1-5 向こう三軒両隣

 事務所のパソコンの前には浩人が座っていた。


「さすが」

 プリンターから出てきたカラーのチラシを手に取った泰人は感心しきりだった。


「そこらにあった他のとこのチラシ参考にしただけだから」


「プロの仕事だよ」


「プロったってバイトだけどな」

 褒められた浩人が照れたように頭をかいた。


「でも、五、六年ぐらい働いてたんでしょ、デザイン事務所」


「学生の頃からだからなんだかんだで八年か」


 札幌駅の北側にはIT企業が密集している。そこで名の通ったデザイン会社で働いていた。


「なんでそのまま就職しなかったのかなあ。もったいない」


「ライブハウスのほうもやってたから時間縛られるのもあれでな」


「ライブハウスって仲間と一緒にやってたって奴でしょ。でも、結局それもやめてこっちに帰ってきたじゃない」


 何も言い返さなかった。札幌から帰ってきた事情はまだ話せそうにない。


「ごめん」

 察した泰人が先に謝った。


「いや、いい。悪い、コーヒー淹れてくる」


「あ、ドリップするの? いいね。じゃ、ボクのも。兄さんのコーヒー、コンビニのより美味いんだよね」


「当ったり前だろうが」

 とびきりの笑顔を返した。ライブハウスで淹れてたからとは言わなかった


「おいおい、喫茶店じゃねんだよ。葬儀屋でお香じゃなくてコーヒーのいい匂いさせてどうすんだ、おい」

 外から帰ってきた三国は鼻をひくつかせていた。


「じゃ、父さんの分、無しね」


「そういうこっちゃないぞ。俺の分はミルクも入れてくれ」


「なんだよ、飲むのかよ」


「決まってっだろうが」


 やかんから一気に注がれたお湯でコーヒー豆から泡が立つ。充分に蒸らしてから慎重にお湯を注いでいく。


 熱い熱いと言いながら三国は一気に飲み干した。


「なんかさあ、せっかくなんだから、もう少し味わって飲めよ」


「うるせえ。そんなことより、なあ浩人、おまえ、写真、そのあれだ、パソコンでちゃちゃっと修正したりとか、なんだ、あれ、スライドとかなんとか、そんなの作れるんだろうが」


「一応そういうのもやってたけどね」


「ちょうどよかった。昨日おまえと一緒にお邪魔した村田さんの奥さんがな、この前見つけたアルバムあるだろ? あれでそういうのあれだってさ」


「あれとかそれとかわかんねえよ」


「あれも頼むとけっこうかかんだ。おまえがやってくれると非常に助かる」


「なんだよ、ただ働きかよ。しょうがねえなあ」


「お、やってくれるか」


「オレの出来る範囲でってことなら」


「じゃおまえ、早速、村田さんのお宅に行って写真預かってこい」


「え、いきなり。それも、なんで俺ひとり」


「写真もらってくるだけだからいいだろが。俺ぁ、市民病院に行かねえとな」


「しょうがねえな。わかったよ。じゃ、車は?」


「はあ? なに言ってんだ、おまえ。車は俺が使うんだよ」


「また見舞いに行くのかよ」


「違うよ、バカ。ご遺体に決まってだろうが。病院からな、さっき電話あったよ。泰人、おまえも行くぞ」


「わかった」

 泰人は飲みかけのコーヒーを一気に飲み干した。


「ああなるほど、今は携帯に直接だからこっちにはかかって来ないんだ」

 浩人はひとりで納得していた。


「おうよ」


「じゃ、村田さんのとこにはどうやって?」


「おまえは自転車だ自転車」


「しょうがねえな。わかったよ」

 浩人もコーヒーを空けた。




 車で出て行った二人を見送ってから自転車を押し出した。実家には自転車が三台ある。一台は主に三国とたまに泰人が使っている仕事用。真知子と杏がそれぞれ一台。三国から渡された革の大きな鞄を仕事用の自転車の前かごに載せる。低過ぎるサドルの高さを調節しようにも錆びついてどうにもならない。諦めてそのまままたがった。


 バス通りではなく、一本裏に入った道を選んでいく。漕ぐ度にきいきいと軋んだ。三国も泰人も全く手入れはしていないようだ。帰ったら絶対に潤滑剤をスプレーしようなどと考えながらペダルを踏む。近所の風景が歩くときとは少し違って滑らかに流れていく。


「あら、櫛田さんとこのお兄ちゃん、おひさしぶり」


 急に呼びかけられ慌ててブレーキをかけた。この音がまた、ひどい。


「あ、どうも」


 長く取引している花屋、花源の奥さんだった。


「あれだ、あの、おたくの親父さんに、あの、あれ、あれな、あれだから、な」


 花源の親父さんもいた。


「やっす」

 言葉にならない感じで適当に答える。


「あれな、あれ、あれ」


「気をつけてね」


 二人に向けてへこへこと頭を下げながらまたキコキコとペダルを踏む。


 近所のどこにいても知り合いばかりなのは昔からだ。子どもの頃はそれも悪くなかった。高校生ぐらいからはずっと落ち着かない。一年の浪人の後に知り合いの誰もいない札幌に行ったのはご近所付き合いにうんざりしていたからというのもある。


「お、朝からどこ行くの」

 パンツスーツ姿の里佳が目の前にいた。


「おまえかよ。なんでここにいんだよ」


「駅に行く途中。新しいとこ面接に行こうかなって」


「早いな、切り替え」


「乗せて」


「ダーメだよ、おま」


「いいじゃん、昔はよく乗せてくれたじゃん」


 里佳が勝手に自転車の後ろにまたがった。


「おま、道交法変わってから二人乗りはうるさいからダメだって」


「かたいこと言わないで。さあ、行こ行こ」


 視線の片隅に自転車に乗った警察官の姿を見つけた浩人は慌てて自転車を止めた。


 荷台から後ろにすとんと飛び降りた里佳は何食わぬ顔で歩いている。


 警官はジロリと浩人を見たあと、そのまま通り過ぎた。


「で、おまえはどこ行くんだったっけ」

 改めて里佳に聞く。


「ヒークンは?」


「仕事だよ、仕事」


「え、仕事見つかったの」


「違うよ、櫛田葬儀店の仕事。お手伝い」


「なんだ。じゃさ、ついてっていい? 葬儀屋さんの仕事って昔から興味あるんだよね」


「俺んちに来てよく見てるじゃねえか」


「そうだけど、お仕事のことはよくわからないかな」


「仕事ったって、今日は写真預かりに行くだけだぞ」


「いいよ。私も暇だし。ついてく」


「暇じゃねえだろ」


「いや、暇になった。面接やめた」


「なんだよ、それ。まあ、スーツならいいか。邪魔すんなよ。あと、変なこと言うなよ」


「はーい」


 胸を張って大股で歩き出した里佳の速度に合わせて浩人はゆっくりと自転車を進めた。

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