1-16 さよならツアーズ
山川の店に客は浩人ひとりだった。
「田村さんとこのお嬢ちゃんは?」
山川はいつもより熱心に鶏を焼いていた。
「ん、ああ、家でメシ食ってる」
「おまえん家で?」
「そう」
「で、おまえはなんでここにいんの?」
「その言い草はなんだよ、客だよ、オレは」
「ははーん、あれだな」
「なんだよあれって」
「ひょっとして、あれだろ」
「だからなんだよ、あれって」
「ちょっと待て、電話だ。はい、もしもし、あ、はい、大丈夫です。はい、はい。お待ちしております」
「おい、お待ちしておりますってなんだよ、客か」
「団体さんだよ」
山川がにやついていた。
「マジか」
「マジマジ」
店の戸がガラガラと開いた。
「ごめんよ」
三国に続いて櫛田家の真知子、杏、泰人、その後ろから花源の旦那さんと奥さん、仕出し屋の黒木さん、仏具屋の川端さん、石屋の寺内さん、長仁寺の八代目がぞろぞろと店内に入ってきた。
「浩人、てめえおまえ、ここにいるのは分かってんだよ」
「なんだ、これは」
「退院祝いの団体さんです」
目をむく浩人に山川が満面の笑みで返した。
「ヒークンも一緒に飲も飲も」
里佳もいた。
「ったくよお」
「山川さんの息子さん、まずな、人数分ビール、生、ジョッキでな」
「父さん、真知子さんは病みあがりだし杏は高校生だから、あと、ボクは何かあったら車動かすから」
「お、泰人、まったくその通りだ。おまえはウーロン茶だな。で、真知子と杏はどうする」
「あら、せっかく退院したんだし、あたしはビールで」
「お、真知子、やっぱそうじゃないとな。杏はどうだ」
「わたし、ジンジャーエール」
「おーし、おし。じゃ、息子さん、よろしく頼むわ」
「お父さん、ボクのことは息子さんじゃなく山ちゃんと呼んでください」
「お、そうか、じゃ、山ちゃん、よろしくぅ」
「よろこんでッ」
「おい、山川、ノリがいつもと違うな」
「いやあ、こんなにお客さん来るの久しぶりだからテンション上がるわあ」
「って、どんだけ流行ってねえんだよ、この店」
「おい、浩人、こっち来て飲め」
「あ、櫛田、悪い、オレつまみ用意すっから、ジョッキ運んでくんねえか」
「マジ?」
「マジマジ」
三国の乾杯で始まった宴は小一時間でお開きになった。
「じゃな、浩人、先に帰るからな」
「どっか飲みに行くんだろ」
「真知子がいるから帰るんだよ、まっすぐよ」
残ったのは浩人と里佳のふたりだった。
「いつもと同じだね」
「ああ、山川が浮かれてるけどな」
「本当だ、鼻歌歌ってる」
「ありえねえ」
「はは、でもお父さん、真知子さん退院して嬉しそうだったね」
「ラブラブ過ぎんだよ。息子の身にもなれよ」
「いいじゃない。元気なうちにラブラブなぐらいじゃないと」
「そうだなあ」
言葉に詰まった。里佳が一人ぼっちなのは知っている。
「ねえ、この間の北海道、どうだった?」
「どうだったも何も村田さん連れて行って帰ってきて、で、その後もバタバタだったからなあ。いや、喜んでくれてたし、すごく良かったと思うよ。うん、そうだな、写真も喜んでくれてたしな」
「私ね、決めたの」
「なにを?」
「あの旅って旅行代理店の仕事になる。間違いなく」
「ちょ、待てよ。どういうこと?」
里佳はちょっと考えてから手帳を取り出し、ペンで大きく書き込んだ。
「なにそれ?」
「名前」
「名前?」
「私ね、資格持ってるの、旅行代理店を始められる総合旅行業務取扱管理者の資格」
「それが?」
「自分で始めようと思うの」
「何を?」
「だから、旅行代理店。私が始める旅行代理店の名前」
「Farwell Tours、フェアウェルツアーズ?」
浩人は手帳に書かれた文字を読み上げた。
「そう。大事な人とのお別れを心に残る想い出に変える旅、そんな旅を企画して組むの。究極の個人旅行。どう思う?」
里佳は自信満々だった。
「どうかな」
浩人は小首をかしげた。
「どこが?」
里佳は不満げに口を尖らせる。
「ちょっと違わないか」
「だから、なにが?」
「ちょっとその手帳とペン貸して」
浩人は新しいページを開き、書き込んだ。
「さよならツアーズ」
里佳が手帳の文字をゆっくりと読み上げる。
「バイト先でさ、コピーライターみたいな仕事した時に教わったんだけど、サービスでも商品でもお店でも、使う客のことを考えたネーミングって言うの? 横文字がダメだってんじゃないけど、でもさ、こっちのほうがわかりやすくないか?」
「さよならツアーズ」
里佳がもう一度声に出した。
「さよならツアーズ」
浩人も声に出して読んだ。
「すごくいいね」
里佳は手帳の文字を見つめていた。
「だろ?」
浩人は鼻をこすった。
「ありがとう」
里佳が浩人をまっすぐ見つめる。
「やめろよ、おい」
照れる浩人。
「で、看板のデザインとか、頼んでもいい?」
両手を組んできらきらとした目で浩人を見つめていた。
「マジかよ……」
浩人はぬるくなったジョッキのビールを流し込んだ。
「なあ、テレビつけていいか」
山川がリモコンを押した。
「なんだよ、どうせつけるならイチイチ聞くなよ」
「あー、ニュース、ニュースな」
画面の中ではニュースキャスターが欧州で長期に渡って続いていた記録的な大雪が一転して春のような陽気になったことを伝えていた。
里佳と浩人は顔を見合わせた。
「村田さん、ハンガリーにそろそろ着いてるはずだよね」
「オレもそれ思った」
「ひょっとして……」
「まさか、ね」
二人の声が揃った。
終わり
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