「俺は、何としても使命を果たす。だから」

 声が低くなる。

 指の力がゆるむ。紫の瞳が鋭い光をおびる。

「そのためなら、俺はどんなことでもする」

 ぱんっと乾いた音が響いた。頬に衝撃が来る。

 口の中にじわり、と血の味が広がる。口内のどこかが切れたらしい。

「答えろ。忍びの村はどこにある」

 威圧的な声だった。

 片頬だけで笑い、男を見やる。

「……答えると思ったか?」

 男の手が右頬を打つ。続いて、左頬も。

 しびれるような痛みが走る。歯を食いしばる。

 ――耐えろ。

 どんな苦痛に襲われても、どんな状況に追い込まれても。耐えなければならない。

自分には使命があるのだ。村を守るという、重い使命が。

村の皆を危険にさらしてはいけない。何より父を、蘭を。

 ――絶対に、守って見せる。

「答えろ!」

 男が短く命じる。

 体がぐらりと傾いだ。そのまま地に転がる。

「いや……だ」

 男が再び、手を振り上げる。思わず目を瞑る。

「やめろハルベル、もういいだろう!」

 突然、甲高い声が飛んだ。目を開ける。

 振り上げられた腕を、金髪の男がつかんでいた。

 ハルベルと呼ばれた男がわずかに眉を動かす。

「リアード、放せ」

「断る。お前はまたこの子に暴力を振るうつもりだろう」

「使命を果たすためだ」

「だからって、こんなことをする必要はないだろう!」

 ハルベルが笑う。嘲笑だった。

「甘いな。お前は相変わらず、甘い」

「……どういう意味だ」

「状況をよく理解しろ」

 ハルベルが金髪の男――リアードの手を振り払う。

「一人の子供をとるか、多くの命をとるか。この二つの選択肢の中で、お前は一人の子供をとるのか?多くの命を犠牲にして?」

「……それは」

 リアードが口ごもる。

「わたしには……できない。人の命をはかりにかけるなんて資格、わたしにはない」

 ハルベルがちっと舌打ちした。

「お前のそういうところが甘いって言ってんだよ。資格だと? ふざけんな」

 胸ぐらをつかむ。

「言っただろ?国を救うためなら、多少の命は切り捨てろって」

「……あぁ」

「だったら、そのくだらない情を捨てろ。他人を憐れむな」

 冷え冷えとした声で、ささやく。

 リアードは胸ぐらをつかまれたまま、ハルベルを睨みつけた。

「一人の子供の命を心配することが、くだらないっていうのか」

 ハルベルは鼻で笑った。

「あぁ、くだらないね。誤解するな、そいつはただの子供じゃない。村への案内人、それだけだ。情なんかもつな」

「わたしたちの使命は、この子にかかってる。死んだら、何の情報も引き出せない。だからこそ、命を心配しているんだろう」

リアードはハルベルの手首をつかんだ。驚くほど冷たい。

「放せ、その子の手当てをする」

「余計なことをするな」

「必要なことだ」

 紫の瞳がじっと見据えてくる。無表情だ。

 人形のように、硬く、冷たい。

 何一つ、感情を読み取ることができない。

 不意に、ハルベルが手を放した。

「……勝手にしろ。ただし、油断するな」

 吐き捨てるようにいい、背を向ける。

 ほっと息をついた。それから、少女のそばに膝をつく。

「大丈夫か」

 少女の眉が、ぴくりと動く。

「意識はあるか?返事をしてくれ」

 柔らかな、けれどはっきりとした声。

 彪刃は、薄く目を開けた。

 リアードの顔に安堵の笑みが浮かぶ。

「良かった、無事か。頬が痛むだろう。今、手当てを」

 リアードが木の根元においてあった荷物を引き寄せ、中を探る。

「……水を」

 荷物をまさぐっていた手が、止まる。

 彪刃はもう一度声を絞り出した。

「……水を、くれないか」

 痛いほど喉が渇いていた。

 頬は痛むが、たいしたことはない。これくらいで命を落とすほど、脆弱じゃない。

 水がほしい。喉の渇きを潤したい。

 リアードはうなずき、水筒と木の椀を取り出した。水を椀に注ぐ。

「……飲めるか」

 後頭部を軽く支えられる。わずかにあけた口に、水が注ぎ込まれる。

染みるような冷たさが、口の中に広がった。水が喉を伝い、落ちていく。

体の力を抜き、大きく息を吐く。

「……うまい」

 さっきよりましな声が出る。

 リアードの顔がほころんだ。

「それは良かった。まだ、あるけど」

「いや、もういい」

「じゃあ手当てを」

「それもいい。頬が腫れたくらいじゃ、死なない」

 でも、とリアードが彪刃を見る。

「せめて、薬だけでも」

「いらないって言ってるんだから、ほうっとけばいいだろう」

 笑いを含んだ声が介入する。

 リアードは顔つきを険しくし、振り返った。

「どこのおせっかいだ。いらねぇもんは、いらねぇんだよ」

「もとはといえばハルベル、お前のせいだろう」

「二、三回ぶっただけだ」

「嘘つけ、もっとぶってただろう」

 ハルベルが軽くこめかみを押さえる。

「わめくな、うるせぇ。ぶったくらいで、人が死ぬかよ」

「お前がぶったのは大人じゃない、子供だ」

「どっちにしたって死なねぇよ。…ったく、いちいちうるせぇな。お前は子供に甘すぎる」

「大人が子供に優しくするのは当然の義務だ」

「程度ってもんがあるだろうが」

 ハルベルがため息をつく。

「まず、子供を想うならそいつに必要なのは飯だろ。狩りに来てたんだから、まだ食ってないと思うけど」

 言われた途端、ひどい空腹を感じた。

 そういえば、昼から水以外何も口にしていない。そもそも、昼食のために狩りをしていたのだ。

 それをこの男が発見し、今この状況にある。

「いま…何時だ?」

「今か?んー……」

 ハルベルが上を見上げる。

 葉からわずかにのぞく空が茜色に染まっている。

「夕方、くらいだな。正確にはわからねぇけど」

「ということは、もう夕飯か」

 リアードが立ち上がる。

(……父上)

 うつむき、唇をかみ締める。

 家を出て行ったのは、昼ごろだ。今が夕方ということは、それからかなり時間がたっていることになる。

 ――父上は、もう異変に気づいただろうか。

 いや、気づいているはずだ。聡い父が、気づいていないはずがない。

 村を守らなければならない存在が、村に危険を及ぼす。あってはならぬことだ。

 それを、「守村掟」である自分が犯そうとしている。

 父を、村の皆を、危険にさらそうとしている。

 ――全てを、壊す。

 この手で。

 自分が、平和の崩壊への引き金になる。

 体が震える。

 今まで保たれていたものを壊す。それが、恐ろしかった。

 父も、蘭も、皆――失ってしまうことが。

 ――守ってみせる。

 小さくつぶやく。

 守らなければならない。全てを壊させたりしない。

 屈したりなどしない。

「今日は、君が捕った鹿のスープだよ」

 どこか遠くで、リアードの声が響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る