4-12 再就職

 山川の店のカウンターに座った里佳はイヤフォンをつけたまま一心不乱にスマホの画面を見つめていた。


「なにあれ?」

 後から静かに店に入ってきた浩人が山川に小声で聞いた。


「さあ」

 山川も小声だった。


「びっくりした。来てたの」

 気配に気づいた里佳が慌ててイヤフォンを外した。


「いや、邪魔しちゃ悪いかと思って」

 浩人が隣に座る。


「いいの。宝山歌劇、どんなもんかなあと思って」

 里佳はスマホの画面を消した。


「ああ、あれか、男の格好してキリッとした化粧で歌うやつ」


「それぐらいは私も知ってる」


 浩人が杏と同じことを言うのがなんとなくおかしかった。


「なに、ああいうのがいいのか」


「んー、実際の舞台観たことないからわかんないけど、好きな人がいるのはわかるかな」


「面白いぞ」

 山川が言った。


「あ、なに、山ちゃん観に行ったことあるの」


「何度もある。帝劇だな」


「山川、おまえひとりで行くのか」

 浩人の目には尊敬の念が込められていた。


「いや、ひとりじゃない」


「あ、この前話してた昔の彼女さんと行ったの? そうなの?」


「山川……、やるな」


「この話はやめよう」


「なんだよ、つまんねえな」


「でも、面白いんだ、やっぱ」

 里佳は興味津々だった。


「そりゃ、面白くなかったらあれだけ長く続いてないだろ」


「そうだよね、歴史って、そういう意味だよね」


「そう言われると話のタネに一回ぐらいは観に行っておきたいな、おい」

 浩人もそう言い出す。


「え、じゃあ一緒に行く?」

 と、里佳。


「あー、それもそうだな、男ひとりじゃキツそうだ」

 と、浩人。


「どうせなら杏ちゃんも一緒にどう?」


「杏は見ないだろ、あいつカラオケでもボカロしか歌わないらしいぞ」


「あー、人気の演目は案外チケット取れないぞ」


「出た、山川、なぜか詳しい」


「とりあえず調べてみるね」


「いや、やっぱいいわ」


「えー、いいじゃん、一緒に行こうよ」


「ひとりで行けよ」


「ひとりのひと、けっこういたけど。いや、むしろひとりのほうが多いんじゃないの」


「本当に?」


「そんなところにカップルで行く山川すごい」

 浩人が茶化す。


「あー、うるさいよ」


「ねえ、一緒に行こうよ」


「いや、わりい。なんかちょっとそれどころじゃ無くなりそうでさ」


「どういう意味よ」


「親父がさ、たたもうかって」


「畳むって。え、もしかして」


「俺が手伝ってどうとかいうレベルじゃないんだな、もう」


「え、ええ、えええええ」

 里佳が軽く腰を浮かせた。


「どうすんだよ」

 山川も口を挟んできた。


「どうすんだもこうすんだもないよ。泰人がさ、いい勤め先が見つかりそうなんだ。で、親父ひとりじゃ続けらんないだろって」


「なに、兄は戦力外なの、そういうこと?」


「んなことわかってっだろうが」


「辛いな。今日は俺のおごりだ。一杯だけ」


「山川になめられるのは腹立つな」


「ていうかさあ、じゃあ、ヒークンどうすんの」


「さあな。とりあえず、おごりの一杯いただくか」

 

「おいおい、浩人、自分のことなんだからもう少しちゃんと考えろよ」

 と、里佳。


「いや、俺のことは別にいいんだけどな。改めて仕事探すから」


「じゃ、それはいいや。ヤックンがどこかに就職するとして、おじさんは?」

 里佳の質問が核心だった。


「まあ、それだな」

 浩人は泡ばかりになってしまったジョッキを傾けた。

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