第17話
その日、俺はあらかた荷物をまとめ終え、ゴブリンの塔から去る準備をしていた。
一時期、お菓子づくり講座であれほど賑わっていた塔には、今はもう誰もいない。去り際はいつも寂しいものだ。たった1人、ヴェートラーナがぼんやりと俺を見ていた。
「どうして去るの?」
「どうでもいいだろ」
いつまでもスタート地点にはいられない。
俺には果たさなければならない目的があった。
俺を召喚した召喚師を捜しだし、地球に帰還するのだ。
あと、充電に使える白光石も探さなければならない。
タブレットは、もう残りMP35となっていた。俺にはまだ1ヶ月の猶予がある。
見送る者は誰もいない。そう、1人旅だ。
つい先刻まで、俺はシレンシズを旅に誘おうと思っていた。
白光石は彼女にも必要なはずだし、本当かどうかわからないが、彼女がエルフの王女だった元の世界への帰還を強く望んでいるはずだ。
一緒に召喚師を探す旅に出よう、と言おうとしていた。
旦那の事は忘れてくれ。そして俺たちのいるべき、元の世界に戻るんだ、と。
俺はついつい、彼女のことを、昔のチート級エルフと同じように思っていたのだ。
俺は愚かだった。何ひとつ、わかっていなかった。
俺が村へと向かうと、ちょうどフェリスタンたち職人候補生たちが村に戻ってきたところだった。
家族との再会をよろこぶ者たちに、つい先日起こった隣村との事件を聞かされて、闘志をあらたにする者たち。
そんなエルフたちの賑わいの中で、シレンシズはフェリスタンの傍にいた。
無事でよかったわ
ただいまだ
パパ、お帰りなさい
いい子だったか、マリュリュ……マリュリュ……マリュリン…………
いや、そこは言えとけよ。
多くは語るまい、それを見て、俺はようやく真実にたどり着いた。
衝撃的な事実に、足元がふらつくような思いさえした。
ああ、俺はここにいるべき人間じゃなかったんだな、と、そのときようやく悟ったのだ。
そして、ようやくクリアになった思考で考えた。
俺が村人たちの誰にも気づかれずに旅立てるのは、今しかないのだと。
ヴェートラーナは、細っこい足をぶらぶらさせながら言った。
「教えてあげようか」
「なにを」
「石を隠した犯人」
「知りたくもないよ」
俺が聞こうともしないのに、ヴェートラーナは自分から言った。
「魔力を吸いとる魔法が発動すれば、どこかに魔力制御の天魔法(紫色)の痕跡が残るはずよ。けれど、あの酒蔵付近にその痕跡は、いっさいなかった。
つまり、誰かがあの酒蔵の錬金釜から物理的に石を取り除き、代わりに魔力のないただの石ころを置いたことになるわ。
耳のいいエルフの村人に気付かれないよう、大量の石を持ち出して、どこかに隠したことになる。しかも魔法を一切使わずに。そんな事ができるのは、村人たちしかいない。これが水のクリスタル消失事件の真相」
「それがどうした。俺はもう行くぞ」
「石を隠した場所も、犯人も、私の眼には視える。教えてあげようか?」
「そんなもん、ほっとけばいいだろ」
けっきょく、誰が水のクリスタルを隠したのかは分からなかった。
せめてタブレットの充電に使える白光石だけは返して欲しかったんだが。
かといて、クリスタル隠したのお前? なんて全員に聞いてまわる訳にもいかない。
せっかく村人たちが1つにまとまろうとしているのに、余計な騒ぎの元になるからな。
とくに、フェリスタン辺りに知られたら、あいつ大真面目だから犯人の罪を追求しまくりそうだ。
俺の罪とかも、そうだな。
「なぜ? 事件を解決しなくていいの? 勇者なのに?」
とててて、と歩み寄ってきたヴェートラーナは、不思議そうに俺の顔を見上げた。
「いいかヴェートラーナの孫娘。俺の目的はな、異世界を改革することじゃない。この世界を改革するのは、本当はこの世界に住む人間の仕事なんだよ」
ヴェートラーナは、目をぱちくりさせていた。
多分それは、彼女にとっては勇者らしからぬ発言だったのだろう。
1000年前、かつて150億人もの勇者たちが、この世界を改革し尽した。
召喚された勇者が文明を発達させ、発達した文明がまたあらたな勇者の召喚を呼ぶ。
そうして異様に発達した『召喚文明』。
その結末が、魔王による反乱と、文明の衰退だった。
俺は異世界改革がたどる結末を、一度見ている。二度も見たいとは思わない。
「じゃあな、元気にしてろよ?」
ヴェートラーナの頭をぐりぐり撫でてやった。不機嫌そうに目を細めただけだった。
「まって、貴方には、私の推理ショーに出演してもらうから」
「推理ショーってなんだよ」
「事件の真相をみんなに知らしめ、罪びとに公平な裁きを受けさせる儀式よ。いますぐ村に戻って。いい? 私がこの時計型麻酔銃であなたを眠らせるから……まって……!」
ヴェートラーナの言葉を聞かずに、俺は早足で歩きだした。
こうして俺は、オリュンポス山を去った。
ヴェートラーナは俺の早足について来れなかったのか、すぐに姿が見えなくなった。
……かと思うと、しばらく休憩しているうちに追いついてきた。
これも魔力を視ることが出来る魔眼の力なのか。自動追尾システムでもついてんのか、というぐらいに、正確に俺の跡をつけてくる。
俺は自然と早足になり、最終的には猛ダッシュで逃げるように駆け出していた。
やがて、かつて高高度飛空艇で横切った平地が、目前まで迫った。
後ろを何度も振り返り、ロアやその他もろもろが俺の跡をついてきていない事を確認した。
よし、今度こそ見送りのいない下山だ。
……と思ったら、前の方の藪の中からデカいおっぱいをたゆるるん、と揺らしながら、ダークエルフがひょっこり出てきた。
「ルビル……」
「……マリュリノロアは、放っていくんですか?」
ルビルが何か言った。
俺は乾いた笑いを浮かべて、肩をすくめた。
なにがおかしいって? 今度引き留められたら、マジで死ぬって思って、そう想像したら笑えてきたんだ。
「俺の代わりに伝えておいてくれないか、さすがに300年は待てないって」
「そんなの、マリュリノロアもとっくに知っていますよ?」
「まあ、放っておいても、そのうち気づくだろうな。俺の寿命のことぐらい」
「チメイズマン、そうじゃないんです。マリュリノロアは、『自分が300年も生きられない』ってことを知っているんです」
「そうか……」
「彼女はハーフエルフですよ、チメイズマン」
俺は、笑顔を貼り付けたまま頷いた。
ああ……宴会の時から、俺もうすうす考えてたよ。
ひょっとするとこいつ、シレンシズの娘なんじゃないかってのは。
今朝、決定的な現場を目撃するまで、そんな事はないと思っていた。
だって、シレンシズの子供な訳がないじゃないか。
だったらロアは、シレンシズがこの世界に来てから生んだ子供ってことになる。
……ってことは、つまり生まれたのは10年前くらい。まだ10歳に満たない子供なはずだろ?
人間なら、何もおかしくはない。
けれど、適齢期になるまで300年もかかるエルフだったらどうなんだ。
たった数年であそこまで成長するっていうのか?
ロアがいったい何歳だったのか知らないが、普通に考えたらおかしい。
まあ、エルフ族は一次成長期だけが人間並みに早いという設定のエロゲもあるっちゃあるが。エロゲはエロゲ、現実じゃない。
「あの子は、あなたが自分の本当の父親かもしれないって思っているんです……だって、貴方もシレンシズと同じ千年勇者なんでしょう……だから……」
俺は頷いた。大して驚きはしなかった。そりゃ、俺以外の千年勇者を知らなかったら、当然そんな考えに行き着くよな。
俺以外にも150億人いたんだぜ、勇者は。
そして千年勇者の生き残りが120人。
第五十勇者連隊にも男なんてくさるほどいた。
だいたい、見知らぬ男に懐きすぎなんだよ。ロアも、ルビルも。
ずっと俺の事を父親だと勘違いしていたんだ。
本当のところはどうなのかと言うと……残念ながら、俺にはまったく心当たりがない……わけではない……。
連続14回死亡の日、もう俺、勇者人生終わりだと思ってさ、打ち上げの時に金が300SPになるまで飲みまくってたんだよ、そしたらさ、ね、隣にはいたわけよ、シレンシズさんが。私は知らないから、自分のせいじゃないから、自業自得じゃん、みたいなすました顔してさ。ね。けどさ、俺は彼女の言い訳なんかぜんぜん聞こえない状態になってて、へべれけになってて、たぶんね、記憶にないんだけどね、そのあと酔いつぶれた俺を介抱してくれたのもシレンシズさんだったのよ。聞いた話だよ? ぶっちゃけるとさ、起きたらシレンシズさんが隣にいたのは初めてじゃないんだ。ということはつまり、何回かあってさ。そのたびに何事もなかったみたいだったからさ、今回もきっと何事もなかっただろうな、と勝手に思ってたわけよ。少年誌とかでよくある謎の空白の時間には一切何事もないんだよ。それが勇者ってもんじゃん。
……いや、正直に言おう。俺は、かなり確信をもって、言える。
犯人は、きっと俺だ。
「……ずっとそんな気はしてたんだ。マリュリノロアが俺のネームタグを読めた時から……」
「ネームタグ?」
「これだ……お前は読めるか?」
俺は、首からぶら下げた銀のプレートをルビルに見せた。
ルビルは、ふるふる、と首を振った。耳が、ぱたぱた、と揺れた。
「だろうな。俺の世界の文字が彫られている……」
「それ、なんて書いてあるんです?」
「チメイズマンだ。ロアが教えてくれた」
本当はTIME IS MONEYの誤字なんだがな。
俺は、ネームタグを懐にしまった。
「最初は、俺以外の勇者に読み方を聞いてきたのかと思ってた。勇者なら、異世界の言語は即座にわかるシステムになっている」
「じゃあ、シレンシズさんに読んでもらったんじゃないですか?」
「俺もそう思ってた。けど、ロアがシレンシズにこの文字を読んでもらったのなら、そのときシレンシズは俺の存在に気付いてないとおかしいだろ? けれど、あいつが言うには、俺がここにいるのに気づいたのは、ロアが砂糖を持ってきたときだったそうだ。……つまり、ロアは俺のネームタグをシレンシズに読んでもらっていなかったんだ……」
「じゃあ、誰が読んだんです?」
「だから、ロアが英語を読めたんだよ。あいつ最初から英語を知ってたんだ。150億人の勇者の、それぞれの故郷の言語があるなかで、なぜか英語をな。そんな事が起こりうるのは、どう考えてもそれ以外にないだろ。シレンシズが教えていたんだ」
母親が子どもに普段使えないような外国語を教える理由は、他にあまりない。
家族の国の言語だからだ。
「……あいつ、いつか俺に会えると思っていたんだよ。最初の数年はな」
そう思うと、俺はなんだかやるせない気持ちになった。
フェリスタンなら、きっといい父親になってくれるだろうと俺は信じている。あいつは真っすぐな男だし、頼りがいがあるし、シレンシズを心から愛してくれるはずだ。
ルビルは、悲し気に表情を曇らせた。
「チメイズマンさんの……バカ」
なぜだか、ルビルは泣き始めた。泣いて俺を殴り始めた。
「だから、どうして自分勝手に、いなくなったりするんです……そんなのは、きっと誰一人として望んでなんかいないんです。……だって、さっき、フェリスタンさんと話していたんですよ」
マリュリノ……ロア
やっと言えたわね
なんでこんな複雑な名前を?
私の世界の言葉よ、とっても素敵な意味なの
どんな意味があるんだ?
『
シレンシズとフェリスタンは、静かに微笑みかわしていた。
フェリスタンのズボンをロアがひっぱって、不思議そうに2人の顔を眺め渡していた。
「……私は、マリュリノロアがどんな気持ちで毎日あの塔に通っていたか、貴方に会う事がどれだけ彼女の救いになっていたか、ずっと考えていたんです。けれど、何度考えてもわからなかったんです。だって、おかしいですよ、お互いにずっと思い合っていて、ようやく会えたのに、何も言わずに別れるなんて、こんな事って……」
大人の事情はこの子にはわからないだろう。
世の中には言わない方がいい事もあるもんだ。
お互いに気付かないふりをしていれば、それですべてが上手く回る事があるんだ。
犯人が分からなくったっていい。クリスタルのありかが分からなくったっていい。
……俺が一体何者かなんて、永久に分からなくったっていいじゃないか。
「言う必要もないだろ? だって、あいつは『300年待って』ってわざわざ俺に言ってるんだからさ……つまり、あいつは俺と結婚することは不可能だって、そう言ってたんだよ……この超絶美男子でイケメンでハンサムなタフガイのこの俺と、だぜ? あとは俺がそのメッセージに気づくだけだったんだ。……ハーフエルフなら、せいぜい10年もあればもう大人だ、結婚も不可能じゃない。けれど、マリュリノロアはあえてこの俺を拒絶することで、結婚はしたいけど血がつながっているから無理という事を俺に伝えたかったんだ」
「それって、単純に嫌がられ……」
「シャラーップ」
「チメイズマンさん、あの、自分で何言ってるかよくわかってないんじゃ……」
「いいんだよ、俺の中でロアは最高にいい子なんだから」
「いい子……」
「ああ、いい子だ……なんだその顔は。なんか文句あるか」
「いえ、チメイズマンさんって、ドMですね……」
「いいから村に帰れ。回れ右しろ、おっぱい揉むぞ!」
ルビルは、大きなおっぱいを押さえて、泣きながら山を登っていった。
ダークエルフの駆け足は早い。木々の間にふっと消えるように溶けていった。まるで妖精みたいだった。妖精なのか。
……
…………
そのとき、山道をちょこちょこ、と歩いてくる黒い影があった。
ヴェートラーナがようやく追いついてきたのだ。
彼女はまったく息を切らした様子もなく、俺の隣に立った。
「まだ何かあったのかよ……」
「まだ事件はすべてじゃない。もうひとつ、白光石の消失事件というのもあった」
びっと、ヴェートラーナは2本目の指をたてた。
「そういえば、そんなのもあったな……シレンシズの荷物から、白光石がなくなってたけど、あれもきっと村人たちの仕業じゃないのか?」
「ちがう、ただのガラス石を用意すればいい水のクリスタルとは違って、村人たちに白光石のすり替えはできないわ。
なぜなら白光石は雑多な魔力の混じった、普段あまり使い道のない種類のクリスタル。村の中でも保有数がかなり少ないもの。
しかも都合よく8種類のうち、水の力だけが抜けた代わりの石をどこかで調達してくる……なんてことは、よほどたくさんのクリスタルを蒐集しているプロの鑑定師でも、天文学的な確率で不可能よ」
「まて、ひょっとすると、つまり……」
「そう、白光石は盗まれていない。
魔石鑑定のスキルを持った人物ならば、ただ盗まれたと演技をするだけで、周囲の人間をだますことが出来る。
ついでにいうと、これができる人物は、よそ者の魔法使いの貴方が魔石鑑定のスキルをほとんど持っていないことを事前によく知っていなければならない。
ゆえに、犯人はシレンシズしかありえない。どう?」
それは思わぬ事件の真相だった。
きっとあいつは……俺に村から出ていってほしくなかったんだ。
だって充電してしまえば、村に用がなくなるのを知っているから。
俺は、へっと笑った。
なんだ、じゃあ、石は探さなくても、ここにあるんじゃないか。
俺が歩くと、その隣をヴェートラーナがついてきた。
「大した能力だよ、お前、探偵になればいいんじゃない?」
「探偵なんて呼び方は好きじゃないわ、
「はいはい」
「いいから素直に村に戻りなさい。私がこの蝶ネクタイ型変声機であなたの声を模写するから……まって……足、速い……!」
俺は次の町まで歩きながら、もし白光石を見つけたら、シレンシズの分だけじゃなく、ロアの分も持って来てやろう、と考えていた。
なんでそんなことをするのかって? だって綺麗だろ? きっと喜んでくれるはずだ。
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