第12話

 翌日、ケーキ作り講座を終えた俺とシレンシズは、村の広場でのんびりと語り合っていた。といっても、つい数日前に別れた俺の方に語って聞かせる話題なんて特にない。村での生活はどうだとか、これまでどこで何をしていたのかとか、もっぱら俺の方が質問を重ねてばかりいた。


 シレンシズはこの村のエルフたちにとっても気後れするぐらいの美人だったらしく、話しかけたそうにこっちの様子をうかがっている人々もけっこういた。

 どうやら滅多に家から出てこないらしい。シレンシズは王公貴族みたいにあまり親しみのないエルフたちに手を振っていた。ただそれだけなのにエルフたちは感無量といった顔をして通りすぎてゆく。


「人気者なんだな」

「ハイエルフが珍しいだけよ」

「ずっとこの村で暮らしているのか?」

「ええ、そうね。何年か前から」

「エルフだと割と簡単に村に入られるもんなんだな」

「いいえ、そんな事なかったわよ。基本的に、エルフの村はどこもよそ者には厳しいから」

「そう。じゃあ、どうやって」

「結婚したの」

「……そう」


 シレンシズは、何でもない事のようにあっさりと言った。

 そうか……結婚したのか。

 俺は心がへし折れた気分になった。

 ロアが、しきりに俺に言っていた言葉を思い出す。

 村人と結婚をすれば、村人として迎えられる、と。

 なるほど、あれはすでに前例を知っていたから俺にすすめていたんだ。


「来るのがちょっと遅かったわね、ディップ」

「遅かったって? なにがだよ」


 シレンシズは、薄く微笑みを浮かべた。無理をしているのを隠しているような気がした。

 たぶん、俺の方もそんな顔をしているのかもしれない。ショックで青ざめていたかもしれない。

 俺は話題をかえた。なんでもいい、とにかく話題を変えたかった。


「他のみんなは、どうしている? 無事なのか?」

「さあ。みんなバラバラになっちゃって、生きているかどうかもわかんないわ」

「ってことは、みんな一度は一緒にいたのか?」

「ええ。けれど、もう10年も前よ」


10年前……同じヴェートラーナの魔法で飛ばされたという仲間たちだったが、出現した時間はみんなバラバラで、俺にいたっては10年の隔たりがあったという。

 ヴェートラーナもどきが言っていた、『俺が最後だ』という言葉を思い出した。

 あいつらの事だ、うまく生き延びているに違いないと思いたかったが……。


「で、お前は結婚して、今は魔石の鑑定師をやってるんだ?」

「ええ、鑑定スキルは身に着けていたし、タブレットの充電をしないと死んでしまうから」


 シレンシズは、自分の腰に携帯していたタブレットを俺に見せた。

 10年間使用していたにも関わらず、新品同様に磨かれていた。扱いが丁寧なんだな。


 タブレットの充電をしないと生きていけないのは、やはり彼女も同じようだった。それは異世界から召喚された勇者ならば当然だ。

 召喚三大要素と呼ばれるものがある。

『重力』、『気圧』、『大気』、これらは召喚された物に対して、常に前の世界から召喚し続けないと生命を維持するどころか、召喚した瞬間に物理的に崩壊してしまう恐れがあるものだ。

 そのために、召喚ラミネートと呼ばれる薄い宇宙服のようなものを俺たち勇者は常に身にまとっている。この召喚ラミネートの維持こそが、タブレットの最大の役割だった。


「旦那が砂糖を持ってきてくれたときにね、分かったのよ。とうとう貴方が来たんだって」

「タブレットの資料を見たら、割と簡単に砂糖が作られたけどな。というか、こんなに文明の衰退した世界を見ていて、何とかしようとは思わなかったのかよ? 誰も異世界改革しなかったのか?」

「忘れたの? この世界は魔王が支配しているのよ。私たち勇者が動きすぎると魔王軍に目をつけられるから、なるべくひっそりと生きていたかったっていうのもあるんだけど……それ以前に、異世界改革って本当はとってもデリケートなものなのよ?」

「デリケートって?」

「繊細ってこと。あなた、本当にこの村に対して自分のしたことが正しい事だと思ってる?」


 シレンシズは、まっすぐに俺の瞳を見つめてきた。

 ……それは一体、どういう?

 そう問いただそうとしたとき。


「皆さん! これ以上、砂糖を食べてはいけません!」


 いきなり、何者かが叫ぶ声が聞こえてきた。

 いったい何事か、と俺とシレンシズがそちらに向かうと、村のど真ん中に金髪ドリル精霊の姿を見つけた。

 目立つ岩の上に登って、広場にいる人々に大声で呼びかけている。

 拡声器の音がみぃーん、と森じゅう割れんばかりに響いていた。


「魔法使いチメイズマンの作る砂糖は、悪魔の粉です! 魔法を使って合成した薬品です!」


 彼女は、声高にそう主張した。


「ただ味覚を刺激するためだけに合成された薬品は、容易に過剰摂取してあなたたちエルフの健康を害する恐れがあります! 自然に存在する天然成分ではないため、生物にとって有害である可能性があるのです! どうか決して食べないで、人にも食べさせないでください!」


 などと、砂糖の有毒性を村人たちに訴えかけていたのだった。

 まあ、金髪ドリル精霊の言う事も確かに一理ある。

 地球でも異性化糖は砂糖って表記しちゃいけないって、食品表示法で決まっているらしい。『ぶどう糖果糖液糖』か『果糖ぶどう糖液糖』か『高果糖液糖』と書かなきゃならん。俺は知ったこっちゃないけど。


「私は皆さんエルフのために言っているのです! このままではみなさんの健康が損なわれてしまいます! 健康と長寿の象徴であるエルフとして生きるために、異世界糖をこの村から撲滅しましょう!」


 異世界糖じゃないけどな。まあそんなに間違ってもいないけどな。

 金髪ドリル精霊の主張に、村人たちはどよめきあっていた。

 彼らはもう砂糖やケーキの作り方を覚えていて、それを使った取引の拡大を視野に入れて動き始めていた。

 ドワーフ族との巨大取引も控え、エルフ麦の生産体制も整えて、さあこれからという時に。

 いままで友人として頼りにしてきた金髪ドリル精霊が、待ったを唱えたのだ。

 一体どうすればいいか、戸惑うばかりである。


「地霊バニラ=アクセルさま……」


 あるとき、背の低い老人が現れた。

 村人たちの声を代表する、長老だ。

 顔中しわだらけで、手足もひん曲がってぶるぶる震えていたが、背筋だけはしゃんと伸びている。若かりし頃はそうとう精悍な若者だったのがうかがえた。

 ちなみに、エルフって年食うと耳が長くなるんだ。この老人もめちゃくちゃ耳が長い。

 あんまり長すぎると先端が凍傷になってしまうので、長くなりすぎた耳は内側にくるくる丸めて、ロールキャベツみたいに串状のピアスで留めてあった。へー、エルフの老人って長い耳をそういう風にするんだ。俺も初めて見た。


「ボビー、いい機会だわ、あなたもみんなに言ってやってよ。異世界糖は悪魔の粉だって」

「ほかならぬ、地霊さまのお言葉、ありがたく拝聴いたします……ですが、私にそのような事は言えません」


 はっきりと、拒絶の意を示す長老。

 その態度が不満だったのか、ぴくっと、金髪ドリル精霊の眉が動いた。


「……なんですって? あんたも勇者の異世界改革に加担しようって言うの?」


「我々エルフ族が反対していたのは、『召喚師が利益を独占する異世界改革』です……ですがこれはちがう、我々エルフの文明の進歩です。

 我々は、すでに異世界糖から多くの利益を得ています。……村の不十分な蓄えではいままで手に入れることのできなかった食料に、医薬品、ドワーフの鉄鋼品。

 1000年来、疎遠となってしまっていた村との交流も始まっております。それらを今さら手放すことは、我々にはもうできません」


「いったい何を言っているの! それがまやかしに過ぎないのよ! 近隣の村に毒を売ってお金を儲けることが、人として許されるの? 貴方たちにはもっと大事なものがあるはずよ。森と共に生きるエルフとしての誇りを失ってはダメよ! 私の知っているエルフは、もっと気高い種族だったはずよ!」


「……地霊さま。恐れながら、私たちは金銭よりももっと大事なものも、異世界糖によって手に入れているのです」


 長老は、ふかく息を吐いた。

 彼は、背後にある麦畑をさししめした。


「ご覧ください、この村を。砂糖造りにたずさわる、村人たちの熱意が形となって現れたのです。これまで村人たちは、灌漑事業などに見向きもしてきませんでした。

 地霊さまが、幾度となく忠告しても、すぐに怠けて楽な道ばかり選び続けてきた……それが、砂糖を作るために必要となると、たちまち彼らは一致団結し、見事な畑を築き上げてくれたのです。

 私は、それこそ砂糖のもたらしてくれた一番大事なものだと心得ております」


 そして長老は、なにやらごそごそと服の中を探っていた。

 その手には、葉っぱにくるまれたレンパスが一食分。


「そう……貴方なしでも、我々は生きていける。我々エルフは、もはや貴方のような、魔力の亡者に頼るしかない生活とは決別したのだ」


 ぎらっと目を光らせた長老。

 その得体のしれない気迫に、金髪ドリル精霊は、いっしゅん、ひっと怯んだ。


「な、なにを……なにをなさるおつもりです?」


「えやぁーッ!」


 長老は、大きく振りかぶると、レンパスを金髪ドリル精霊に向かって投げつけた。


「皆の者……この地霊に、レンパスを返してやるのだ! いままでくれた分の、お礼も込めてな……!」


 村人たちはきりっと同様に目を光らせて、手に手にレンパスを取り出した。

 そして長老に倣って、次々と熱々のレンパスを金髪ドリル精霊に投げ始めた。

 レンパスを投げつけられている精霊は、ただただ彼らの豹変ぶりを茫然と眺めているしかなかった。


「だましたな! レンパスなんて俺たちにも普通に焼けるじゃないか!」

「毎日お前に捧げているクリスタルで何百年ぶんの砂糖が作れたと思ってやがるんだ!」

「いままでさんざん、無駄な魔力を横取りしやがって!」

「もうお前の加護なんか、俺たちには必要ないんだよ!」

「でていけ! この村に二度と立ち寄るな!」


 村人たちにすでにその兆候が見られていたことに、金髪ドリル精霊はまったく気づいていなかった。

 彼女にとって、エルフたちはずっと1000年前の子供のままだったのだ。

 彼女が宴を開けば集まってきたし、挨拶をすれば返事をしてくれた。

 いままで友達だと思っていた村人たちにレンパスを投げつけられ、罵倒を浴びせられ、金髪ドリル精霊は理解できない、といった風に目を見張っていた。

 やがて、樹上にあったエルフの家から、なにか大きな手作りの祭壇らしきものが降ってきた。


 がっしゃぁぁん


 大きな音を立てて地面に叩きつけられたそれは、金髪ドリル精霊の目の前で粉々に砕け散った。

 そう、それは祭壇であった。かつてこの村の唯一の水源であった河が枯れた時に、精霊の助けをこいねがうために作られた、手作りの祭壇。

 彼女に捧げるためのわずかなエルフ麦などがお盆に盛られたそれは、二度と修復不可能なほどにバラバラになってしまった。


「おめーの祭壇、ねーから!」


 祭壇を投げ捨てたエルフの家から、数名のエルフたちが顔を出し、金髪ドリル精霊に罵声を浴びせた。

 果たしてエルフの顔が、ここまで悪意に歪むことができるのか。


 レンパスの破片を金髪ドリルに絡ませた金髪ドリル精霊は、じわっと涙をうるませた。


「ひぐっ、ううぅ! 覚えてらっしゃい、後悔、させてやる!」


 村人たちに反論するでもなく、彼らから背中を向けて、追われるように逃げてしまったのだった。


 それまで崇拝していた精霊を、自ら追い出してしまったエルフの村人たち。

 俺とチート級エルフは、そんな村社会の闇をまざまざと見せつけられ、戦慄を覚えていたのであった。

 ……村社会、こえぇぇ……!


「……これで、よかったんじゃ」


 長老は息をつくと、やがて来た時と同様にゆるゆると家に戻り始めた。

 いままで深く依存してきた、エルフたちの精霊との決別。

 村がこのまま文明の進歩を維持してゆくために、いつかはそれを決定的なものにする必要に迫られていたのだ。


 金髪ドリル精霊が立ち去ったあと、村ににわかに暗雲が立ち込め始めた。

 どうやら、雨が降りそうだ。

 それは金髪ドリル精霊の涙なのかもしれない。不意にそんな気さえしてきた。

 あいつ、無事に家に帰られるんだろうか。


 シレンシズは、不意に俺の手を引っ張り、小さな声で俺に尋ねた。


「充電してく? ウチはすぐそこだから」

「……ああ」


 そうだ、俺はそのためにこの村に来たんだ。

 ようやく本来の目的を思い出して、俺は壊れた祭壇の落ちた広場を後にしたのだった。

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