第6話

ケビンの顔に柔和な笑みが戻る。だがルフィアの表情は緊張に強張り、背中にはジワリと冷や汗が浮かんでいた。


傭兵団の通商ルートを潰すという事は、その傭兵団とその後援者を敵に回すという事である。

もしもそんな話を詳細まで知ってしまった場合、断れば目の前にいる、この貴族を敵に回す事になるだろう。


危険を考慮するならば、この場で断るしかない。



「ふむ。…報酬は?」


思案を巡らせるルフィアに対し、微笑してオルレニアはそう言った。

相手に詳細を話す暇を与えない為にだ。


ルフィアの様子を見て口を開こうとしたケビンは、一瞬目を細めてから顔をオルレニアに向けた。


「仕事の危険性等々から考えて、前金に銀貨10枚。成功報酬として、銀貨120枚程でどうだい?」

「そこから道具、食料、その他の費用を差し引いて、凡そ銀貨100枚と言った所か?一人50枚では、命を賭けた割に合わんな。」

「……これは、いやぁ。手厳しい。」


報酬の額を聞き、眉一つ動かさずにオルレニアが言い放つと、ケビンは苦笑して頬を掻いた。


「では、銀貨140枚で如何かな?」

「依頼の達成状況による上乗せはあるのか。」

「一応、考えておくよ。」

「ならば我は構わぬ。」


オルレニアが口を閉じた所で、ケビンの視線がルフィアに向いた。

この条件で良いか、と言いたいのだろう。


「私も構いません。」


そう言ってから、ルフィアは先ほどのオルレニアを思い出し、トンと指先でテーブルを叩いた。


「依頼の内容次第では、もう少し要求するかも知れませんが。」


小さく笑うと、先に報酬の吊り上げに関する了承を得る為に言葉を付け加える。

するとケビンは顔から笑顔を消し、油断なく二人を眺めた後に、頷いた。


「ああ……構わないよ。ただ、それに見合う働きを期待させて貰うけどね。」

「その働きも含めて、依頼の内容次第だな。」


オルレニアの言葉にケビンは小さく肩を竦めると、一枚の小さな羊皮紙を取り出し、テーブルに広げた。


「さて、オルレニアさんから聞いたが、二人とも字は読めるそうだね。」

「うむ。」

「北の物なら。」

「充分だ。大体の依頼内容はここに書いてある。……苦い酒は、あまり好まれないからね。」


口にするのが憚られる内容という事。

苦笑するケビンは、ちらと周囲の客を見回したが、大抵の者は他人の依頼など気にしない。


再び少し緊張したルフィアは羊皮紙を手に取り、そこに書かれた文に目を通した。


『ノーグ商会、ヴァロータ支店支店長の殺害、人身取引の証拠の入手、及び証拠の送達。』


実に解りやすい内容だ。殺害と、回収。


ノーグ商会はこの街で二番目に大きな商会だが、禁止されている人身売買に手を出した事が露見すれば、この街から去らざるを得ないだろう。

それはこの街で儲けを狙う他の商会にとって、かなりの好機となる。


だが、それ故にノーグ商会の警備は固く、支店長の殺害どころか侵入さえ難しい。


更に正確な所在が不明な、証拠の回収。


控えめに言っても死と隣り合わせ。普通に考えるならば、暗い道への第一歩になるだろう。


「期限は一週間以内。どうだい。受けてくれるかな?」


オルレニアが読み終えるのを待ち、ケビンが言う。

その言い方は問いかける形だが、当然断る事は出来ない。


「私は、受けましょう。」


ルフィアがそう言うと、ケビンは僅かに頬を緩めたように見えた。

そしてオルレニアが暫くの間を置いて頷くと、明らかに肩の力を抜き、息を洩らした。


「じゃあ、一応証明書に署名を。後は君たちのいる宿を教えてくれるかな。」

「日と影の狐亭だ。」

「わかった。……それじゃあ、健闘を祈っているよ。」


最後にもう一度にこやかに笑うと、ケビンはルフィアと握手したのであった。




◎◎◎◎



「オルレニアさん。さっきの、ケビンさんは何であんなに緊張してたんですか?」


露店で購入した焼きたてのパンに齧りつきながら、ルフィアは疑問を口にする。

最初から最後まで緊張していた自分にはそんなことを考えている余裕が無かったからだ。


するとオルレニアは軽く顎に手を添えて、言った。


「殺される事を警戒していたのだろうな。あの者、周囲に護衛も付けていた。」

「殺されること?護衛なんて、いたんですか?」

「うむ。……依頼人に殺される事を警戒した傭兵が、依頼を断る為に逆に依頼人を殺す。といった状況を警戒していたのだろう。」

「あ、なるほど。」


オルレニアの容姿を見て、妙な説得力を覚えて頷くと、ルフィアはふと空を見た。


「どうした。」

「いえ、雪が降りそうだなぁ、って。」


暗雲が風に流され、少しずつ街へと迫るのを見上げながら答える。

このまま雲がこちらに来たならば、半日後には雪が降り始める筈だ。

そうなれば動くのが億劫になるだろうなと考えたルフィアは、顔を渋くした。


「雪が降る前に一通り必要な物は買うべきだな。寒いのは苦手であろう?」

「出来れば依頼遂行の間にも降って欲しくないんですけど。」

「そうか?我は、降る事を望むがな。」


その方が何かと行動しやすいのだ。と疑問を先取りしてオルレニアは言う。


大雪になると、視界が遮られる上に人々の往々が少なくなる。

そうなれば人の目を気にする必要が無くなり、行動しやすくなるという事だ。


「むぐ……ところで、前金はいつ払われるんですか?」


先ほどの話で、ケビンはその事を話していなかった。

パンに齧りつきながらふと思った疑問をそのまま口に出すと、オルレニアは困惑したように額に皺を寄せる。


「何故、あの男が我々のいる宿の名を聞いたか解るか?」

「えっと…あ、解りました。」

「曲がりなりにも貴族だ。使いの者くらいは居るであろうからな。」


貴族からの依頼など受けた事のないルフィアには解らなかったが、流石と言うべきか、オルレニアは当然だとばかりに言った。


「して、ルフィアよ。」

「はい?」

「食物を口にしながら話すな。」

「…?わかり、ました。」


礼儀作法という意味では理解できなかったが、その行為が汚いという事を理解したルフィアはコクリと頷き、暫く無言でパンを食べ続けるのであった。




◎◎◎◎




冒険者ギルドという団体がある。


とある国を後援に持ち、遺跡などの探索を行う事を主目的としたギルドだ。

近年では遺跡を探す者は減少し、何でも屋に近しい存在だが、それでもその存在は多くの民に重宝されている。


そしてヴァロータにも、当然その支部は存在する。


多くの大商会が店を構えるこの街において、扱いやすい冒険者は他の街よりも重宝される為、ヴァロータの冒険者ギルドは良い雇い主を求める実力者達が集まっていた。


そしてそんな強者の集う冒険者ギルドの隅に、一人の少女が立っていた。


黒髪に緑の瞳。小柄だが包まれるような、どこか人らしからぬ雰囲気を纏う少女に声を掛けようとする者はいない。


「よう。」


そんな、明らかにこの場の雰囲気にそぐわぬ少女に一人の男が近付いた。

少女はちらと視線だけを男に向けて、口を開く。


「何用か。」


その声は静寂を彷彿とさせ、他の音を掻き分けて男の耳へと届けられる。

しかしそれで居て、思わず息を呑んでしまう程の威圧感。


男は一見平静を装いながら、その問いに応えた。


「ノーグ商会の支部長が、最近黒い羽根を見たらしい。」

「……ほう?どのような羽根だ?」

「金貨を十枚積まれても手にしたくない程、汚い羽根との事だ。見たのは一週間前、その羽根を見つけたら捨てて置いて欲しいとも言っていたな。」


一見すると――少し違和感があるが――ただの世話話である。

実際怪しいと思っていても、騒々しいギルドの中ではその全てを聞き取るのは難しく、更に正確な意味は解らない。


だがこの二人はその内容を正確に把握していた。


「……案外支部長の近くにあるやもしれぬ。我はそこを探してみるか。」

「報酬を頂くチャンスってか?」

「あわよくば。臨時収入は欲しいだろう?」


くつくつと嗤う少女の声に悪寒を走らせた男は、「じゃあな。」と手を振るとそそくさとその場を立ち去った。


少女は男の後ろ姿に視線だけを向けながら、呟く。


「此度の獲物は、美味か不味か。……楽しんで待つとしよう。」


その顔には、先ほどまでの無表情を歪ませ、狂気を感じるほどの笑顔が浮かんでいた。




◎◎◎◎




太陽が休眠に入り。空に闇の幕が引かれ、人は必死に幕に穴を開けながら、人の居所を作る。


そんな街の夜。


ぼう、と揺れる火の下で、白髪の少女は銀色に光る剣を持って風を斬っていた。


まるでそこに敵が居るかのような緊張感が張り詰め、振るわれる一閃。

洗練された太刀筋が架空の敵の剣と交差、しかし鍔迫り合いになる事は無く、刃はスルリと敵の腕に吸い込まれ、その腕を断つ。


それで終わらず、再び隙を見せぬ横薙ぎの一閃が架空の敵の胴を斬り裂き、戦いが終わった。


「ふぅ……」


白髪の少女、ルフィアは剣を納めると、額の汗を拭った。

口の形になった宿の真ん中には広場があり、そこは冒険者や傭兵の鍛錬によく使われている。


朝は人が多く場所を取れないが、皮膚を貫く寒さの夜に剣を振るう者は少ない。

だからこそルフィアはこの時間を余さず鍛錬に注ぎ込んでいた。


(速かったな……)


ルフィアが思い出すのはオルレニアの剣撃。


刺客を殲滅した時の、オルレニアの剣閃だ。


比べるのもおこがましいと思う程の実力差を感じながらも、ルフィアはその剣閃に憧れを抱いていた。


今まで見てきた剣閃を遥かに上回る、恐らく近接すると知覚する事すら不可能な速度の剣撃。


それに至るにはどうすれば良いのか。


答えへの糸口を見つける為、ルフィアは夢中で再び剣を振るう。

雑念が混じるが、それを一振りごとに削ぎ落とし、少しずつ、心を研ぎ澄ます。


そして数十分の素振りの最後。


恐らく現状出せる最高速で振るわれた剣は、ルフィアが立てていた薪を切断し、止まった。


「今日は、ここまで。」


後頭部で纏めていた髪を解くと、ルフィアは誰に言うでもなく呟いて、剣を納めた。


結局最後の一振りでもオルレニアの斬撃の片鱗に触れる事すら叶わなかった。


その事実が自分の伸び代を示しているようで、ルフィアはほんの少しだけ楽しそうに、宿の中へと戻っていくのであった。





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