第5話 第2戦。

 『将を射んとば馬を射よ』

 初戦は、妻に狙いを定め、営業トークを積み上げた谷口さんに軍配が上がった。

 そのトーク。ここまでの要点をまとめると以下のようになる。

①マイホームの概念について答えさせることで、自身のビジョンを改めて明確にさせる。

②そのビジョンに合わせたトークを始める。

③マンション構造の信頼性を語る。

④地域の安全性を語る。

⑤経済的なネガティブ要素を消す。

⑥その中で小さなイエスを積み上げる。


 途中に雑談を挟んでいるが、かれこれ1時間以上。モデルルームに伺ったのに、目にしたのは資料だけの状態が続いている。私は耐えきれず具体的に物件を検討すべく切り出した。

「わかりました。谷口さん。部屋のことについてお伺いしたいのですが」

「ご検討されているのはこのDタイプですね?」そういって庭付き角部屋の間取り図を取り出した。それは、ポスティングされたチラシに載っていたものよりも大きく細かく記載された間取り図で、見やすいものだった。「この2階にあるモデルルームはこのDタイプの部屋なんですよ」そう言ってから谷口さんは私たちの質問を待った。

「まだ庭付きの部屋は残っているんですよね?」私は確認した。

「このタイプの部屋は高層階から契約が進んでいます。1階は・・・はい、まだ残っていますが、問い合わせも多く、人気の部屋となっています」

 この言葉には営業マン特有のキーワードがちりばめられている。『まだ』とか『問い合わせ』とか『人気』といった言葉をたくみに織り込んで、希少物件であることを悟らせ、煽っているのだ。そこへ、突如、妻が切り込んだ。

「ここの隣との境目の塀はどのくらいの高さなのですか?」さらに続けた。「この植栽は庭から直接繋がっているのですか?あと・・・・・この庭にある門の素材は・・・それから・・・・」図らずも、妻の質問は奇襲攻撃となったようだ。

「え~っとですね。ちょっと待って下さい確認してきます」そう言って営業マンは裏に消えた。

 ん? 知らないのか? それとも妻の質問が特化しているのか? 営業トークはスラスラと答えが出て来ても、物件の細かいところはわからないのか・・・

 ややあって、戻って来た。

「今、デザインを電話で確認してきました。まず塀なんですが・・・・およそ2.3m素材は・・・」谷口さんは答えた。

 電話で確認してきたって? ずいぶんと正直な営業マンだな。私はちょっと安心感を覚えた。

 「では、モデルルームへご案内しましょうか?」谷口さんは妻の方に問いかけた。

「お願いします」妻は答えた。

 訪問から2時間近く経っていた。

 モデルルームは2階に用意されている。その前にマンション全体の模型に立ち寄った。2棟7階建て。近隣の戸建ても入っている。精巧な造りで、小さな溝まで掘られている。

「その部屋がご検討のDタイプですね」営業マンが模型の角を指差した。

「この外廊下はどこにも繋がっていないのですね?」妻が聞いた。角部屋のいいところはたくさんあるが、その一つが外廊下だ。部屋の前を他の住人が通過したりしないのだ。「ちょっと暗いわね」棟のつなぎ目に当たる部分と角が交差しているのだ。

「南東の角ですから、陽光は入りますよ」営業マンは言ったが、妻な納得しないようだった。

 この南東の庭付き角部屋は確かに素敵だ。間取りも申し分なく、広さに於いても、このマンションの中では広い部類にはいり、74平米もある。ただ私が気になったのは、東側に戸建て、南東側にアパート、南側に戸建てがあり、北側はマンションの別棟で囲まれた形になっている。これが3階以上なら、戸建てやアパートは気にならないが、1階は模型で見てもあきらかに閉塞感を感じさせる。

「反対側の角部屋は?」私は南西の角部屋を指差した。その部屋は西側に道路があり、その向こうは大きなお屋敷の庭になるので、開放感がある。

「その部屋はすでに申し込みがあって・・・・」谷口さんは言葉を濁し、残念そうな顔をみせた。

 模型で見て気に入ったのは、チラシで見た南東の角部屋ではなく、南西の角部屋だった。

 モデルルームは2階のフロアに用意されていた。想像通り、それはそれは素敵な住まいが演出されている。だが、そこに生活感はなかった。広いベランダにはテラス用のテーブルと椅子が置かれている。日向ぼっこしながらお茶を飲んだりするイメージを膨らませる。がしかし、あるべき洗濯物やエアコンの室外機などがないのだから、広く感じるが、騙されてはいけない。

 チラシに印刷されている間取り図では、その部屋は3LDK横長リビングとなっているが、2LDK仕様に改造されて、L字型の大きなリビングダイニングになっている。ソファーやダイニングテーブルはとても素敵だが、ガラスのテーブルでの夕食は想像もできなかった。

 『将を射んとば馬を射よ』作戦の谷口さん。しきりに奥様、奥様と呼んでは、ご機嫌をうかがっている。

 『奥様』と呼ばれる人たちは普通、キッチンや家事動線、収納、そしてリビングのレイアウトなどに興味を持つ。だから、奥様向けのトークを色々用意しているのだ。

「お気づきですか?食洗機は標準装備です。最新型で容量・・・」

 途中で話をやめたのは、妻が全く話しを聞いていなかったからだ。困惑の谷口さん。奥様はキッチンにほとんど興味を示さなかった。

 「この素材はなんですか?」妻が尋ねたのは、ドアの把手や、扉に使用されている木材、玄関の床石などの『素材』だった。

 そう、またもや素材。

 よい素材は永年使用により味わいがでるが、一見、華麗で豪華に見えても『安普請』はすぐにくたびれる。するとかえって安っぽい様子を顕著に表してしまうのだ。そこをわかっている妻は『素材』にきりこむのだ。

「え~っと・・・か、確認してきます!」

 正直者の営業マンは思った。この奥様はなんだか視点が違う。奥様は『馬』ではなかった。『将』だ。作戦を練り直す必要に迫られた。

 第2戦は妻に軍配が上がった。

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