第十話 変事出来

 平治元(1160)年の十二月四日に、父が率いる我ら一行は都を出立し、長い長い熊野への旅路が始まった。

 通常熊野へと向かう経路は、陸路主体の紀伊路きいじと、海路主体の伊勢路いせじがある。父が例のすずきを食べたのは、伊勢路で熊野へと向かう途中の話であったが、此度の熊野参詣は都からなので紀伊路を使うことになる。


 紀伊路の始まりである摂津国の渡辺津わたなべのつまでは都から舟で下ることになる。父や兄たちならいざ知らず、その当時の私にとっては慣れない船旅だったため、すぐに酔ってしまった。

「おや?清三郎殿は酒も飲まぬのに船酔いかな?」

 また基盛兄がからかうが、反応する気にもなれない。

 這う這うの体で船から降りた私を待っていたのは、数十里もある紀伊路の道のりであった。熊野への道というのは、あえて苦難の中に自らの身を置くことで、悟りを開くものである。従って、白河、鳥羽の院も、新院(のちの後白河院)も、そして父たちも、この道のりを全て歩いてきたのである。

 

 さすがに父も、始めての熊野行きとなる私のことを思ってか、行く先々にある王子おうじというやしろで、みそぎがてら少し休みをとったりはしてくれたが、足にたまった疲れはそう簡単に取れなかった。

 知らないうちに泣いていることもあって、そうした時には基盛兄にからかわれたりもした。しかしどうにか六日間歩き続け、十日の夕方には、一行は「切目王子」にたどり着いた。

 ここは九十九ある王子の中でも特に大きな五体王子ごたいおうじの一つで、宿舎としても利用され、参詣後には歌会が催されることもしばしばあるといわれている。


 連日の強行軍ですっかりくたびれてしまった私は、それこそ食事もとらず、倒れ込むように眠ってしまった。

「おい、宗盛!……宗盛!飯にするぞ!おーい!」

「基盛、このまま朝まで寝かせておけ。少し今日は急ぎすぎたぞ」

「兄上は宗盛に甘い!俺など十三の頃は父上よりも先を歩いておったわ!」

「そなたは元気が過ぎるのだ。基盛よ」


――兄たちの会話を聞きながら、また私は幼い私の寝顔を見つめている。元服を迎えたとはいえ、それでもまだ十三歳の少年の寝顔である。

 この時都では、我ら平家の不在を突いて、藤原信頼ふじわらののぶより率いる一派が大変な事態を引き起こしつつあることなど、父はおろかここにいる誰も、まだ知る由もない。

 

 月並みな言い方をすれば、夜の静寂を切り裂いて、とでもいうのだろうか。突然、我らが眠る宿舎に複数の騎馬姿の家人たちが駆け込んできた。大変息せき切って、言葉も切れ切れだ。

「殿……殿に……お目……お目通りを!」

 ただならぬ様子に、番をしていた家人は、まず水を飲ませ、落ち着かせる。都で変事あり、ということで六波羅から馬を飛ばして駆けてきたというのだ。

「都にて変事出来!藤原信頼らが院御所を襲撃!院と帝の御身柄は信頼の手に落ちました!」

 この知らせを聞いた瞬間、父はまるで獣のように咆哮した。私があの夜、深い深い夢の中で襲われた獣と、そっくりな声であった。

 

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