1-12 夜の雪
数十年ぶりの旅行は麻子にはかなりこたえたようだ。
里佳が予定に組み込んでいたホテルのレストランでの食事は取りやめた。
浩人がコンビニで買ってきたサンドイッチを部屋でひとくちふたくち頬張り、その後は早々に横になると言って心配する里佳を部屋から追い出した。
「で、なんでオレが酒に付き合わないといけないわけ」
「ひとりで飲んでも寂しいじゃん。この間まで札幌にいたんだから、いいお店とか知ってるんでしょ」
「知ってる店には行かないから」
「なんで」
「聞くなよ」
「じゃ、ここのラウンジで」
「しょうがねえなあ」
ラウンジの大きな窓から大通公園が見える。雪祭りの雪像はとっくに取り壊され跡形も無かった。
「少しは残ってるのかと思って期待してたのに」
里佳は口を尖らせた。
「おまえなあ、観光で来てるわけじゃないって分かってるだろうが」
「わかってるよ」
里佳の目の前のグラスはちっとも減っていなかった。
「明日ね、JRだから。JR北海道」
「特急に乗るんだろ」
綺麗にプリントアウトされた旅程表は部屋に置いてきた。今回の旅を決めてからの短時間で一気に作ったとは思えないほどの出来栄えだった。
「いつもは飛行機?」
「そうだな、オレは飛行機しか使ってない」
「村田さんの旦那さんが東京に出てきた時は青函連絡船に乗ったのよね、きっと」
「青函連絡船ってフェリーか? 聞いたことあるけど乗ったことないな」
「一九八八年に廃止になってる。ヒークンの生まれた次の年。私の生まれる四年前。フェリーっていうか、専用の桟橋があって鉄道車両ごと運ぶの。何年か前まで船の科学館にあったよ。今は無いけど」
「詳しいな」
「マニアじゃないけど、そういうのもけっこう好き」
「だろうな」
「あの写真覚えてる?」
「あの写真って?」
「ほら、遺影に使うって言ってたあの写真」
「ああ……」
目を輝かせた詰襟の若者の笑顔を思い出した。
「今日、亡くなった旦那さんのお顔を見てたらあの写真を思い出したの」
里佳に言われるまで気がついていなかったことにハッとした。目を閉じ硬直した遺体の表情と希望に満ちあふれ溌剌とした写真の表情とが結びつかなかった。
「あ、」
里佳が小さく声を上げた。
雪が降っていた。
「明日は降るのか?」
「ううん。天気予報で確認したけど晴れみたい」
「旦那さん、雪見せたいって言ってたってな」
「雪を見せたいんじゃなくて吹雪っていうか大雪じゃなかった?」
「ああ、そうだ」
建物や街灯からの光を浴びながらゆっくりと雪は舞い落ちていく。
「綺麗」
「東京でもたまに降るだろうが」
「そうだけど。静かだね、雪って」
「そうだな。雨だと必ず雨音がするからな」
グラスの氷が音を立てた。
「どうして東京に戻ってきたの?」
里佳は頬杖をついていた。
「聞くなよ」
「言いたくないんだ」
「そのうち言うよ」
雪はその量を増していた。
「今日、どうして晴れたのかな」
「天気予報だと大雪だったのにな」
「村田さん言ってたよ、晴れ女だって」
「言ってたな。それか?」
「さあ。でも、」
里佳は窓の外を見上げた。
「村田さん、もう寝たのかな」
「どういう意味?」
「なんでもない」
グラスの氷がまた音を立てた。
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