第4話



「これは片付けなくて良いんですか?」

「ああ。放って置くが良い。」


木の幹に突き刺さる短剣を指差し、振り返ってオルレニアに問う。

それは小屋までの道を示す道標であり、ルフィアが小屋を見つける事の助けになった物であった。


「あの小屋が朽ちることは無い。旅人の救いにでもなるだろう。」

「朽ちない?」

「少し工夫がされている。」

「そう、ですか…?」


オルレニアが時折言う不可思議な事は、歴戦の傭兵ならば理解出来る物なのだろうか。

ルフィアは頷き、首を傾げながら剣の柄を指先で撫でる。


「所で、本当に良いんですか?思い立ったが吉日とは言いますけど…」


オルレニアがルフィアと共に行くと言った翌日。晴天となったこの日に、必要最低限の準備を持って二人は旅立とうとしていた。

曰く、以前から既に準備をしており、小屋にはほとんど荷物を置いていなかったらしい。


「構わん。行くぞ。」


その声音に特に何も感じられなかったルフィアは、小さく頷いて雪の森へと踏み出した。


静かな、とても静かな森では遠吠えが響き、吹き抜ける風が唸り声を上げる。

死に直面し、その一端を垣間見た時とは違う。明るく、美しい銀絨毯の森は、こうして二人の旅の始まりの地となったのである。



◎◎◎◎



昼過ぎになって、ルフィアが休憩を提案した。


歩き始めて数時間までは余裕があったが、途中で疲れが見え始め、太陽が真上に昇る頃には半分意固地になって歩き続けていたが、ついに音を上げたという事である。


「っはぁ……オルレニアさんは、平気なんですか…?」

「昔、戦いの最中雪崩に荷物を奪われ、食料も何も無しに数日間歩き続けた事がある。この程度、大した事では無い。」


雪道では靴が沈み、足を取られやすい。

更に、靴代を安く済ませる為に布と木を雑に結んだサンダルを使っているルフィアは、歩く度に靴底の硬さに痛みを覚えていた。



「それよりもルフィアよ。貴様の靴を寄越せ。」


ふと、オルレニアが背負っていた鞄を下ろし、そう言った。


「えっと、裸足で歩けと…いう事ですか?」


オルレニアの顔が渋くなる。

お前は何を言っているんだ と言いたげな顔だ。


何か見当外れな事を言ったのだと気付き、慌てるルフィアに、オルレニアはため息と共に自らの荷物から靴を取り出した。


「違う。貴様の靴ではこの先を進むについて効率が悪いのだ。我の予備の靴を履くが良い。」

「そ、そういう事ですか。ありがとうございます。」


そそくさとオルレニアが差し出した革靴を受け取り、履き替える。

少しサイズが合わずぶかぶかではあったが、明らかなる感触の違いにルフィアは目を細めて笑った。


「どうした。」

「いえ、革靴なんて高級品を私が履いてるんだなって思って。」

「作ろうと思えば作れる。貴様も時間があれば試して見るが良い。」


この世界において、革靴を履けるのは貴族だと相場が決まっている。

ならば自分で作ってしまおうと思えるのは、長らく一人でいたオルレニアだからこそだろう。


少なくともルフィアに真似出来る芸当では無い。


「オルレニアさんほど私は器用じゃ無いんです。その壊れかけのサンダルで精一杯ですから。」


自嘲するような言葉を吐き、改めて二組の靴を見比べ、肩を落とす。

慣れない靴紐を結び終え、ルフィアが顔を上げるとオルレニアは、明後日の方向へ目をやり、額に皺を湛えていた。


「…?」


ルフィアはその視線を追い、首を傾げた。


そこでは何両もの馬車が連結し、進んでいたのだ。

しかしその事自体は珍しい事ではない。旅団や隊商、傭兵団は大抵そうやって移動し、そこを拠点として過ごしている。


故に、オルレニアの険しい表情が理解出来なかったのだ。


「どうしたんですか?」

「む……ああ。気にするな。」


声を掛けられ、はっと我に帰ったようにオルレニアは表情を和らげる。

含みのある言い方ではあったが、気にするなと言われれば深く入れ込まないのがルフィアのやり方である。


「――。」


そうして歩き出したルフィアの背後で、オルレニアが呟いた言葉は風に消えたのであった。



◎◎◎◎



北の地で空が黒くなる頃には、川を氷にし、肌を貫く寒さが訪れる。

北は悪神の地、南は善神の地と呼ばれる所以は、大方この寒さが原因だろう。


そんな雪原の、仄かに光るテントで中で、冷たい空気が首筋をなぞり、ルフィアは毛布を手繰り寄せた。


「結構、冷えますね…」


ほぅ、と息を吐いて、ぽつりと呟く。


当然だが、夜が寒いことなど既によく理解している。問題は隣に座るオルレニアとの空気の悪さだった。


「ああ。」


帰って来た返答は一言。


生返事では無いが、だからどうした。と言わんばかりの適当な声音だ。

そして静寂が訪れ、ルフィアは再び寒さに身を震わせる。


「…明日は、どうするんですか?」

「街まで歩き、一先ひとまず仕事を探す。後は…我の持つ貨幣を現在の物に替えるとしよう。」

「貨幣って、いくら位ですか?」

「我が知る頃であれば金貨二十枚程だ。」


予想は出来ていたが、実にルフィアの四年分の生活費である。

そんな大金をどこに持っているのかと問おうとしたが、それではまるで泥棒の様なので、ルフィアは口を噤んだ。


その代わり、ポツリと本音が洩れる。


「良いな…」


それは少しの妬みと、憧れの混じった声音で。


するとオルレニアはルフィアの頭に手を置いて、小さく笑った。


「何を言っている。…これからは貴様にもこれくらいは稼げる様になって貰うぞ。」


今の自分と比べたルフィアの言葉に、未来を見るオルレニアの言葉。

こんな所でも経験の差という物が出るのだから、また少し悔しくなる。


だが少しだけ前が見えたルフィアは、不敵な笑みを浮かべた。


「わかりました。ちゃんと、ご教授お願いしますね?」

「元よりその積りである。」


なんとない話が、思ったよりも会話の始まりとなる。

ルフィアはそう、毛布を焚き火で焦がしかけながら思うのであった。



◎◎◎◎



交易都市ヴァロータворота。名前に交易という言葉が付くように、この都市は北と南を繋ぐ形で南の街道の果てに存在している。


南の物品が多く手に入るこの街には北の地に住む職人達が集まる為、武具の消耗が激しい傭兵が多く集まっている。

ゆえに都市内での面倒事を対処する為の警備隊、都市外からの襲撃を考慮して、高さ10m程の街壁を二重に設けており、一種の要塞とも言えるのがこの都市であった。


そして勿論の事、麻薬やその他禁輸物の検問も厳しく、門の前には毎日の様に馬車や旅人の行列が出来る。


その行列の中に、多すぎる荷物を背負った男と、卑しい事は無い筈なのに緊張で目を瞬かせる少女の二人組がいた。


「次!そこの二人組!」


六人ほどの鎧を着た兵士の中、兜に羽根飾りを付け男が声を張り上げ、明らかに怪しい二人組が兵士達の前に立つ。


「名は?」


まず、検問を終えた証明書を発行する為に名前を教える。


「オルレニア=ヴィエナである。」

「ルフィア=エリンツィナです。」


二人の名を聞いて、隊長らしき男の背後にいた兵士が木の板にインクを付けた羽根を走らせる。


「荷物の確認を行う。荷物を降ろして両手を上げろ。」


次に禁輸品の確認。捕まると分かっていてもコッソリと持ち入ろうとする者がいるからだ。


オルレニアの服を一連の動作で確認し、兵士はルフィアへと歩み寄る。


「…。」


正直に言ってルフィアはこの点検が嫌いだ。合法的にセクハラをされるのだから、一部を除いて大抵の女性は嫌なのだろうが。


しかしそんなルフィアの心情など御構い無しに兵士は服を叩いたり、撫でたりして確認を終える。


「よし。通れ。」


点検を終えた証明である木の板を受け取り、二人は一つ目の門を通過した。

そして、再び眼前に広がる壁へと歩き、その下の門で二回目の点検を終える。


こうして、長い時間を掛けてようやく街に入ると、げっそりとしたルフィアとは対極的に、オルレニアが愉しげに声を上げた。


「良い街だ。警備態勢が良く、街人たちが安心して暮らしていられる。」


それを聞いて、つい首をかしげてしまう。


ルフィアにとってはこれ位が普通では無いのかと意外に思う物だったが、多くの戦火に見舞われる街を見て来たオルレニアから見れば、ここはそう呟いてしまうほどの街だったのだろう。


だがそれ以上に、ルフィアは気になった事を口にする。


「オルレニアさんは、この街を知らないんですか?」


嘘でしょう?という表情。

それも当然だ。何故ならこの街は百年以上前には存在していたのだから。


だがルフィアはそこで思い出し、考えた。『人々から忘れ去られる程の時間』、それは一体何十年、何百年の時を経てそうなるのだろうか。と。


「知らぬ。…少なくとも、我の記憶でここにあったのは、プリマァンカприманкаと呼ばれる街だ。」


そしてオルレニアの返答を聞き、推測が当たった事を確信する。

プリマァンカ。北の大地の言葉で、囮という名の街。

その街は、かつて南の大地をも巻き込んで行われた正教と異教徒の大戦時代に、その名の通り囮の役目を担った街だ。


大戦が終わり。勝利を手にした教会は異教徒の街を埋めるようにその上に街を造った。

それが現在この場所にある、ヴァロータである。


そして大戦が終わったのが二百年ほど前。オルレニアの言葉が事実であるとするならば、彼は現在数百歳だということになる。


「…貴様は、感情を隠すのが下手だな。」


そんな驚きが顔に浮かんでいたのか、オルレニアがルフィアを横目で見下ろしながら言った。


「行くぞ。宿を探さねばならぬ。」

「あっ、はい!」


ルフィアが疑問を尋ねるより早く、オルレニアは歩き出し、一拍置いてルフィアはその後ろを追う。


本来街の事をよく知ったルフィアが先導すべきなのだが、やはり経験という物なのか。

オルレニアは街の地図すら見た事がない状態で、迷いなく足を運んで行くと、一つの宿に辿り着いた。


"日と影の狐亭"。たまにルフィアも利用する、駆け出しには少し高めの宿である。

食事がそれ程凄い事もなく、部屋の設備が良い訳でも無いが、広間に置かれた巨大な暖炉で宿全体を温めており、それは寒さが染みるこの地では誠に有り難い設備であった。


そこにオルレニアは自然な動作で扉を開き、入って行く。


すると宿の一階で食事を摂っていた傭兵や商人がチラリと視線を送り、息を呑んだ。

漆黒の髪に、漆黒の瞳。長身を黒いマントに包んだ男の、鋭く研磨されたナイフの様なその威圧感に。


「ちょっ…オルレニアさん、ここは安全ですから!」


と。その背後から焦った様子で現れた銀髪の少女を見て、一気に空気が緩む。

その少女が街では割と噂にされる、駆け出し傭兵のルフィアだったからだ。


「む……すまん。」


ルフィアの言葉に目を瞬かせて、静かに一言。


すぐに宿の客達は興味を失い、少しずつ喧騒が戻って来る。

しかし、ルフィアと共にいたオルレニアが何者かという疑心は、その場にいた者の心に小さく植えついたのであった。

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