第16話

 酒宴の翌日。

 会場となった集会所の一角で、仰向けに眠っていた俺は、外の騒がしさで目を覚ました。


 いったいいつ眠りについたのか、どうやってここまで戻ってきたのかさえ記憶になかった。

 暗闇の中でどんどん増殖していくシレンシズが6人くらいになったところまでは覚えている。

 それ以降は記憶がぷっつりと途絶えていた。

 夜の闇の深淵を覗いてきた気分になった。


 目を覚ますと、俺の胸の上にロアがよだれを垂らして眠っていた。

 よだれは盛大にべっとりと広がっている。

 そこまではまだいい、可愛いので笑って許せる範囲だ。俺はロアの髪を撫でてやる余裕すらあった。

 しかし、それはできなかった。

 その問題は、そのとき俺の右腕にぴっとりとしがみついているシレンシズにあった。


 し、し、し、し、シレンシズさぁぁぁぁぁぁぁん!!


 いつも女王様然としたシレンシズからは考えられない、無防備な寝顔が至近距離にあった。

 シャツも胸がはだけて、しっとりとした肌が露わになっている。

 やばい、これはダメだ。

 誰かに見られたら確実にアウトな現場だ。


 俺はシレンシズの肩をゆすぶって、起こそうとした。

 しかし、それも無理だった。なぜならそのとき、同時に俺の左腕にはルビルのダークなおっぱいがくっついていた。ぽよんって、もう、ぽよゆおんって感じだった。

 ああ、そういやロアとずっと一緒にいたんだっけな。てか、腕に当たる感触がすごい事になっていた。栄養状態がよくなって成長が加速したのだ。やっぱりダークエルフの呪いからは逃れられなかったか。


 俺は真顔になって、まっすぐ天井を見上げた。

 そしてジョン・レノンのイマジンを歌った。


 天国なんてない。簡単だ、イメージするんだ。

 空はただぽっかりとした空間が果てしなく続いていて、地面の下には俺が落ちるべき地獄なんてない。

 そう、天国はまさにここにある。


 そのうち、シレンシズが目を覚ました。


「おはよう、ディップ。何の歌?」

「おはよう。平和を願う歌だ。1000年前の」

「朝ごはん食べられそう?」

「ムリ」

「じゃ、二度寝しましょう」


 そう言って、こてん、と首を横たえてしまうシレンシズ。

 おいおいおいおいおい、ナチュラルに寝入ってしまいましたよ。

 昔から寝つきだけはよかったよな。


 しばらく、すーすーと寝息を立てて、それから、はっとして体を起こすシレンシズ。

 ようやく、勇者時代から戻ってきたみたいだった。


「ああ、いけないわ。お、お茶だけでも用意するわね」


 その初々しい後姿を見送って、俺は安堵したような、少し寂しいような、いや、控えめに言ってかなり寂しい気持ちになる。


 ようやくロアの頭をぐしぐし撫でてやる。平和そうに寝ているので、ルビルと一緒に眠らせてやって、外の騒ぎを確認しに出ていった。


 外には、果たして大量の荷物が到着していた。

 会場にいたエルフたちは、みなその騒ぎに集まっていたのだ。


 朝から村に運び込まれた荷物は、なにやら袋に入った白い粉に、見たことのない何かの植物。

 長老とドワーフの棟梁は、その白い粉を検分して、むう、と唸っていた。

 これらを運び込んだらしい、隣村のエルフたちの姿も見受けられる。

 宴会に参加するために食材を持ち寄ったのかと思ったが、どうやらそうではない。


 精悍なエルフの若者たちが担いだ神輿には、なんと金髪ドリル精霊の姿があった。

 金ぴかの神輿の縁に片足を乗せ、俺たちを高い位置から見下ろしている。


「ごきげん麗しゅう、オリュンポス山のエルフたち!」


 声高に笑う金髪ドリル精霊。

 完全に悪徳令嬢の顔だった。嫌な予感しかしない。


「おい、どうしたんだ、金髪ドリル。朝から騒々しいな」

「あら千年勇者、ちょうどいい、貴方にも見せてやりたかったのよ!」

「これは一体……」

「見ての通り……砂糖ですわ!」


 砂糖。そう、そこにあった白い粉は、紛れもない砂糖だった。

 大量の砂糖が袋詰めになって、村に持ちこまれていたのである。

 いったい、どこからこんなに大量の砂糖を……。

 まさか、この植物は……。

 俺が危惧した通りの事を、金髪ドリル精霊は堂々と言い放った。


「そう、これは貴方が村人たちに教えた異世界糖とはまったく違う、天然砂糖よ!」

「天然砂糖……だって!?」


 天然砂糖。

 神輿に積まれている植物をよく見ると、どうやらサトウキビやサトウダイコンによく似た植物であるみたいだった。


 サトウキビは大量のスクロース(ぶどう糖と果糖の化合物)を蓄えており、汁がすでに甘く、不純物を取り除いて煮詰めていくだけで簡単に砂糖が手に入る。

 人類がデンプンから異性化糖を生み出したのよりも、その起源は遥かに古く、古代から薬として利用されていたものである。


 この世界にもそんな進化を遂げた植物があるとは、いままで知らなかったのだが――。


「隣村の土地をちょっといじくって、甘みを持つ植物を生み出させてもらったの。これで砂糖の市場における貴方たちの独占状態は消えたわ。いずれ悪魔の粉として、根絶されることでしょう。楽しみね!」


 まさかの、遺伝子組み換え植物。

 さすが金髪ドリル精霊、自力でこの世界に新たな植物を生み出してしまうとは。

 むぅ、と唸る長老たち。

 得意になっている金髪ドリル精霊に対し、二の句が継げないでいる様子だ。

 金髪ドリル精霊は、びっとエルフたちを指さした。


「どう、これが精霊の力よ。私の力にたてつくとどうなるか、思い知るといいわ!」


 俺は金髪ドリル精霊に詰め寄った。


「ちょっと待ってくれ、金ドリ!」

「略し方が雑になっているわよ! なによゴブリン・イーター!」

「お前、このためにこの土地から水の魔力を奪っていったのか!? 村人たちを苦しめるために!」

「水の魔力?」

「お願いだ、魔石の力を返してくれ。俺には白光石がどうしても必要なんだ!」


 俺だけではなく、シレンシズにも必要なはずだった。

 このまま鉱山から白光石が取れなければ、命にもかかわってしまう。


 金髪ドリル精霊は、人差し指を顎にあてがって、むーん? と考え込んでいた。


「……存じませんわ。私は風の精霊、どうして私が水の魔力を取らなければいけませんの?」


 ん?


「だって、エルフの砂糖は水の魔法で作っているんだから、水の魔力を……」

「そうでしたの? えーっ、水の魔法でそんなこともできるんでしたの! あらやだ、それは迂闊でしたわ!」


 ……どうやら金髪ドリル精霊は、自分の専門としない属性の魔法に関しては、あんまり詳しい訳ではないみたいだった。


 ちょっと待て、けれど、精霊コイツの仕業じゃなかったら、いったい水の石はどうしてなくなったんだ?

 俺はそのとき、ようやくエルフの村人たちがばつの悪そうな顔をしているのに気がついた。

 その顔を見て、俺は思うところがあった。

 いや、ちょっと待てよ。

 ひょっとすると、水のクリスタルがなくなったのは……。


 相変わらず、村人たちの心の機微に鈍感な金髪ドリル精霊は、居丈高になって笑っていた。


「あらまあ、砂糖が作れませんの? おーっほっほっほ! 何があったかは存じませんが、いい気味だわ! これからは天然砂糖の時代がやってきます。いずれ皆さまも隣村原産の砂糖菓子を食べる時代がやってきますわ、楽しみにしておいてください!」


 異性化糖から、遺伝子組み換え天然砂糖の時代へ。

 ……いや、それはないぞ、金髪ドリル精霊。


 砂糖は希少価値の高いただの調味料だ。

 サトウキビはけっして麦の代わりにはならない。

 お菓子の需要が冷え込めば、その影響をもろに受けてしまう。砂糖を作る村は、飢饉の訪れるリスクを背負って麦の生産を減らし、生産を続けなければならない。


 その点、異性化糖は、全力で主食となる麦を作りながら、余った穀物から作ることができる。需要にあわせて生産数を後から決めることが可能だ。

 この村のような限られた土地では、どう考えたって天然砂糖は流行らないだろう。


 そう言おうと思ったのだが――金髪ドリル精霊が以前の元気を取り戻していたのを見て、俺は黙っていた。


「くっ……隣村の連中め! 地霊を上手く味方につけたな!」

「俺たちがクッキーの製法を教えてやったっていうのに!」

「おーっほっほっほ! おーっほっほっほ!」


 サトウキビと異世界糖、いったいどちらが勝つか。

 この話がたどる結末は、とりあえず俺が首をつっこむべきところじゃないだろう。


 実のところ、サトウキビ由来の天然砂糖は高温でもっとも甘みが出るのに対し、異性化糖は低温でもっとも甘みが出る。

 ゆえに、ホットコーヒーや紅茶、ホットケーキのシロップに入れるのが天然砂糖。アイスコーヒーやかき氷に入れるガムシロップなどが異性化糖、という風に、現代では用途に応じてすみわけがなされているのだ。


 だからといって、そんな落としどころまで俺が強引に持っていく必要は、とくに感じられなかった。

 これからどんな道筋を進もうと、これは一歩先に進むことを決意した、この村のエルフたちの問題だからだ。


「だ、そうだ。どうする、ボビー……」


 ドワーフの族長は顎髭をさすりながら言った。

 まあ、彼らは酒さえ飲めれば砂糖なんてどうでもいい話なのだろうが。

 取引相手がピンチとなれば、黙っている訳にはいかないだろう。


 そう、エルフの村は、いままさにピンチを迎えていた。

 麦づくりに情熱を注ぎ、一致団結していたエルフたちの中に、不和が生じていたのだ。

 水のクリスタルを隠したのは、村人たちだった。

 長老の意思決定に従えない一部の村人たちが、ひっそり反逆を起こしたのだ。

 決して犯人ではない村人たちも、精霊を村から追い出したことに、少なからず後ろめたい思いを感じている。

 このままでは一致団結どころではない。麦づくりに支障が出るかもしれない。

 どうやら長老もまた、そんな一部の村人たちの反逆の意思を、かすかに感じ取っていたのだ。

 長老は、しずかに首を振った。


「とりあえず、祭壇を作り直そう。二度とこのような事件が起こらないように。風の精霊がいつでもこの村に戻ってきてくれるように」


 異存はどこからも出なかった。

 こうして、エルフの村の危機は静かに去り、酒蔵に祭壇が建てられ、その後も順調に麦酒や砂糖を生産しつづけた。

 ちなみに、この祭壇は俺が作ったので、日本の神棚そっくりになった。

 その後、お酒の醸造技術はエルフの里に広く伝わる事となったのだが、その酒蔵には必ず神棚が飾られることになり、日本式の神棚が急速にアヴァロン全土に広まっていくことになったのだった。

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