第1話(後編)

「ケモゥンネ?(おいしい?)」

「ああ、ケモゥンだよ。めっちゃケモゥンだ」


 サモンマトリクスの翻訳魔法によって、俺はどんな異世界の言語でも即座に理解できてしまう。

 脳の電磁パルスの互換とか詳しく言えば切りはないが、異世界召喚された勇者に携わったチート機能である。


 けれども、1000年前の言語データしかないはずなのに、それとまったく変わってないってのは、人間じゃ考えられないな。長命なエルフ族ならではだろう。あとで現代語のデータを補完しておかないといけない。


 ちびエルフは俺の隣にちょこん、と座った。警戒心のなさそうな大きな目をじぃっと俺に向けている。人間が珍しいのか。俺はだまってゴブ肉をかじっていた。

 ああ、誰かが傍にいるだけで、こんなにも料理の味って美味しくなるんだなぁ。

 それは科学を超えた魔法の調味料だ。あとでゴブ肉を塩漬けにするともっとうま味が増すというサバイバル豆知識をゲットしたが、その時はその時だ、人生は一瞬一瞬の輝きによって彩られているのだ。


 ちらっとエルフを見ると、朽ち果てた倒木の上で、脚にするにはもったいないくらい華奢で綺麗な真っ白い脚を、ぷらーん、ぷらーんと気だるそうに振っている。柔らかそうな足を守っているのはサンダルにくっついた青いルビーだけ。

 上半身を覆っている飾り気のない衣服には、職人が手を加えたような様子は見受けられない。緑色のタオルを巻いたような大らかで簡素なつくりだったが、清潔に保たれていた。清潔なのはいいことだ。肉に余計な雑味が混じらないだろう。

 耳はとんがっている。柔らかそうだ。噛むと軟骨のこりこりした食感が味わえるだろう。噛めば噛むほど滋味が味わえそうだ。


 と、そこまで隣のちびエルフを描写したところで、俺の思考が魔物じみていることに気がついてはっとした。

 落ち着け、俺。その子はゴブリンじゃない。食うんじゃない。


「お前、エルフだよな?」

「ゴブリンじゃないよ」


 思考を読まれていた。

 やばい、この子鋭いぞ。落ち着け、俺。動揺するな。


「この辺に住んでるのか?」

「村から来たの。けど誰にも言っちゃダメって言われてるの」

「言ってるじゃないか」

「魔法使いならいいの。昔、魔法使いの学者さんがエルフの村をけんきゅーしに来て、泊めた事があるって、おかーさんが言ってたから」

「へー、きっとそいつは俺の先輩だな」


 1000年前には、異世界から召喚されたスーパー学者がこの世界を改革するために、この世界の成り立ちを研究しまくっていたんだ。

 その調査は、エルフの村にまで及んでいた。エルフは長命だから、1000年前の記憶も廃れずに残っているのだろう。


「あなたも魔法使いなの?」

「いいや、歩兵勇者だ。魔物を倒してた傭兵だよ。今からちょうど1000年前から来た。ちなみに、1000年前ってどのくらい昔か分かる?」


 俺は指についた油を舐めながら言った。ちびエルフはふるふる、と首を横に振る。

 かわいい。食ってしまいたい可愛さだ。食えないけどな。


「そうだな……月が見えるだろう」

「うん、十二夜月。きれいね」

「人間が月まで走っていくのに大体50年かかる」

「誰か確かめたの?」

「いいや、俺じゃないけどいっぺん俺の仲間が魔物を月まで吹っ飛ばしたんだ。すごい速さで数日間飛んでたんだぜ。往復で100年だから、人間が月から地上まで10往復するぐらいの長い時間が1000年だ」

「ふえぇぇ」


 気の遠くなるようなたとえに、ちびエルフも目をまん丸にして月を見上げていた。そりゃ世界も変わるだろうってくらいにいい月だ。十二夜月か。


 ゴブ肉を貪り食っているうちに、だんだん手が脂でべとついてきた。マズい肉でも脂は多い。

 俺はズボンで適当に手をふくと、タブレットの電源を入れて、しゅしゅしゅっとパスワードを記入。さっきの魔法陣描写アプリを立ち上げた。

 ちびエルフは興味深そうにこっちを見ていた。


「なにしてるの?」

「水が欲しくなった」


 ちびエルフは俺の手元を見ていた。……が、やがて何もないところから水がとぽとぽと出てくると、大きな目はさらに大きく、小さな唇は小さく開かれる。

 俺はタブレットを膝の上に置いて、ゴブ肉の油や煤でべとついた指を洗った。ついでにタブレットも布で拭いた。ズボンも拭いた。

 ちらっと、となりのちびエルフを見る。まだこっちを見て固まっていた。


「どうした? 魔法ぐらい珍しくないだろ?」

「私たち、そんな贅沢な使い方はしないわ」


 ふるふる、と首を振るエルフ。

 おかしなことを言う。1000年前ではアヴァロンでも広く浸透していた基礎魔法で、俺の知り合いのエルフも野営のために使っていたはずだ。

 現地のエルフにも何人かあった事はあるが、そんなに倹約家だっただろうか?


「だって……水召喚はMP180も消費するから……とても使えないわ」

「ふーん、MP180も使うのか……MP180も……!?」


 なにそれ。そんなに使ったら、俺のタブレットのMPがすでにぶっ飛んでいるじゃないか?

 とうぜん、ぶっ飛んでなどいない。残量はさっきと同じ89だ。

 ちなみに、お風呂1杯ぶん、20リットル召喚してようやくMP2、というのがタブレットの魔法の相場である。

 まあ、効率のいい現代魔法を使っているってのもあるけど……。


「……いったい魔法の内訳はどうなってるの? どんな魔法をどう組み合わせたら180も使うの?」

「精霊が考えてくれるからわからない」


 どうやら、難しいことは精霊に投げっぱなしにしているらしい。

 そっか、エルフの魔法は精霊魔法だもんなー……。


 ひと口に魔法で水を生み出す、といっても色々な方法がある。

 まずは、空気中の水分子に魔法をかける方法。

 水分子が持っている運動エネルギーを直接奪って、気体の状態から液体の状態に変えてしまうという方法、これはエネルギーの変化に関係するから火魔法が得意だ。

 また水分子そのものじゃなく、周りの空気全体に魔法をかけて、温度を下げて自然結露させてしまうという方法もある。これは呪術に関係する水魔法が得意だ。


 火魔法の場合は水分子だけを標的にして、無駄に周囲の気温を下げずに水だけを取り出すことができるので、病院なんかで飲み水を出すウォータークーラーなんかに向いている。

 一方で水魔法はもっと広範囲の水分子を刺激して周囲の湿度をつり上げ、降雨させることもできるので、一度に大量の水が必要な農業なんかに向いている。雨乞いなんかの原始的な呪術から単離されたために、水魔法の名前を冠していると言われている。


 一番簡単なのが、単純に何もないところに水分子をぽこっと生みだす物質精製の土魔法。砂漠で生まれた魔法だ。そして、いちばん近くにある水源を探して、そこから時空をこえて水をひょいっと持ってくるという空間魔法、すなわち風魔法である。


 現代魔法と古典魔法は、実のところ地続きだ。

 古典的な四大魔法の詳細な原理を明らかにし、それらの最も効率のいい組み合わせでその場、その場に応じた細かな魔方式を考えることで、低燃費化を実現していった、それが現代魔法だ。


 タブレットなんかの最新機器の場合、さらに裏四大まで組み合わせて倍以上の効率化を実現しているという。その辺になると俺も詳しくは知らないのだが。


「その精霊って、風の精霊だよね? 風魔法が得意な。それに水を出す魔法を頼むと、MP180も取られちゃうの?」


 ちびエルフは、こくこく、と頷いた。どうやら冗談ではなく、本当に水を召喚するとMP180も消費してしまうらしい。

 ぼったくり。ぼったくり精霊だ。俺の常識では考えられないぼったくりだ。

 アヴァロンの魔法事情は1000年でいったいどうなってしまったんだ?


 ちびエルフの精霊は風の精霊だ。エルフだものな。もう一度確認するけどおまえエルフだよな?

 ここは山だけどそんなに標高は高くないし、水を召喚するのは簡単なはずだ。雲だって水蒸気の塊だし、地下水や河だってあるだろう。それらを地上に召喚すればすむだけのことだ。

 なんでMP180も消費してるんだ? なんかの呪いにかかってんの、それ。


「それは、魔法を考えている精霊が悪いんじゃないか? もっと魔法の上手な精霊に魔法を頼めばいいんじゃない?」

「だって、この土地の守り神だから……」

「そんなの関係ないじゃん、SNSで精霊なんていくらでも探せるんじゃ……ああ」


 そこまで言って、俺は気付いた。ちびエルフはひょっとしてSNSのことを知らないかもしれない。

 案の定、ちびエルフも「?」と言った顔で俺を見ている。


 そうだった、精霊と対話をする天魔法は裏四大。四大魔法よりももうひとつ高次の魔法だ。

 それを使って世界に散らばる精霊すべてと一瞬で通信するシステムSNS(スピリッツ・ネットワーク・システム)を俺の知り合いのチート級エルフが作って、宇宙レベルの魔力を総動員した精霊神域魔法(約束の地)を発動させて四天王の1人を宇宙の塵にしたことがあるのだが、それは1000年前のグローバル化が進んだ社会での話である。

 魔王に滅ぼされてしまった今の社会では、当然そのシステムも生きていないだろう。

 その土地を守護するごく一部の精霊がすべての魔法活動を実効支配していたんだ。魔法文明が衰退するとこんなことがあるんだなぁ。


 となると、問題は思った以上に複雑らしい。俺ひとりの力ではとても解決できそうにない。

 とりあえず、これはその精霊さんと一度話をしてみる必要があるようだ。


「じゃあ、俺がその精霊さんと話をしてやるよ……って、なに食べてるの?」


ちびエルフは、もそもそと平たい菓子パンみたいなのを食べていた。チート級エルフが食っていたレンバスに似ている。


「レンパス」

「レンパス。レンバスじゃないんだ。くれよ」

「ダメ。精霊との関わり方はエルフの問題よ。どうして貴方がそこまで首をつっこむの?」

「なんでって? 俺は勇者だから」


 そう、自分の守るべき土地を守るだけなら、そのへんの傭兵にだってできる仕事だ。

 わざわざ異世界召喚をしてまで集められる勇者に求められる生き方は、そうではない。俺たちの事をもっと頼っていいと思うぜ?


「とりあえず、お前の村に案内してくれよ。もっと効率のいい魔法が使えるように、村の人達にレクチャーもできると思うしさ」

「ダメ。だってあなた、魔法使いじゃないんでしょ?」

「あ、ごめん、そういや俺、昔は魔法使いだったような気がするわ。いやいやほんとマジで、子供の頃ふっかつの呪文とか必死に覚えてたわ」

「宣言撤回してもダメ。今は勇者なんでしょ?」


 そうか、エルフの村ってだいたいどこもそんなもんだよな。

 仕方ないか、俺はここでゴブリンの亡骸たちと野宿するか。

 なんというか、はじめて行った土地で可愛いご当地ゆるキャラに出会ったみたいな、そんな出会いと別れを同時に経験した気分になったぜ。


 ゴブ肉をあらかた食ってしまうと、ちびエルフは残骸をひょいひょいと拾っていった。

 何をするのかと思うと、その辺の土に穴を掘って埋めはじめた。


「地表に置いておくとウェアシャド(厄介な悪霊、オオカミの意)が近づいてくる」

「ありがとう」

「べっ、別に、普通だし」


 そっぽを向いて、何かぶつぶつ言っているちびエルフ。

 かーわーいーいーなーもぉー!

 ちびエルフは、そっけなく言った。


「お休み。生きていたらまた会いましょう」

「ああ、たぶん生きてるからまた来いよ。俺はしぶといから」


 ちびエルフは耳をみょんみょん、と揺らすと、森の方へ消えていった。

 まったく、可愛いゆるキャラだったぜ。

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