第5話 アイドルは勉強も必要で

「るっいるーい!!!」


 雑誌の撮影が終わって、楽屋に向かって歩いていると、後ろから唐突にそんな陽気な声がした。

 学生時代、そんな風に瑠衣センパイを呼んだ人はいないし、多分これからだっていないだろう。呼ばれた本人と言えば、後ろからの突然のタックルが大きなダメージだったのか、顔をゆがませていた。決して、呼ばれ方が嫌なのではないだろう。


「おはようございます、前川さん」

「えー、なんでそんな他人行儀な訳? 俺たち友達じゃん、おんなじ収録二回も乗り切った仲間じゃん、進でいいよ! 敬語もいらない!」


 アイドルグループ、ドリームキャッチャーの最年少メンバー、前川まえかわすすむ

 現在二十一歳(誕生日はまだらしい)、もちろん独身。人懐っこい笑顔と、ネコ目に明るい雰囲気と運びのうまいトーク、キレのあるダンスで人気を集めている。


「年齢も経歴も上の人にそんな口きけません」


 十七歳でアイドルデビューしたが、十二歳で事務所入りをし、それまで同じ事務所の先輩アイドルのバックダンサーを務めていたりと、芸能界で仕事してきた歴は圧倒的に長い。


「年齢って一個しか変わんないじゃんよ! ね、ゆーきくん!」

「あー、ボクもルイ君にため口ですね」

「でもお前プライベートでは「センパイ」ってつけるだろ」

「とにかく、この業界では一個くらいの年の差なんてあってなきが、ご……」



 なぜそこでつっかえる。と言いたくなるようなところでつっかえる人だ。

 クイズ番組でこんなことをやっていたような気がする。


「ごとし、ですか?」


 そして律儀にツッコミを入れる瑠衣センパイ。


「そうそれ! 『あってなきがごとし』なんだから、いいんだってば、な?」


 なるほどなるほど。こういうのが「可愛い」と受けるのか。今度クイズ番組に出たときにでもやってみようかな。


「こないだのバク転すっげかったな! 俺テレビで見てたけどすげえって思ったもん!」

「ってこの間もメッセージ飛ばしてきましたよね」

「こういうのは生でも言うもんなんだって!」


 確かに、その時の感動がよみがえるから、会う度はしつこいにしても、それをテレビで放送されて最低二週間くらいは、そうやってほめてもいいのかもしれない。なるほど、これが芸能界を生きていく知恵なのか。


「ゆうき、変な知恵つけてないで助けて」

「助けてってなんだよ!!」

「なんか、嫌な予感がするんですよ」


 ボクも何か嫌な予感がする。何かこう、ろくでもない頼みごとをされるような気が。


「ええー、なんかそれひどくね? 先輩傷ついたぞ」

「とりあえず、なんかろくでもないことはオレの中で確定してるんで、用件をどうぞ」


 まぁ、ボクも思ったけど。そんなにきっぱり言わなくてもいいと思う。


「いや、この間食ったるいるいのご飯がおいしかったからまた食べたいなーって考えてたら、二人が前歩いていくから。『突撃!! 後輩の晩ご飯!!』しようと思って。ダメかな、雨音」


 雨音というのはドラマ『恋のあまおと』で、瑠衣センパイが演じた役の名前だ。撮影現場では度々お互いの役名を呼び合って、その役になりきって応答するという遊びなのか役作りなのかよくわからないことをしていたようだ。


「オレが普通にお前の頼みきくと思ったのか、雹護ひょうご


 雹護というのが、前川進の演じた役だ。


「乗ってくれるあたり、るいるいだよな」


 ほかのメンツは乗ってくれないんだよー、と前川さんは唇を尖らせる。


「乗らざるを得ないでしょう」


 多分乗ってもらえてない前川さんを憐れんでのことだろう。


「オレは別にいいんですけど、ゆうきは?」


 と、こっちを見るけれど、残念ながら、先輩アイドルと食事を共にできるような機会はめったにないので、瑠衣センパイには悪いけど乗らせてもらう。


「ボクはいいよ」

「……じゃあ……飯どうしよう」


 ため息を吐きながら、瑠衣センパイは了承した。辻さんが送ってくれると言っていたが、それを断って、電車に乗り近所のスーパーに寄って帰った。


「へーこんなとこ住んでんだ。二人だと狭くない? 独りの時間とか欲しくならない?」

「別に」


 まぁ確かに二人では少し狭いという印象は受けるかもしれない。でもボクらにはこれで充分なのだ。


「今更だけど、どっかに食べに行けばよかったんじゃ」

「何言ってんだよ、るいるい。今日何の日か忘れた?」

「「?」」


 瑠衣センパイがボクを見て「何の日だった?」と尋ねる視線を向けるけど、ボクも何の日か覚えていない。何かあっただろうか。


「ふったりして! 今日はお前らの出たVSドリキャの放送日です!」

「「ああ」」


 ボクらはそんなに自分が出演した番組の放送を見ていない。ドラマとかだったらのちに反省とかできるけど、バラエティはそんなに。トークばかりしているし。


「バラエティとかも見返した方がいいよ? こういうときもっとこう返せばよかったとか、後にわかってくるから」

「へぇ」


 お気楽な人かと思っていたけれど、意外とちゃんとしている人だった。


「じゃあ、今から作るから、待ってて」

「手伝う?」

「いい」


 瑠衣センパイが料理している間はボクはあんまりやることはないので、スマホで情報収集しているくらいだ。けれど今日は


「ねえねえ、こっちはテレビとパソコンしかないの? 生活感あんまりないね!」

 

 あっちこっちにきょろきょろしている先輩アイドルがいるのでちょっと大変だ。


「ああ、もうあっちこっち行かないでください」

「でもこっちでしか飯食えないよね? そっち椅子二つしかないし」


 それもそうだ。それにテレビを見ながら食事するならダイニングじゃなくて、リビングの方がいい。


 この間、「ここに小さいテーブル欲しい」って言って買ってよかった。


「何かエッチなDVDとかあんのかな!?」

「そういうこと探らないでください!」


 とはいえ、興味がないではないけれど、アイドルがそういうものを見てはいけないだろうと二人そろってそういう物をこの部屋に持ち込まないことにしている。見ても構わないけれど、その場合はネットカフェだなんだに行った方がいい。と最初に言われた。


「でも、この布かかってるカゴ何?」

「え」


 テレビの横にある黄色のカゴ。隠してあるにしては、ずいぶん無造作に置かれているし、結構大きい。


「あ、待った! 触んな」


 ダイニングから瑠衣センパイが焦って、こっちにくる。

 しかし、前川さんにしてはその反応は、望み通りのものだったわけで。


「ででーん!」


 よくわからない効果音をつけて、前川さんは布をめくった。というか持ち上げた。

 あらわになるカゴの中身は、DVD。

 きれいに収められているそれらは、本で言う背表紙が見えるように収納されていて、前川さんが一枚取り出した。

 そういう物とわかるパッケージでは決してなくて、そこに映っていたのは男性四人。


 ドリームキャッチャーのライブDVDだった。


「え、瑠衣センパイいつ買って、っていうかいつ見てたのこんなの!」

「夜中に、ちょっと」


 ちょっとっていう量ではない。一枚一枚取り出してみれば、柴田美緒のライブDVDだってあるし、瑠衣センパイの尊敬するアーティストの東井あずまい歌奏かなでのもの、Love Junkyのものも、洋楽アーティストのものだってあった。


「……今度、ライブやるって言ってただろ。だから、ちょっとでも勉強して、おこうと」


 ああ、なるほど。

 辻さんに白状させたライブをやるという言葉は、瑠衣センパイに研究させるには十分なものだったのだ。そして真面目で気遣い屋なこの人は、ボクに黙って、ボクが寝ている間にずっと研究していたのだ。

 でも、それは、ダメだろう。


「瑠衣センパイは、なんでいっつも一人で研究するの! ボクだってライブちゃんとやりたいよ! ドラマとかはボクは演技レッスンくらいで行けると思ったから見なかったけど、ライブは二人で作ってお客さん楽しませることでしょ! 瑠衣センパイが一人でやることじゃないの! わかった!?」

「……ごめん」

「よし!」

「あ、それでいいんだ」


 わかったらご飯作って! と言ったら素直に瑠衣センパイは戻っていった。


「っていうかよくこんなに集めれたね、瑠衣センパイ」


 台所に向かって声をかける。


「東井歌奏と柴田美緒は自分で買って、Love Junkyのやつは、中島さんに頼んだらくれた」


 そりゃ中島さん、瑠衣センパイ大好きだし。頼まれたら自分のグループのライブDVDくらいくれるだろう。


「ドリキャのやつは事務所から借りた」


 そこはなぜ本人頼らなかったのか。


「俺にも言ってくれたらあげるから! 今度あげる! 全部あげるよ! サインいる?」

「サイン要らないんで全部ください」


 なるほど、問答無用でサインされてしまうからか。




 そんなこんなしている間に、瑠衣センパイが持ってきたのはそうめんだった。蒸し暑い今日にはぴったりだし、大量に作るのは楽だっただろう。次いでめんつゆの入った小皿と、それで足りないだろうと作った竜田揚げ(実は今日のメインディッシュになる予定で、出かける前にタレに漬けていたらしい)が乗ったトレイを持ってきた。


 ボクらが仲良くそうめんを啜り始めた頃、VSドリキャが始まった。


『さて、今日も始まりましたVSドリキャ!』

『今回の、ゲストをご紹介します、YRのお二人です!』


 ドリキャの人が紹介してくれて、彼らの立っている場所の奥、観客席と観客席の間から、ボクらYRの登場だ。観客に向かって両手で手を振るボクと、片手でちょっとだけ手を振って、あとは会釈した瑠衣センパイ。


『ようこそ、お二人ともVSドリキャへ』

『バク転凄かったね~』


 ここ、別の局の音楽番組のことを話していいのか、とちょっと思ったけど普通に使われていた。まぁボクらを語る材料にはうってつけだろうけれど。


『ありがとうございます』


 歌を聞いていても思うけれど、ボクってこんな声なのだな。


『爽野君と、前川君はドラマで共演したんだっけ』

『そうそーう、爽野君すげえ紳士で』

『紳士なのみんな知ってるから。これ今だから言うけど、打ち合わせで料理対決ってい聞いたとき、オレ等全員に嫌いな食べ物聞きに来たから爽野くん!』

 

 観客から「えー」とか「きゃー」などの声が上がる。ちなみに実話だ。わざわざ本当に聞きに行っていた。


『え、だっておいしく食べてもらいたいじゃないですか。普通ですよ』


 と、まぁさらって言ってのける天然紳士。


『うわ、もう、今日負けでいいわ』

『気をしっかり持って! 俺らにだって料理得意なメンバーいるでしょ!』

『前川君料理できないなら黙ってて!!』


 笑いを取ったところで、一旦CM。



「てかさ、ずっと気になってたんだけど、このめんつゆどこで売ってんの」

「瑠衣センパイの手作りですよ。これ」

「ええ!?」


 何とこの男子、めんつゆや食べられるラー油まで自作するのだ。


「昔教わっただけ。別に誰でも作れる」


 と、瑠衣センパイが照れ隠しにそういったところで、番組が再開した。

 ルール説明をして、調理開始、ドリキャから二人選出して調理、ほかの二人は解説役という感じだ。今回のお題はチャーハン。


 ドリキャの人たちが玉ねぎむいたりしている中、瑠衣センパイは慣れた手つきで、ニンニクと長ネギをみじん切りしていた。


『え、爽野君はやっ』

『普段料理してる人手つきだ! やべー!』

『その横で、鈴芽君も玉ねぎめっちゃ早く切ってるし』

『え、二人とも料理するの?』

『ボクら二人で生活してるんですけど、基本料理はルイ君の担当で』

『二人で住んでるんだ!』


 このとき「あ、この情報って開示されてなかったんだ」なんて思ったっけ。


『で、そうこうしている間に、なんか出来上がってるんだけど』

『本当だ爽野君、それ何?』

『ラー油です。食べられるやつ』

『『え、ラー油!? 作ったの、今?!』』

『? はい』


 話ながらフライパンをシンクにおいて、水につける瑠衣センパイ。そしてチャーハンに使う食材を切り終えて、瑠衣センパイに渡すボク。


『ゆうき、卵取って』

『はーい』

『さすが、息ぴったりだね』

『さー、オレ等のチームはどうなってるかな?』

 

 二人がドリキャの方を見に行くと、そこには焦げた玉ねぎのみじん切りがあって、会場は大笑いした。

 

「あのチャーハン、マジでうまかったよね」

「そうですか?」

「うん、あんかけとラー油で味二種類選べるし、なんもかけなくても普通にチャーハンうまいしで、そりゃ負けるわってなったもん」


 ちなみに、ドリキャさんのチャーハンも普通においしかった。

 けれど、審査員の人たちはそろってYRに票を入れて勝利。


「オレはドリキャさんの方がおいしかったと思うけど」


 ドリキャとYRの互いに食べ合った時、ほとんど皆がこちらのチャーハンをほめたたえた中、そういったのは瑠衣センパイだけだ。


「……それお世辞じゃなかったの?」

「なかったです」

「嘘だろ」


 嘘じゃない。瑠衣センパイも、ボクも舌がバグっているというか。人が作ってもらったものに対して「まずい」という感情を抱かない。



 瑠衣センパイは、お手伝いさんが作ってくれるものくらいしか手料理の味を知らなかったし、ボクは他人のご飯を食べる機会というのが昔からなかったので、自分が作ったもの以外なら、ボクらはおいしく感じるのだ。

 ちなみにボクは料理ができないわけではない。野菜とかを切るのならボクの方が多分瑠衣センパイより早い。けれど、ボク自身しかボクの料理を食べる人間がいなかったうえに、ボクの思考回路は「おなかにたまればそれでいい」だ。だから作っても適当で、味が薄いと感じたら、多すぎるくらいに塩とか醤油がかかる。かと思えば、とても味が薄い時でも平然とした顔で食べていた。

 対して瑠衣センパイは、高校の時からボクという他人のために作っていたので、おいしいものを作る努力を惜しまなかったのだ。


「何か、るいるいって変わってるな」

「よく言われます」

「ゆうきくんも変わってるのかもな」

「瑠衣センパイ程じゃないです」


 うまかった、ごちそうさん。と番組が終わった頃に前川さんはそういって、帰って行った。

 ボクらは、お皿を洗う。


「ねえ、瑠衣センパイ。お手伝いさんに作ってもらったもので、何が一番おいしかった?」

「肉じゃが」

「ボクの母さんは、生姜焼きしか作れなかったんだ」

「なんだそれ」


 珍しく帰ってきたとき、「私がご飯作るね」と言ったときは、生姜焼きだった。

 それを食べれるのをボクはとても楽しみにしていたし、それがとてもうれしかった。

 でも、もう味も思い出せないくらい昔のことだけど。

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