第9話
「目が覚めたか。……動けるな?」
オルレニアは立ち上がり始めたルフィアを見下ろしながら、そう問うた。
逃走だけではない、緊張と焦りでも体力を消耗していたルフィアは自主的に仮眠を取ったのだ。
「ん……はい。大丈夫、です。」
軽く頭を振り、ルフィアは目を瞬かせて頷いた。
日常的な面では抜けているが、ルフィアは意識すればすぐに眠気を払い、すぐさま戦闘を行えるのだ。
それを無言で眺めながら、オルレニアは視線だけを動かして、静かに周囲を警戒する。
その動作は実に自然体で、状況を知らなければただ立っているだけに見える。
しかしルフィアには、自分が今のオルレニアに攻撃しても不意打ちは叶わず、それどころか自分が一撃で殺されるだろうと分かっていた。
「あの、オルレニアさん。」
「何だ。」
「この依頼を終えたら、稽古を付けて貰えませんか?」
これはオルレニアと出会い、その剣捌きを見て、ずっとルフィアが望んでいた事だ。
幼い頃から剣の腕を伸ばし続け、剣を振るのが趣味といえるほどのルフィアにとって、実力者から教授を受けられるのはある意味、この依頼を無事に終えることより嬉しい事であった。
「別に構わぬが、我と貴様では技の形が違うぞ。」
「強者から剣を学ぶには、とりあえず打ちあうことが大切だと思うんです。」
「……そうか。貴様がそう思うのであれば、我は特に何も言わぬ。」
「はい、ありがとうございます。」
普段以上に静かな声音に威圧感を肌で感じながらも、ルフィアは心の中で小躍りした。
それと共にあからさまに表情が明るくなったのは、言うまでもない。
「――陽が落ち。そろそろ二時間ほどが経つ。敵が来るのであればそろそろであろう。」
「……殺し、ますか?」
「必要に応じて、殺すか否かは貴様の判断で決めるが良い。」
「わかりました。」
オルレニアは警戒を解かず、おもむろに懐から小さな角笛を取り出し、ルフィアに差し出した。
こくりと首を傾げるルフィアに、取り敢えず受け取れと言わんばかりに手を伸ばす。
「これを持っておけ。万が一分断された時、伝言を思いながらこれを吹けば一度だけ、我に伝わる。」
「え、と。どういう仕組み、なんでしょう?」
「いずれ話す。……今は時間が無い。」
ルフィアが笛を受け取ると、オルレニアは警戒を戦意に切り替え、剣を抜き払った。
一拍遅れて、ルフィアも殺気に気付いて剣を抜く。
「来ますか。」
「ああ。背中は任せる。」
ここは隠れる場所のない銀世界。
黒装束を纏った集団が、ルフィア達の正面に現れた。
数にして、三十近くはいるだろう。
普通、たった二人の傭兵に注ぎ込む戦力ではないが、つまりはそれほどまでに警戒されているという事だ。
「来るぞ。」
音も無く、集団の先頭に立つ者が手を挙げると、全員が一気に散開してルフィア達へ襲い掛かった。
同時、ルフィアが腰を落として、跳んできた一人へ刺突を行い、その足を切り裂く。
その背後ではオルレニアが一撃で一人の首を切り裂き、返す刃でもう一人の心臓を貫いた。
「ヤァッ!!」
足を切り裂かれた男が突き出した剣を弾き飛ばし、腕の腱を切り裂いて蹴り飛ばすと、ルフィアは続いて現れた二人の剣を右へと流し、一人の腕を飛ばす。
そしてもう一人のフェイントを見破り、その手を飛ばして体を斜めに切り裂いた。
オルレニアへと攻撃を仕掛ける五人の男、その一人の首が跳び、続いて三人が両腕を跳ばされ、足を断たれ、鳩尾を貫かれる。
残った一人が一度距離を取った瞬間、投石具より放たれた石がその頭蓋を破壊した。
一瞬で十人近くが戦闘不能に陥り、流石に不味いと考えたのか攻撃が止む。
「無事かルフィア。」
「冷や汗塗れですが、大丈夫です!」
「無傷であれば何だろうと構わぬ。」
実際剣技に置いて、ルフィアの実力は他と一線を画す。
刺客の技量も中々ではあるが、一対一では負ける事は無かった。
そうして言葉を交わす間に、刺客の集団が一斉にルフィアへと走り出した。
比較的弱い、ルフィアを先に潰そうという考えだ。
「させぬ。」
しかし当然のようにオルレニアが立ち塞がり、またも二、三人が絶命する。
しかしその中で、オルレニアの剣を防いだ一人がいた。
漆黒の長髪、妖しく緑に光る目を持つ少女だ。
「ぬ……っ」
「やはり、お主か!!」
少女はオルレニアをまるで知っていたかの様に声を上げる。
対してオルレニアは僅かに顔を顰め、先程よりも更に鋭く、速い斬撃を続けた。
だがやはり他の者達とは違う。少女は死なずに剣戟を繰り広げているのだ。
「オルレニアさん!他は任せてください!!」
「後十秒耐えていろ!!」
オルレニアに襲いかかろうとした刺客の一人を弾き飛ばし、ルフィアは敵の集団の前に立ちふさがり、剣を振るい始める。
今度は背後の防衛対象を護るために、攻撃を躱すのではなく、受けて、返す。
相手の刺突を剣の腹で受け、上へ流すと同時に剣を振るって腕を断つ。
次いで向かう敵の剣が一つは首へ、もう一つは足へ伸びると、ルフィアは足へ振られた剣を踏みつけ、首へ振られた剣を腕甲で防ぎ、二人の敵の腕を切断した。
「っなぜ、来るんですか!?」
しかし腕を切断された状態で、まるで痛みを感じない人形のように二人の敵がルフィアへと蹴りを繰り出した。
僅かに躊躇いを憶えながらも、ルフィアは蹴りを小さな動きで躱し、その首を落とす。
そして間髪入れずに突き出された剣を弾き、今度は相手の足の腱を切り裂いた。
と、次の瞬間。ルフィアと集団との間に、黒い塊が落下した。
「想像以上にやるでは無いか。」
「……変わっておらぬな、ぬしは。」
ルフィアの背後から現れたオルレニアが、落下した黒い塊――黒髪の少女へ言葉を投げ掛けると、少女は傷の多い体を起こし、またもやオルレニアを知っている口振りを見せた。
「『冷王』オルレニア=ヴィエナ。何故、ぬしが此処にいる。今の世はぬしを必要とはしていないぞ?」
そして。明らかなる敵意を放ちながら、かつてのオルレニアの二つ名を口にした。
驚愕するルフィアの隣で、オルレニアは表情を欠片も動かす事なく、ただ剣を構え直し、殺気を隠すことなく解放した。
「去れ。我が
会話をする気は無い。
断固とした意思表示に、少女は目を伏せ、おもむろに手を挙げた。
すると黒ずくめの集団が踵を返し、街の中へと消えて行く。
「オルレニア。ぬしが我を拒否しようと関係無い。我は今の目的を果たす為にいるのだ。」
「……」
少女は挙げた手をルフィアに向け、人差し指を立てると。
「ついて来い。」
囁くようにそう言った。
その次の瞬間、ルフィアの体が勝手に動き、少女の元へと走り出した。
逆らおうとするルフィアの意思を無視して、まるで糸で操られるように、その体は少女の元へと動いてしまう。
「貴様……!!」
「もう遅い!!」
少女は自分の元に辿り着いたルフィアの口部に布を当てて昏倒させると、オルレニアが放った神速の突きを紙一重で躱し、ルフィアを抱えて全力で走り始めた。
その速度は数瞬にして、馬を越えていた。
「……ッ!!」
オルレニアが地面を蹴って走り出した時には、すでに少女は街の夜闇へ消えていたのであった。
◎◎◎◎
草木が休み、動物達も地面に伏して、ただ人達のざわめく声だけが響く。深く、深い闇の時間。
静かとはまだ遠い街の中、富裕層に鎮座する小ぶりな屋敷の一部屋。
ゆらりと影を揺らすランタンの光に照らされながら、一人の青年が書物を片手に杯を傾けていた。
その青年が探すのは、ある一人の人物の情報である。
『オルレニア=ヴィエナ』
会話中に全く隙を見せず、刺客の僅かな殺気を感じ取り、それ程の実力が有りながら、表世界、裏世界であっても耳にしたことの無い名前。
青年、ケビン=カルデロンは、男爵とは思えないほどの情報を抱え、その中には格上の伯爵、侯爵の立場を危うくさせる物まである。
そんなケビンですら、耳にしたことすら無い。見たこともなければ、断片的な情報すら分からない。
それがオルレニアという男だった。
対して、隣の少女についての情報は幾らでも手に入った。
ルフィア=エリンツィナ。
肌が病的に白く、同じく髪も白一色。目の色が赤く、人外的な気味の悪さを持ちながら、その容姿は相当に優れている。
性格は純粋、ゆえに交渉事が下手であり、傭兵としての実力は最底辺と言っても良い。
しかし依頼を受けた時に同伴した傭兵曰く、その剣の腕は達人級。
中堅程度の傭兵が言うには剣が消えたように見えるほどの剣速に、その速さでいて正確無比な剣撃。
純粋という点さえなければ、名の高い傭兵になっているだろう少女だった。
そのルフィアの隣にオルレニアが現れたのはつい最近だったとの事だが、その関係は不明。
親しげに接している所を見る限り、つい最近出会った訳では無さそうだが、それも不明だ。
「不明、不明に、不明。分からないことだらけだな。」
そう面倒くさそうに呟いて、ケビンは一冊の本を手に取った。
対象の過去の血縁を見つける為の、古い書物である。
内容は過去に起こった大戦争の主要人物の活躍を纏めた話。
例えば、現在南で強い権力を持つオーナンディス侯爵は大戦争で活躍したユクルド=オーナンディスの子孫だ。
そうした方法で過去の書物を利用して情報を得るのは、ケビンの手法としてよく有るものだった。
そして、今回もそれが功を成した。
最後のページの裏側に小さく書かれたその記述の内容はこんな物だ。
『この記述を読んでいる君に、この情報を預ける。
彼の者は大戦争にて、危険人物として名を挙げた男。
戦えば死ぬと言われた、魔獣よりも警戒すべき災厄。
今では伝説上の存在と言われるが、彼の者は確かに実在した人物である。
魔王とも呼ばれ恐れられる彼の者の名は、オルレニア=ヴィエナ。
この記述を書いている私がこの者の存在を証明する。今から私、――――を殺すのは、この男なのだから。』
その記述を見つけたケビンの耳に、ドアをノックする音が聞こえた。
「ケビン様。オルレニアと名乗る男が来ております。」
まるでこちらを見ていたかの様なタイミングで、彼の者は現れたのであった。
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