「交易都市ヴァロータ」編
第5話
交易都市ヴァロータにて売買が禁止されている物品は主に三つ。
まず、麻薬。次に、宗教品。そして、人間だ。
まずの麻薬は当然として、北と南を繋ぐこの街は争いの火種とされる宗教の違いを認めない。
街の中では全員が無宗教徒として扱われ、もしも信教による争いが起きた場合、良くて投獄、悪くて死罪とされる。
そして最後の人間は、それが例え奴隷であろうと禁輸品である。
北と南、双方に於いて好事家は相手側の人間を求める事が多いのだが、人身売買を行った場合、さらに上質な商品を得る為に住民が攫われるといった事件が多発する。
それを抑制する為に娼館はあれど、人身売買は許可されていないのである。
◎◎◎◎
宿を取ると、すぐにオルレニアは商会にて所持金の両替に向かった。
曰く、両替ついでに仕事を探すとの事である。
ルフィアもその後を追おうかと考えたが、そうする必要性を感じられなかった為、仕事を探す為に街を歩いていた。
「よぉ。嬢ちゃん。」
「…こんにちはゲルダンさん。」
その結果。行き着いた酒場にて蜂蜜酒をチビチビと呑み、相も変わらずため息を吐いていた。
隣に座ったゲルダンが声を掛けてくるが、自分の不甲斐なさに悲壮感ある声が洩れる。
「ここ数日見ねえなと思ってたが、さてはお前、また報酬を払われないまま逃げられたのか?」
「または余計です。…事実ですけど。」
魔獣に襲われて依頼人が死亡し、思えば前金分しかルフィアは払われていない。
死体から取っていけば良かったと一瞬考えたが、頭を振って却下する。
「ゲルダンさんは?」
どうせ同類だろうと口を尖らせながら言う。
だがしかし、卑しいとも取れそうな笑みを浮かべてゲルダンはルフィアを見下ろした。
「一応仕事をこなしてな。今は懐に余裕があるのさ。」
流石と言うべきなのか。齢30を越えても未だ個人で傭兵をやっているだけの事はある。
信用以前に、ゲルダンは中々口が上手いのだ。
余裕の笑みを浮かべたゲルダンを、睨みつけるルフィア。
「で。どんな仕事だったんだ?」
恐らくこの男が未だに大した傭兵でない理由の一つは、詮索し過ぎているからでは無いだろうか。
そんな事を思いながら、ルフィアは欠伸した。
「ん……アレですよ。魔獣の話。」
「魔獣、…魔獣だと?」
「はい。」
繰り返し呟き、ゲルダンは眉を顰め、ルフィアが目をこするのを見て笑う。
「お前よお。俺を騙すにしても、もう少しマシな嘘はねえのか?」
「私も嘘でありたいと、よく思います。」
目を細めて、出来るだけ思い出さないように淡々と言う。
そうしなければ、魔獣と相対した時の恐怖が蘇りそうだったからだ。
ゲルダンは真偽の程が怪しい少女の発言に、ただ苦笑し、顎に手を当てる。
「まあ…証人でもいりゃ話は違うんだがなあ。」
「なんで世話話に証人が必要になるんですか…」
「そりゃあその話が本当で、お前が生きてるってことが解れば、魔獣は大した脅威じゃなくなる訳だから――」
「っ馬鹿言わないで下さい!!」
理性よりも先に本能が魔獣と出会った時の恐怖を思い出し、意思に反して大声が上がった。
酒場の喧騒から、ちらほらとルフィア達に気を向ける声が聞こえ、ルフィアは顔を隠すように俯く。
「ふざけないで下さい。あなたはそうやって適当な情報を流して、一体何人殺す気ですか。」
「お、落ち着けルフィア。俺が悪かった。」
でもよ。とルフィアに本気で睨まれたゲルダンは引き攣った笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「魔獣がお前の言うような危険な奴なら、なんで依頼人は死んで、お前は生きてるんだよ。」
「それは。…助けられたんです。」
「助けられた?傭兵団にでもか?」
「いえ、ええと……」
一瞬口籠り、考える。
果たして、オルレニアの事を口にして良いのか。
かつて冷王と呼ばれたオルレニアの情報が適当な噂で広まれば、もしやすればその名を知る者がオルレニアを警戒し、排除しようとするかもしれない。
そして、もしそうなれば、自分も殺されるだろう。
そこまで考えて、自分の身の心配が浮かぶことにルフィアは自嘲の笑みを浮かべた。
「此処に居たか、ルフィア。」
ふと背後から声が掛かり、振り返る。
そこには普段通り眉間に皺を寄せ、怒っているようにすら見える顔をしたオルレニアが立っていた。
その気迫に驚いたのか、隣でゲルダンが少しだけ後ずさって居るのが解る。
「探したぞ。」
「えっ、あ、すみません!」
普段から一人で行動するルフィアは、メモを置いて置く事すらしていなかった。
自分の失態に気付き、ルフィアは急いで頭をさげる。
「構わん。行くぞ。」
「わ、わかりました!」
酒場から出て行こうとするオルレニアを追いかけようと立ち上がったルフィアは、ゲルダンに肩を掴まれて何だと非難の目を向ける。
見るとゲルダンは至極真面目な顔で、口を開いた。
「ルフィアよお。流石にあの男はやめとけ。趣味が悪りぃぞ――がっ…ぉ…」
「そう言うのじゃ、無いですから。」
股間に高速で蹴りを入れられ、ゲルダンは悶絶しながら倒れ込む。
ルフィアは口を尖らせながら、馬鹿な男に言葉を吐き捨てるのだった。
◎◎◎◎
「仕事の約束を取り付けた。少々厄介かも知れぬが、良いか?」
オルレニアが宿を出て、三時間程度。
この短時間で、それも見知らぬ街の見知らぬ相手に仕事の約束を取り付ける為には即決即断という方法しか無かったのだろう。
確認を取るオルレニアに、ルフィアは微笑して頷いた。
「そうか。」
ルフィアの反応にオルレニアも微笑すると、だがすぐに顔を渋くする。
「……ルフィアよ。」
「はい?」
「先程の会話だが、主導権を奪われていた。気を付けるが良い。」
有難い忠告であったが、同時にルフィアは聞かれていたのかと面映ゆい気分になる。
恐らく声をかけて来たのも、タイミングを計っていたのだろう。
一人では気づかないミスであり、それは日常的な会話の中からの問題である。
改めてルフィアは、自分の危うさを理解した。
「交渉をする時に相手のペースに呑まれた場合、低賃金に不相応な仕事を要求される。契約書も併せてな。」
「う…」
グサリと、ルフィアの心にオルレニアの言葉が突き刺さる。
仕事が見つからなくて彷徨っていたルフィアの最終手段である。
餓死するよりはマシ。そう考えて行う程度ではあったが、それでも軽く後悔するほど割に合わない仕事ではあった。
「……日が暮れてから、二回目の鐘が鳴る頃に貴様が先ほどいた酒場で詳細の話をするそうだ。」
「あ、はい。分かりました。えっと、それまでどうするんですか?」
少しの静寂が続き、オルレニアが話題転換するように口を開き、ルフィアもそれに便乗した。
「この街は職人達が多く集っていると聞く。そこを少々覗くつもりだ。」
「職人区画ですか!良いと思います!」
ルフィアの愛剣である細身の剣も、ここの職人が作った物である。
まるで自分の事の様に笑うルフィアを見下ろしながら、オルレニアは微笑した。
そしてふと、立ち止まる。
「オルレニアさん?」
「…ルフィアよ。人気の少ない所へ案内してくれ。」
「…?わかり、ました。」
唐突な発言に、首をかしげながらも蜘蛛の巣状になった街を軽やかな足取りで歩く。
右へ、左へ、まるで迷路の様な道を一切迷う事なく進んで行くルフィアは、その途中で僅かな殺気を感じ、オルレニアの意図を汲んだ。
軽やかだった足取りが真面目な物に変わり、次第に歩く速度が速くなる。
背後から感じる殺気はそんなルフィアを追い立てるように少しずつ迫っていた。
そして、街の隅、更地にポツンと建った寂れた小屋の前でルフィアは足を止める。
「此処には人は来ないのか?」
「はい。――っ!?」
問われ、振り返って頷いたルフィアは、視界に映った銀閃に目を見開いた。
キン、という金属音と共に地面にナイフが刺さり、オルレニアの振るった剣がそれを弾いたのだと理解する。
「刺客だ。来るぞ。」
「刺客って…どういう事ですか…!?」
「依頼関係であろう。」
オルレニアが体制を戻す間に、七人の盗賊風の人間が現れた。
ルフィアも愛剣を抜き払い、防具を付け忘れた事を後悔する。
「何者ですか、貴方達は!」
「応える義務はない。」
声を張り上げ、威嚇と共に問う。
すると盗賊風の男の一人が答え、それを合図に七人の男達は身を低くして走り始めたのだった。
銀閃が走る。
男の一人が剣を振るい、オルレニアに攻撃を仕掛けたのだ。
オルレニアは剣を抜いたのみで、構えをとって居なかった。
ガラ空きの脇腹や、喉。
男はニヤリと笑って剣撃を喉元に放った。
しかし、違和感。
力が入らない、と気付き、腕が飛んだと気付くのは数瞬遅れて。
自分の視界がやけに高いのが、首が飛んだという事に気付くのがその後。
「っ…」
速い。とルフィアは瞬きをする。
男も相当の手練れの様で、変則的な動きからの刺突は美しくすらあった。
しかしオルレニアは刺突が放たれる直前に右腰に付けた剣を左手で抜刀して男の腕を飛ばし、流れる様な動作で右手に持ったもう一本の剣を振るい、首を飛ばしたのだ。
「チッ…」
だがそれを見て
舌打ちが背後から聞こえ、ルフィアは剣を抜いた。視界が背後に向くのと、男が突撃するのは同じ。
男が放った心臓への一撃を、ルフィアは咄嗟に左半身を逸らして回避、相手が地面を蹴って後退するのと同時に大きく踏み出し、その左腕を浅く切り裂く。
すると男は変則的なステップを踏み、ルフィアが剣を持たない左側面から突撃した。
「ッ!!」
一瞬男を見失ったが、それでもルフィアの見切りは早かった。
軽く左足で地面を蹴って後退すると、ルフィアは上半身を大きく逸らして男の攻撃を躱し、今度は男の足の健を切り裂くと、そのまま転倒した男の心臓に剣を突き刺した。
「ふぅ…っ!!」
想像よりギリギリだ。冷や汗が頬を伝うのを感じながら、ルフィアはチラとオルレニアに目をやる。
すると、そこは三人の男が圧倒されている状態だった。
オルレニアの剣が見えないのだ。
僅かな予備動作から振るわれる剣は、視認する事すら叶わずに男たちの腕を奪い、首を取る。
男達はいとも容易く命を刈り取られ、残った二人はオルレニアから放たれる威圧感にたじろぎ、逃げ出した。
「"落とせ"」
だが徐に掌を男に向けたオルレニアがそう声を上げると、まるで何かに踏まれた様に男達は地面に倒れた。
「今のは…あの時の?」
魔獣に襲われた時、傷を癒した力と似た雰囲気を感じ、ルフィアは眉を顰めた。
「む……死んでいる、か。」
「殺したんですか?」
「否。恐らく自害用の毒であろう。」
死体の口を開き、中に黒色の液体が付着しているのを確認する。
情報漏洩を防ぐ為に死を選ぶ。一流の暗殺者だとルフィアは敬意にも似た感情を抱いた。
それと同時にオルレニアが引き受けた依頼が、これ程の暗殺者を刺客に送り込まれるほどの物なのだと知り、ゴクリと唾を吞む。
「中々厄介な仕事に巡り合った様だ。ルフィア、気を抜いてはならんぞ。」
「っはい。」
それからピリピリとした雰囲気のまま二人は職人区画に行き、すぐに展示物に目を奪われたルフィアをため息を吐きながらオルレニアは見守るのであった。
◎◎◎◎
「いやぁ、お待たせしました。」
「問題無い。」
日が暮れ、街に鐘が鳴り響く頃。
ルフィアがよく訪れる酒場『針無き木の家』の隅のテーブルには、ルフィアとオルレニアと、依頼人の三人が座っていた。
依頼人は茶髪の若い男。身なりを見る限り裕福では無さそうだが、顔に
「一応確認させて貰うけれど、彼女がルフィアさん?」
「そうだ。」
「別嬪さんだね。羨ましいよ。」
笑みを崩さない程度に表情を緩め、依頼人の男は本当に羨ましそうにオルレニアにそう言った。
別嬪と言われた当の本人は目を丸くしていたが、オルレニアは表情をピクリとも動かさない。
「さて、とりあえず僕の自己紹介をさせて戴こう。」
そう言って、男は視線を二人の間に向けた。
「僕の名前はケビン=カルデロン。一応、男爵という立場だが、貴族だ。」
「ほう。」
「…!?」
貴族。最後の一言にオルレニアが関心したように頷き、ルフィアが驚きに顔を歪める。
その反応を――特にルフィアの反応にくすりと笑ったケビンは、軽く咳払いをすると、笑みを消し、口を開いた。
「さて、依頼の話をしよう。」
いくらルフィアでも、依頼の話となれば感情を抑えて真剣な顔付きになる。
ましてや、貴族からの依頼など、笑って受けられるものでは無かった。
ケビンは声を小さく、呟くように言った。
「君達には、ある傭兵団の通商ルートを潰して貰いたい。」
そしてそれを聞いたルフィアは、僅かに顔を引きつらせたのであった。
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