第2話 アイドルに嫉妬はつきもので

「ドラマの仕事が来たよ!」


 事務所に呼び出されて、会議室で二人でゲームの通信対戦に勤しんでいた頃、辻さんがそう叫びながら入ってきた。


「ドラマ? また? 瑠衣センパイ大人気だねー、やったね!」

「違う違う! 今回は二人に!」

「え?」


 ボクたち「YR」は二人組のユニットだけど、ネットでの評価は瑠衣センパイの方が圧倒的に高い。ボクはどうも、瑠衣センパイの腰巾着と言った立ち位置のようだ。別に事実だから構わないし、握手会に来てくれた人たちのあの笑顔がただの腰巾着と思っていないことは理解できたからボクとしては問題はなかった。


「ドラマか。内容は?」


 そして、瑠衣センパイはそんなネットの意見はものともしない。『ネットなんて嘘つき放題だし、あんま信用してない』というのが彼の意見。ボクが腰巾着のように思われているという点に関しては、『オレがゆうきを必要としてることに変化はなくない?』の一言で片づけてしまった。天然怖い。


「爽野君は見てなかったかな? 『林檎の実は血より赤い』」

「ああ、高校生探偵ものの」


 瑠衣センパイはデビュー前、社長から「演技の勉強も忘れないでね」と言われてひたすら事務所でドラマを見ていた時期があった。その中の一本、『林檎の実は血より赤い』は何年も前に連続ドラマで放送されていたもので、昨年十二月、キャストを一変しリメイクされ、2時間ドラマとして放送された。


「去年リメイクで二時間ドラマあったでしょ? あれの続編としてもう一本やろうって話が上がったらしくて、それのメインキャストに君たちが抜擢されたんだ!」

「……ボクもしやドラマデビューかな?」

「もしやも何もドラマデビューだろ」

「受けてきちゃったけど、大丈夫?」

「問題なしでーす。台本早く来ないかなー。どんな役かだけでもわかんない?」

「えっとね」


 聞いたときボクはびっくりした。

 何せボクが真犯人、瑠衣センパイがボクを庇う友人役と言われてはびっくりだろう。


 ファンの皆さんの評価では、ボクは天真爛漫というか明るい可愛い系男子で、瑠衣センパイは気だるげだけど、ストイックな雰囲気を持つクール系男子というイメージらしい。普通なら逆の配役だと思うし、実際そういう意見もあったらしいが、監督さんが「これだ」と言ってきかなかったようだ。


「真犯人かー。腹黒い人のお手本になるようなドラマあるかなー」

「ビデオ屋行くか?」

「鈴芽くん、まだ腹黒い真犯人と決まってないよ?」


 それもそうだった。

 とはいえ、ミスリード系のドラマを借りていくことに決めて、ボク等はレンタルビデオ店に向かった。たっぷりミステリードラマや映画のDVDと、ついでに瑠衣センパイが尊敬しているアーティストと義理でLove Junkyの新作アルバムを借りた。


「そういえば、ボク等も新曲出すのかな?」

「『林檎』は連ドラだったときもリメイクのエンディングも柴田しばた美緒みおが担当してるから、ないと思う」

「ふーん」


 アイドルが出るからと言って、その出演作品すべての主題歌を担当できるというわけではない模様。どころか、『林檎の実は血より赤い』は柴田美緒と呼ばれるアーティストに、大変こだわっているようだ。


「台本楽しみだね」

「ん。飯何にする?」

「サバの味噌煮込。冷蔵庫のサバがもうすぐ痛むよ」

「そういやそうだった。生姜だけ買って帰るか」

「はーい」


 

ドラマの台本は二週間後に出来上がった。事務所に取りに行って、一日オフだったため、自宅に持ち帰って、食事用の椅子に座ってそれぞれ読む。


 ボクらの住む住居は、事務所が用意してくれたもので、最初は家賃などは事務所が負担してくれたものの、デビューしてからはボクらの給料から天引きされている。2DKで家賃は九万円。二人の男子が住むのに必要最低限の広さと設備は整っているし、何よりボクらは家から自立できればなんでもよかったのだから御の字だ。


 ダイニングキッチンには食事用のテーブルと椅子。ほかは電子レンジなどの調理に使う家電用品があるくらい。二つある洋間のうち一つは共有スペースで、テレビとパソコンがある。もう一つは寝室。布団を敷いて寝ている。喧嘩した時どうするんだろうとたまに思うけれど、そういえば喧嘩したことがなかった。

 役割分担は、ボクが掃除で瑠衣センパイが料理、洗濯は洗って干して取り込むまでは交代制。それぞれ洗濯したばかりのものを入れる籠があってそこから出してタンスにしまうのは自分たちの仕事だ。

 両親がそばにいなかったボクたちは家事スキルをそこそこ持っていたのがまさかのところで役に立った。


「ほら見て、瑠衣センパイ! やっぱりボク腹黒いよ!」


 人を殺しておいて『ゲームだよ』なんて笑顔で行ってしまう男の子、神澤治人役がボクで、神澤治人の家に下宿している従兄、山渕怜生役が瑠衣センパイだ。


「嬉しそうに言うことかそれ?」


 予想が当たってたことがうれしいのであって、腹黒い役ができることが嬉しいわけではない。


「というかボクら同い年役だよ、なんか面白いね」

「あー、でもそれ以外は普段と変わらない気がするんだけど」


 確かに、いつも世話を焼いてくれている瑠衣センパイと、焼かれる側のボク。

 神澤治人も精神が閉じこもりがちで、いじめられていて、ゲームのし過ぎで「人を殺しても構わない」と狂った考えを持ってしまう。それを心配して同じ学校に進学したのが山渕怜生だ。


「ゲームか……治人くんは何が好きなんだろうね?」

「さぁ? そこら辺のモンスターは狩ってそう」

「ああ、あとホラーゲームとか好きそうだよね」


 この役作りは果たしてあっているのかはわからないけど、とりあえずボクの中で神澤治人はホラゲ好きのニート予備軍で決定。


「山渕はどうなんだろうな……心配性? 世話焼き?」

「両方かな」


 なんせ、どのセリフも二言目には「治人」と入っている。どれだけ治人大事なんだよと言われることは必須だ。


「いったい山渕君はどうして治人をこんなに大事に思っているんだろうね」

「事故で、両親失ってそれを支えたのは治人なんだってさ」

「え、瑠衣センパイ読むの早くない!? もうそんなとこまで?! 終盤じゃん待って!」

「待たない」


 ぺらりと瑠衣センパイはページをめくる。そういえばこの人読書家で、本を読むスピードが速いんだった。ボクがやっと終盤まで来たところで、ぱたんと隣で閉じる音がした。


「なんか飲む?」

「カフェオレください」

「はいはい」


 コンロに火をかける音と、インスタントコーヒーの瓶の蓋が開くときの「ぱこんっ」という音がする。


「あ、そろそろコーヒー切れる」

「え、ほんと? 買い置きもうない?」

「これでラストだった気が」

「明日朝ないのはきついよね。買いに行こう」

「それ読み終わってからな」



 と、コーヒーを買いに行った矢先に誰かに襲われるなんて、考えもしていなかった。


 マンションから出て、スーパーに行くまでの人気のない道を通ると、必ず線路の下のトンネルを進むことになる。トンネルの出口のほんの数メートル手前で、ボクらを黒い服、黒い帽子で身を包んだ男が呼び止めて、振り向いた瞬間にボクにナイフが襲いかかってきた。運が良かったのか、ボクのそもそもの運動神経が良かったのだろうか、とにかく奇跡が起きて、ボクはそれを避けられた。


「ちくっしょ! お前らが、お前らなんかが」


 もう一度、男はナイフをボクに向けて突き刺してきた。ボクの頭はなんとなく冷静で、「あ、これよけれないなー」と、思ってしまった。「これはよくある芸能人の嫉妬が云々」ということまで考えて、思考は現実に戻る。


 ボクと男の間に割って入った瑠衣センパイが、ボクに向かっていたナイフの刃先を握っている。握って、血を流している。


「瑠衣センパイ!!」

「な、なんだよ、お前、お前らが、悪いんだ。お、おれは、俺は悪くない。お前らが人気出るから……」


 瑠衣センパイは、男の足を蹴った。そしてバランスが崩れて座り込んだ男をさらに蹴り、ナイフを男の手から落とした。

 どうしてこうなったのか。


「大事にしたくないけど、どうする。なんだっけ、オレらに人気出たのが許せないんだっけ。それで? オレらデビューしてまだ一年経ってない駆け出しアイドル、ナイフで刺してどうしようとしてたの?」


 後ろへ下がって、男は上半身を壁に密着させる形になる。そして何も答えない。


「考えてなかったのかよ。ただの傷害罪なんですけど、警察連絡したらお前の人気どん底どころか芸能生活終わりだよね」


 普通に牢獄に行くだけだなので、芸能生活どころか人間として終わることになる。


「や、やめてくれ!」


 男が顔を上げたことにより、ようやく顔がはっきりと見えた。懇願や不安と言った様々な感情で歪んではいるが、元の造りは整っている。


「ボクこの人知ってるー。俳優兼歌手の白井さん、白井しらい健登けんとさんだよね」

「……『林檎の実は血より赤い』で主人公の友人役やってた?」

「そうそれ」


 瑠衣センパイは見たドラマや映画のメインキャストの名前は全部把握している。ただし少し印象が変わっただけで人を別人のように思えてしまうので、高校生役だった彼が真っ黒なTシャツに着替えて、探偵の友人ではなく犯人を演じていたのでわからなかったようだ。


「共演者刺すってどういう了見かなー? 答えてみようか白井さん」

「いや、待て。今回確か友人は出てなかった気がする」

「え」


 記憶を探る。出演者の中に「白井健登」は確かになかった。


「あれ、なんかあったんだっけ。舞台は前と変わらず学校だったよね?」

「確かクラス替えしたんじゃなかったっけ、それで友人が出てこないってことに」

「でも探偵の友人役って結構重要じゃないの?」


 瑠衣センパイ曰く、白井が演じていた友人役は別にいてもいなくてもいい存在だそうだ。今回は、ボクらと仲良くなっていた高校生探偵が罪を告発するのに葛藤するのが見どころなので、スタッフ側が不必要だと切り捨てたのだろう。


「あ、あー。なるほどなるほど、ボクらがいなくなっちゃえーって思っちゃったんだ?」

「………」

「答えるくらいしたら? オレの手を見て」


 瑠衣センパイは冷静に言ってるけど、手からは血がだらだらと流れて、着ている服の袖が赤く変色している。きっと、痛いはずなのだけれど。

 白井は首を縦に振るだけだった。瑠衣センパイはそれを見て、ため息を一つ吐く


「別に大事にしたくないからいいけどさ」

「ふっ」


 男が、笑う。それは罪から逃れられた安堵の笑顔ではなくて、挑発をするような嫌な笑顔だった。


「やっぱ、お前ら甘ちゃんだな。幸せな家庭で、幸せに暮らしてだけなんだろ。気まぐれでオーディション受けて、それで」


 カンッ、


 男の顔の横に、ナイフが突きつけられる。笑んでいた瞳は、恐怖に変わってナイフを見る。


「ふざけるなよ。ふざけるな……オレたちがどんな思いでこんなことやってると思ってんだ。幸せな家庭で育った人間が、こんな世界にいるわけないだろ」


 『幸せな家庭で育った』というのは、瑠衣センパイの逆鱗に触れるには十分なワードだったらしい。当然だけど。


「……なんだよ、急に」

「お気楽なのは、どっちだ。こんなもんで刺したら自分の役とか人気とか、戻ると思ってる方がお気楽だろ」

「……」


 瑠衣センパイはナイフから手を放して、立ち上がった。そして男を見下ろして、一言。


「お前、母親に飯作ってもらったことある?」


 一瞬何を聞いているのだろうか。でも、こんなことをしでかした人間に、境遇を少しも話さないのは、フェアではないと考えたのだろう。


「あ、当たり前だろっ」


 当たり前、ね。


「オレはない。ゆうきはあるんだっけ」

「小さいころはあったよ、味は覚えてないけど」


 ボクらの返答を聞いて、白井は驚いた表情を見せた。どうも彼の中では本当にボクらは幸せな家庭で育った少年たちだったようだ。


「なぁ。親って息子に対してなんて声かけてくれんの? 親に誕生日祝ってもらえるってどんな気分? どんな風に愛してくれんの?」

「……」

「お前が犯罪犯したら、心配してくれるんじゃないの?」


 芸能人とか関係なく、親は親なのだ。きっと白井が芸能人であることを誇りに思っているはず。その辺を揺さぶっていく瑠衣センパイはたぶん結構えげつない。それで揺れるということは、白井は『幸せな家庭で育った子』ということになる。


 おびえた顔で瑠衣センパイを見る白井は今にも泣きだしそうな顔をしていた。


「わかったらもう行け」


 ボクは白井が立ち去っていくのを黙って見送る。ナイフは転がったままだ。とりあえず拾ってポケットの中に入れる。


「ところでこの出血量やばいかな」

「やばいよ!! そりゃそうだよ! 瑠衣センパイはほんっとバカなの!?」

「いや、お前に怪我させたらダメだなー、アイドルだしなーって思ったらとっさに」

「あんたもアイドルだよ!?」

「事務所行くかー」

「その前に薬局! あと、川! ナイフ捨てるから川先に寄ろう」

 このままではボクが瑠衣センパイを指したと疑われて、それこそ大問題になる。

 

 ボクらは事務所に申告しに行った。うっかり包丁で切ったということにしたら、さすがに手のひらに傷は残らないだろうと社長にツッコみを入れられたけど押し通した。


「で、ドラマの撮影どうするの。利き手使えないでどうするつもり」


 社長はあきれたようにため息をつきながら、瑠衣センパイの手を見る。ボクが処置したもので、包帯がグルグル巻きだ。


「いや、使えるけど」

「瑠衣センパイは何言ってんの。本当に」

「だって、痛いのオレが我慢すればいい話で、うん行ける行ける。問題なし」


 手を握ったり開いたりして、納得したようにうなずく。


「いや、瑠衣センパイ、結構大きい傷だから画面越しに多分ばれるんじゃない?」

「カメラからは外せば何とかなるでしょ」

「この甘ちゃんがなんで犯人通報しなかったんだよ」

「だから包丁で切ったんだって」


 だからその言い訳に無理があるんだって。


「……はぁー。もういい。わかったそれで」


 あ、社長が諦めた。ため息をついた社長がタバコを加え、火をつけたところでドアのノック音が響いた。


「あれ、二人ともどうしたの?」


 冊子を抱えた辻さんが登場した。軽く挨拶した瑠衣センパイが怪我をしている方の手を挙げて、辻さんの顔が蒼白になる。


「ああああああ!! さ、爽野君どうしたのそれ!」

「辻さん、なんか落ちたよ。大丈夫?」

「君が大丈夫なの!?」


 辻さんが大丈夫じゃないのは、ほとんど瑠衣センパイのせいなのだけど、なんで瑠衣センパイは人の心配をしてしまう。この天然め。


「あれ? これドラマの台本だよね?」

「ああ、うん。脚本家がやっぱりなんか気に入らないって、書き直したんだって」

「ふーん」


 床に落とされた台本をボクが拾い上げている間、辻さんは「あああああ、病院行かなきゃダメかなぁ、っていうか二週間で治るかなぁ」と半分発狂しながら、瑠衣センパイの手を見て頭を抱えている。


「…………、瑠衣センパイ! これ見てこれ」


 台本の一ページ目を開いて、ボクは声を上げる。「何?」と辻さんに手を掴まれている瑠衣センパイのもとに駆け寄って、そのページを見せた。見てほしい点を指でさすと、瑠衣センパイは目を細めて笑う。


「信じるものって救われるもんだな……」

「瑠衣センパイは怒ってもいいんだけどね」


 ボクが指差した一点には、「追加出演者 茨城いばらき由之よしの役――白井健登」と記されていた。

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