4-5 一念

 持参したメモには小さな字がぎっしりと書き連ねられていた。


「電話のお返事です」

 中川英梨えりは、顔を伏せたまま里佳にメモを手渡す。学校に電話で問い合わせた内容とそれに対する返事を、英梨は懸命にまとめていた。


「見学は、えと、通常は難しいそうです。学校の、あの、事務の方に教えていただきました。その時に、えと、大おばあちゃんが何期生だったか、とか、聞かれて、私はわからなかったので、あの、えと、答えられませんでした。大おばあちゃんの昔の名前、えっとー、旧姓? 旧姓を、お伝えしました。お調べいただけるとのことで、お伺いして、あの、えと……」


 訥々とつとつと話す目の前の女の子のどこにそんな行動力があったのか。それほど歳は離れていない。それはよくわかっている。けれど、里佳はまぶしいものでも見るように目を細めるしかなかった。


 英梨は渋る両親を説得するために自ら学校に電話をかけていた。曾祖母の病気のこと、訪問の意志、曾孫として曾祖母を連れていきたいという英梨本人の希望。学校側の対応は決して冷たいものではなかったのだろう。英梨の上気した頬が手応えをしっかりと物語っていた。


「じゃ、お返事はいつになりますか?」

 お客さんに接する時は常に敬語だ。相手の年齢は関係ない。旅行代理店では毎朝の朝礼に続いて接客の九大用語を唱和していた。意味がないかと思っていたあの退屈な習慣が今となってみると役に立っている。とはいえ、敬語はちょっと苦手だ。


 英梨は眉を八の字にして首をかしげた。どうやら返事のタイミングは聞いていないようだ。


「わかりました。じゃ、学校のお返事を確認してから改めて旅程を決めるということでいかがでしょうか」


 英梨はこっくりとうなずいた。


 宝山歌劇のことについて聞かれもしないことまで夢中で話し続けていたのと同じ人物とは思えない。いや、むしろこちらが本当の英梨で、歌劇への情熱のほとばしりのほうが例外なのだろう。


 しかし、と里佳は思った。これではいつまで経っても日程を決められない。あらかじめ里佳が部外者の学校見学は厳しいと調べてからの英梨の電話だった。卒業生本人とその肉親ならなんとかなるかもしれない。一縷の望みをかけた英梨が、「電話して聞いてみます」と言ったのはまだ昨日のことだ。その日のうちに電話した結果、今のところは学校側の返事待ち。


 里佳の心のなかで、今回の旅は無理かもしれないという考えが何度も湧き上がってくる。その考えを懸命に押さえ込む。英梨のために、いや、本当は英梨の曾祖母の八重子のために、なんとしてでもこの旅を実現したい。自分のあまりの無力さがどうしようもないほどもどかしかった。


「電話のお返事があったら知らせてくださいね」

 英梨にそう声をかける。


 英梨も、多分、この旅が難しいことに気がついている。


 それがわかるだけに、里佳はなおいっそう、この旅を実現したくてたまらなくなる。飛行機で飛べば一時間と少し。なのに、その距離が途轍とてつもなく遠く感じられた。

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