第3話 モデルルーム。
「ご予約はございますか?」
予約なんてものは、営業マンに準備万端待ち構える機会を与えるだけで、いいことはない。
「いえ。ふらっと立ち寄っただけですから。予約がないと見学できませんか?」
モデルルームの受付女性事務員の対応は親切丁寧ではあったが、予約もなく、しかも平日の夕方遅くの突然の来訪に、戸惑っているのはあきらかだった。
「少々お待ち下さいませ」そういって裏に消えた。
彼女は消える前に私たちの身なりを上から下までしっかりと吟味したはずだ。マンション購入におとずれた客としてどうなのか?しっかりと観察したはずだ。私たちはお世辞にもきちんとした身なりとはいえず、むしろみすぼらしい格好だった。それもそのはず、ちょっと買い物に出かけた帰りに立ち寄ったのだから。
私たちは所在なさげにエントランスのソファに座り、備え付けの物件のカタログをペラペラとめくりながら待った。
「お待たせしました。案内担当が参りますので、それまでこちらを記入してください」
渡された用紙にはかなりの個人情報を記入せよとある。これらを全部記入すると、それだけ営業マンの武器になる。情報を与えることで、様々な角度からの切り込み手法を先方に与えてしまうのだ。本当のことを書くべきか?予約なしで奇襲した意味がなくなるのではないだろうか?
そんなまどろっこしいことは我が家に必要なのだろうか? そもそも妻は乗り気なのだ。完全な冷やかしならば、後先考えず、嘘の情報を与えて、営業マンの出方を伺うこともできるが、あとで辻褄があわなくなることがあると、それも面倒だ。もし、購入の方向に進んだならば、その後色々修正しなければならない。そこで、年収だけは控えめに記入しながら、その他の個人情報はできるかぎり正確に記入した。自分はなんて疑い深い性格なんだろうと思った。
用紙を受付の事務員に渡すと、商談スペースに案内された。ベンダーからドリンクを用意され置かれた。またしばらく待つ。広いモデルルームの建物内には私たち以外に人はいない。営業マンは今頃私たちの顧客情報を見て、戦術を練っているはずだ。私もまけじと心を強く持とうと自分に言い聞かせた。
「こんばんわ~。お待たせしました。担当の谷口です~」
いかにも不動産屋の営業スマイルで現れたのは、30代前半とみうけられる男性だった。
「こんばんわ。突然おじゃましてすみません」私はいった。
「とんでもございません。ご訪問ありがとうございます」
普通の挨拶から、私と営業マンの精神戦がはじまった。
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