⑪
ハルベルは目を覚ました。
空が白み始めている。夜明けのようだ。いつの間にか、眠ってしまったらしい。
「起きてたのか」
声をかける。リアードが顔を上げ、小さく笑った。
「あぁ。火の番をするとか言ってた奴が居眠りしてたからな」
ハルベルは口をすぼめ、ふいと視線をそらした。
「……悪かったな」
「いじけるなよ」
リアードはもう一度笑い、火に薪をくべた。すっかり炎は小さくなっている。
「かわろうか」
尋ねてみる。リアードは緩慢な動作で首を振った。
「大丈夫だ。それより、眠いならまだ寝てたらどうだ」
「……いや、いい」
ちらりと少女を見やる。まだ眠っているらしい。
ハルベルは昨夜投げつけられたローブを胸元まで引き寄せた。
――昨夜。
『卑怯者』
少女が言った。獰猛な獣をおもわせる低い声。
リアードが一歩近寄り、かぶりを振った。
『待ってくれ、違うんだ』
『どう、違う?』
少女がリアードを睨みつける。
『お前らは自分の目的のためなら手段を厭わない。人を縛り付け、服従させる。そうだろう?』
『誤解だ。君たちを服従させるためにここに来たわけじゃない。私たちは』
リアードがまた一歩、歩み寄る。
『来るな!』
鋭い声。同時にハルベルにローブが投げつけられた。
『……お前らは所詮、外の人間だ。卑怯で残酷な偽善者』
ハルベルは木にもたれかかり、ふっと息を吐いた。
「卑怯者……か」
口元を歪め、笑う。
「……気にしてるのか?」
リアードが意外そうに問いかける。
「ガキの言葉をいちいち気にするほど暇じゃねぇよ。……ただ」
ただ、真実は言い当てている。そう思った。
「ただ?」
「……なんでもねぇよ」
リアードから視線をそらす。
――卑怯者。
少女の声が胸の奥に落ちていく。耳の中で、何度も何度も反響する。
他人を信じることの愚かさなど、骨の隋まで知っている。
信じるものは脆く、あっけなく消え去るのだ。
指を固く握りこむ。
――俺は、生き延びてみせる。
貪欲に生にすがる。一分一秒でも長く、生き続ける。
だから、卑怯であることを厭わない。
どんなに冷酷でも、非情でも、今を生きるために。
約束を、守るために。
――サクッ。
草を踏みしめる音。ハルベルははっと体を固くした。
「……リアード、火を消せ」
低い声でささやく。リアードが驚いたように顔を上げた。
「どうやら、お仲間がきたらしい」
リアードが目を見開く。
「……何?」
「そいつを、しっかり押さえとけ」
少女に向かってあごをしゃくる。
「暴れられたら面倒だ」
立ち上がり、そろりと剣を抜く。
「……この子の仲間を、どうするつもりだ?」
「決まってるだろ」
口元を歪め、笑う。
「倒すだけだ」
剣を前に構え、走り出す。
足音からして、敵はそんなに遠くない。しかも、気配は一人だけ。人質には格好の獲物だ。
敵がゆっくりと、でも確かに近づいてくる。その足音を、殺気を、確かに感じるのだ。
歩調をわずかにゆるめ、全神経を集中させる。
なるべく手短に済ませなければならない。いくら眠っているとはいえ、あの少女ならばすぐに仲間の気配に感づくはずだ。起きて抵抗されれば、厄介なことになる。
ハルベルは立ち止まった。
敵が、近い。
――サクッ、サクッ
そっと茂みに身を隠す。気配さえ察知すれば、敵の位置はおおよそ分かる。足音もあれば、なおさらだ。
――サクッ、サクッ、サクッ
足音が近づいてくる。いつでも斬りかかれる体勢のまま、息を殺す。
ふと、視界の端で何か動いた。背の高い草むらの辺り。
(……いた)
剣を握りなおす。掌にじっとりと汗がにじんでいた。
茂みの中で、相手の様子を観察する。
まだ若い。黒く豊かな髪を高く結い上げているが、男のようだ。大きな瞳も、やはり黒い。不安げな面持ちで、しきりに周囲を見わたしている。
――速攻をかけるか。
相手を目で追ったまま、思考する。
足音も気配も消しきれていない。経験が浅い証拠だ。しかも、一人のみ。生け捕りにすることは容易い。速攻をかけて、早めに決着を――。
(……一人?)
唐突に、疑問が浮かんだ。
――何か、おかしい。
忍びにとって、自分たちの情報が外に漏れるのは最も危惧すべきことのはずだ。なのに、何故経験の浅い者に奇襲させる?
(……罠か)
辺りにざっと目を走らせる。あやしい気配も、人影も見当たらない。だが、油断はできない。
経験の浅い者をおとりにして、侵入者を抹殺する。ありそうな話だ。仲間の忍びが何人も潜んでいるかもしれない。
――試してみるか。
瞬間、茂みを飛び出した。少年があわてた素振りで振り返り、剣を向ける。想定内の動き。スピードを緩めず、剣を下から突き上げるようにして振るう。渾身の力で相手の剣を跳ね飛ばす。
「あっ」
少年が小さな声を上げた。同時に、カンと高い音がして剣がとんだ。
すぐさま足元を狙って斬りかかる。間一髪、少年が飛び退いてよけた。
「なかなかいい反応じゃねぇか」
ハルベルはにやりと笑い、剣を正眼に構えた。
少年が半歩、後退る。挑むような目でハルベルを睨みつける。
「彪刃はどこ」
ハルベルは相手との間合いを取りつつ、辺りの気配を探った。
あやしい動きはない。今のところは、まだ。
「答える義務はねぇな。あんたが代わりに村へ案内してくれるんなら、話は別だが」
一歩、距離を詰める。自然に、手に力を込める。
「……それは」
少年が口ごもった。ほんの少し、瞳の黒が揺れる。
「それは……できない」
「じゃあ、お断りだ」
また一歩、そろそろと前進する。
「あのガキのことは諦めるんだな」
ハルベルを睨む少年の目が、わずかに見開かれた。
「……殺す、のか」
くすっ。小さく笑いが漏れる。
「人の心配してる場合じゃないぜ」
――ヒュッ、と短い音がした。
「……っ」
少年ががくりとひざをついた。右足を斬られたのだ。
ハルベルが薄笑いを浮かべ、少年を見やる。
「じゃあ、今度は俺の質問に答えてもらおうか」
少年がぱっと顔を上げる。怒りと敵意がないまぜになった目が、ハルベルを射る。
「誰が、おまえの質問なんかに」
ふいに、声が途切れた。
少年の喉元に、ぴたりと剣が突きつけられていた。
「……選択肢を二つやる」
ハルベルはもう笑っていなかった。紫の瞳の奥に、剣呑な光がともる。
「俺の質問に答えるか……それとも」
刃が首筋をつっとなぞる。白い肌に赤い線が浮き出し、じわりと血がにじんだ。
「このまま死ぬか」
冷ややかな声。なんの同情も、憐れみもないその声が、命ずる。
「選べ」
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