初仕事

「コウマさん、朝ですよ! 起きてください!」

「んあ……」


 耳元で聞こえる、やたらと元気な声で目が覚める。

 何だか頭が重い。圧倒的睡眠不足だ。


「悪い、もう少し寝かせてくれ……」


 俺は反射的に答えて、もう一度瞳を閉じる。


「そんなこと言ってると遅刻しちゃいますよ! コ・ウ・マ・さ・ん!」

「あーもー、うるさいなぁ……」


 大声に加えて、体を大きく揺さぶられる。流石にこの状態では寝続けることも出来ない。

 俺は目を開けて、上体も起こした。


「やっとお目覚めですか、コウマさん」

「ふわぁ~……もうそんな時間なのか……って、まだ暗くねえ!?」


 窓にはカーテンがかかっているが、それでもその隙間から全く光が漏れてこないという状況はおかしい。どう考えてもまだ陽が昇っていない。

 咄嗟に外していた腕時計を取り寄せ、時間を確認する。

 まだミズガルズ時間に合わせてはいないが、経過時間ぐらいはわかるからな。

 昨日ベッドに入った時は日本時間で17時。そして今単身が示しているのは、8の数字だ。

 ……まさか15時間寝ていたという事も有るまい。という事は、俺は3時間しか寝ていないという事になる。


「いくらなんでも早起き過ぎやしないか?」

「荷積みの仕事は日が昇る前に始まりますから。

まあ、昨日はベッドに入るのが遅かったから、眠たい気持ちはわかりますけど。

 ですが、今日が初日です! 頑張っていきましょう!」


 ああ、このハイテンション。鬱陶しいなあ……。


「水は汲んでおきましたから、これで顔でも洗って下さい。あと、朝ご飯は出来てますから、身支度を整えたら来てくださいね!」

「ああ……」

「二度寝したら駄目ですよ」


 念を押すように言ってから、アテナは出て行った。

 しんどいが、起きるしかないか……。全くテンションの上がらない仕事だが、初日位は真面目に働いて見せねば。

 俺はのそのそとベッドから起き出して、アテナが置いて行った桶に入っている水で顔を洗う。


「はあ、少しさっぱりしたか」


 水に映る顔は少し髭が伸びていた。

 日本から剃刀やジェルは持ってきているが、流石に今は剃る時間も無いかな。

 そういや、この顔を洗った水ってどうするんだろ。……まあ、置いとこう。後でアテナが片づけるだろう。

 目が覚めたせいなのか、自分が結構腹が減っていることに気が付いた。

 昨日の晩も食事はとったのだが、世界が違うせいか俺達が貧乏なだけなのか、かなり質素な食事だった。そのせいでどうにも腹が減って仕方がない。

 俺は朝食を求めて、ダイニングルーム(と言えるほど立派でもないが)へと向かった。


「あ、コウマさん。改めまして、お早うございます」

「ああ、お早う。今朝のメニューは……」

「やだなあ。パンとスープに決まってるじゃないですか」


 決まってるのか。っていうかそれ、昨日の晩と同じメニューだし。


「ほら、座って下さい。あんまりゆっくり食べてる時間も無いですよ」


 アテナが皿にパンとスープをよそってくれる。


「ありがとう。……頂きます」

「はい。頂きます」


 手を合わせて軽く祈りを捧げる。こっちの宗教がどんなものか知らないが、こういう風潮は一応あるらしい。

 まあそんなことはいいや、それより食事だ。

 メニューは昨日と同じ、パンとスープ。所謂主菜に当たるのがスープなんだろうが……これがひたすらに質素である。

 一応肉や魚も入っているっぽいのだが、恐らく量が少ないであろう上に煮込まれ過ぎている為、原型をあまり留めていない。代わりに野菜が入っているかと言えばそうでもなく、豊富にあるのは豆だけである。

 パンの方はどうかと言うと、これが固い。まあ、オーブンなどと言う便利な物は無いので当然と言えば当然なのだが。で、このパンが硬すぎるから、スープにつけて多少柔らかくすることでやっと丁度よくなるのだ。

 まあ、味はそこまで酷いわけじゃないんだが……兎に角物足りないなあ……。


「御馳走様でした」


 完全にお世辞である。


「お粗末様でした」


 ほんとにな。


「さて、思ったよりも時間が掛かりましたね。お皿は取り敢えず軽く水で流すだけにして、もう出発しましょう」

「え、もうか?」

「ええ。業者の信頼を勝ち取るためには、早く到着するに越したことはありませんから!」


 何という社畜思考。異世界までこんな感じなのかよ。


「ほらほら、早く出ますよ!」


 アテナに急き立てられるようにして、俺はギルドを後にした。


****************************************


 早朝……というより、まだ深夜の範疇かも知れない。日本時間で言えば、3時から4時ぐらいだろう。

 未だ眠りの中にいる街を抜け、俺達はギルメリアの西門付近に到着した。

 一般的な旅人が入って来るのは東の門らしく、こちらの門は物資の搬入や搬出に使われるのが主らしい。その兼ね合い上、ここ近辺には倉庫群が作られている。

 俺達も結構早く着いたとは思ったのだが、そこでは既に十数人の男たちが倉庫から物資を搬出していた、


「おい! それは割れ物だ! 丁寧に扱え! そんで、平らなところに置けよ!」


 その男達から一歩離れたところで、ちょっと偉そうな髭を蓄えた男が大声で指示を飛ばしていた。

 アテナは余所行き用らしき笑顔を浮かべて、その男に歩み寄った。


「お早うございます! ダッドさん!」

「おう! アテナ! 今日はちっと遅かったじゃねえか! どうかしたか?」

「済みません。ちょっと新入りがいたもので手間取りまして」


 お、これは、あれか。俺が紹介される流れか。


「そっちのが新入りか!」

「あ、俺、高藤高馬って……」

「名前なんざ聞いちゃいねえんだよ! さっさと作業に入んな!」


 えー……。


「はい、お任せください! ほら、行きますよ、コウマさん!」

「お、おう……」


 何をしたらいいかもわからないので、アテナについて行くしかない。


「お早うございます!」

「おう! アテナ! 今日は俺らはまず林檎から行くぞ! 取り敢えず全部外に出しちまうからよ! お前も運べ!」

「了解です!」


 まあ、話の流れは大体わかった。今日は倉庫の物を馬車に積み込む仕事だと聞いている。

 だがその馬車の姿はまだ見えないので、まずは倉庫の物を全て運び出して、積み込む準備をしようと言う段階だろう。


「さて、コウマさん。聞いてましたね。まずは林檎の箱を全て外に並べてしまいますから。林檎の箱はあそこの倉庫に入っていますので、そこにいる人と協力して全部移動させましょう」

「わかった」


 アテナの指さす倉庫に近づき、中を覗き込んでみた。


「おい、そこに立ってると邪魔だ!」

「退け!」

「うわ!」


 中から木箱を抱えた男が二人出て来たので、慌てて退ける。

 ……うう、ちょっと中を覗き込んだだけなんだから、あんなに怒鳴らなくてもいいじゃないか。


「ま、あれぐらいは日常茶飯事です。めげずに行きましょう。奥の方に積んである、赤い丸印が付いているのが林檎の箱ですから、まずはそれを運んでいきましょう」

「わかった、じゃあ早速……」

「おーいアテナ! こっち手伝ってくれや!」

「あ、はい! 今行きます! 

 コウマさん、私行ってきますから、奥の木箱お願いしますね!」


 アテナが行ってしまった……。まあ、いいか。取り敢えず何をやればいいかはわかったし、他の男たちと同じように働いていれば怒られることも無いだろう。

 照明などと言う気の利いた物は無いので、倉庫の中はとても暗い。入り口から差し込む月明かりぐらいしか明かりはないが、まあ何も無いよりはましか。

 奥にある、赤い印の付いた箱……あったあった。

 見つけたのは、1メートル四方ぐらいの木箱。高さも結構あり、これに林檎が詰まっているとしたら、結構な重さがありそうだ。でもまあ、やるしかないか。

 俺は昨日アテナから買い取ったグローブを付け直し、気合を入れる。


「よし、やるか……って重っ!?」


 これは重い……多分50キロ以上はあるぞ……。

 だが、持てないとは言えない。初日からそんなヘタれた姿を見せたら、どれだけの罵声を浴びせられることか。

 それだけは勘弁だ。俺はメンタルが弱いんだ。それならフィジカルを酷使する方が俺の性に合っている。


「いっせーの……せっ!」


 掛け声をかけて気、合を入れて……持ち上がった! 

かなり重いが……運べないことも無い。


「ふー……ふー……」


 意識して呼吸を整えながら、一歩ずつ進んでいく。

 倉庫を出て、林檎がまとめられている場所へ向かう。

 この箱は他のより大きいみたいだから、重ならないように気を付けて……よいしょ、と。

 あー、10メートル程度の移動だってのに、随分と疲れたな。


「ん?」


 気付けば、周りの男たちが俺に視線を向けていた。誰もがちょっと目を見開いた感じであり、その視線に込められる意味は『驚愕』と言った所だろうか。

 俺が日本人だから驚いているんだろうか。確かに見た目はフィルセント人からはかけ離れてるしな。


「コウマさん!」


 掛けられた声に振り返ると、アテナが戻って来ていた。


「おお。アテナか、言われた通りに箱を運んでたぞ。あと10こぐらい残ってるみたいだからちゃっちゃと運ぼうぜ」

「あ、はい。そうですね……じゃなくて! その箱、1人で運んだんですか!?」

「ああ。結構重いな、これ」

「重いなんてレベルじゃないですよ! これ、普通は2人で運ぶものですよ!?」

「あれ? そうなのか?」

「ああ、そうだ」


 いつの間にか、さっきの偉そうな髭――ダッドだったか――が近くに来ていた。


「それはウチの扱う荷物の中でも特に重いモンだからな。1人で運べる奴はうちでもほとんどいない。それを初日からやっちまうたあ、中々活きがいいの連れて来たじゃねえか、アテナよお」

「えへへ、それほどでも」


 何故アテナが偉そうな顔をしているのか。


「こりゃ期待できそうだな。頼んだぜ、兄ちゃん!」


 そう言っておっさんは俺の背中をバシバシと叩いて来た。

 かなり痛いが、これはおっさんなりのスキンシップだろう。


「はい、任せてください!」


 俺は元気よく答えた。

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