら確かにそうだ。」

「……であればケビンよ。予想は着くのではないか。」


見張りではない。しかし、ノーグ商会は二人の情報を持っていた。


それを行う事に必要なのは、怪しい素振りを見せず、戦えるほどの実力を持たず、ただ情報を垂れ流すだけの存在。


その存在に、オルレニアは心当たりがあった。


否。その存在はケビンも、ルフィアでさえも気付くような存在だ。


オルレニアの発言に、ケビンは息を呑み、片手で頭を抱えた。


「まさか……ヴァロータ自体が奴らに協力していると?」

「そうだ。つい最近、この街である噂が流行っていた事は知っているな?」


顔を変える殺人鬼がいる。その殺人鬼と思わしき者を見たら広報部受付に連絡せよ。

有益な情報であれば、補償金が出されるだろう。


その噂により、連日広報部の受付前には行列が出来ていた。


隣にいる者が殺人鬼かもしれない。それを言うだけで金が貰える。

そんな人の疑心と欲望を利用した監視網が、これによって完成していたのだ。


「つまり、僕の行動も君達の行動も、ずっと見張られていたという事か。」

「それによって奴らが得られる利益は知らぬが、ヴァロータの協力が得られぬ今、この依頼は失敗だ。」

「そうか……そうか。」


噛みしめるように呟くケビンは、顔に浮かべた苦渋を隠し、微笑をたたえて顔を上げた。


「ありがとうオルレニア殿。この働き分の報酬は支払おう。」

「無論報酬は頂こう。そして一つ、こちらから頼み事があるのだが。」


そしてケビンが椅子から腰を上げようとした瞬間、オルレニアが話を続けた。

厄介事がまだあるのかとでも言わんばかりに一瞬眉を寄せたケビンは、ため息でも吐きそうな様子で再び席に着いた。


「僕に出来る事なんて大した事じゃないが、何だろうか。」

「ノーグ商会にさらわれた、ルフィアを取り戻す手伝いを求めたい。」


ケビンの微笑が僅かに崩れる。


「攫われた?一体、何の為に?」

「その理由はおそらく貴殿にも関わる物だ。」


オルレニアはこの時代の世間の認識を知らない。

教会がどれほどの存在か、大商会がどれほどの存在か、対する傭兵がどれほどの存在か。


だが、予想は出来る。


「我が旅の友ルフィアは、教会の忌み嫌う化け物の姿をしているのだ。」


次の瞬間ケビンの仮面が崩れ、唖然とした物になり、オルレニアは口元を歪めた。


過去においても今においても、世界において教会とは最大の組織であり、絶対なる力であり、例え一国の王であったとしても逆らう事の難しい存在だ。


ノーグ商会はそんな教会の忌み嫌う化け物を捕らえ、目障りな存在であるケビンがそれを匿っていたと教会に告発するだろう。


そうなれば、最悪ケビンの命はない。


つまりケビンは、ここでオルレニアの頼みを断る事が出来ないのである。


「どうやら本当に、事態は僕が思っていたより厄介だった様だ。」


そう言って笑みを消したケビンは、オルレニアと、今まで外していた視線を合わせた。


「……しかし、君には何か考えが有るんだろう?」


様々な問題が起きている中、オルレニアの声音は落ち着き過ぎている。

ルフィアが攫われた焦り、最悪ケビンと同罪とされる恐怖、そういった物を一切感じさせない冷静さ。


そして、ケビンに協力を求めたという事実。


「恐らく、君は一人でもルフィアさんを助け出せる。なのに、僕の元に助けを求めに来た。」

「そうだ。貴殿に頼みたい事は、ルフィアの救助とはほとんど関係が無い。」


オルレニアはケビンの言葉に頷き、そして相手の額に寄っている皺を見て、小さなため息のような物を吐いた。


「明日の日が暮れる頃、ヴァロータの上層部に直接ノーグ商会の問題を告発しろ。それまでに我がルフィアを救出し、奴隷売買に関する書類を届ける。」

「ヴァロータは、ノーグ商会側だろう?それじゃ告発した事は揉み消されるんじゃ――」


食い気味にオルレニアに問おうとしたケビンが、まさか、と呟き、口に手をやって思案する。


「上層部の人間はノーグ商会の件を知らない、と?」

「ルフィアが商会から逃亡した時、奴らは追って来ず、わざわざ夜間に現れた。

雇われた暗殺者は、情報を吐くまいと自殺を選ぶ様な者達。

それに本当に目障りなのであれば、ヴァロータの権力を使い、貴殿を捕らえるであろう。」

「確かに……。つまり、それが出来ない程度の下層部の独断という事になるのか。」

「更に、情報を操る事は可能だが、警備隊を思う様に操れないとなれば、必然的に相手は特定出来る。」


ヴァロータの管理構造として、最上位に当たるのが、首長とその補佐官数名。

その次に警備隊の総括や税収管理の総括といった細かい部門に分かれ、街役所や広報部、区画警備隊といった物がその下には入る。


そして、殺人鬼の噂の発端であり、ノーグ商会の情報を堰き止めていると予測されるのが。


「区画警備隊の一部と繋がりがある、広報部だ。推測の域を出ないが、この者達がノーグ商会の問題を揉み消しているのだろう。」

「つまり、最低でも情報の総括を行っている者達に直接話を届ける必要があるんだね。」

「そうだ。頼めるか?」


それに賭けるしかない状況でありながら、オルレニアはケビンへ確認を取るように問いを投げかけた。


「明日の夕暮れ、君が証拠を届けてくれると。つまり僕はそれまでにヴァロータの上層部と対談出来る状況を作っておけば良いのかな?」

「ああ。それで構わぬ。」

「解ったけど、あまり期待はしないでくれたまえ。僕は追い詰められたウサギの悪足搔き程度にしか頑張れないんだ。」


ケビンが肩を竦め、洒落を利かした言葉を言うと、オルレニアは微笑して鼻をならした。


「貴君が狼に勝てる事を祈っている。」


そう言ってオルレニアが椅子より腰を上げようとすると、おもむろにケビンが片手を差し出した。


「交渉成立の証だ。」

「交渉と言える程の会話では無いが、取らせて戴こう。」


一瞬呆気に取られるようにケビンを見たオルレニアは、すぐにそう言ってその手を取った。

対してケビンは、最後に一度虚を突けたと喜んでいるような、そんな苦笑を浮かべていた。


「では、頼んだよ。」

「それは貴殿にも言える事だ。報酬の上乗せも頼むぞ。」


金で動く傭兵らしく、最後にオルレニアはケビンの表情を強張らせて、その場から去って行った。





◎◎◎◎





夜の闇がざわめく。


揺れる影、消える灯火。


時は零の刻。


舞い降りる天使の吐息を喰らう、闇がざわめく。


サァと地面を撫でる黒。


夜闇が隠せぬ黒の色、壁が絶てぬ破壊の調べ、風が追えぬ一筋の道。


黒が駆ける。ただ駆ける。




闇がざわめき、恐れるように、怖れるように。


震える声で、高らかに叫ぶ。




黒の王が、現れた。


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