⑨
「……ハルベル」
密やかな声が、闇を伝う。視線をわずかに上げる。
「何だ」
「水を沸かしただけの湯だが、いるか」
椀が差し出される。
「おう」
受け取る。湯が椀の中で揺れた。
一口、口に含む。
「あいつは?」
「寝たみたいだ」
リアードも椀を口に運ぶ。
ハルベルはちらりと少女を見た。小さな寝息を立て、木にもたれかかっている。
「……へぇ」
椀に視線を戻す。炎の光が反射し、煌いた。
「寝てるときだけは、子供らしい顔してんのな」
「……お前な」
リアードが顔を上げた。目が合う。
「もっとマシな言い方はできないのか」
「普段のあれがどうやったらガキに見える」
「子供じゃないか。小さくて可愛い」
ハルベルはゆっくりと二回、瞬きをした。
「お前……正気か」
リアードが動きを止め、眉をひそめる。
「それはどういう意味だ?」
「頭は大丈夫かってことだよ」
リアードは眉間にしわを寄せたまま、ハルベルを睨んだ。
「失礼だな。わたしは正常だ」
「いや、絶対老眼だと思うぜ。一度視力検査したほうがいい」
湯をもう一口含む。
リアードは木にもたれ、軽く目をつむった。話題を変える。
「ハルベル、わたしたちの連れ……あの二人は、どうしたと思う」
「あの二人か」
口調が重くなる。ハルベルは視線を落とした。
外の人間から村を守る。
あの少女はそう言った。確かに、そう言い切った。
だとしたら。だとしたら、あの二人は……。
「もう死んでる」
喉に声が絡まる。かすれた、低い響き。
「その可能性が、高くないか」
束の間、沈黙があった。
リアードが小さくかぶりを振る。ゆっくりとした動作だった。
弱々しい声音でつぶやく。
「そんな……そんなこと」
「考えられないか? 十分にあり得る」
リアードは目を伏せ、祈るように手を組んだ。息を吸い込む。
「可能性は……ある」
リアードの声が闇に響いた。
小さくて弱々しいのに、はっきりと耳に届く声だ。
「しかし……そうだとすれば、この子は」
少女に視線を向ける。
「何故この子は森をうろついていた? 森は危険だと分かっていたはずなのに」
「あぁ……」
目をつむる。脳裏に、狩りの光景が浮かぶ。
少女は血を恐れていなかった。
あの手つき――どう見ても、初心者ではない。
悪寒がした。体の中を、冷たい風が吹いていく。
「まさか」
思わずつぶやいていた。
「まさか、こいつが」
少女の体ががくんと揺れた。
毛布が滑り落ちる。少女の体がわずかに傾いだ。
立ち上がり、毛布を拾い上げる。
「しっかりかぶっとけ」
つぶやき、毛布をかける。少女はぴくりとも動かない。
ハルベルは眉を寄せた
――様子がおかしい。
「おい、お前」
少女の細い腕をつかむ。冷たい。
少女の息の音が大きくなる。額にじっとりと汗がにじんでいる。
ハルベルは足に装着しているナイフを抜いた。ロープを切断する。
少女の体が倒れこんでくる。
「ハルベル? どうした?」
リアードの声が動揺する。
ハルベルは少女を地に寝かせつつ、声を張り上げた。
「様子が変だ、水をもってこい」
少女の顔には血の気がなかった。
体を温めなければならない。ローブを脱ぎ、少女にかぶせる。
「大丈夫か」
呼びかける。反応はない。
――こいつ、病気だったのか?
少女の呼吸に異常はない。少し荒いが、正常だろう。
だとすれば、何だ? こいつに何がおきている?
「やめ……ろ」
少女がつぶやく。低い、低いうめき。
「おいお前、どうした?」
「嫌だ、やめ……やめろ」
少女の手が、腕をつかんだ。指がくいこんでくる。
「しっかりしろ!」
叫ぶ。
「目を覚ませ!」
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