第2話 きっかけ。

 きっかけはポストに投函されたチラシだった。

 8年ほど前に、近くにできたマンションのモデルルームに、冷やかしでお邪魔した。当時、マイホームなど、購入するつもりはこれっぽっちもなかったのだが、将来、そんな日がくるとも限らないと思い、勉強をかねてセールスマンが美辞麗句を駆使する物件紹介に耳を傾けた。

 心がグラっと傾いたのをよく覚えている。

 興味のない顧客に購買意欲を持たせるテクニックに関心するとともに、中途半端な冷やかしでは心を動かされてしまうことを勉強した。

 チラシの中でまず最初に妻の興味を引いたのは、その近さだった。当時の住まいから300メートルしか離れておらず、住環境、教育環境を変えずに引っ越せる。次に魅力を感じたのが『専用庭付き』の文言だった。

 散らかったテーブルの上に広げられたチラシにいくつかの間取り図があった。庭付きも紹介されており、23区内のマンションとしては広いといえる庭がついていた。

 「高いね」私の感想はその価格だった。

「庭があるからじゃない?」妻はいった。

 マンションにおいては一般的に2階が一番価格が低く、3階と1階が同じくらい。あとは高層にいくにしたがって高くなる。

「それに角部屋だからじゃない?」妻は思ったことを口にした。

 角部屋3LDK専用庭付き物件は戸建てと比較検討されたりすることが多い。事実、江戸川区で売り出されている戸建ては比較的低価格物件が多数あり価格的に似通っている。

「うん。それにしても高いね。一戸建てが買えるよ」私はいった。

「そう?でもその価格で戸建てはちょっとね~」

 確かに妻のいう通り同価格帯の戸建てとなるとペンシルハウスで3階建て、部屋数など一応4人家族を満足させるには充分な広さと数を持っているが、間取り的に不便だ。生活動線よりも敷地面積に合わせて設計されることが多いからだ。ましてや庭付きとなると、駐車スペースとセットで自転車を置くと、地面らしき姿はなくなる。都会ならではの住居建物。それに比べてチラシのマンションの間取りはテラスと庭を合わせて40平米以上もある。

「庭が広いのは魅力的よね~」妻はもう1階しか目に入らなくなっている。正確には広い庭つきの部屋しか眼中にないようだ。「駅前にモデルルームがあるのよ」私の目を覗き込みながらいった。

 当時、近隣に4つのマンションが建設中で、完成時期も似通っていた。駅前にはモデルルームがふたつあった。チラシの物件は一番目立つところにド派手な看板を掲げていた。

「知ってるよ。今度行ってみる?」

「そうね。時間があったらね」

 妻の控えめなうなずきは、その言葉とは裏腹に、「時間をつくれ」といっていた。

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