第四話 足手まといの清三郎

 合戦前夜に開かれた景気づけの宴もたけなわ、重盛兄が気勢を上げたのに続き、呼ばれもしないのに出しゃばりの基盛兄まで立ちあがり、ずかずかと前に進み出て、父譲りの大声で叫ぶ。

 基盛兄はこの数日前に宇治路うじじにて大和の住人源親治ちかはるを生け捕った功により、帝(のちの後白河院)から直々お褒めを賜っただけに鼻息は荒い。

「此度の戦、一人でも多くの敵を打倒し、その首取ってまいる所存!決して気を失うでないぞ!の清三郎殿!」

 どっと笑いが起きた。笑っていないのは母時子と幼い私だけだった。父も、兄も皆、笑っていた。母の隣にいた私は、母が聞こえるか聞こえぬかの声で、こうつぶやいたのを、確かに聴いた。

「清三郎、母は……母は口惜しいぞや……」

 母の声が震えていた。泣いている母を見るのは、これが初めてだった。すわ戦!というときに悲しげな、恨めし気な顔は似合わない。母は涙を隠すようにして、私と弟たちを連れ帰った。

 もちろん私だって悔しかった。だが基盛兄の言うことは間違ってはいないのだ。私が臆病なのは、私が一番良く知っている。そんなことよりも、私のために母を泣かせてしまったというやるせなさで、胸が重くなった。

 屈辱の宴のあと、私は母や弟と共に寝室へ入った。しかし、目を真っ赤に潤ませ、今にも涙を流さんとする母の顔が浮かんで、眠ることができない。そうでなくても、出陣を控えた侍どもの獣のような鬨の声や、物の具の音のせいで、うるさい夜なのに……。

 その後の我ら平家の戦いぶりは、巷間よく語られているとおりである。

 あの宴のあと、父率いる平家勢六百は、夜陰に乗じて二条大路にじょうおおじを東進、鴨川を渡り、源義朝よしとも勢三百と共に新院(崇徳すどく院)方の拠る白河北殿しらかわきたどのへと攻め寄せた。新院方を率いる悪左府頼長あくさふよりながは、なぜか夜襲はないものと決めつけていたために、新院方はひどく狼狽し、源為義ためよしとその子鎮西八郎為朝ちんざいはちろうためともらの奮戦も及ばず敗れてしまった。

 母は私たち兄弟に、重盛兄が鎮西八郎為朝と組み合おうとして、父に止められた、という話を何度もした。弟の清四郎、清五郎(のちの知盛、重衡)は、この話が大好きで、彼らの間で重盛兄は、緒戦で功を挙げた基盛兄と並んですっかり英雄になってしまった。

「……清三郎や、そなたも重盛殿、基盛殿に負けてはなりませぬぞ!そなたは私が初めて産んだ子。次の戦ではきっと立派に初陣を!」

 治承じしょう以来の長い戦を経た今となっては児戯じぎにも等しいが、あの保元の戦は、都を数百年ぶりに戦乱のちまたに変えた戦である。戦後には絶えて久しかった死罪が行われ、父清盛は、自らの叔父忠正ただまさと、従兄弟たちの首をねているし、頼朝の父義朝は、自らの父、為義を斬っている。

 あれだけの大きな戦である。あの頃の私は、もう次の戦など起こるはずがないと思っていた。当分、私が初陣を遂げる機会など訪れまい……そう思い、武士としての自分から逃げ続けていた。

 しかし、わずかその三年後、平治へいじの折には、さらなる大きな戦が都を襲うこととなるのだが、そのことを保元元年の夏を精一杯に生きる人々は、まだ知る由もない。

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