第一三話 奔流
私を置いて先に都へと立ち戻った父の一行は、伊藤景綱ら伊勢・伊賀の郎党と合流し、まるで小さな流れが大河になるように早さと勢い、強さを増していった。
遅れて出立した私たちと忠度と熊若の一行も、一刻も早く父の大河に合流しようとしたが、馬の群れは遅々として進まなかった。
「宗盛殿、そのような手綱さばきでは前には進めませぬぞ!」
忠度叔父に何度も叱責されるが、元々馬になどほとんど乗ったことのない私に、初めての馬などうまく扱えるはずがない。
「おい熊若!宗盛殿をお乗せしてやれ!」
叔父はすっかりあきれたのか、私よりも年下の熊若という少年の馬に乗るよう促された。私はここでも足手まといだった。
馬の上で私は、振り落とされないよう懸命に熊若にしがみついた。年下だったが、熊若は私を乗せながらも、巧みな手綱さばきで、叔父たちの一向に伍していった。
その時の不思議な感覚は未だに私の肌に残っている。熊若にしがみついていると、なぜか不思議と心安く、そのまま眠りに落ちそうな心持になるのだ。
父達一行が六波羅に戻ったのは十二月十七日。切目王子で異変を知ったのが十日の深夜だから、およそ七日かかった計算だ。行きは歩いて四、五日で来ることができたのだから、帰りの道中がかなり慎重だったことが伺える。
都に戻ってきた父を出迎えたのは、かつての盟友の首であった。
藤原信頼の手の者たちの襲撃を辛くも逃れた信西だったが、近くの山中で穴に隠れ潜んでいたところを見つかり、ろくな抵抗もできずにあっさり殺されてしまった。そして信頼らによって開かれた公卿僉議により、その息子たちは全て流罪に処せられ、こうして平家の武力と院の威光を巧みに用いて朝廷を我が物とした信西らの勢力は、朝廷から一掃された。
話が前後するが、後に乱が治まってからも信西の息子たちが配流地から都へと召還されるまでには、数年の時がかかっている。普通なら信頼によって着せられた濡れ衣による流罪なのだから、父の口添えさえあれば、乱の鎮定後ただちに都へ帰ることとてできたものを、そうさせなかったところに、父が信西に対して抱いていた本当の感情が見える気がする。
まるで奔流が岩にぶち当たるかの勢いで戻ってきた父の一行はしかし、六波羅で数日もの間、表立った動きを何も見せなかった。
信頼は恐れていただろう。彼の仇敵にして、父清盛の盟友だった信西を殺したのだ。父が怒りに任せて一気に内裏に火をかけ、帝もろとも焼け出されるのではないだろうか、と。
しかし平治元(1159)年十二月二十五日早朝、父は突如信頼の元へ向かい、平家の名簿を耳を揃えて提出した。平たく言えば、恭順の意を示したのだ。
人は予想外の出来事に遭遇すると、まるで描かれた絵のように動きを止めてしまう。何の才もないが、後白河院の寵愛を得て、見た目だけは美しかったといわれる信頼が動きを止めた様は、きっと良い絵になったことだろう。
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