第3話 現状確認
「君たちの力戦奮闘は理解した。だが、第二師団は何をしていたんだ?」
「事態の展開が急なこともあったでしょうが、敵は山脈超えの砲撃や山岳歩兵の投入を第二師団管区全域で行っています。沿岸回廊も突破されかけ、今なお後退戦闘を行っているという話ですし、あれ以上の増援投入は行えなかったのだと思います。司令部もそう言ってきました。本来ならば増援の到着ととも着任されるはずだった大隊戦闘団司令部も、沿岸回廊の苦戦でそちらに回されました。承服はしかねますが、納得はできます」ケリ―は淡々と語ると、また水を飲んだ。手はきつく握られている。
「よくわかった。ありがとう。他になにかあるか。忌憚ない意見を述べてくれ」
「少佐殿、非礼を承知で申し上げますが、一体何を理解していただいたのでしょうか?」
彼自身、感情の昂ぶりに気づいていなかったのだろう。
絞りだすように吐いた言葉の意味に気づくと、ケリーは激しく動揺した。
アルベルトが顔色を変えたが、ブーツのつま先を踏んで抑えさせる。
「構わん。吐き出しちまえ。どうせ憲兵なぞおらん。まずいことは聞かなかったことにしてやる」
鼻歌でも歌うかのような調子で言ってやった。
このときの私は思い切り高邁で嫌なやつに見えたことだろう。
実際、そのつもりで話していたのだ。
「本気ですか」怒りの目で、ケリーが私を見た。
「私が理解したのは無論、兵と君の無念をだ。君が君自身の無能に押しつぶされそうになっているのも分かる。開戦からこっち、この辺りは先日までのどかなものだったからな。おおかたその返り血は、大休止の最中にでも流れ弾を食らった兵隊を助けようとして浴びたものだろう?自分がもっと有能なら兵隊を死なせずに済んだ、いや、あの兵隊は死ぬ必要がなかった、俺が弾を喰らっていれば、とな。だが、自分が死ななくてよかったと、心底そう思っている事実に打ちのめされていることもわかっている。フン。傲慢だな。何様のつもりだ。大尉、君がうまくやっているかどうかは、君が判断することではない。大尉にもなってそんなこともわからんのか」
ケリーが椅子を蹴飛ばして立ち上がる。
「あんたにはわかるというのか、元近衛風情に」
「わかるとも」
「何を根拠に」
「君が率いてきた兵の目だ。近衛に居た頃の私にはついぞ捧げられることのなかった、畏敬の念だ。兵たちは間違いなく、生きてここまで連れ帰ってくれた君を尊敬し、崇めている。ここまでの道すがら、君の率いた兵を見てきたが、皆そんな目つきで君を見ていたぞ。ところで君、自分にはそんな資格はないとでも言うんじゃあるまいな?なんならその辺の兵隊をとっ捕まえて聞き出してやろうか?いいや、彼らは何も言わんな。普段の君はおそらくとても自制的だったのだろう、兵たちも真似するに決まってる。私が君のことを褒めたって、ちょっとはにかんで一言二言感謝を述べるだけに留めるだろうさ。ほんの四〇日前まで兵隊がバタバタ死んでいた中央戦区に居た私が言うんだ。間違いはない。君のところの中隊曹長も同じようなことを言いたそうにしてるぞ。何なら賭けるか?あいにく安酒しか持ってきておらんが」
「……」
ケリーは絶句して棒立ちになった。
まだ少し動揺はしているようだが、肩の力は抜けている。
だいたいそもそも、彼は自分自身について勘違いしていたんだ。
直線距離五〇km、実際には八〇Kmを超えるだろう道のりをわずか三日で、それも敵機甲部隊の追撃を受けながら壊走せずに部隊の統率を守って後退してくるなんざ、どれだけ有能なんだっていう話だよ。
そこを誇らないのが彼のいいところなんだろうがなぁ。
「まぁちょっと座れ、大尉。まだ聴きたいことがある」
手をひらひらと振る間に、従兵が何事もなかったかのように椅子を直す。
ちらとこちらに視線を向けたので、目配せしてコーヒーと菓子を用意させる。
「はぁ」
「君な、奴らは大隊規模の準備砲撃とともに攻勢を開始したといったな。あと、地雷散布戦術な」
「ええ」
「おいおい、しっかりしてくれ。ええとかはぁとか、娑婆の言葉を使ってる場合じゃないぞ。ああ、ありがとう、従兵くん。諸君も飲め」
馥郁たる香りが鼻孔を満たし、すっきりとした苦味と酸味とカフェインが意識を冴え渡らせる。
我が国が帝国に勝っていることの一つに、海に面しているという点があげられる。
帝国人が長らく代用コーヒーで我慢しているのに対し、我が国には少なくとも本物のコーヒー豆を前線のどこにでも届けられるだけの経済的余裕と兵站能力が存在する。
この差は大きい。
果てしなく大きい。
おかげで正面戦力比では一〇倍以上の戦力を保有している帝国相手に、我軍は常に優位な戦局を維持できている。
「はい、失礼しました少佐殿。確かにそのように申し上げました」
「ミッシー、参謀本部の連中、この正面の敵は最大一個聯隊規模、実勢としては二個大隊とか言ってたな。どう思う?」
「はっ。今のお話を勘案するに、参本の見積もりは少々甘かったのではないかと思います」
「フム」続けるように目で促す。
「大尉殿のお話や前もって頂いていた戦闘詳報を勘案するに、敵はすでに一個大隊の戦闘力を失っています。後方で再編中なのは間違いありません。したがって、聯隊規模で始めた攻勢だったとしても、実勢二個大隊強となるのは、大筋では間違っていないでしょう。であれば、彼らもこの辺りで一旦戦線を固定、もしくは後退させ、大規模な部隊再編成や部隊の交代を行いたいはず。ですが彼らはまだ前進したがっています。音響、振動、通信傍受が丘の裏側への戦力の集結と大隊規模での再編を知らせています。通信傍受では定数割れした聯隊規模での攻勢かと思われていましたが、完全編成の旅団戦闘団規模、もしくはそれを上回る規模をもって始めた攻勢だということです」
「つまり、連中はさらに兵力をここに投入するつもりか、新型戦車に大した自信を持っていると?」
「その両方ですね。旧式・軽装甲の山岳用とはいえ、ADを正面遠距離から撃破する戦車を保有しているのですし。前方に抽出した増強機甲中隊はそのまま突撃の先鋒に、増援を攻勢の主軸に、増援と合同・再編成させた損耗大隊残余を予備の機動兵力として使うつもりかと思います」
「地雷散布砲弾を撃ってこないのはなぜだ?」
「兵站に問題が生じたため、射程不足、観測情報不足、隘路の最終障害であるこの陣地にあまり地雷を増やしたくないため、新型戦車の稼働率に問題があるため、あるいはこの全て、です」
「ジェイク、貴様はどうだ」
「エリオット少尉に同意します」
「進撃を停止した理由は?」
「我々が来たからでしょう。様子見と再編です。攻勢自体は停止する意味がありません。陣地を補強しているのは、単に我々に逆襲させないためでしょう。連中のドクトリンは重砲による曳火射撃化での進撃、スチームローラー戦術を伝統的に採用しています。地雷散布戦術はその変形と思っていいでしょう」
珍しく言葉に勢いがない。さてはミッシーに言いたいことをだいたい言われてしまったのだろう。
「アルベルト」
「二八八中隊の撤退援護を行った小隊は、敵戦車と交戦しています。損害は皆無でしたし、少なくとも敵戦車三両を撃破しています。彼らは我々が強力な増援と認識したはずです。よって、大隊首席参謀ならびに情報参謀の意見に同意します」
「つまり近いうちに再び攻勢に出てくると?」
アルベルトたちは一斉に頷いた。
たしかに概ねその線かもしれない。だが私は、
「サカイ特務大尉はどう思う?」と、居並ぶ若手将校の中でただ一人異彩を放つ、ほとんど老人と言っていい男に言葉を向けた。全員がそちらを向く。
サカイ・サブロー特務大尉。
第二中隊長、兼、作戦参謀。
一六歳で入隊し、三等兵から叩き上げで大尉にまでなった男。
私のような、家柄と士官学校の教育だけで「士官でござい」という面をしている連中とはわけが違う、本物の将校だ。
親父さんは元国防大臣(既に鬼籍に入っておられる)、お兄さんは参謀本部統帥部部長(後年、参謀本部総長になった)、娘さんは参謀本部作戦課長とエリート一家にも程があるが、サカイの一家は何代かに一度、彼のような人間を輩出する。そして彼らはそのことを誇り、尊ぶのだ。
正直なところ、寄せ集めの我が大隊がどうにかまとまっていられるのはサカイ特務大尉の人望によるところが大きい。
ではなぜ私が大隊長でジェイクが首席参謀かというと、サカイによれば「なにごとも経験です」とのことだった。
「そぉですなぁ……あちらの攻勢限界が来たと思わせておいて、反撃を誘い込み、渓谷内部で我が方を殲滅するという手がありますなぁ」
サカイ特務大尉には、都合の悪いことを努めてのんびり喋べる悪い癖がある。
教官職も数多くこなしてきたためその時についた癖だとは言うが、たいていの学生はこれに引っかかって楽観的過ぎる解決策を回答させられる。
ただしジェイクによれば、実戦においてはもっとよくないことの予兆だという。
「なにかそういった事例があるのかな?」
背中に冷や汗をかきながらサカイに問う。騎兵学校で教育を受けていた時の、サカイの叱責を思い出してしまったのだ。
見れば、たいていの士官たちが同じように緊張していた。
「こいつは軍大学の上級参謀コースでようやく教えることですが、ワシの先祖が東の果ての島国、いまでは皇国と言うんですか、まぁそこにおった頃の話です」
人の良さそうな微笑を浮かべながら、サカイは背を伸ばした。
私達はちょっとホッとした。
上級参謀コースといえば少なくとも中佐になってからでないと受講できないから、私達が知るはずもない話だ(私に至っては基礎参謀コースを通信教育で受講しながら大隊長職を拝命していた。当時の我軍はそこまで壊滅的な状況だったのだ)。
深く低く良く通る声で、サカイは語る。
三五〇年ほど前、東海覇王御山安貞様が東十洲の最後の平定地である西海道という大きな島を攻略した時のこと。
敵は西海道の南の果てに居を構える戦国一の武将と呼ばれた鷲津宗則、兵力約四〇万。
対するは東海覇王のご子息信貞様と南海覇公森田秀之様、兵力約五五万。
兵力比では寄せ手がやや有利であったが、敵は地の利と、東十洲で最高の練度と装備を持つ騎馬・鉄砲隊を柔軟に使い、寄せ手の前衛を大いに苦しめた。
ただ力押しでは戦に勝てぬとみた南海覇公は、信貞様と軍師の半兵衛とで策を講じる。
軍勢を二手に分け、それぞれ島の東西に分割。交互に南進を行ったのである。
この二個軍は互いに緊密な連絡を保ちながら、敵と接触しては停止し、敵が引けばまた進むという機動を行った。
鷲津方は最初のうちこそ全兵力で各個撃破を試みたものの、片方に対処している間にもう片方に南進されることの繰り返しで、ついには居城の門前にまで追い詰められ、宗則は自害、鷲津方は降伏することとなった。
要は二正面で誘出と防御を繰り返し敵兵力を漸減させる戦術を作戦規模で行ったのだが、それを実現させる戦略的兵站を確立させていたこと、なによりこの作戦機動で主導権を得たことが、この戦訓の肝である。
士官学校で戦史の授業を受けているような気分になってしまった私は、そのままの気持ちで聞いてみた。
「フムン。つまり教官、我らの立場はそのワシヅドノと同じ、ということでしょうか?」
「というより、儂らの上級司令部に南海覇公となる気があるかどうかですな、ワイルダー騎兵学生殿」
言われて、あっという顔をしてしまった。
ワシヅドノと同じように第二師団は追い詰められつつあるが、確かに現在の状況ならば、まだ我らがナンカイハコウドノと同じ立場に立てる可能性はある。
あるいは、敵がこの北部戦区に戦場を新たに設定したことこそが、そういった意味を持つのかも知れない。
中央戦区・北部戦区を互いにとっての囮とするような。
実際はそうではなかったが、我々は最後の段階までこの一点で持って翻弄され続けることになった。
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