第9話

 ある日、とうとう男がやってきた。

 いつもの通り砂糖が欲しいのかとおもって出迎えたら、こんな真面目そうな男でびっくりした。


「貴様が塔の下の魔法使い、チメイズマンか」

「ああ、そうだが……」


 男は、名をフェリスタン、と言った。

 エルフの言葉で『弓で狩る者』という意味があるらしい。

 いつどの瞬間でも死んでいいようなイケメンだった。


 柄頭にリングのついた剣に、強弓を携え、物腰は機敏で隙がない。

折れてしまいそうなほど細身だったが、俺はその男に武人の気配を感じ取った。

 俺は、首を横に振った。


「悪いが……フェリスタン、お前にやる砂糖はない」


 フェリスタンは、拒絶されたことを怒るでもなく、単純に疑問に思った様子で誰何した。


「なぜだ?」

「お前の身体は理想的だ。砂糖ではエネルギーが大きすぎる。疲れた時の栄養補給ぐらいにはいいかもしれんが……」


 無駄な贅肉も、無駄な筋肉も削ぎ落した、理想の肉体。

 この肉体を維持するための苦労は、並大抵ではないだろう。

 こういった手合いに砂糖菓子を食べさせることは、俺的にはあまりお勧めしない。

 そう忠告したところ、フェリスタンは「いいや」と首を振って、こういった。


「妻が一度、食べてみたいと言っている」


 なるほど、代理で来ただけか。

 聞くと、適齢期の女性は村からみだりに出てはならないという掟があるらしい。

 そっか、道理で待てども来ないわけだ。ちょっとがっかりした。


 こうして、クッキーは村の掟という強固な防壁に守られたわずかな間隙を縫い、最後の砦、適齢期の女性の間にも普及した。

 女性は全年齢層をコンプリート。おまけに妻帯者までちらほらと来るようになった。


 保存のきくクッキーは、携行食としても効果を発揮する。

 このエルフの村では、隣の集落へと旅立つ夫や恋人に妻が持たせる習慣が根付くようになった。

 この他にも、祝い事や祭りに給される嗜好品として、大量のクッキーが焼かれることとなった。


 このクッキーの噂は、瞬く間に他のエルフの村でも噂になった。

 フェリスタンが持っていったクッキーは、あらゆるものに化けてエルフの村に戻ってきた。

 高級な毛織物から、よくしなる弓、その年一番の獲物となった森の主、などなど。


 砂糖の需要は、金髪ドリル精霊が毎日焼いて村人たちに与えたレンパスでは、とても追いつかなくなっていた。

 フェリスタンも「もっと砂糖が必要だ」と俺にせがむまでになった。


「隣村でも客人に出すためにクッキーを焼きたいという。割れてしまったクッキーではなく、直接、砂糖を取り引きしたいそうだ。交換のための大量のクリスタルもすでに用意してあるという。だが、我々は砂糖の製法を知らない。どうすればいい」


 俺は、うんうん、と頷いた。俺の言うべきセリフは決まっていた。


「なら、レンパスを焼いて持ってこい」


 こうして、村人たちは自らレンパスを作るべく、農耕と灌漑事業に取り組み始めたのである。

 このあたりの小麦はエルフ麦と言う、小さな麦だ。

 エルフたちは森の中に木の間を縫うような独特の麦畑を作り、夏に収穫する。木の間の土は保水能力があるため、手入れもほとんど必要なかった。そのくせ実が大きくてほのかに甘いという、この土地の精霊がエルフたちのわがままを聞いて作ったとしか思えない特徴がある。

 彼らはそれを思い切って木のないところで育て、光がたくさん当たるようにしてやった。手間はかかるが、その方が大きな実をつけるはずだ。

 村人たちは総出で地面に溝を掘って、村の中まで河を引き込み、水車小屋を建設した。


 水源を確保して水不足を解消すると同時に、水車の動力を利用することで臼を回し、収穫した麦を粉にかえてゆくのである。

 灌漑工事が完了したときには、盛大な祝賀会が催された。

 みなクッキーでお互いの労を祝っていたらしい、ロアがあまったクッキーを俺の元に持ってきてくれた。


「チメイズマン、どうしてお祭りに来なかったの?」

「なんでって、俺は関係ないだろ?」


 文明ってのは、誰かが一から十まで伝える必要はない。

 一を教えれば、自分から必然的に進歩していくものだ。


 こうして、大量のレンパスを手に入れた村人たち。レンパス余りの時代が到来した。

 金髪ドリルが無償でくれるレンパスはすべて砂糖へと変えられ、他の村との取り引きぶんに使われることとなった。

 自分たちの生活分は村人たちが焼き、さらに足りない分は自分で焼く、という自発的な行動にも取り組み始めた。

 ついに、砂糖はアヴァロンにおけるレンパスの存在価値をも塗り替えたのだ。



 残りMP59。

 タブレットの魔法が尽きるまで、あと59日。

 俺は木陰でのんびり寝そべって、その時を待っていた。

日向では、ロアとルビルが地面に絵を描いて遊んでいる。何気ない大らかな時間がそこでは流れていた。


 あるとき、フェリスタンがやってきた。


「来たか」


 来るのを待っていたよ。俺はそう呟いて、身体を起こした。

 彼はいつも通り、イケメンすぎる顔でじっと塔の端を見つめていた。


「ところで、あの少女は誰だ?」


 そこには漆黒のローブを身にまとった、ヴェートラーナもどき。

 1人仲間外れの女の子みたいに、木陰でヤギに草を与えていた。寂しそうだ。

 えーと……誰だっけ? 何しに来たんだっけ?


「さあ、俺にも分からない……いつもあそこにいるんだが、何をしにきているのか」

「ふむ」


 フェリスタンは、いつも通り大量のレンパスを袋にぎっしり詰めて持ってきた。いつも通り、俺に砂糖と交換してもらうためだ。


「砂糖の報酬はこの中の1割でたのむ。あと、アリに食われないための防虫剤も追加で欲しい。こっちはクリスタルで支払う。青い石と紫の石でよかったよな?」


 俺は、「ちょっと待て」と手を前にかざして、その動きをストップさせた。


「そろそろ、お前たちが自力で砂糖を作る方法を教えようと思ってな」


 フェリスタンは相変わらず表情を微動だにさせなかった。本当にいつ死んでもいいイケメンだった。


「砂糖を作るには、魔法が必要ではないのか?」

「ああ……だが、アヴァロンにはかつて、魔法使いが魔法を使う必要すら無くした、文明の利器というものがあったんだ」


 俺は、にやりと笑った。このまま死んだら悔いが残るような、意地汚い笑みだ。

 そうとも、こんなところで死んでたまるか。

 俺は生き延びてやる。


 かつてアヴァロンに持ち込まれた異世界テクノロジーは、みなチート級の未来魔法道具ばかりだった。

 勇者がいなくなれば使いこなせなくなるような、そんな代物でしかない。

 どうやって作ったか、振り返ろうにも、その歴史をほとんど積み重ねていない。みな正解を知っているがゆえに、失敗がなかった。

 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。歴史に失敗が書かれなければ、賢者でさえ同じ失敗をして道を見失う。

 ゆえに、アヴァロンの魔法文明は勇者が去ると、その一代で潰えた。

 この世界に必要なのは、古代から現代に至る、中間テクノロジー。

 勇者たちが伝えもらした異世界テクノロジー、すなわち、古典魔法道具の作り方だ。


「《錬金釜》の作り方だ……お前に一から教えてやるよ」

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