ハルベルは目を覚ました。

 空が白み始めている。夜明けのようだ。いつの間にか、眠ってしまったらしい。

「起きてたのか」

 声をかける。リアードが顔を上げ、小さく笑った。

「あぁ。火の番をするとか言ってた奴が居眠りしてたからな」

 ハルベルは口をすぼめ、ふいと視線をそらした。

「……悪かったな」

「いじけるなよ」

 リアードはもう一度笑い、火に薪をくべた。すっかり炎は小さくなっている。

「かわろうか」

 尋ねてみる。リアードは緩慢な動作で首を振った。

「大丈夫だ。それより、眠いならまだ寝てたらどうだ」

「……いや、いい」

 ちらりと少女を見やる。まだ眠っているらしい。

 ハルベルは昨夜投げつけられたローブを胸元まで引き寄せた。

 ――昨夜。

『卑怯者』

 少女が言った。獰猛な獣をおもわせる低い声。

 リアードが一歩近寄り、かぶりを振った。

『待ってくれ、違うんだ』

『どう、違う?』

 少女がリアードを睨みつける。

『お前らは自分の目的のためなら手段を厭わない。人を縛り付け、服従させる。そうだろう?』

『誤解だ。君たちを服従させるためにここに来たわけじゃない。私たちは』

 リアードがまた一歩、歩み寄る。

『来るな!』

 鋭い声。同時にハルベルにローブが投げつけられた。

『……お前らは所詮、外の人間だ。卑怯で残酷な偽善者』

 ハルベルは木にもたれかかり、ふっと息を吐いた。

「卑怯者……か」

 口元を歪め、笑う。

「……気にしてるのか?」

 リアードが意外そうに問いかける。

「ガキの言葉をいちいち気にするほど暇じゃねぇよ。……ただ」

 ただ、真実は言い当てている。そう思った。

「ただ?」

「……なんでもねぇよ」

リアードから視線をそらす。

 ――卑怯者。

 少女の声が胸の奥に落ちていく。耳の中で、何度も何度も反響する。

 他人を信じることの愚かさなど、骨の隋まで知っている。

 信じるものは脆く、あっけなく消え去るのだ。

 指を固く握りこむ。

 ――俺は、生き延びてみせる。

 貪欲に生にすがる。一分一秒でも長く、生き続ける。

 だから、卑怯であることを厭わない。

 どんなに冷酷でも、非情でも、今を生きるために。

 約束を、守るために。

 ――サクッ。

 草を踏みしめる音。ハルベルははっと体を固くした。

「……リアード、火を消せ」

 低い声でささやく。リアードが驚いたように顔を上げた。

「どうやら、お仲間がきたらしい」

 リアードが目を見開く。

「……何?」

「そいつを、しっかり押さえとけ」

 少女に向かってあごをしゃくる。

「暴れられたら面倒だ」

 立ち上がり、そろりと剣を抜く。

「……この子の仲間を、どうするつもりだ?」

「決まってるだろ」

 口元を歪め、笑う。

「倒すだけだ」

 剣を前に構え、走り出す。

 足音からして、敵はそんなに遠くない。しかも、気配は一人だけ。人質には格好の獲物だ。

 敵がゆっくりと、でも確かに近づいてくる。その足音を、殺気を、確かに感じるのだ。

 歩調をわずかにゆるめ、全神経を集中させる。

 なるべく手短に済ませなければならない。いくら眠っているとはいえ、あの少女ならばすぐに仲間の気配に感づくはずだ。起きて抵抗されれば、厄介なことになる。

 ハルベルは立ち止まった。

 敵が、近い。

 ――サクッ、サクッ

 そっと茂みに身を隠す。気配さえ察知すれば、敵の位置はおおよそ分かる。足音もあれば、なおさらだ。

 ――サクッ、サクッ、サクッ

 足音が近づいてくる。いつでも斬りかかれる体勢のまま、息を殺す。

 ふと、視界の端で何か動いた。背の高い草むらの辺り。

(……いた)

 剣を握りなおす。掌にじっとりと汗がにじんでいた。

 茂みの中で、相手の様子を観察する。

 まだ若い。黒く豊かな髪を高く結い上げているが、男のようだ。大きな瞳も、やはり黒い。不安げな面持ちで、しきりに周囲を見わたしている。

 ――速攻をかけるか。

 相手を目で追ったまま、思考する。

 足音も気配も消しきれていない。経験が浅い証拠だ。しかも、一人のみ。生け捕りにすることは容易い。速攻をかけて、早めに決着を――。

(……一人?)

 唐突に、疑問が浮かんだ。

 ――何か、おかしい。

 忍びにとって、自分たちの情報が外に漏れるのは最も危惧すべきことのはずだ。なのに、何故経験の浅い者に奇襲させる?

(……罠か)

 辺りにざっと目を走らせる。あやしい気配も、人影も見当たらない。だが、油断はできない。

 経験の浅い者をおとりにして、侵入者を抹殺する。ありそうな話だ。仲間の忍びが何人も潜んでいるかもしれない。

 ――試してみるか。

 瞬間、茂みを飛び出した。少年があわてた素振りで振り返り、剣を向ける。想定内の動き。スピードを緩めず、剣を下から突き上げるようにして振るう。渾身の力で相手の剣を跳ね飛ばす。

「あっ」

 少年が小さな声を上げた。同時に、カンと高い音がして剣がとんだ。

 すぐさま足元を狙って斬りかかる。間一髪、少年が飛び退いてよけた。

「なかなかいい反応じゃねぇか」

 ハルベルはにやりと笑い、剣を正眼に構えた。

 少年が半歩、後退る。挑むような目でハルベルを睨みつける。

「彪刃はどこ」

 ハルベルは相手との間合いを取りつつ、辺りの気配を探った。

 あやしい動きはない。今のところは、まだ。

「答える義務はねぇな。あんたが代わりに村へ案内してくれるんなら、話は別だが」

 一歩、距離を詰める。自然に、手に力を込める。

「……それは」

 少年が口ごもった。ほんの少し、瞳の黒が揺れる。

「それは……できない」

「じゃあ、お断りだ」

 また一歩、そろそろと前進する。

「あのガキのことは諦めるんだな」

 ハルベルを睨む少年の目が、わずかに見開かれた。

「……殺す、のか」

 くすっ。小さく笑いが漏れる。

「人の心配してる場合じゃないぜ」

 ――ヒュッ、と短い音がした。

「……っ」

 少年ががくりとひざをついた。右足を斬られたのだ。

 ハルベルが薄笑いを浮かべ、少年を見やる。

「じゃあ、今度は俺の質問に答えてもらおうか」

 少年がぱっと顔を上げる。怒りと敵意がないまぜになった目が、ハルベルを射る。

「誰が、おまえの質問なんかに」

 ふいに、声が途切れた。

 少年の喉元に、ぴたりと剣が突きつけられていた。

「……選択肢を二つやる」

 ハルベルはもう笑っていなかった。紫の瞳の奥に、剣呑な光がともる。

「俺の質問に答えるか……それとも」

 刃が首筋をつっとなぞる。白い肌に赤い線が浮き出し、じわりと血がにじんだ。

「このまま死ぬか」

 冷ややかな声。なんの同情も、憐れみもないその声が、命ずる。

「選べ」

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