②
「俺は、何としても使命を果たす。だから」
声が低くなる。
指の力がゆるむ。紫の瞳が鋭い光をおびる。
「そのためなら、俺はどんなことでもする」
ぱんっと乾いた音が響いた。頬に衝撃が来る。
口の中にじわり、と血の味が広がる。口内のどこかが切れたらしい。
「答えろ。忍びの村はどこにある」
威圧的な声だった。
片頬だけで笑い、男を見やる。
「……答えると思ったか?」
男の手が右頬を打つ。続いて、左頬も。
しびれるような痛みが走る。歯を食いしばる。
――耐えろ。
どんな苦痛に襲われても、どんな状況に追い込まれても。耐えなければならない。
自分には使命があるのだ。村を守るという、重い使命が。
村の皆を危険にさらしてはいけない。何より父を、蘭を。
――絶対に、守って見せる。
「答えろ!」
男が短く命じる。
体がぐらりと傾いだ。そのまま地に転がる。
「いや……だ」
男が再び、手を振り上げる。思わず目を瞑る。
「やめろハルベル、もういいだろう!」
突然、甲高い声が飛んだ。目を開ける。
振り上げられた腕を、金髪の男がつかんでいた。
ハルベルと呼ばれた男がわずかに眉を動かす。
「リアード、放せ」
「断る。お前はまたこの子に暴力を振るうつもりだろう」
「使命を果たすためだ」
「だからって、こんなことをする必要はないだろう!」
ハルベルが笑う。嘲笑だった。
「甘いな。お前は相変わらず、甘い」
「……どういう意味だ」
「状況をよく理解しろ」
ハルベルが金髪の男――リアードの手を振り払う。
「一人の子供をとるか、多くの命をとるか。この二つの選択肢の中で、お前は一人の子供をとるのか?多くの命を犠牲にして?」
「……それは」
リアードが口ごもる。
「わたしには……できない。人の命をはかりにかけるなんて資格、わたしにはない」
ハルベルがちっと舌打ちした。
「お前のそういうところが甘いって言ってんだよ。資格だと? ふざけんな」
胸ぐらをつかむ。
「言っただろ?国を救うためなら、多少の命は切り捨てろって」
「……あぁ」
「だったら、そのくだらない情を捨てろ。他人を憐れむな」
冷え冷えとした声で、ささやく。
リアードは胸ぐらをつかまれたまま、ハルベルを睨みつけた。
「一人の子供の命を心配することが、くだらないっていうのか」
ハルベルは鼻で笑った。
「あぁ、くだらないね。誤解するな、そいつはただの子供じゃない。村への案内人、それだけだ。情なんかもつな」
「わたしたちの使命は、この子にかかってる。死んだら、何の情報も引き出せない。だからこそ、命を心配しているんだろう」
リアードはハルベルの手首をつかんだ。驚くほど冷たい。
「放せ、その子の手当てをする」
「余計なことをするな」
「必要なことだ」
紫の瞳がじっと見据えてくる。無表情だ。
人形のように、硬く、冷たい。
何一つ、感情を読み取ることができない。
不意に、ハルベルが手を放した。
「……勝手にしろ。ただし、油断するな」
吐き捨てるようにいい、背を向ける。
ほっと息をついた。それから、少女のそばに膝をつく。
「大丈夫か」
少女の眉が、ぴくりと動く。
「意識はあるか?返事をしてくれ」
柔らかな、けれどはっきりとした声。
彪刃は、薄く目を開けた。
リアードの顔に安堵の笑みが浮かぶ。
「良かった、無事か。頬が痛むだろう。今、手当てを」
リアードが木の根元においてあった荷物を引き寄せ、中を探る。
「……水を」
荷物をまさぐっていた手が、止まる。
彪刃はもう一度声を絞り出した。
「……水を、くれないか」
痛いほど喉が渇いていた。
頬は痛むが、たいしたことはない。これくらいで命を落とすほど、脆弱じゃない。
水がほしい。喉の渇きを潤したい。
リアードはうなずき、水筒と木の椀を取り出した。水を椀に注ぐ。
「……飲めるか」
後頭部を軽く支えられる。わずかにあけた口に、水が注ぎ込まれる。
染みるような冷たさが、口の中に広がった。水が喉を伝い、落ちていく。
体の力を抜き、大きく息を吐く。
「……うまい」
さっきよりましな声が出る。
リアードの顔がほころんだ。
「それは良かった。まだ、あるけど」
「いや、もういい」
「じゃあ手当てを」
「それもいい。頬が腫れたくらいじゃ、死なない」
でも、とリアードが彪刃を見る。
「せめて、薬だけでも」
「いらないって言ってるんだから、ほうっとけばいいだろう」
笑いを含んだ声が介入する。
リアードは顔つきを険しくし、振り返った。
「どこのおせっかいだ。いらねぇもんは、いらねぇんだよ」
「もとはといえばハルベル、お前のせいだろう」
「二、三回ぶっただけだ」
「嘘つけ、もっとぶってただろう」
ハルベルが軽くこめかみを押さえる。
「わめくな、うるせぇ。ぶったくらいで、人が死ぬかよ」
「お前がぶったのは大人じゃない、子供だ」
「どっちにしたって死なねぇよ。…ったく、いちいちうるせぇな。お前は子供に甘すぎる」
「大人が子供に優しくするのは当然の義務だ」
「程度ってもんがあるだろうが」
ハルベルがため息をつく。
「まず、子供を想うならそいつに必要なのは飯だろ。狩りに来てたんだから、まだ食ってないと思うけど」
言われた途端、ひどい空腹を感じた。
そういえば、昼から水以外何も口にしていない。そもそも、昼食のために狩りをしていたのだ。
それをこの男が発見し、今この状況にある。
「いま…何時だ?」
「今か?んー……」
ハルベルが上を見上げる。
葉からわずかにのぞく空が茜色に染まっている。
「夕方、くらいだな。正確にはわからねぇけど」
「ということは、もう夕飯か」
リアードが立ち上がる。
(……父上)
うつむき、唇をかみ締める。
家を出て行ったのは、昼ごろだ。今が夕方ということは、それからかなり時間がたっていることになる。
――父上は、もう異変に気づいただろうか。
いや、気づいているはずだ。聡い父が、気づいていないはずがない。
村を守らなければならない存在が、村に危険を及ぼす。あってはならぬことだ。
それを、「守村掟」である自分が犯そうとしている。
父を、村の皆を、危険にさらそうとしている。
――全てを、壊す。
この手で。
自分が、平和の崩壊への引き金になる。
体が震える。
今まで保たれていたものを壊す。それが、恐ろしかった。
父も、蘭も、皆――失ってしまうことが。
――守ってみせる。
小さくつぶやく。
守らなければならない。全てを壊させたりしない。
屈したりなどしない。
「今日は、君が捕った鹿のスープだよ」
どこか遠くで、リアードの声が響いた。
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