③
「――秀人か」
低くしわがれた声がした。
無意識に背を伸ばす。
「……はい」
「入れ」
障子に手をかける。軽く息を吸い込んだ。
「失礼致します」
障子を開けると、やや広めの部屋が秀人の視界に広がった。
明かりのろうそくがゆらゆら揺れている。秀人はその場に膝をついた。
「……夜分遅くに、申し訳ありません。村長」
「構わぬ」
白髪の老人――村長は感情の読めぬ黒い瞳を秀人に向けた。
「良から話は聞いた」
わずかに顔がこわばる。冷や汗が出る。
「顔を上げよ、秀人。…楽にするがいい、少々長い話になりそうだ」
顔を上げる。部屋は薄暗かったが、夜目のきく秀人は不自由なく見わたすことができた。
「村に危機が及ぶ、か…。そんな言葉、聞かされるとはな」
村長は白いあごひげをなでた。
「何ゆえ、そのようなことを言う?」
「……理由は、良殿に申し上げたはずですが」
村長の口角がわずかに上がる。笑ったのだ。
「あのようなもので、わたしが騙せると思ったか」
下唇をかむ。汗が、額を伝って落ちた。
分かっていた。どうあがいても、この老人の目は欺けない。
自分の言ったことは、ただのごまかしであると。
村長に分からぬはずはない。
全てを知っているのだから。自分の全てを。
彪刃も知らぬ、秘密を――。
「……もう全て、終わったことだ、秀人。分かっているだろう」
目を伏せる。村長の瞳を見返すことができなかった。
「もう、そのことは忘れろ。互いに、その方がいい」
息を吐き出す。額にじとりと汗がにじんでいる。
「…はっ」
「うむ」
村長がうなずき、身じろぎした。
「もう、行っても良いぞ」
「村長」
秀人は顔を上げた。
立ち上がろうとした村長の動きがぴたりと止まる。
「もう一つ、話があります」
村長が眉を寄せる。
「……申してみよ」
「昼過ぎに娘が出て行ったきり、帰らないのです」
「どういうことだ」
村長の目が鋭く秀人を見つめる。
秀人は腹に力を込め、村長を見返した。
「わたしは、森で娘の身に何かあったのではないか、そう考えております」
背後で物音がした。
すぐさま振り返る。
「誰だ」
相手を威圧するような低い声。村長はもう一度口を開いた。
「出てこい」
そろりと障子が開いた。はっと息を呑む。
「――蘭様!」
「お前だったか」
村長は静かに蘭を見据えた。
「盗み聞きとはたいした趣味だな」
「……も、申し訳ございません……」
蘭は力なく頭を垂れた。
「……あ、あの」
弱々しい声音で、蘭が問う。
「今の、彪刃の話…本当ですか」
「さがりなさい、蘭。お前は部屋に戻れ」
「父さん、でも」
「反論は許さぬ」
冷たい声だった。蘭の肩がびくりと動く。
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