第1話 アイドルは恋愛禁止
――ボクらは愛に飢えている。
握手会が終わり、次の音楽番組収録へ向けての車での移動中、隣に座る瑠衣センパイは本番に向けてイメージトレーニングとして、イヤホンをつけてぶつぶつと歌詞を唱えている。ボクが歌うパートも歌ってしまっているのはわざとだろうか。こういう時の瑠衣センパイは話しかけても無視が基本だ。ボクも何かしようとは思うが、特にしなければならないことはない。空中に視線を投げだす。
ボクこと
スカウトされてから、ボクが高校卒業するまで歌やダンス、演劇のレッスンを繰り返し半年前デビューした。十九歳になっても声が高いボクと、二十歳にしては声が低い瑠衣の声がとてもマッチしていることでデビューシングルの売れ行きはまずまずと言ったところだった。その直後事務所がとってきたアイスのCMが引き金だったのか、知名度は急上昇。そしてそのCMを見たドラマのプロデューサーが瑠衣センパイをドラマの主役に抜擢して、主題歌をボクらが担当した。
握手会はその主題歌CDの特典と言ったところだ。
「ゆうき、なに」
「何って何?」
「かまえって視線が言ってた。うるさい」
「言ってないよ! っていうかルイ君こっち見てないじゃん」
「なんかわかる。何年の付き合いだと思ってんだよ」
「ふーん」
ざっと六年の付き合いだ。ボク等の友情もそろそろ長い。
「で、なに」
「ううん、ボクらアイドルになってよかったなって」
「そう?」
「うん。少なくともボクの人生で、さっきが一番楽しかった」
「そっか。お前がそう思ってるなら、いいや」
そうとしか言わないということは、瑠衣センパイにとって、まだ足りないってことなんだ。まだまだ愛されたりないってこと。あんなに握手をされながら「大好きです」とか、「二人のおかげで今日もご飯がおいしいです」とか言われたのに。
「よくばり」
「何が?」
「ううん、別に」
「まだ足りない」っていう表現はたぶん正しくない。多分、瑠衣センパイの求めてる愛の形は、ファンのみんなが抱いているそれじゃない。多分家族愛とか、恋愛感情とか、アイドルだからじゃなくて、個人として愛してほしい。瑠衣センパイは、そう願ってるのだと思う。だからもっと愛されたくてアイドルとして頑張ろうとしている。大衆の抱く愛にそれがあることを願って。
「ついたよ。メイクさんが渋滞で遅れてるらしいから、しばらくは楽屋でゆっくりしててね」
テレビ局の駐車場にバックで駐車を決めたマネージャーの辻さんがにこやかに言う。今までボクらが出会ってきた大人とは違って柔らかな雰囲気を持つ大人だ。しかし、仕事はしっかりこなすというギャップの持ち主だったりする。
「先に挨拶回ってます」
「爽野君は真面目だね」
「ちょっと辻さん、それってボクが不真面目ってこと?」
「ああ、ごめんごめん。違うよ」
挨拶を回って、衣装見て、台本見て、歌詞の確認して、という流れになるのだろうと思いながらボクは車を降りて、楽屋に向かう。警備員さんに元気よく挨拶して、すれ違う人に会釈。それらを繰り返し「YR様」と書かれた楽屋にたどり着く。迷わないように場所を記憶して、ボクらは各楽屋に挨拶をして回った。
「今回の曲『ハピバレ』だからか、あれだね。ラブリーだね」
楽屋に戻ってきてから、真っ先にボクが確認したのは衣装だった。通常個別で袋に入っているものらしいけれど、ボクらのような新人アイドルにそんな手間をかける気はないらしい、衣装は全部ハンガーにかかって、クリーニングで貰うような透明な袋が覆っている。それを見て、瑠衣センパイが何とも言えない顔で一言。
「またそれ着るのか……」
と、漏らした。
『ハピバレ』というのは、ボクらの二枚目のシングルのタイトルだ。「ハッピーバレンタイン」の略で、簡単に言うと片思いの女の子に「チョコください!」と男子がねだるような歌詞で、恋愛ドラマの主題歌ということでキラキラとしたサウンドが、加工を効かせたボクらの声と合わさって可愛い曲になった。PVも女の子が一生懸命作ったチョコレートに恋魔法を妖精役の僕らがかけるといったもので、若い女性から好評だったらしい。
ハンガーにかかっている衣装――ブラウンのタキシード、ブラウスに割とフリルがついていて、袖口が広く、アクセサリーは、ブローチと、何というのかはわからないけれどピンでとめるタイプのリボンのついた小さな帽子、それからユニットのイメージカラーである水色のネクタイ――は、PVの妖精の格好だ。
瑠衣センパイがとても嫌そうな顔をしている。PVの時も「オレこれ着るの?」と口に出して衣装係のお姉さんに尋ねていた。そして「嫌ならいいわよ、でも仕事よ?」と妖艶な笑みで返されて、見事に完敗していたのが面白かった。
「まぁ、これ着てみんな笑顔になってくれるんだからいいよね」
さて、台本の確認をするかと、ボクらが用意されている椅子につこうとしたときだった、コンコンコン、とノックをされた。
「あ、メイクさんかな。無事つけてよかった」
辻さんもいないし、ドアから近かったボクがドアを開こうとしたら、返事も待たずに、内開きのドアが数センチ開いた。「失礼しまーす」と声が聞こえて、違和感を覚える。メイクさんではない。そう思えたのは、聞こえた声が男性のものではなく女性の声だったから。ドアが完全に開ききって、尋ね人の正体が明らかになる。
「爽野さんおはようございますー! 鈴芽さんもおはようございます」
ボクの方がドアの近くにいたのに、あとから挨拶をされたことから、この女性の中でのボクの地位は少なくとも瑠衣センパイよりも下なのだろう。
「中島さん、おはようございます。ご無沙汰ですね」
瑠衣センパイが笑顔で対応したことによって、女性の笑顔がより華やかになる。
この女性、
「今日Mスタですよね! 私もなんです!」
……どうして瑠衣センパイにそれを言うのか。というかさっき挨拶回りに行ったのにどうして挨拶に来たんだろうこの人。
「この衣装ってことはハピバレですか!? 楽しみです!!」
ボクはこの場から消えた方がいいんだろうか。とはいえこの女性のためにボクが動く理由が見当たらないし、何よりドアに一歩でも近づいたら瑠衣センパイが助けを求めるようにこっちを見る。
「そうなんです。ラブジャンさんは」
「あ、今回は新曲初披露なんです! あの缶コーヒーのCMの!」
「ああ、あれですか。楽しみにしてます」
瑠衣センパイは凄く棒読みだったし、笑顔も完全に作り物だったのだけれど、女性がすごく輝かしい笑顔になった。こちらも作り物の笑顔だ。何というか、魂胆が見え見えだ。
本気で恋愛がしたいわけじゃなくて、芸能界での恋愛というスリリングなことをしたいだけ、と見た。
「……じゃあダメかな」
「え、鈴芽さん何か言いました?」
ボクに顔を向けた女性は、とても少し声のトーン下げる。テレビでその声を発すれば、人気は落ちるに違いない。
「えっ、なんでもないですよ! どうぞ続けててください」
ボクが気を使ってそう言ったら、「もうすぐ戻らなきゃダメなんで!」と女性は楽屋から出て行った。ならなんで来た。
「ルイ君ってなんだかんだモテるよね」
「そうか? でも結局ああいうのって見てくれだけだろたぶん」
「そーう? 瑠衣センパイは中身もいいと思うけどなー」
「楽屋でそう呼ぶなって」
「ボク的にはルイ君はセンパイだからいちいち呼び方変えるの面倒なんだけどー」
「同じユニットで「センパイ」って言っちゃダメって社長が言ってだろ。じゃあ日常生活でも君づけにすれば?」
「それはそれでなんか違うんだよ」
「ふぅん?」
そんなことを話しているところで、メイクさんが来てくれた。衣装に着替える前にトイレに行っておくと言って、ボクは楽屋を出る。その間に瑠衣センパイが着替えてメイクをするのだろう。
「トイレの前で何やってるんですか、中島さん」
「あ……鈴芽さん!」
こっちに気づいてから名前を呼ぶまでに空白時間があった。割と微妙な顔をしていた。「お前じゃないよ」的な。駆け出しのアイドル同士でこんなところで二人で会ってたら何かあると思われると思うのだけど。どうなのだろう。
「爽野さんは、今」
「メイク中ですよ。中島さんも本当にそろそろ戻った方がいいんじゃないですか」
「そうですね。すみません」
「あ、あと。ああいう行動控えてもらっていいですか」
「…………は?」
うわぁ、声低くなった。わかりやすい。
「だって、中島さんはアイドルで、ボクらもアイドルですよ。アイドルは原則恋愛禁止です」
「うちの事務所はいいわよ!」
「ボクらのとこの事務所はだめです。それに、瑠衣センパイは、社長に「いいよ」って言われても恋愛というか、中島さんと付き合うことはしないと思います」
「何でよ!」
「ああ、誤解しないで。中島さんが悪いわけじゃなくて、瑠衣センパイが悪いんです。あの人頭かったいから」
『アイドルが恋愛禁止なのは、アイドルは恋愛しないという夢を客が抱いているからだ。そして、アイドルは夢を売るプロだから、夢を壊すようなことをしてはいけない』
というのが瑠衣センパイの持論だ。
「だから、瑠衣センパイはやめておいた方がいいですよ。中島さん」
ボクが言うと、中島さんは去っていた。なんだか泣きそうな顔をしていたけれど、さて何を思ってくれたのやら。
「瑠衣センパイに惚れるのは本当にやめた方がいいんだよなぁ」
ぽつりと漏らす。もちろん誰もいないことは確認したうえでの独り言だ。この世界は、うっかりと零した言葉から、どんな誤解を生むかわからないのが怖いところだ。
――ボクらは愛に飢えている。
ボクの両親は仕事で忙しい人で、一年に一度くらいしか会わないし、かけられる言葉と言えば「いつも、ごめんね」。
そして瑠衣センパイは、父親が有名会社の社長で、母親がそれの愛人だった。母親に捨てられ父親に引き取られたものの、愛人の子供を引き取るつもりなんてみじんもなかった父親にも、正妻にも、そして義理の兄にも構われず、ベビーシッターという赤の他人と一緒に生活することだけを強いられた。
家族愛というものをボクらは知らない。
だから、瑠衣センパイの恋人になりたい場合は、家族愛にも類似した愛情を注がなければいけない。つまり、結婚するつもりで交際を申し込んだ方がいいということだ。芸能界で少し仕事をして、イケメンに優しくされたから好きになっただけの人間には求められるものが多すぎるのだ。
「ああ、居た。トイレって言って何分いなくなるつもりなんだお前は」
後ろからフリル満載のタキシードを着た瑠衣センパイに声をかけられる。元の顔が綺麗だから似合わないことはないけど、「気だるげ」と言われ続けた瑠衣センパイが着るには違和感しかない衣装だ。PVの時と違うイメージを覚えるのは、ヘアメイクが完了していないからだろう。
「え、ボクそんなにいなくなってた? おっかしいな5分のつもりだったんだけど」
「15分くらい経ってた。早くお前も着替えろ。オレ一人だと恥ずかしいから」
「それでステージ立つけど大丈夫?」
「ステージ立つのはいいの。廊下とか歩きたくないだけ」
「じゃあなんで来たの」
「お前がいなくなったことによって、辻さんが胃痛に襲われたから」
「メンタル弱すぎるよ辻さん! すぐ戻る!」
トイレだけ済ませてから、戻ると瑠衣センパイはメイクに入っていた。ケープをつけられて、頬にメイクブラシを充てられている。
「児阪さん、おはようございます」
「おはよう、ゆうきちゃん。早く着替えちゃってね。すぐ終わらせるから」
「はーい」
僕も衣装を手に取る。来ていたシャツを脱ぎ捨てて、フリルの付いたブラウスに袖を通す。
「はい、できた。ルイちゃん可愛いわねー」
「可愛いはやめてくださいよ……」
「さ、着替えは済んだ? ゆうきちゃん」
「はい」
綺麗な衣装を着て、メイクをして、熱いスポットライトを浴びる。
それはボクらが愛を得るために選んだ道、愛されるために立つと決めた場所。
普通に大学に行って、就職をして、恋人を作って、結婚して。そんな生活はきっと二度と来ない。普通に恋愛だってできないだろう。
それでも、ボクらは日常よりも、人々に笑顔を向けられることを覚えてしまった。名前を呼ばれる喜びを覚えてしまった、人々に愛してもらえる可能性を感じてしまったのだ。
――ボクらは今日も舞台に上がる。
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