1-9 札幌行き

 今日も浩人と里佳しか客がいない。なぜか店主の山川も見当たらない。


「大丈夫なのかよ、この店」

 浩人が思わずそう口走った瞬間、カウンターの下から山川が姿を現した。


「経営的にはやばい」

 山川は両手に大量の竹串を握っていた。


「山ちゃん、生ふたつ」


「あいよ」


「山川、どういうことだよ」


「親父の不動産事業も含めて法人にしてっから飲食店事業っつうかこの店は税金対策みたいなもんだったんだけどさ。それも、そろそろ危ないね」

 クールな感じだった。


「マジか」


「マジマジ」


「山ちゃん、つくね焼いてつくね」


「あいよ」


「しかし、里佳、おまえ、急に戻って謝ったりして、怒られるとか俺に迷惑だとか考えなかったのかよ」


「ごめん、考えなかった」


「なんなんだよ、ホント。おまえとか山川は地主だから働かなくても食っていけるかも知れないけど、オレは困るよ」


「いや、ウチは田村さんとこほどの大地主じゃないから」

 山川がうちわで煽る。赤い炭が爆ぜた。


「ウチだって、おじいちゃんの頃と比べたら全然よ。」

 里佳は炭火の上のつくねを待ち焦がれるように覗き込んだ。


「それに、ヒークン、家継がないとか言ってたじゃん」


「いや、継ぐ気はないよ。継ぐなら泰人のほうだろ。家の手伝いは仕事みつかるまでのつもりだし」


「その割には仕事さがす気ないじゃん」


「おまえだってそうだろ」


「私はね、旅行代理店の仕事、すっごく気に入ってたの。お金の問題じゃなくて」


「なんでそんなに旅行代理店の仕事にこだわるんだ?」


「おいひー」

 返事の代わりにつくねにかぶりついている。


「櫛田も食うのか、つくね」


「待てよ、俺のは焼いてないのかよ」


「金無さそうな口ぶりだったから」


「あ、金無い奴は客じゃないってか?」


「当たり前だろ、客商売の鉄則だろうが」


「大丈夫だ、金ならある」


「本当?」

 里佳と山川の声が重なった。


「少し金貯めてから帰って来たから。少しだよ、本当に少し」


「ヒークン、ありがとう。今日は奢りね」


「何言ってんだよ」


「櫛田、何でも頼んでいいぞ」


「なんで店主の方が客より偉そうなんだよ」


「あ、ちょっと待って。電話」

 里佳は慌ててスマホを取り出した。表示されているのは見知らぬ番号だ。急いで店の外に出る。誰からの電話か、なんとなく予感はあった。


「もしもし、田村里香さんのお電話?」


「はい、田村です」


「村田麻子の娘の友香です」


 やっぱりそうだ。勘が当たった。


「そちらは朝の十時ですか?」

 ハンガリーとの時差は八時間ある。日本が十八時なら向こうは十時だ。


「そう。すぐ分かるのね。さすが。朝になってからクルマ出そうと思ったんだけど、やっぱり無理ね。空港は今日も閉鎖。再開の目途は立ってないって。動けるまでに一週間ぐらいはかかりそう。こっちに来てからそろそろ七年だけど、こんなのは初めて。困っちゃった」

 聞こえてきたのは、むしろトラブルを楽しんでいるかのような声だった。


「でね、昨日の夜、あ、そっちだと日は変わってないわね、前の電話で話してた母のことだけど、実は、お言葉に甘えてお願いしようかと思うの。どうかしら」


「はい!」

 思わず大きな声が出た。


「見ず知らずの方にこんなことお願いしていいのかしらって思ったんだけど、本当にいいのよね?」


「はい。もちろんです」


「よかった。本当は私が連れて行きたかったけど、こんな状況じゃいつになるか分からないから」


 電話越しに色んな気持ちが伝わってきた。里佳は大きく息を吸い込んだ。仕事モードになってくる。


「あの、お金の話で恐縮ですが、交通費と宿泊代、その他費用については実費でご請求いたしますが」


「費用のことは心配しないで。私が日本に着いたらきちんとお支払いします。もちろん、実費だけじゃなくてあなたの分も」

 友香の声には余裕があった。


「ありがとうございます」


「それよりも、母のことが心配で。もう長いこと遠出してないんだけど、大丈夫かしら」


「それについては考えがあります」


「考えって? ん、いいわ。あなたにお任せするって決めたから。母には連絡しておきます。あなたからもよろしくね。母をお願いします」


 電話の向こうの友香が頭を下げた気がした。


「かしこまりました」

 里佳も頭を下げていた。




「不動産収入だけでお釣り来るぐらい稼いでるのになあ」

 浩人は店の外にいるはずの里佳のほうを見ていた。


「まあ、田村さんのとこはお嬢ちゃんひとりになっちゃったから」


「そうだな。あいつ、ひとりだもんな」


 里佳の両親は小学生の時に事故で、祖父は中学生の時、祖母は大学生の時に亡くなっていた。金持ちだというただそれだけで恨みを買うこともある。里佳がずっとそんな醜い大人たちの思いに耐え続けていたのも知っている。


 両親が絵を描くために世界中を旅している間、祖父母に預けられていた里佳は毎日のように隣の櫛田葬儀店にやってきた。小学生の浩人や泰人が遊び相手だった。浩人と泰人の実の母はもうとっくに三国と離婚していなかった。


 海外の交通事故で亡くなった両親が骨になって帰ってきた。二人の葬儀が櫛田葬儀店で執り行われた。里佳は泣かなかった。ただ困ったように眉を寄せ、遺影をじっと見上げていた。


 祖父の葬儀でも、喪主を務めた祖母の葬儀でも、里佳は涙を見せなかった。地主の田村さんのお宅は呪われてるんじゃないのみたいなことを言った近所の連中もいた。祖母の骨箱を抱えた里佳に何か慰めのようなことを言った気がする。なんと返されたか、覚えていない。




「札幌行くよ!」

 浩人の感傷は店に戻ってきた里佳の大声で破られた。


「なに?」

 思わず聞き返す。


「だから、札幌行くから」

 声が弾んでいた。


「なんだよ、それ」


「村田さんと一緒に札幌に行くの」

 里佳は踊りだしそうなぐらいの勢いだった。


「誰が?」


「私とヒークンと村田さん」


「オレも?」

 浩人は自分を指差した。


「そう。私、北海道は行ったことないから。それと、村田さん用に車椅子借りることになると思うの。男手があると助かるから」


「マジかよ」


「マジマジ」

 里佳はジョッキに残ったビールを飲み干し、つくねを頬張った。


「私、帰るね。あとで連絡する」

 言うが早いか出て行こうとする。


「いつ?」

 慌てて呼び止める。


「明日」


「明日?」


「そう」


「わかった。ところで、おまえ、飛行機のチケット取るつもりだろうけど、火葬場とかどうすんの?」


「火葬場?」


「おまえ、なにしに札幌行くつもりだよ」


「ああ……」


「わかった、そっちはやっとく。ていうか、泰人に頼んどくよ」


「ありがと!」

 里佳は勢いよく出ていった。




「明日の飛行機なんて取れんのか?」

 山川が首を傾げた。


「あいつ、そういうのはなんとかなるみたいよ。一応プロだし」


「なるほどプロか。ところで、明日の札幌、大雪だってニュースで見たけど」


「マジ?」


「マジマジ」


 炭火に垂れた肉汁がジュワッと音を立てた。

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