「――父上、ただいま戻りました」

 彪刃は家の戸を後ろ手で閉めつつ、声を張り上げた。奥の障子ががらりと開く。

「戻ったか」

 彪刃の父――秀人しゅうとは静かに彪刃の元へ歩み寄る。彪刃と同じその黒い瞳が、わずかに細くなった。目の上に長い傷が生々しく残っている。

「……今日はどうだった」

「二人ほど、人がいました」

「殺したのか」

 硬い表情のまま、父が聞いた。

「はい、掟のとおりに」

 こともなげに彪刃は告げる。秀人はそうか、と小さくつぶやいた。

「わたしはこれから、村長むらおさのもとへいく。お前も来るか」

 数秒、間が空いた。思わず父を見上げる。

「村長の家へ? 父上がですか?」

「そうだ」

 鷹揚にうなずく父を、彪刃は不思議そうに見つめた。父が村長のもとへ行くということは、それほど珍しいことだったのである。

「やはり……ここのところ、外の人間が頻繁にこの村を探しに来るのは、外で何かあったからなのですか?」

 声を低めて尋ねる。秀人は分からぬ、と首を振った。

「だが、何かあったと考えるのが自然だろう。ここまで頻繁に外の使者が来るとなればな」

 秀人は黒い瞳を伏せ、ため息をついた。

 彪刃たちの言う「外」とは、この外に広がる大陸のことである。忍びとは違うさまざまな種族の人間が暮らすところ。忍びは、はるか昔から村を囲む森を隔てて、大陸の人間と決別しているのだ。

「村に危険が及ぶかもしれぬ――」

 父がつぶやく。彪刃は思わず顔を上げた。

「父上、それはどういう」

「邪魔するぞ」

 突然、彪刃の背後にある戸が開いた。驚いて飛びすさる。無意識に、剣の柄に手が伸びた。

「良(りょう)殿! 何故ここに」

 秀人があわててその場にひざをつく。突然現れた青年は目元を細めて笑った。

「秀人、そんなに堅苦しくしなくていい。お前が頭を下げるべき相手は、俺ではなく俺の父上の方だろう」

「しかし、良殿は村長(むらおさ)のご子息。無礼な振る舞いなど到底できませぬ」

 青年――良は、思わず苦笑をこぼした。良は蘭の兄にあたる人物だ。

「秀人は硬すぎる」

「どうぞ、何とでも申してください。――それより、良殿」

 父の声音が変わる。良の笑みが、すっと消えた。

「今日、わざわざここにいらした理由を、お聞かせ願いたいのですが」

「……やはり、俺が自らここに来るのは不自然か」

 良が静かに問いかける。秀人は頭をたれた。

「……恐れながら」

「では、やはり良殿は村長の命でここへ参られたのですか」

 彪刃は良を見上げる。良は軽くうなずいた。

(――やはり、そうか)

 彪刃の中で、そんな声が上がる。そもそも、村長の息子が守村掟の家へ来ること自体、ありえないことなのだ。だが、村長の命なら納得できる。村長は守村掟の主であり、忍びの頂点に立つものなのだから。

「……それで、村長はなんと」

「単刀直入に言おう」

 良は秀人をまっすぐに見下ろした。

「先ほどの、村に危険が及ぶかも知れぬという話は本当か」

 一瞬、息が止まった。

 心臓が耳元でどくり、と脈打つ。背筋が凍ったかと思われるような感覚に襲われる。

 不覚だった。人の気配くらい、すぐに見抜けたはずなのに。

 何故注意を怠ったのか。あのような発言――人に聞かれたら身を滅ぼすことくらい、わかっていたのに。

 村に危険が及ぶ――その言葉は、言い換えてしまえば守村掟が村を守ることができない、ということだ。

「……聞いて、おられたのですか」

 父が、聞いた。しぼれたような、かすれた声だった。

 良が視線をそらす。

「――全部、聞いた。…すまぬ」

 気まずそうに良が告げる。秀人は頭をたれたまま動かない。

「……秀人、外で何か変化があったというのは本当なのか」

「――おそらく」

 秀人は低い声で答えた。

「私も外の事情は知りませんが、ここまで頻繁に使者が来るとなれば」

 そうか、と良がつぶやく。

「では、それゆえに村に危険が及ぶかも知れぬと」

「……そのように考えております」

「……理由はそれだけか?」

 良が秀人をじっと見据えた。その瞳が鋭く光っている。

疑っているのだ。村に危険が及ぶという、守村掟として重大な発言を聞いてしまったのだから。

 彪刃にさえ、何故父がそんなことを言ったのか理解することができなかった。守村掟は村を守るためだけに存在する。村を守ることができなければ、守村掟が存在する価値などないのだ。

 ――それなのに、何故こんなことを。

 どんな状況でも、決していうことのなかった言葉だったというのに。決して口だそうとはしなかったのに。

 父にそんなことを言わせた原因は何か。

 ――自分。

 唐突にその言葉が浮かぶ。彪刃は自分の中で高ぶった感情を押さえつけるように、深く、ゆっくりと呼吸を繰り返した。

 そうだ――父は今までこんなことを言わなかった。彪刃が任務を課せられる、その前までは。

 だとしたら、父がこんなことを言った原因は、自分にもあるのではないか――。

「……疑っておられるのですか」

 父が良を見上げる。良は、ふっと笑みをこぼした。

「すまぬ。お前が推測だけの理由でこんなことを言うのかと思ったからな、念のためだ」

「それも村長になるものの役目でしょう」

「村長になるものの役目、か」

 良が虚空を見据える。

「人を疑うことが、か」

「それは当然のことです」

 秀人は感情を交えず淡々と告げた。

「人の心は他人の目から見えぬもの。人を疑うのは、必然です」

「お前はそのように考えるか」

 良は少し寂しげに笑った。それから、戸を開ける。

「話を勝手に聞いて、すまなかった。俺はもう行く。秀人…後で父上の元で来るがいい」

「……はっ」

 秀人はさっと頭を下げる。良はうなずくと、がらっという音を立てて、出て行った。

「……父上」

 秀人はひざをパンパンと払い、立ち上がった。

「どうした、彪刃」

「私のせいでございますか」

「……何の話だ?」

 彪刃は、一瞬言葉に詰まった。

「……先ほどの、話です」

「理由なら、さっき良殿に話したろう?あれ以外、理由など何もない」

「私の知っている父上は、推測だけのあいまいな理由であんなことを言ったりはしません」

 秀人が黙り込む。彪刃はためらいつつ、口を開いた。

「父上がこんなことを言ったのは、私の力不足ゆえですか」

 そう尋ねて、彪刃は視線を落とした。

 ――自分は、一体何を聞いている。

 何でも思ったことを口にするのは愚かなこと。そう考えていたはずなのに。

 自分は今、何をしているのだろう。

 今までと同じように胸のうちに押さえ込んでしまえばいい――それだけの話だ。

感情を握りつぶすのと同じように、もともとなかったことにしてしまえばいい。

 それだけですむ。それですべて終わるのだ。

「……彪刃」

 静かな声が、彪刃を呼んだ。彪刃の細い方が震える。

「何を思ったかは知らぬが、違う。そんなことはない」

「……いらぬことを申しました」

 彪刃はさっと立ち上がる。

「……狩りに行ってきます」



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