第7話
空に鼠色のカーテンが引かれ幕を閉じると、シンシンと白き妖精が舞い降りる。
その冷たさを嫌う者は多い。その暗さを嫌う者も多い。
全てを透明な柩で包み込む雪の嵐は、確かに怖い。
だが、少女はその白が好きだ。冷たさも、その暗さも又、風情だと想う。
水に濡れた冷たい布で顔を拭く。
黒い色が布に付着する。
水に映る自らの顔は、何処までも白く。
白雪を嫌えば、自らの存在を否定してしまうみたいだから。
好きだと思う。
例え嘘でも、好きだと思う。
そうしなければ、わたしが溶けて、消えてしまうから。
私は、私が大好きだ。
◎◎◎◎
「――ロープ、ランタン、ピック、火薬、後は……」
「仮面か覆面、投石具。そんな物だろう。」
部屋に淡々と響く二人の声。
今回の依頼に必要となる道具を確認しながら、オルレニアは羊皮紙に羽根ペンを走らせて行く。
その様子を隣で覗き込みながら、ルフィアは口を開いた。
「投石具?」
「灯りの破壊に使う。弓や弩弓では荷物の邪魔になるのでな。」
「でも私、使ったことないですよ?」
「我が使う。」
相変わらず質問の絶えないルフィアに逐一答えながら、オルレニアは羊皮紙を丸めてマントの内側に入れる。
「少々早いが、店は既に開いているのか?」
「はい。商魂逞しい人ですから。」
まだ朝日が地平線先に見える程度の時間だが、ルフィアの知る雑貨屋は、ほとんど休みなしに働いている。
商魂逞しいのは良いのだが、そこそこの頻度で体調を崩すのだけは勘弁してほしいというのが本音であった。
宿を出て、ルフィアは寒さに身体を強張らせながら、目的地へと歩き始める。
「そういえば、オルレニアさんは昔にも似たような依頼を?」
「大した経験は無い。かつての評価では、狼が羊の振りをしている様だと言われている。」
「オルレニアさんみたいな羊がいたら狼も近寄らないと思います。絶対。」
端的に言うならば、不得手という事だ。
率直な返答をしながら、オルレニア頼りではいけないという事にルフィアは気を引き締める。
そんなルフィアを横目で見下ろしながら、オルレニアはどこか抜けているこの少女に不安を覚えざるを得ない。
そうこうしているうちに雑貨屋の前まで辿り着き、ルフィアは派手な緑色の扉を開けて、中から洩れ出す温もりに息を漏らした。
「此処か。」
その後ろを続いて現れたオルレニアはそう呟くと、店の中を照らす光に目を細めた。
その光の元は、店の所々に配置された蝋燭の炎だ。
すぐに尽き、その上高価な蝋燭を光源に使用するというのは、普通の商人であれば絶対に行わない行為だが。
「これも、客引きの為という訳か。」
とそう言って、オルレニアはおもむろに隣に置かれていたランタンを手に取った。
「存外に、質は良いのだな。」
「……ヴァロータは色んな商品が流れますから、上手くそれを捕まえてるんです。」
「それも簡単な事では有るまい。店主は中々優れた人物の様であるな。」
実際、街に流れてくる商品の大抵は先約があり、質の良い物を手に入れるのは至難の技だ。
そしてそれを手に入れ、数を売ってるとなれば優れた商人と認識するのも間違いでは無いだろう。
ルフィアからすれば、とてもそうは思えないのだが。
「――いらっしゃいませ。どうです?うちは良い物ばかりでしょう。」
ふと、商品を物色していた二人の背後から声が掛かり、ルフィアが顔を顰めた。
振り返ったそこに立っていたのは、灰色の髪を短く刈り上げ、貼り付けたような笑顔でオルレニアを見上げる男だった。
「貴様がこの店の主人か。」
「ええ、はい。私がこの店の店主、ユーリ=フラトコフと申します。」
「オルレニア=ヴィエナだ。」
ユーリの差し出した手を取り、普段と変わらぬ仏頂面で名乗るオルレニア。
すると一瞬ユーリは驚いたような顔になり、すぐに元の笑顔へ戻る。
「如何した?」
「ええ、いえ。握手に応じながらそんな顔をする人はあまり見ない物でして。」
「ふん。……普通は、笑顔で握手に応じるか。それとも応じぬかの二択という訳であるな。」
「おお、その通りでございます。オルレニア様は中々鋭い御方の様で。」
オルレニアが出した答えに、今度ははっきりと驚愕の表情になり、ユーリは目を伏せて頷いた。
そしてルフィアへと顔を向けて笑う。
「やあルフィア。元気そうで何よりだ。」
「今、あなたを見たせいで気分が悪くなりましたけど。」
「なるほど、気分が悪いのならうちの薬品をどうぞ。」
「……」
「分かってる。ほんの冗談だよ。」
明らかに拒絶されている事を気にする様子もなく、ユーリはルフィアに近付いて手を差し出し、その手を叩かれて諦めた。
それからすぐにオルレニアへ向くと、再び笑顔を貼り付ける。
「……さて、本日はどのような趣きでしょう?違法品以外なら欲しい物はほとんど有るはずです。」
「ああ。これに書かれている物を銀貨五枚以内で、最良質の物を頼む。」
「はい、はい。受け賜わりました。では、少々お待ち下さい。」
ユーリはメモを受け取り、何度も頷くとそそくさと店の奥へ消えていく。
そしてオルレニアはその背中を胡散臭く、ルフィアは顰めっ面で見送るのであった。
◎◎◎◎
道具一式が揃い、それらを宿に置いた後、ルフィアはオルレニアと別れ、下見の目的でノーグ商会の前に来ていた。
雪が舞う中、荘厳に佇む商会の建物は、惜しむことなく光源を灯し、途絶える事のない来客をもてなしている。
そして客以外の何者をも敷地に踏み込ませない為に雇われた傭兵達が、その視線を張り巡らせていた。
外観だけでも侵入出来る気がしない、というのが依頼を受けた時からルフィアが抱く思いであったが、意識してみるとより一層その感が増すのであるから、まさに難攻不落に思える。
「とりあえず、内部の情報が欲しいんだけど……」
客でもないルフィアが敷地に踏み込むことが出来る訳もなく、立ち往生して十数分。
そろそろ見張りに警告されるかもしれないと動こうとしたルフィアに声が掛かった。
「そこの娘。此の商会に用があるのか?」
「……?」
黒。
ルフィアが最初に声の主である少女に対して思ったのはその一言であった。
恐らく年齢は14、5程度。身長はルフィアより少し小さく、黒いフードとマントに身を包み、緑の目が蛇のように鋭い威圧感を放っている。
しかしその緑の目以外は完全に漆黒。
雪の中に立つその姿は、そんな違和感の塊であった。
「用があるのか、と聞いているのだが?」
「え、あ、あります。」
「そうか。ならば、付いて来るがよい。」
あからさまに動揺するルフィアに眼を細めつつ、少女はそう言って門の方向へ歩き出す。
この少女が何者なのかと首を傾げる思いのまま、ルフィアはその背後を追い、そして少女が見張りと少し言葉を交わしただけで通されたのを見て目を丸くした。
そしてルフィアも見張りに声を掛けられることなく中に進み、少女は迷いなく歩いて行く。
外観からは解らない内部構造の複雑さや、見回りの多さに驚きながら、ルフィアはその中を悠々と歩く少女に疑問を投げかける。
「あ、あの。」
「……
「あなたは、何者なんですか?」
少女は振り向かず、数拍置いてから応えた。
「今の我は、客人であり、案内人だ。其れ以上の情報は必要か?」
「ぅ、いえ。大丈夫、です。」
やはり失礼だったのか。少女の少しキツめの声音を聞き、歯切れ悪く答える。
近頃のオルレニアへの問いはほとんど答えられていた為、ルフィアはそれに慣れてしまっている自分を心の中で諌めた。
そして、すぅ、と息を吸って吐き出すと、心持ちを駆け出し傭兵から、一人の傭兵、剣士としての物へと入れ替える。
そうして暫くの間、二人はただ無言で歩き続け、足音だけが廊下に響く。
しかし、ある程度の実力を持つ者なら分かるであろうその空気の違い。
少女が僅かに放つ殺気を捉えたルフィアが、異常な程の集中力で周囲を警戒しているのだ。
精神力が磨り減る行為だが、自分がここに侵入する依頼を受けている人物である以上、殺気を放つ人物は警戒するに越した事はない。
「ほう。」
するとふと、少女が立ち止まり、殺気を収めて息を洩らした。
「我が殺気に気付き、それでいて下手に手を出さず、自然な様子で警戒を張り巡らせる。……存外に面白いではないか。」
「なんの、話ですか?」
「貴様の話に決まっているだろう?」
少女は狂気を感じさせる、口角を無理やり吊り上げた様な笑みを浮かべ、とぼけようとしたルフィアに即答した。
じわりと背中に嫌な汗が浮かび、ルフィアは顔に出さないように少女の実力を予想。そして苦々しく目を細める。
「そう警戒せんでも良い。少なくともこの場で我が牙を向ける事は無い。」
「……商会の建物を壊す訳には、いきませんからね。」
あくまでも、内心を表情には映さない。
だが恐らくはその内心まで見透かされていること。この少女が自分に対して友好的で無いことは解っていた。
◎◎◎◎
「此処だ。入るぞ。」
少女は一応ルフィアに確認を取りながらも、既にノックをしてドアノブに手を掛けていた。
中からの返答が来るより早く、少女はさっさと扉を開け、入って行く。
その背後を追って、少しだけ及び腰でルフィアも部屋に入った。
その中は、ルフィアが想像していた豪奢な部屋とは違い、実に質素で、薄暗く。
その中央辺りで椅子に座ってこちらを眺める男も、凡そ想定していた姿とは違っていた。
「あなたは……」
商の尖兵と呼ばれ、常にその商才を余すことなく使って利益の起こる地に移動を続ける人物。
しかしそれでいて、個人的な情報はほとんど知られておらず、謎が多い人物。
それが、ノーグ商会の牙。
ロンバウト=アレクセンという男だ。
当然、そんな大層な肩書きを持つのだから、身なりはしっかりとしている。
だがルフィアの目前にいるロンバウトのその姿は、違和のある物だった。
「……すまない御客人。驚かせてしまったかね?」
男とも女とも取れる中性的な声。
そしてその声を上げる主は、右半分が女性、左半分が男性というルフィアの想像を超えた、最早空想に出てくるかの様な奇妙な姿をしていた。
「私の姿については一先ず置いておくとして、――片方は解っているが――君たちの用を聞かせてくれるかな?こう見えて、多忙な身でね。」
そう言うとロンバウトは、左右の顔を歪めて薄く笑った。
まるでルフィアの存在を視る様に。
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