第13話

 俺はエルフたちに錬金釜の作り方を教えた。

 クリスタルの有効な使い方を教えて、精霊に依存しっぱなしだった村人たちを自立させることに成功した。

 果たして、俺のやったことは正しかったのだろうか?

 金髪ドリル精霊の涙を思い浮かべて、俺は何度も自問自答した。

 

 異世界改革をする、という事は、かつてはそこに存在していた社会を滅ぼす、という事と同義だった。

 それは緩やかな文明破壊。緩やかなホロコーストだ。人々を自由にするかわりに、社会の在り方の自由を殺す。そこには、必ず痛みを伴う。


 俺は金髪ドリル精霊の事が、嫌いではなかった。

 彼女は俺を山から追い出そうとするが、少なくとも金髪ドリル精霊の中では、エルフは今でも友達で、愛すべき子供たちだったのだろう。

 彼女はエルフたちに、1人だけが利益を得る水召喚は使って欲しくなかった。ただ、すべての生命が平等に水を得る『降雨』の方を使ってほしくて、わざと水召喚の魔力消費量をつり上げていたのだ。


 無事に家に帰っただろうか?

 窓の外で降り続ける雨を眺めながら、俺は彼女の事をぼんやりと考えていた。


「なに考えてるの?」

「ん? 無事に家に帰られたらいいなって」

「地霊のこと? 貴方らしいわね」

「お前はなにを考えてたんだ?」


 シレンシズは、同じ風景を眺めながら、俺とは別の事を考えていた。


「なにも? この雨じゃ、夫が帰ってくるのは明日かもねって」


 彼女が俺の存在を意識しているのは、感覚で分かった。

 俺は本来ならばこの家にいてはならない、夫以外の別人だ。

 シレンシズは俺と向かい合わせに座ると、じっと俺の事を見つめてくる。


「ねぇ、ディップ。こうして話すのはずいぶん久しぶりね」

「ああ……と言っても、俺にとってはつい最近のことだけどな」


 シレンシズの指先が、テーブルの上の俺の指に軽く触れた。

 何気ない物だったのかもしれないし、意味を含んだ物だったのかもしれない。

 彼女は何かを言いかけて、軽く息をのんだ。そして急に話題を変えるのだった。


「そうだ、充電するんだったわね」

「ああ、すっかり忘れてた」


 シレンシズは、鞄の中を探り始めた。

 昼ごろ来た時にもあった鞄だったが、そんなところに無造作に置いてあるとは俺も思わなかった。


「大事なものとは思えない置き方なんだけど、大丈夫なのか?」

「ええ、誰も盗ったりしないわよ。タブレットの充電以外の用途なんてないからね」


 白光石は、様々な種類のクリスタルが混じったものだ。

 何にでも使える石ではあるが、翻すと、単一属性の色を持った石の方が魔力も強かったりするので、あまり他の用途では使われない。


「あった。これが今朝採ったやつ……あれ……?」


 シレンシズの手には、白光石のクリスタルがあった。

 さすが専門家の選んだ石だ、他の石とは白さが違うな、と思ったのだが。

 何か気に食わなかったらしい、大きな耳を弓なりに曲げると、彼女はその石を鞄に戻し、別の石を探しはじめた。

 そして、取り出した別の石も、不思議そうに見つめている。


「これも……おかしいわね」

「どうしたんだ、シレンシズ」


 彼女は、俺にはまったく見分けのつかない、白色に輝くクリスタルを手に、俺に言った。


「水の魔力だけなくなっているわ……どうしたのかしら」


 ******


 まったく不意の事故により、タブレットの充電はできなかった。それとほぼ同時に新たな事件が勃発した。

 俺は慌てて雨の中をかけてゆき、酒蔵へと駆け込んだ。

 ドワーフの職人が作った超巨大錬金釜には、いずれもふたの部分に水色の石が取り付けてある。

 ――はずだった。なぜか、いずれも無色透明のガラスになってしまっていた。


 魔力活性がほぼゼロ状態のクリスタルは、ただのガラス質の石に過ぎない。

 これでは、魔法を発動するどころではなかった。

 蓋を開けてみると、酒が出来上がっているはずが、ほぼ麦が水に浸ったままの状態で、腐ってしまっている。


「おいおい、いったいどうなってる……!」

「ひょっとして、地霊さまがお怒りになったんじゃ……!」


 ルビルが青ざめて言った。

 ありうる。金髪ドリル精霊はこの土地の魔力の流れを司る地霊だからな。

 追い出された腹いせに、この村にある水の石の魔力を吸い上げていったと考えることもできた。

 オリュンポス山の鉱山まで様子を見に行っていたエルフの青年たちが、青ざめた表情で言った。


「おかしい、水の石だけがまったくなくなっている! 青はゼロだ!」


 エルフたちはパニックに陥った。こんな時に頼りになるのは、フェリスタンだった。


「フェリスタンに連絡を! 大至急呼び戻せ!」

「無理だ、この雨じゃドワーフの鉱山まで行けない! あの道はがけ崩れが多発しているんだ!」


 慌ただしく行き来するエルフたち。

 ――……なんてことだ。

 俺は大量の農機具を前に頭を抱えた。

 これらは、ドワーフの職人たちに酒を送る予定で先行投資してもらったものだ。

 水の石がなければ、このままでは、ドワーフに送る予定だった麦酒を作ることができない。


 ドワーフ族は、約束をたがえた事を許さないだろう。

 特に酒の事になると、彼らは信じがたい怒りを発揮する。

 酒ですべてを許してしまう彼らは、酒で戦争を起こす事さえある。

 過去に、そういう事例もあったほどだ。

 下手をすると、種族間戦争になりかねない。


「このままでは、ドワーフとの戦争になってしまう……!」

「落ち着け、とにかく腐った麦を捨てろ! まだ時間はある!」

「他の村の水の石がどうなっているか確認するんだ! どんな手を使ってもいい、ありったけかき集めろ! 急げ!」

「こんな……こんなところで、躓くなんて……」


 異世界改革を目前にして、俺の前に巨大な絶壁が出現した。

 水のクリスタルの消失。

 もはや、タブレットの充電どころの話ではない。


「わしらが、魔力を地霊さまに捧げるのを怠ったせいじゃ……昔は毎日かかさずしておったのに、それを忘れてしまうから……なんという、愚かなことをしてしまったんじゃ」


 レンパスを投げろと言った長老が、自分の行った非道な行いを綺麗さっぱり忘れたかのようにしょんぼりしていた。くそこのジジイ。


 エルフたちは自分たちが壊した祭壇を、泣きながら作り直していた。困ったときは神頼みの非文明社会的な行動に戻ろうとするのは、さすがエルフである。

 そんな時だ。

 扉を勢いよく開け放って、漆黒のローブに身を包んだ少女が現れた。


 雨粒が米蔵の中に舞い込んでくる。

 暗闇でも、ぎらっと光る緑色の眼。

 その手に持っているのは、死に神の大鎌。

 ぞっとしない姿に、エルフたちは気色ばんだが、若干名は彼女の姿をよく見かけて知っていた。


「あ、ゴブリンの塔の黒い子……!」

「なんだ、ゴブリンの塔の……じゃあ、チメイズマンの知り合いか?」


 いや……ごめん、俺もその子のこと、まったくわかんないんだけど……?


 雨に濡れたフードを外すと、銀色のショートヘアがふぁさっと飛び出してきた。

 中で蛍のような黄色い光が飛び交う眼球を俺たちの方に向け、そしてついうっかりすると聞き洩らしてしまいそうな小さな声で言う。


「お困りのようね? なら……力を貸してあげなくもないわ」


 鈴のように軽やかな声音で、そう静かに言い放った彼女は、こつこつ、と足音を響かせながら倉庫の中に入ってきた。

 俺の隣を通り過ぎる時、目から放たれる燐光がいっそう強い光を放って見えた。


 彼女はこの魔眼によって、『魔力』を視ることができる。

 超巨大錬金釜の残骸からいったい何を見とっているのか、俺にはまったく分からなかった。


「お願いします、どなたかは存じません。どうか、我々に水の石をお与えください……!」


 長年、精霊に貢いできたエルフたちは、こいねがう事は得意中の得意だった。

 目を潤ませて耳を情けなく垂れ下げ、庇護欲をそそる表情でヴェートラーナもどきを見上げていた。


 にやり、と口の端をつり上げたヴェートラーナもどき。どうやらまんざらでもない様子である。


「いいえ、貴方たちに水の石は必要ありません。祭壇を作って、精霊に魔力をふたたび差し出す必要も特にありません……そんなことは、するだけ無駄です」


「どうして……?」


「クリスタルが魔法道具によく使われるのは、なぜだかわかりますか?」


 質問に質問を返して、ヴェートラーナは自分の眼に人差し指をあてがった。


「『魔力が見えやすいから』、ただそれだけです。全8種類の性質を色で識別できることは、工学上とても重要な事……だから私たちはよくクリスタルを使っている、それだけなのです」


 疑問の答えになっていないような答えが返ってきた。

 そう思っていると、シレンシズが、同意するように小さく声を上げた。


「つまり、不可視の魔力素材を利用しろってことね?」


 ヴェートラーナはそれには答えず、にこりと微笑みを返した。

 ……いったい何なんだ。はっきり言えよ。イライラするんだが。


「そう、光を放つ魔石と比べて、光を放たない魔石の方が世界には圧倒的に多いのです。

 魔力が活性化した物質の中の、星宮相同構造アモルファスを持っているほんの一部のものだけが、光を放つクリスタルになるのですから」


 石のガラス質、ケイ素は英語でシリコン。地面を構成する物質だ。じつは地球でももっとも数の多い原子である。

 金や銀などの貴金属とは違って、地面を掘ればいくらでも手に入る。なぜなら俺たちの立っている地面がすでにケイ素で出来ているからだ。

 ゆえに魔法使いは、目に見えるクリスタルばかりを多用してきたのである。これまではそれで特に問題がなかった。


「……しかし、これは全宇宙の魔石の中の、ごく一握りにすぎません。

 大赤斑スカーレット・ベース大青斑フォビトン・フォレスト大白斑ビッグ・ミスト大黒斑ダーク・サイド、四つの超巨大魔石群すべてのクリスタルをかき集めても、この惑星アヴァロンの魔石の12パーセント程度にしかならないと言われています。

 人間が活動に使っている魔力など、そのうちの2パーセントにも満たない。その程度の力を失ったところで、世界の魔力の流れを調整するという大きな精霊の活動に支障をきたすわけがないのです……。

 ゆえに、精霊に魔力を捧げれば元に戻る、という判断は過ちです。なにか他の要因があって、水の石は消えたのです……」


 ぎらり、と緑色の相貌を向けるヴェートラーナ。

 それぞれのエルフたちが、ふたたび俯いてしまった。

 彼らは金髪ドリル精霊を村から追い出した、罪の意識に苛まれているのだろうか。

 失ってはじめて、気づくものがある。


「ゆえに、貴方たちに水の石は必要ありません。精霊に魔力をふたたび差し出す必要も特にありません。

 ……ちなみに私の魔王領では、クリスタルも精霊も使わずに砂糖を作る方法が確立しています。

 そこでは、お酒もパンも存分に手に入れることができます。さあ、いまこそ行動を起こすべき時です。エルフの民よ」


 ヴェートラーナは、短い両腕をばっと広げると、口の端をつり上げ、不敵な笑みを彼らに向け、言い放った。


「いまこそ、魔王様の傘下に入り、そして精霊の代わりに、大魔導のこの私に永遠の忠誠を誓うのです……!」


 ******


 俺は荒縄でヴェートラーナを縛り上げ、村から遠く離れたゴブリンの塔へとえっほ、えっほと運んでいた。


「はっ、離せ―――っ! 私は、魔王殿下直属、四天王の1人! 《大魔導メイジ》アリスフォン=ヴェートラーナの孫娘なるぞ―――っ!」


 縛られて身動きの取れないヴェートラーナは、脚をばたばたさせて抵抗したが、そんなの俺には蚊ほどの痛みも与えられなかった。

 両手は使えないので脚でゴブリンどもを退散させ、適当な場所に彼女を置くと、顔が涙と鼻水でぐしょぐしょになっていた。

 真っ白いストッキングが濡れて染みを作っている。あんまり可哀想そうなので、ちょっと裾を引っ張って膝までかくしてやった。


「ひぐぅ、お、愚かな勇者め、貴様、私をこのような目にあわせて、ただですむと思うたか。私は、魔王殿下直属、四天王の1人、《大魔導メイジ》アリスフォン=ヴェートラーナの孫娘なるぞ!」


「それ、気に入ってんの?」


 俺がちょっと手を伸ばしただけで、びびくぅっ、と怯えて目を細めていた。なにこいつ、虐めたくなるんだけど。

 ようやく自分の正体を明かしたかと思ったら、どさくさに紛れてエルフたちを魔王軍の傘下にしようとするとか。

 やれやれ、やっぱり大魔導は大魔導だ。


「で……孫娘がなんの用なの? ここ数日、俺の周りをうろついてるけどさ」


「ふ、ふん……貴様のような愚かな勇者に我が崇高なる目的を明かす道理はない。私は、魔王殿下直属、四天王の1人、《大魔導メイジ》アリスフォン=ヴェートラーナの孫娘なるぞ……ひゃふぅぅぅん! あひぃぃぃ!」


 脇をくすぐってやると、ヴェートラーナもどきは変な声をあげてジタバタ暴れ出した。


「たしゅけ、たしゅけて、くしゅぐったいの、あひぃぃ!」


 あ、笑っているとすげぇ可愛い。なんなのこの子。もっと虐めたい。

 さて、存分にいじったところで、本題に戻ろうか。


「で、どうする、シレンシズ。そういや、不可視の魔力素材がどうのとか言ってたけど?」

「ええ……クリスタル以外の素材でも、強い魔力を持っている事があるの」


 こくり、とチート級エルフのシレンシズは頷いた。

 そう、クリスタルはこの世界の魔石の中の、ほんの一部でしかない。

 魔法道具の原動力として使える知られざる素材は、この世界にはまだ多数存在しているのだ。


「魔法生物由来の素材は、天魔法ですでに特定の機能を持つように固定されていることが多いから、魔石としての汎用性は小さい。……けれど、お酒を造る錬金釜の魔石としては、充分な効果を発揮するものがあるわ」


「ほう……この辺りでもすぐに手に入る素材なのか?」


 一刻も早く素材を集め、酒造りを再開しなければ間に合わない。

 涼しげな眼差しで、シレンシズは頷いた。


「ええ、ウェアシャドの○○と、ゴブリンの○○○○よ。これならすぐにでも手に入るわ」


 ……。

 ……伏せ字が入った。


「ウェアシャドの○○と、ゴブリンの○○○○よ」


 俺たちが無反応でいると、聞こえなかったと思ったのか、シレンシズはもう一度言った。

 ルビルが、「やっぱり千年勇者だ……この人も……」とガタガタ震えながらシレンシズを見ていた。青ざめている。

 俺もさすがに食品を作るのに伏せ字が入る素材を使うのはどうかと思うぞ。


「俺もそれ捨てちゃう部位だけど……そんなのが素材になるの?」


「そういう部位にこそ、魔力は溜まっているものよ。

 毛皮には衝撃回避の風魔法が宿っているし、ツメには防御力低下の水魔法が宿っている。

 心臓には体力増強の火魔法、骨には骨片と血液を再生する土魔法。

 みんな環境によってその量とか天魔法がそれぞれ違っているけどね。どんな生物でも同じ細胞から出来ているって話があるでしょう? 魔法世界の生き物も、だいたいみんな同じ構造になっているらしいのよ」


 ふむ、確かにそれは一理ありそうだ。

 けれど万が一失敗した時に、もう作り直している時間はないし、もしそれがドワーフたちにばれたらただではすまないだろう。

 他になにかいい方法はないのか? と思ってヴェートラーナを見る。

 しかし、縛られているヴェートラーナは、むすーっとしてそっぽを向いている。協力してくれそうな様子はなかった。


 他には、ガタガタ震えているルビルと、ちっこいロアしかいない。

 …………俺がやるしかないか。

 背に腹は代えられない。俺はエルフとドワーフのために、立ち上がった。


「分かった……俺が試しに食ってみる。大丈夫そうだったら、今回はそれで急場をしのごう」

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