第三話 戦と宴
保元元(1156)年七月十日の夜、京・六波羅の父の屋敷には、父率いる大勢の侍が駆けつけていた。彼らは獲物を探す獣の眼で、打って出る刻を今か今かと待っている。皆鬨の声を挙げ、声まで獣のようになっている。
あの頃の私といえば、都大路で父が馬に括り付けていた賊の首を見てしまってからというもの、父に近づくことさえできなくなっていた。
「母上、どうしてもいかねばなりませんか」
幼い私は、戦の前の景気づけとして行われた一門の宴に出るのが嫌で、何度も逃げようとした。しかし母は応じない。
「なりません清三郎。重盛どの、基盛どのもお出になるのですよ!そなたが宴に出なくてなんとするのですか!」
この頃から母は少しずつ、兄達と私を比較するようになっていた。母にしてみれば、私は初めて腹を痛めて産んだ子である。そんな私の存在を少しでも大きなものにしようと、母は一門の集まる場があれば、しきりに私を連れ回したものだった。
まだ十歳だった幼い私は、結局母に連れられて、弟たちと共に宴の座の末席に加わった。
「お、誰かと思えば生首で気を失うた清三郎ではないか!今宵の戦、平家は数え切れぬほどの敵の首を持ち帰る故、そなたは一月ほど気を失うやもしれぬな、ハハハ!」
基盛兄は何かといえば私をからかい、笑いものにした。この兄がのちに早世した時には、悲しみより先に、安堵が込み上げてきたことを、今でも覚えている。
「基盛、埒もないことを申すな!戦の前であるぞ!」
基盛兄をたしなめたのは、あの聖人君主の重盛兄であった。彼は彼で、独特の堅苦しさ、息の詰まるような思いがして、基盛兄とは別の意味で、好きにはなれなかった。
一門が集まり、ざわざわとした場がピンと糸を張ったようになったのは、棟梁である父が、着座した瞬間であった。ただそこに座るだけで、一座を緊張させるのは、やはり父だ。
父が一通りこの戦に向けての意気込みを語り終えると、そこからまたざわざわと宴が始まっていく。しばらくすると母は立ち上がり、私を連れて一門の主だった人々と言葉を交わしつつ、酒を注いでいく。
叔父の経盛、淡路守教盛、常陸介頼盛、家人の姿も見える。中でも懐かしいのは乳母父の伊藤景家だ。
「清三郎様、お気を強くもたれませ!基盛様とて粗暴な振る舞い多く、よく殿に叱られておるではありませぬか。お優しい清三郎様の方が、私は好きでございますぞ!」
景家は私を「優しい」と言ってくれた。彼の息子、景経も、最後まで私を見捨てなかった。棟梁として、愚かで、弱かった私を支えてくれたのは、この親子だった。
宴もたけなわ、父が声を張り上げて、重盛兄を呼びつける。総領息子として、一言述べよというのだろう。
「皆のもの!敵は上皇さまや左府さまと思うでない!敵は皆帝にまつろわぬ賊じゃ!賊の退治じゃ!」
重盛兄の言葉に、満座は盛り上がった。これで宴はお開きとなり、やっと帰れると安堵しかけた時、なぜか基盛兄が急に立ち上がり、ずかずかと父、重盛兄の横に並びかけた。宴は、まだ終わらなかった。
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