第14話

 シレンシズが、さっそく狩ってきたウェアシャドの上唇をめくりあげて、長い牙をむいて見せる。


「この世界の魔物の多くは、精霊と同じ、魔力がぐうぜん生物と同じ姿になって、自我を持って動き出したもの。

 ならば、その体の部位は、偶然生物の器官とほぼ同じ機能を持った魔力でできているはずよ。

 よってウェアシャドの『キバ』には、デンプン質を糖まで分解する酵素『アミラーゼ』と相同な働きをする魔力が含まれているはず」


 そして、シレンシズは気を失っているゴブリンの腹を指して、言った。


「もうひとつ、糖を異性化するグルコース・イソメラーゼは、工業では細菌が分泌する酵素が利用されているけれど、糖分を必要とするあらゆる生物にそれと相同な魔力が含まれているわ。

 特にこのゴブリンの『すい臓』ね。ウェアシャドにも同じ酵素はあるけれど、ゴブリンの場合は雑食性だから、植物のデンプンを分解するための魔力には、ゴブリンの方がより特化しているはずよ」


 俺は質問のために手を上げた。


「ちょっと質問していいか。ゴブリンの方、伏せ字の時は四文字だった気がするのだが……」


「科学は日進月歩なのよ。理解しなさい?」


 俺の質問は封殺された。

 ともかく、俺たちの集めるべき素材は決まった。

 ウェアシャドの『キバ』、そしてゴブリンの『すい臓』。

 魔力の宿ったそれらの素材を粘土に混ぜ合わせ、丸く固めたもの、『クレイ魔石』が完成した。


 クレイ魔石は、古代からよく使われていた、非常に素朴な魔石である。

 魔力圧が低いため、あまり大がかりな魔法陣を起動させることはできないが、どんな素材でも混ぜ合わせることで魔石にできてしまう、という利点があった。


 さっそく、ハンドサイズの錬金釜を用意して、すっかり魔力の失われてしまったクリスタルの代わりに、そのクレイ魔石を置いてみる。


 大量のエルフ麦を中にいれて、蓋をカチッとしめ、蓋と本体で対になっている魔法陣の図形を完成させる。

 ヴン……と魔法陣が起動する音が鳴り響いた。魔力圧は足りている。動作は問題なく起こるみたいだ。

 コトコト、と釜の蓋が動き始めた。

 ゴブリンとウェアシャドが錬金釜の中でイグザイルを踊っているのだ。

 やがて、チーン、とタイマーの音が鳴る。錬金釜の蓋はロックがはずれ、ごとっと横にずれることで、魔法陣は力をうしなった。

 蓋を開けてみると、なかには真っ白い砂糖が溜まっていた。


 白い。手触りもサラサラで特に問題なさそうだ。

 ちなみに、地球で広く使われている異性化糖は酵素や酸をまぜないといけないから液状のシロップなのだが、グルコースもフルクトースも本来は砂糖と同じ粉末状の結晶なのだ。

 ちょっと舐めてみて、ふむ、と俺は何度もうなずく。


「どう? 美味しい?」


「ゴブリンとウェアシャドだ」


 横あいから俺の顔を覗き込んでくるシレンシズに、俺は言った。


「大量のゴブリンとウェアシャドが必要だ」


 そして、俺とシレンシズはオリュンポス山を駆け巡り、ゴブリンとウェアシャドを狩りまくった!


 ゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブ!

 ゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゴブ!

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 シャドシャドシャドシャドシャドシャドシャドシャドシャドシャド!

 シャドシャドシャドシャドシャドシャドシャドシャドシャドシャド!

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 シャドシャドシャドシャドシャドシャドシャドシャドシャドシャド!

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 俺とシレンシズ、2人の千年勇者が手を組めば、この山を狩り尽してもまだ余るほどの勢いがある。

 死屍累々と血河を築き、大量の素材を確保していった。


 シレンシズの弓の腕前は、あの頃と全く変わらなかった。

 まさに百発百中。弓の女神みたいだった。

 敵に最初の矢が当たるまでに1ダースの矢を放つ絶技も健在だった。


 しかし、1000年前と違うところもあった。

 昔だったら1匹も漏らすことはなかったのに、俺のところに何匹か取りこぼしがやってくるのだ。

 俺はそのゴブリンとウェアシャドを一撃で屠りながら、シレンシズはこの世界で10年も過ごしていたのだと、今さらながら時間の経過をしのばざるを得なかった。


「ずいぶん、鈍っちゃったわ」


 シレンシズは苦笑いを浮かべて、右手をぶらぶら振っていた。その手に軽く赤みがさしている。


「見せてみろ」


 親指と人差し指の股のところに水ぶくれが出来ていた。綺麗な指なのに、もったいない。

 俺がその手に触ると、シレンシズはびくっと手をひっこめた。痛かったのだろうか、わずかに顔を苦痛にゆがめていた。


「あなたは1000年前のままね。ちっとも変わらない」

「バカが治っていないだけさ」

「ねぇ、ディップ、どうしてあの時、私たちのところに駆けつけてくれなかったの?」


 シレンシズは、右手を胸に抱いて言った。俺にはその質問の意味が分かっていた、1000年前の事だ。

 そう、仲間たちがヴェートラーナに立ち向かっていった、あのとき。

 仲間たちが爆発に巻き込まれたのを目撃していながら。

 俺はそのとき――彼らを見捨てたのだ。


「そりゃ、お前たちよりも、召喚師の方が危なかったからだよ。あの時はそれが最善だと判断した」

「ひどいじゃない、私は貴方が来てくれるって、信じて戦っていたのよ?」

「……悪かったよ」

「10年間、ずっと探したのよ。あの戦争の後の貴方の痕跡を。けれど、どこにも見つからなかった……きっと、貴方はタイムトリップさせられずに死んだんじゃないかって……もし、貴方が私と一緒にタイムトリップしていたのなら……たぶん、私……今ごろ……」


 それ以上は、シレンシズは何も言わなかった。

 耳がしゅんと垂れてどこか寂しげだった。

 なんとも気まずい空気になってしまう。


 そのとき、ロアが木陰から現れて、俺とシレンシズはさっと離れた。

 ロアは魔物狩りが出来るほどの腕前はなかったが、狩りには食料が必要だ。

 弓で数羽のウサギを仕留めてくれていた。ルビルも胸に暴れるウサギを抱えている。


「ウサギ! ご飯にしよう!」

「おー、ロア、よくやったな。ゴブ肉より旨そうだ」

「ふふん、チメイズマンのお嫁さんになるから、このぐらいはできなきゃなの」


 ちらっ、ちらっ、とシレンシズの方に意味深な目くばせをしながら言うロア。シレンシズは目は笑っていなかったが「へー、すごいわねー」とほめていた。なんだか仲がよさそうな2人だな。


「あの……ごめんなさい……この子……親とはぐれてて……あの……一人ぼっちで……あの……」


 一方、ルビルは胸に抱えたウサギが可哀想なのか、おろおろしている。

 情が移っちゃったから飼いたくなったみたいだ。やれやれだ。


 けっきょく、ルビルが泣くのでウサギは逃がして狩り直しになった。

 その日のお昼ご飯は、カモ肉のシチューになった。

 ロアとルビルが共同でご飯作りをしてくれていた。

 お酢と塩、砂糖で下ごしらえをしたお肉をシチューに浮かべると、なんとも食欲をそそるにおいが立ち込め始めた。


 ロアは、例のごとく噛んでいたミントをぱぱっと手早くシチューに浮かべた。

 ……お前、人前なのに、もはや当たり前のようにそれするのな?


「シレンシズ、あのミントは一体……」

「アヴァロンのエルフに伝わる薬草の一種よ。本来は別の鍋でじっくり煮込んであく抜きするんだけど、野営だと火の番と料理を一緒にできないから、噛んですませるものらしいわ」

「シレンシズさんはミント苦手だから抜いとくわね?」

「ええ、助かるわ」

「お、俺もミントは苦手なんだけど……」

「はぁ? あなたこの前私の作ったシチュー完食してたじゃないの?」


 ロアの冷たい眼光が俺を射すくめた。

 俺はぎくり、と身をこわばらせる。

 しまった、水魔法で焼却したのだが、完全に消さなくてもよかったのか。


「あの時は、その、すごくお腹が空いてたっていうか……本当は苦手なんだけどさ、勢いでがーっといっちゃったというか」

「美味しいですさすがマリュリノロアさま大天使とか言ってむせび泣きながらお皿の底の方まで綺麗に舐めてたんでしょ? もう、そういうの恥ずかしいから人前ではちょっとは考えなさいよね?」

「ぐ、ぐうぅぅぅぅ!」


 なにこれ? なんなのこれ? なんで俺、ゆるエルフにだらしない犬を見る様な目で見られてるの?

 ルビルの方も料理を完成させつつあった。ぎこちないながらも口の中をもごもごさせて、うぇっとミントを吐き出し、シチューに恐る恐る浮かべた。


「ど、どうぞ……」

「よし、俺はこっち貰おうか」

「ダメ! チメイズマンは私の食べるの!」

「ええ~?」


 さすが未来の嫁、うっとうしいことこの上ない。

 俺がこのシチュー、どうやって処理しようか、処理したあとは何を食べようか、と考えていると、同じ現代人として俺の悩みが分かるらしい、シレンシズがこっそり俺に耳打ちをした。


「あとで私が作ってあげる」


 ……正直に言おう、ぞくっとした。人妻にしかない魅力ってあるじゃん? ただでさえ完璧な彼女に、それが備わってしまったような気がする。

 まあ、シレンシズはミントを浮かべてくれなかったわけだが。昔、連隊で野営の時にふるまってくれたスープと同じ味がした。懐かしい味だ。


 河で素材を洗って、日が沈む前には村に戻り、工房でクレイ魔石の製作に没頭する。

 その作業は村人たち総出で行われ、夜のうちに超巨大錬金釜は再稼働のめどが立った。

 ちょうどその時、雨のせいでがけ崩れがあったという報告があった。それによると、フェリスタンの帰還は数日遅れるのでは、という見込みだった。

 そのぶん、ドワーフたちの到着も遅れるのではないか、と俺たちは安堵したのだが、ドワーフたちが麦酒を求めてがけ崩れの修復を突貫工事で行っているという報告が後からやってきて、俺たちは慌てて作業に復帰した。時間は待ってくれないのだ。


 俺たちは24時間、酒造りのために工房に籠りきりになっていた。


 超巨大錬金釜は、アルコール発酵でほのかに暖かかった。

 酒蔵に毛布を持ち込んで雑魚寝していると、隣で寝息を立てているシレンシズのことが気になって仕方がなかった。

 女性的であり、たくましくもある理想的な曲線を描く胸が柔らかく上下する。

 もし、彼女と同じ時間に飛ばされていたとしたら、俺はこいつが結婚するのを止められただろうか。止めてどうするんだ、いつか誰かほかの男とするものじゃないか。そんな風にとりとめもない事を考えてしまう。

 眠れない。俺は1人、酒蔵から抜け出し、夜の村を歩いていった。


 山道を歩き、ふと思い立ってゴブリンの塔に戻ると、なんだか奥から妙なにおいがたちこめていた。

 何かと思ってみると、縄に縛られたヴェートラーナがゴブリンたちに囲まれ、大がかりなキャンプファイヤーで丸焼きにされようとしているのを発見した。

 ……あ、ごめん、完全に忘れてた。


「わ、わひゃひわ……まおーでんか、ちょくぞく……してんのーの、ひとり……めいじ、ありすふぉん=べーとらーなの……まごむしゅめ、なるぞ……」


 えっ、えっ、と泣きながらも、同じセリフを言ってくるヴェートラーナが可愛すぎて、俺は思わず縄をほどいてやりたい衝動に駆られた。

 しかし、相手は魔王軍の精鋭だ、そういう訳にもいかない。そのまま体についたゴブリンどもの返り血を拭いてやりながら、俺はヴェートラーナに質問を重ねた。


「というか、お前は何しにここへ来たんだ? ひょっとして、俺の命を狩りに来たんじゃなかったのか?」


 そう尋ねると、ヴェートラーナはそっぽを向いてしまう。


「ふん、お前の命を狩るのはいつでもできる……」

「なんだと?」

「ごめんなひゃい、ごめんなひゃい、うひょでひゅ、ゆるひへくだひゃい」


 ほっぺたを思い切りつねると、情けない声をあげるヴェートラーナ。

 

 彼女はとうとう白状した。


「ぶ、分散時空転移だ……」


「分散……時空転移?」


「私の祖母、偉大なる《刺毒姫》アリスフォン=ヴェートラーナはかつて11億人の勇者を屠ったレコードホルダー、彼女には必勝の戦法があった。

 それが『分散時空転移』。1人1人の勇者が別々の時間帯に出現するように、計算して未来に飛ばしたのだ」


「へーえ」


 50億人の歩兵勇者の中には、魔法に対して特に強い装備や、特殊能力を持った者も少なくなかった。

 魔術師のみで構成されたヴェートラーナの軍団が、そういった勇者の混成軍団に直接戦闘をしかけることはできない。

 だがヴェートラーナは、どの勇者も異世界に召喚された勇者である以上、『召喚師の召喚魔法』ならば効くはずだと考えた。

 そこから『分散時空転移』を編み出したのだ。


「……そうして戦力を分散させ、現れてくる勇者を1人ずつ、個別に撃破していった。……1000年前の魔王戦では、100人ごとにまとめて勇者を未来に飛ばした。その期間は、1000年に及び、祖母の死後も、我が大魔導の家系に、代々受け継がれてきたのだ……」


 俺は心中穏やかではなかったが、毎月100人の勇者と戦うというのは、とてつもない労力を要する仕事のように思われた。

 年に換算すると、1200人、1000年間で120万人。召喚師連盟をこの惑星から追い出すために、彼女の一族はその途方もない業を背負ったのだ。

 ヴェートラーナは緑色の不思議な目に、そっと手を当てた。


「これは、魔術師を統べる大魔導だけが知る、秘伝……。本当は、母がその役割を受け継いでいたのだ……だが、母は、10年前に送られてきた勇者たちの命を、狩りに、いって……」


 じわっと、目に涙を浮かべるヴェートラーナ。

 もう枯れたと思っていたのに、その事を思い出すとまだ涙が出てくるみたいだった。


「私は、まだ子どもだったので知らなかった……私がこの年になって……一族の秘密を、知るまでに……すでに120名……勇者を、取りこぼしていた、ことが判明した……」


「えっ、それって大変じゃん? 勇者120名の取りこぼしってすごいよ? あいつら普通の国なら数名で滅ぼせるよ?」


「それは、もう、いい……」


「いいのかよ!」


「魔王と、召喚師の争いは、もう終わったのだから……今のところ、殿下に牙をむく勇者は、現れていない……問題は、母を殺した勇者だ……必ず、捜す……そして、その報いを受けさせねばならない。大魔導の孫の名に懸けて……!」


 ぐごごごご、と背景に効果音を響かせながら拳を握りしめるヴェートラーナ。

 瞳の中に炎がめらめらと燃えていた。


「千年勇者に関する情報は、ほとんどなかった……だが、お前を泳がせておけば、いずれ他の千年勇者と接触するはずだ……」

「……なるほど、それでずっと俺のことを観察してたわけね」


 10年前に飛ばされた勇者……ちょうどシレンシズや第五十勇者連隊の仲間が飛ばされたのが、そのあたりだ。

 ……シレンシズは大魔導に襲われたことなど、一言も言っていなかった。

 恐らく、彼女が召喚されたときにはもう、ヴェートラーナの母親はその千年勇者によって討たれていたのだろう。


 深い業を背負った大魔導の一族と、千年勇者が出会ったとき。そこには悲劇しか生まれない。

 いるのだろうか。俺の仲間に、この子の母親を返り討ちにした奴が。


 それにしても、ヴェートラーナの娘……か。さぞかし強かったんだろうなぁ。

 ふと思い立って、タブレットを開いてみた。大魔導の寿命は分からないけれど、1000年前にデータが残っているかもしれない。

 1000年前から更新がストップしている、アヴァロンの討伐クエスト一覧である。

 でかでかと見出しのように貼りだされている、四天王ヴェートラーナの討伐クエスト。

 それに関連するクエストとして、その娘の討伐クエストもあった。

 その賞金……45億SP……!

 す、すげぇ……!

 俺の借金を返すどころじゃないぞ、これ……!


 俺は、ヴェートラーナを縛っていた縄をほどいてやった。

 目をぱちくりさせるヴェートラーナの額を、あんまり意味はないがついつい虐めたくなって、つついてやった。


「時間だ……朝までに戻らないと、麦酒は繊細だからな」


 額を押さえるヴェートラーナを尻目に、俺は塔から立ち去った。


「貴様、私をこのままにしていくつもりか? い、いいのか? 私はお前の仲間を討つのだぞ?」


「……可愛い子のあだ討ちを止めるのは勇者の仕事じゃない」


 ようやく明け始めた空を見上げて、俺は言った。


「捜してやるよ、俺がその犯人を……俺もそいつに興味が出てきたところだ」

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