第2話 合流
当時、つまり一七〇四年から二年半前の一六九九年二月、帝国と我が共和国は戦端を開いた。
我が国と帝国の間には長年にわたって領土問題が存在しており、その背後にはどうしようもなくこじれきった民族問題がうずくまっていた。
大陸中央の水源と交通網を押さえた帝国は、おおよそ一七〇〇年前に成立した。
我が国は八九五年前、帝国が我が国土を流刑地と定めたその時をもって成立したことになっている。
この辺りはまぁ歴史家に好きに言わせておけばいい。
ともかくその頃から、我が国は雑多な人種の集まる(集められる)多民族国家として最初はごくごくゆるやかに、次第に猛烈なスピードで発展を遂げることになる。
我が共和国の国土は、大陸の西の端からちょいと飛び出し南側へ垂れ下がったような半島部と、半島北端付近で接続する南北に長い起伏の穏やかな丘陵地帯からなる。
国土の二割を占める山がちな半島部、特に西半分は強い潮風を受けまともな作物は育たない。その代わり、多種多様な鉱物資源を豊富に産出する。また、この地方に自生する植物を原料とした酒類も、諸外国で人気を博する重要な輸出品である。半島部は幅三〇kmから五〇km、長さは一二〇kmほどだ。
大陸側の丘陵部は我が国の農業生産の八〇%を行っている大変重要な土地で、現代では人口の約七割がこちらに居住している。
この二つの地域を区切る幅二〇km前後、奥行き一四〇kmほどの細長い湾は、耕作地に乏しい我が国にとって大変重要なタンパク質と食用植物の供給源であるとともに、諸外国との貿易を担う港となった。
総督府もこの湾の奥のちょっとした平野部に置かれ、独立後はそのまま初代共和国政府庁舎となった。今では共和国首都として大いに繁栄している。
国土全体で言えば、北側は交通網の発達した現在ですら踏み込むことを躊躇してしまうような峻険な山脈、東側はそれよりは幾分穏やかだが砂礫に覆われた不毛の山脈、南部は結構な渓谷を流れる河川で隣国と区切られている。
東側にある山脈の手前には南北に流れる幅二kmほどの大河が存在し、その東岸から山脈にかけては我が国固有の領土であることはまさしく八九五年前の帝国勅令によって明示されている。
にも関わらず、おおよそ六〇〇年ほど前に我が国が独立してから、帝国は事あるごとにこの土地の帰属を問題とするようになったのだ。
無理もない。
この大河の河口は、大河の水運を用いた優良な交易港として栄えているが、この港は我が国のものだ。
ほぼすべての国境を隣国、あるいは永久凍土に封鎖された帝国には、国家が経済発展をなすために絶対必要といえる港がないのだ。
帝国が大陸を支配出来たのは、大陸中央部の主要街道と水運を押さえることが出来たからに過ぎない。まぁ、それだけなら一七〇〇年以上も大陸を支配できたわけはないのだが。
とはいえ常に我々は対立していたわけではない。
共和国の国力では、帝国の同盟国として振舞っているほうがよほど健全に国家を運営できることは、建国当時からの一般常識であるとさえ言えたからだ。
経済的には我が国はその立地を活かして帝国へ良好な港湾を比較的良心的な港湾使用料で貸与し、見返りとしてどうしても不足しがちな資源を低価格で譲ってもらう関係であった。
軍事的には、帝国が戦争を行うときは流刑者と総督府勤務者と難民の子孫たちからなる軍隊を派遣するかわりに、広範な資金援助と各種の技術支援、そしてたまには農奴の子孫たちによる軍事支援を得ることができた。
おおよそ良好な関係、と言えたとおもう。
が、やはり両者には埋めがたい意識の差が存在した。
なんといっても彼らにとって我々は流刑者の子孫なのだし、我々にしてみれば帝国など自分では何もしない肥え太った豚とか農奴野郎、ぐらいの見方はしていたわけだ。
よくもまぁこんな状態で(独立直後の二~三の戦争はともかく)、何百年も大きな戦争をすることもなく隣り合って共存できたものだ。
そんな両者の関係が急激に悪化したのは終戦の八年前、一六九六年。我が身内の恥を晒すようで思い出すのも気持ちが悪いが、我が国の民族主義者(と本人は名乗っていたが、ありゃあどう見てもネットの怪情報に踊らされていただけの無能者)が、あろうことか我が国へ訪問されていた帝国王女アナスタシア様を爆弾とライフルで襲ったことをきっかけとする。
ちなみに当時の私は、叔父の引きでアナスタシア様の警護部隊に編入させてもらえたことを無邪気に喜んでいる新品少尉だった。
幸いにもアナスタシア様は軽傷で済んだが、犯人の一族郎党を皆殺しにしても済む問題ではない。
同行されていた外交使節団の半数が死傷し、王女の婚約者もまた死んでしまったこと(この点だけはよくやったと褒めたい。あんなガマガエル野郎がアナスタシア様のお肌に触れるなどあってはならないのだ)、さらには当時の外交使節が携えてきた話題が例の大河東岸地域の帰属について我が国へ大幅に譲歩する内容だったといえば、事の重大さがわかるだろう。
帝国は直ちにアナスタシア様と外交使節団の保護を名目に一個騎兵小隊を大使館に常駐させると同時に、我が国に展開している陸軍駐屯地をこれ見よがしに警備強化、東部山脈沿いには演習名目で一個軍を展開した。
帝国のやり方としてはこの後なんらかの「事故」が起こり帝国軍人が現地民に襲われ、それに対する警察行動と称して戦端を開くのが通例だ。
無論その手に乗るような我々ではないから、犯人の身柄は迅速かつ厳重に取り調べ(というか犯人が意気揚々と何もかも喋ったというべきか。全く度し難い)を行った上で帝国に引き渡したし、大河東岸地域の帰属についてこちらも譲歩する用意があることを示した。
何しろ一七〇〇年もの間、大陸を支配してこゆるぎもしなかった大国が相手なのだ。下手に刺激する訳にはいかない。
このとき、我が国にとって最大の幸運と不運が同時に存在した。
当時の政権担当者グレゴリオ大統領がただひたすらに無能だったこと、彼にとってかわる政治的指導者が当時まだ存在していなかったことだ。
いっぱしの国士気取りで高潔な思想を持ち、大貴族ゆえの莫大な資金力を背景に、各省庁・政党の利益配分と政治的バランスをとるためだけに大統領へ推されたグレゴリオ氏が開戦までの五年半でばらまいた混乱は、すさまじいものだった。
「前政権が決めたことだから関係ない」などとうそぶき、関係悪化前に決められた貿易協定や駐屯地移転をすべて白紙に戻すなどやりたい放題。
当然、両国関係の改善など見込めるはずもない。
しまいにゃ実家の近所のガキどものスラングに「グレ公」が追加されたあたり、推して知るべし、である。
しかしそんな彼でもただひとつ、余人には真似のできなかったことがある。
開戦を五年は先送りさせたことだ。
史上最低の得票数で大統領選を敗退したグレゴリオ氏の跡を引き継いだ次の大統領・ベック氏にはもちろん、悪辣・豪腕で知られた三代前の大統領、知の泉と唄われ三期一五年を務め上げた二代前の大統領でも、それほどの長期間を戦争から回避できていたとは考えにくい。
彼らのやり方は十分予測可能であり、どんなに頑張っても半年程度しか開戦を先延ばしにはできなかったと思われる(ベック元大統領に至っては後年これを公式に認めてしまった。もちろん皮肉でしかない)。
ところがグレゴリオ氏の言動は、全く予測不可能だった。
好き放題やったと表現したが、それでは生ぬるい。まるで暴れまわる三歳児だった。
それまで比較的おとなしかったオッサンが、大統領になった途端、あっちへちょこまか、こっちへちょこまか。注意すると拗ねるわ泣くわ失踪するわ(事実だ)、よくもまぁあんなやつを大統領に戴いて国家が転覆しなかったものだ。
こんなやつを相手にせざるを得なかった帝国外交関係者(と我が国の大統領府勤務者)が、ストレス性胃炎や胃潰瘍、はたまたアルコール中毒や各種の精神病を患ったのも無理は無い。
そんなこんなで帝国も自慢の外交力をろくに発揮することが出来ず、ずるずると開戦を先延ばしにしてしまったのだ。
さらに幸運なことには、開戦までの間に帝国の東部や北部で内乱が発生、南部からは帝国と事あるごとに衝突していた複数の国家が同盟を組んで一斉に殴りかかったのである。
あるいはこれが最後の関係正常化のチャンスではあったに違いない。以前のように同盟国家として参戦し、血の代償で持って大河東岸地域の帰属を明確にするのだ。
しかしながら我々はそうはしなかった。
なぜか?
どうせ血を流すなら、帝国のためではなく共和国のために血を流すことを、共和国市民の多くが望んだからだ。
軍人は市民に血と献身で奉仕するもの。
ならば我々に是非はない。
アルベルトの中隊と合流した後、我々の視界を遮っていた大きな(小山と呼ぶのがふさわしい)丘陵にあらかじめ設営されていた陣地に二八八中隊を無事収容することができた。
ここはもともとこういった事態が発生した場合に備えて築城された半永久陣地だ。
地下はそっくりくり抜かれ、地下司令室はもちろん、食堂施設や衛生施設などが作られていてひどく使い勝手が良い。
我が大隊の給養班と衛生班が直ちに活動を開始する。
泥と血と硝煙にまみれ大きくその数を減らした二八八中隊の兵たちに温かい配食と傷の手当、入浴を手配する。
守備線の確保については、我が大隊の装甲擲弾兵と第二騎兵中隊が丘の前方に展開し、哨戒線を作り上げた。
一方で我々大隊司令部と二八八中隊指揮班(つまり二八八中隊長と中隊付曹長)は挨拶もそこそこに、地下司令室で集合、状況の確認と今後の打ち合わせを開始した。
我が大隊に同行してきた砲兵聯隊観測班も同席する。
「敵の配備状況ですが、かなりの努力が見受けられます。頂いた報告や各種センサー情報を総合すると、主陣地には対装甲ミサイルや重迫撃砲、重機関銃が四基前後ずつ効率よく配備されています。前方陣地は迫撃砲と機関銃陣地が形成されつつあります。いずれも強力な装甲車両群と、後方の重砲に支援されています」
現状説明をしているのは、大隊情報参謀のミッシー・エリオット中尉。
浅黒い肌に大きな瞳、髪は烏の濡れ羽色。
年はまだ二四、五かそこらだが、実戦は開戦以後の二年半で嫌というほど経験している。
実際のところ、士官学校の席次は尻から数えたほうが早い彼女が同期の中で最も速く少尉に任官し、その後一年と少しで中尉に昇進できたのは野戦昇進の結果だったのだ。
野戦負傷章や歩兵突撃章、さらには携帯火器でADを屠ったもののみに与えられる肉弾装甲撃破章を袖に縫い付けた情報士官など、そうそう居るものではない。
「それに地雷も」そんな彼女の言葉に、くたびれた表情の二八八歩兵中隊長が付け加える。
現在、ほぼすべての機動歩兵(我が国においては装甲擲弾兵と呼ぶ)は動力化された装甲服を着て戦う。つまり汚れるのは装甲服外皮であって、彼らの野戦服そのものはそれほど汚れない。
にもかかわらず、二八八中隊長の野戦服は泥と返り血にまみれていた。
「あいつら、分捕った陣地の周りに地雷を撒くことにかけてはえらく執着的です。最初のうちこそ狙撃兵と迫撃砲で邪魔しておりましたが、とてもおっつきません」
泥だらけの歩兵将校――クレイグ・ケリー大尉は、私に向き直ってそういった。戦闘の影響か、声が硬い。
面長だが顎がしっかりしており、貧相な顔つきには見えない。まゆをもう少し手入れしたほうがいいかとは思うが、なにせこんなご時世だ。
「それについて、大尉、済まないがもう少し詳しい話をしてほしい。できれば、君たちが後退を始めた四日前の時点から」大尉の顔面から表情が失せる。
「最近の騎兵隊は、査問官の真似事もされるので?」平時であれば上官に対する暴言ととられかねない発言だ。
「いいや。純粋に戦術的な意味がある。もちろん、今まで君がくれた報告は出発前に目を通しているが、生の言葉を直に聴きたいのだ」
ため息をひとつこぼし、水を一口飲んでからケリーが語った内容は、概ね次のような内容だった。
四日前の早朝、第二師団管区最北端の沿岸回廊守備隊は帝国軍と突如戦闘状態に陥り、短時間で突破されたとの報が入った。
当然我が中隊は両隣の二八七中隊、二八九中隊とともに高度防衛態勢に移行。
方面担当の第二師団は直轄予備の二個装甲聯隊のうち一個を沿岸回廊に急派するとともに、隷下の各中隊後方に予備兵力を増派。
その日の夕方までには我が中隊にも増援は到着した。
第二師団管区は全体的に峻険な山脈に守られている。
ご存知かとは思うが、中隊規模以上の装甲兵力が運用可能な回廊は、沿岸回廊と、ここ北部中央渓谷しか存在しない。
この他は機動歩兵の運用ですら相当の無理が出る、事実上の非武装地帯だった。
このため、師団は旅団直下に編制された中隊単位兵力を弾力的に運用し大隊級戦闘団を各地に編成、この兵力で持って戦線を保持し、敵の攻勢が鈍化した時点で聯隊規模の予備兵力を投入、のちに敵の攻勢開始線まで押し戻す方針であった。
二八八中隊に与えられた増援は、戦車二個小隊と山岳戦用ADイエティII一個小隊の混成機甲中隊、一五五ミリ砲一個中隊、他に補給段列や戦闘工兵小隊などと潤沢なものであり、師団の防衛方針に十分見合ったものであったと思う。
指揮はそのままケリー大尉が行うことになり、二八七、二八九両中隊はこちらの要請に基づく砲迫での支援と、敵山岳歩兵への対処が任務となった。
深夜、敵は大隊規模の準備砲撃から始まる一連の攻勢を開始した。当時の我が守備線は五〇Km先の渓谷中央部、渓谷内部の隘路が左右の山脈に圧迫されて最も狭隘になっている部分だった。
我が中隊は地形の助力も得てこれによく耐えたが、翌朝には後退する必要が発生した。
敵の新型戦車中隊を先鋒とする機甲部隊に突破されかけ、我が方の歩兵一個小隊が大損害を受けたためだ。
盾としていた左右の岩壁の一部を敵の砲撃で崩されたことも影響している。
ケリー大尉は予備としていた機動歩兵一個小隊と損害を受けた小隊を交代させ、増援の機甲中隊の援護の元、全軍を後退させ始めた。
三日前の昼前だった。
敵はこれを察知するやいなや、我が後退路に散布地雷砲弾を打ち込んできた。
この開啓作業そのものはそれほど手間を取らず、およそ一時間ほどで幅二〇〇m、長さ二Kmの脱出路を三本確保できたが、その遅れは致命的だった。
戦闘開始前は大隊規模だった我が部隊の戦力は、地雷原を突破した時には、その二割の兵員と装備を失っていた。
敵部隊は地峡部を抜けると機甲部隊を前面に押し立て防壁とし、燃料気化弾頭で地雷原を除去しながら戦線を形成。
その日の夕方には再度攻勢に出て、あとはその繰り返し。
とうとう二八八中隊はこの渓谷の出口まで押し出されてしまった。二個中隊以上の機甲戦力は削った感触があったが、二八八中隊は今や二個小隊にも満たない兵と、一両と二騎の機甲戦力しかない。砲兵中隊の損害が少ないことだけが救いだが、全弾射耗してしまい現在は役に立たない。
なお、渓谷の上から迫撃砲などで支援してくれていた二八七、二八九の両中隊は、敵の対砲迫射撃により一時的に戦闘力を喪失した。
現在は再編し守備線に付いているが、以前のような支援は頼めない。
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