第11話

 エルフの村にも井戸があるのかどうかは長年の疑問だった。

 彼らは基本的に精霊に依存した生活を送っているというし、少なくとも森を開発しなくてはならない井戸や用水路の開発は、自然と共生する彼らのポリシーに反することだろう。

 しかし、この世界のエルフにはどうしても井戸が必要だった。


 井戸さえあれば、この世界でも女たちは、井戸端会議のようなものを開くものらしい。

 数名の女性たちがなにやら井戸の周りに集まって、ぺちゃぺちゃおしゃべりしながら細長い耳を振っていた。

 細長い耳っていうのはなんかこう、セクシーに見えるエルフ耳だ。だんだんと俺もエルフ耳の良し悪しが判別できるようになってきた。


 周りのエルフたちは、何かを待ち構えるように井戸の底を興味深そうにのぞいていた。いったい何が出てくるのか。

 滑車付きロープをガラガラたぐって、井戸の底からつるべ落としを引き上げていく。

 ちょっと勢いよく引き上げすぎてしまい、がつん、と滑車と桶がぶつかるまで引き上げると、桶がひっくり返り、ばざあっ、と冷たい井戸水が上から降ってくる。


「今よー!」


 女たちは、手に手にもった桶を持ち上げ、降ってくる水を受け止めようとしていた。

 びしょ濡れになりながらも、きゃあきゃあ言いながら水を浴びて喜んでいた。

 女たちがびしょ濡れになる様はまさに眼福ではあるが、彼女たちは井戸の使い方をだいぶん間違っていると思う。

 そうか……いままで降雨でしか水を集めたことがなかった民族って、井戸に対してこんな斬新な使い方を発明するものなんだなぁ。


「チメイズマン、なにいやらしい目で見てるのよ」

「いやらしい目などしていない」

「ウソでしょ、あのおねーちゃんたち、服が濡れ濡れでぴっちり張り付いてボディーラインがくっきりわかんぜ、うっひょほぉーとか思ってたでしょ」

「おい」


 俺は、頭の上のゆるキャラ、もとい、ゆるエルフ、ロアに困惑して眉根を寄せた。


「たとえお前が俺の心の中を読めるのだとしてもだ、そうはっきり口に出すのはやめろ?」

「思ってたんだ」

「ああ、思っていたさ。一字一句たがわずな」

「浮気者」


 俺はロアに肩車をしたまま、エルフの村の中をぶらぶら歩いていた。

 これまでフェリスタンが村まで俺を連れてきてくれることは何度かあったが、限定的なものだった。

 村人たちに錬金釜の作り方をレクチャーするときや、壊れた錬金釜の修理を頼まれたときなどに、ちょこっと立ち入ることは許可されていた。

 しかし、そのフェリスタンがドワーフとの取引のために遠出をするようになったため、フェリスタンは俺1人でも村に自由に出入りできるよう、組合いに掛け合って便宜をはかってくれたのだ。


 その頃には、錬金釜の伝道者として俺の名前を知らぬものはいなかった。

 村人たちは、クリスタルの新たな使い道を覚え、そしてより効率的なクリスタルの使い方を学び取ろうとしていた。

 それによって作られるレンパス酒やレンパス砂糖は、オリュンポス山のエルフの村に富をもたらす、なくてはならない特産品となっていた。


 灌漑設備の視察や、錬金釜の管理という名目が必要ではあったが、実質、俺は自由に村を歩くことが許可されていた。

 一度招き入れられてしまえば、村人たちが俺に慣れるのは早かった。

俺が晴れて村人たちに迎え入れられるまで、そう時間はかからないだろう。


「ところで、お前の知ってる魔石の鑑定師ってどんな人なの?」

「シレンシズさん」

「へー、シレンシズさんか」

「シレンシズ・ゴールドさんっていうの。すっごい美人なひと」

「それは楽しみだな」


 ただでさえ容姿端麗なエルフが美人と言うのだから、相当なものなのだろう。

 美人で、聡明で、おまけに450歳(人間でいうところの20歳前後)。俺の好みのど真ん中である。

 しかし、俺はエルフの村に花嫁探しに来たわけではない。

 俺がこうして魔法使いとして名をあげ、エルフの村に潜入しようとしていたのには、目的があった。

 それは、タブレットを充電するのに必要な魔石を捜しだすことだった。

 もしこの村でその魔石が手に入らないのならば、タブレットがもう残りMP41となったいま、ゆっくりこの村に滞在を続ける余裕もない。

 この村の魔石の鑑定師と接触を図るのは、必然だったのだ。


 本当はフェリスタンに頼んでアポを取ってもらった方が確実だと思ったのだが、フェリスタンはドワーフの使節団を村に招き入れるために、一路ドワーフの鉱山へと向かってしまっていた。

 帰還は1週間後、それまでには、超巨大錬金釜で醸造している麦酒も完成している頃合いである。

 ドワーフたちは髭をふくらませて麦酒が飲めるのを心待ちにしているという。


 それで、かわりにロアに道案内を頼んだのだ。

 ロアは、このまえ高純度の魔石を俺のもとに持ってきてくれたことがある。99・9997パーセントという、専門の鑑定スキルを持った人間でなければ、とうてい見つけられない高純度の石だ。


 その石をロアにくれたのも、シレンシズさんだったらしい。

 シレンシズさんに会ってみたい。

 もし今回あてが外れたとしても、鑑定スキルを教わった職人ギルドなんかに所属していたのなら、知り合いを紹介してもらえるかもしれない。

 ロアは、俺の頭の髪の毛をぎゅっとつかんで、どこか落ち着かなげにしていた。


「…………」

「くよくよすんな、きっと300年後にはお前が一番可愛いよ?」

「バカ」


 サンダルのかかとで蹴ってきたり、俺のほっぺたをつねったりしてくるロア。可愛いなこいつ。

 途中でルビルを見かけたが、なにやら男の子と話をしているみたいだったので、見ないふりをしてきてやった。あとで思い切りからかってやろう。


「ここ?」

「うん、ここ」


 ようやくたどり着いたのは、小さな一軒家だった。

 大抵のエルフの家が鳥小屋のように木の上にあるのに対し、この家はしっかりと地に建てられていた。頑丈な石造りの家だ。住んでいる人も石に詳しそうだ。


「じゃ、ちょっくら挨拶しに行ってくる。ロア、いい子でお留守番してろよ?」


 初対面なので、あんまり失礼なことはできない。

 ロアを肩からおろして、服装を軽く整えておく。

 家に入ろうとすると、ロアは俺のズボンをぎゅっとつかんで離さなかった。


「いたたた、皮膚、皮膚はさんでるやめて」

「チメイズマン」

「ん?」

「約束したでしょ。忘れないでよ、私と結婚するって」


 …………。

 約束した記憶が微塵もないんだが、まあいいか。


 俺はロアのふわふわの髪の毛を撫でてやって、鑑定師の家の中に入った。

 鍵をかける習慣はエルフの村にない。

 ドアは簡単に開いて、涼しい風が吹いてきた。


「魔法使いチメイズマンだ。ここに石の鑑定師がいると聞いてやってきたのだが……」


 もはや、こなれた名乗りを上げる。

 玄関から声をかけてみるが、誰もいない。

 屋内は妙に小ぎれいに整えられていた。


 棚からあふれんばかりの多様な鉱石。見た目にも純度の高いクリスタル。

 それらに混じって、石にまったく関係のないような木の根や動物のはく製なども飾られていた。

 この辺りでは見ない動物のものだ。

 いったいどの土地から持ってきたものなのか、判然としない。

 学者らしく、棚に図鑑が何冊かあった。それ以外にめぼしい物は見当たらなかった。


 ……留守だ。

 留守だな。

 やっぱり、昼間に尋ねても会うのは難しいよな。

 どこかほっとしたような気がしないでもなかった。

 家から出ると、壁に背中をつけて大人しく待っていたらしいロアが、何も言わずにいきなりがばっと俺の足にしがみついてきた。


「どうしたんだよ。俺はどこにも行かないぞ?」

「ううん、シレンシズさんに会ったら、チメイズマンはきっとどこかに行っちゃう。私はあなたのモブキャラですらいられなくなっちゃう」

「メタな発言すんな。明日はケーキの作り方を教えてやるから、何があってもぜったい約束は守る。たとえ戦争が起こっても俺は約束は必ず守る男だからな。楽しみにしてろよ」


 エルフの勘はよく当たる。

 たぶん、ロアは俺がその魔石鑑定師と出会うことによって、大きな波乱に巻き込まれてしまうことを予感していたのだ。

 そしてその結果、この小さくて素朴なエルフの村に留まっていられなくなることを。


 そしてロアを大きなクスノキの家に送り届けて(割とお嬢様だった)、塔のある山奥の方へと引き返す道すがら。

 村と山のちょうど境目の辺りで、俺は息をのむほど美しいエルフを見かけた。


 彼女が噂のシレンシズさんだというのは、俺にはひと目でわかった。

 鎧越しにさえ美しいと感じてしまう、均整の取れた体躯。

 小さな顔に、切れ長の眼。どこかひょうひょうとした表情で、俺と行き違いに山から村へと戻ってくるところだった。

 その麻袋の中にあるのは、クリスタル。

 ありったけ持ち出そうとした俺とは違って、必要最小限の量しか持っていない。

 どれも厳選された純度のものばかりなのだろう。


 その美しすぎるエルフは立ち止まって、じっと俺の眼を見つめ返していた。

 不思議な事に、こんなに美しいのに、ちょっと目を離した瞬間には顔を忘れてしまいそうだった。

 とにかく美しいという印象が強すぎて、鼻の形や、耳の長さなど、他の物が記憶に残らない。まるで水晶や幽霊のように透明な存在感を持っていた。


 だが、俺が震えているのは、もっと別の理由からだろう。

 彼女と俺は、まったくの初対面ではなかった。


「あんただったのか……シレンシズさんってのは……」


 彼女は、まっすぐに俺の元へと近づいてくる。

 あと一歩で俺の胸と彼女の尖った顎がくっつきそうな距離まで。

 あたかも、磁石のようにお互いに吸い寄せ合っているかのように。


 そのエルフは、俺の目の前に立った。

 流れるプラチナゴールドの髪も、色素の薄い灰色の瞳も。

 すべてがチート級だった。

 そして、1000年前と変わらぬ眩い笑みを浮かべてみせたのだ。


「1000年ぶりね、ディップ。元気?」


 にこっと笑う彼女の胸には、銀色に光る薄いプレートが提げられていた。

 エルフは、その薄いネームタグを持ち上げて、日の光に照らしてみせた。


 SILENSISGOLD『沈黙は金なり』


 スペルを間違うのは、もはやこの世界の召喚師の伝統のようなものだ。


 1000年後の世界に飛ばされて、50日目。

 俺はようやく、俺以外の千年勇者を見つけた。

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