3-7 ブーゲンビリア

 杉浦惣太郎は、手にした旅程表を遠ざけた。老眼鏡をかけてもまだ見にくいようだ。もう少し字を大きくしておくべきだった。まだまだ工夫が足りない。


「宮崎ブーゲンビリア空港ねえ。そんな名前だったっけ」

 新婚旅行は五十年前だと聞いた。杉浦惣太郎にとっても何もかも遠い記憶なのだ。里佳にとっては、もはや歴史だ。


「何年か前に愛称に決まったんですよお」

 空港の愛称は2014年に公募で決まっている。


「なんで?」

 杉浦惣太郎が上目づかいに老眼鏡をずらした。


「色々と由来がありまして」

 聞かれたら応えられるようにしっかりと準備だけはしてある。


「いいや。長いんでしょ、どうせ」

 まったく食いつかない。


「いえ、まあ。いえ、そういうわけでもないんですけど」

 お年寄りは話し好きかと色々ネタを用意しているにも関わらず、どうもこのお客さんは勝手が違う。


「いいよいいよ。まあ、よかったよ、助かったよ。色々と手配してもらって」

 早々に眼鏡を外し、胸のポケットから取り出したケースにしまう。今時の老眼鏡はケースも随分とおしゃれだ。


「いえいえ、遠慮なくおまかせください。では、旅程の順にお乗り物をご案内いたしますね。チケットもご確認ください。羽田空港までのリムジンバスはご乗車券ございません。乗車時に運賃箱へお支払いください。ご乗車先着順となりますので、少し早めにご準備ください。こちらは、羽田空港から宮崎ブーゲンビリア空港までの航空券になります。搭乗手続きなどは……」


「ああ、そういうのは任せちゃうから、花嫁さんに」

 杉浦惣太郎が歯茎を見せて笑う。不自然なほど白い歯だ。入れ歯だろうか。


 里佳は再婚相手の話に触れないよう、急いで次に進んだ。


「現地で空港からご宿泊先のホテルまでの送迎バスは無料です。宿泊先から青島までも無料バスがありますが、タクシーでの移動をご希望とのことでしたので、予約を入れてあります。指定の時間に宿泊先にお迎えに上がります。フロントに声をおかけください」


「ああ、いいよ、いいよ。青島となんだっけ、なんとか神社、で、宿に帰って、次の日から福岡だろ」


「あ、はい。初日の移動はタクシーにすべておまかせください。翌日の福岡へは高速バスのご利用となります。こちらのチケットをご利用ください。福岡で二泊、福岡空港から羽田空港までのチケットはこちらです。リムジンバスの乗り場は……」

 行程は既に何度か説明してある。それでも渡す前に一通りチケットの説明だけはしておかないと気がすまない、ではなく、仕事にならない。


「あー、これで全部ね。わかったわかった。ありがとう。いやあ、自分で旅行の手配なんてしないから、本当に助かったよ」

 嫌味では無さそうだった。


 Webの申し込みから数日経って現れた老人を見て何かの間違いかと思ったこともあったが、それは里佳の勘違いでしかなかった。旅慣れているヒトならともかく、チケットの手配はなかなか大変なのかもしれない。だからこそ、旅行代理店があるのだと、そんな当たり前のことに思い至る。


 里佳は外まで送りに出た。この歳で新婚旅行、最初は驚いたものの、案外いいお客様だった。


「またご利用ください」

 機嫌よく去っていく杉浦惣太郎に頭を下げつつ、次も新婚旅行だと驚くだろうなあと、そんなことを思う里佳であった。

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