第3話霧崎麻述と天宮愛②
花壇に寝転び、燃え尽きていた
恐る恐る、協力したいと申し出てみる。
霧崎君は最初こそ、一部始終見られていた恥ずかしさから拒絶したが、何とか、オーケーしてくれた。
私は手始めに、百人中百人が思いつく解決策を提示して見ることにする。「天宮さんの気持ちに、きちんと向き合い謝罪しなさい」。
霧崎君は答えた。
「いやだっ! 俺は絶対に、あいつの想いに、誠実に向き合ったりしないぞ!」
いっそ、男らしくすらあった。霧崎君は、レンガを積み上げた花壇の縁に腰掛け、駄々っ子のように足をばたつかせていた。
予想通りの回答に、私は、思わず嘆息する。
「まあ、ヒロインの告白は、物語に対するテロリズムですからね……」
ヒロインの告白を受け入れた瞬間、物語は動き出してしまう。より取り見取りの中で、色んな女の子と疑似恋愛を送る日々を、終わりに近づけてしまう。ヒロインの告白を受け入れた瞬間、聞き入れた瞬間、青春ラブコメという枠の中で、ハーレムは爆発して、消え去ってしまうのだ。
「……」
「どうしました?」
「いや、ラブコメ嫌いのくせに、妙にわかったことを言うなと思って」
「た、たまたまですっ……」
私は両手を突き出し、取り繕う。
いけないいけない。
物語に関してとなると、つい見境なく考え込んでしまう悪い癖は強制しなければと、自戒する。
私が霧崎君の尊敬する(元)ラブコメ作家だということは、まだ伏せてある。何の思惑があるのかは知らないが、校長先生からそう提案されたのだ。勿論、私は二つ返事で賛同したのだが。
「それより」
霧崎君からの勘繰りをはぐらかしがてら、私は話題の軌道修正を試みる。
「天宮さんのことはどうするんですか? 女の子はヘソを曲げると、長いですよ」
霧崎君は、頭を抱え、何とそのまま再び花壇に、仰向けに倒れ込んだ。
「ベッドじゃないんですから」
「花壇に倒れ込む日なんて、一生に一度だろうから、出来るだけ楽しむんだ」
意味が分からなかった。
この一週間の観察で分かったことの一つだが、霧崎君は、行動原理の曖昧な態度を頻繁に取る少年なのだった。教室で、クラスメイトに囲まれている際とて、霧崎君の内なる行動律は何一つ、遠慮することは無い。にもかかわらず、周囲から霧崎君が奇行を詰られているのを、私は目撃したことが無かった。だがこうして、二人きりで話し込み始めた途端、学園の他の生徒達や教師達と断絶された時間を霧崎君と共有し始めた途端に、霧崎君が学園生活上に積み上げてきた、隠れたる「違和」が、私に向かって、まとめて崩れ落ちてくるかのような気分になる。一週間前の校門を思い出す。神懸かった偶然に守護され、誰にも露見することの無い死体。霧崎君の殺人周期は、二か月に一回だという。だがそれは、年六回のペースで非日常が引き起こされる、ということではないのかもしれなかった。誰にも知覚されることなく、もしかするとこの学園には日常的に、生温い風が吹き込んでいるのかもしれない。
私は作り笑顔を浮かべることで、粟立つ背中に蓋をする。
「……もういっそ、彼女のことは諦めてはどうでしょう? 霧崎君はモテるんですから、代わりのツンデレ位、すぐに……」
見つかるでしょう、と続けるつもりだった。
偽りない本音である。加えて、天宮さんみたいな良い子が、こんなラブコメ狂にかどわかされているのを、可哀想だと案じたからでもあった。
「それは、駄目だ!」
意外にも、霧崎君は切実な顔で、食い下がってきた。真剣な表情。まさか天宮さんが本命なのかと、私は素直に受け取りかけてしまう。
「あいつは、代わりが効かないんだ」
「代わり?」
「俺さ、十年前に、あいつと会ったことがあるんだ。天宮は高校からの編入組でさ。最初、俺のことをじっと見てる気がしたから、どうしたんだって聞いたら、『アンタ昔公園で、女の子を犬から助けたことない?』って言われて……すぐに思い出したよ。小学生の時、犬から襲われてる女の子を、確かに助けたことがあった。天宮は、その時の女の子だったんだ。今でも覚えてる。犬と女の子の間に割って入って……犬が飛び上がって、俺を跳ね飛ばして、取っ組み合いになってさ。最後に傷だらけになった俺を、『大丈夫? 大丈夫?』って、心配してくれたんだ。自分も、手、噛まれてて、痛そうだったのに……」
いい話だ、と思った。だがそれだけに、残念だった。
霧崎君が主張したいのは、過去の繋がりに運命を感じるだとか、そういった類の感傷では無いだろうということが、簡単に予想できてしまったからだ。
「ありえないだろ?! その時の女子が、すごい美人になってて、高校に入って再会なんてさ……まさに」
「ラブコメの王道」
「そう!」
馬鹿じゃないのか。私は冷めていく一方だった。
「……」
「どうしたんだよ」
「いえ、犬に襲われている子を助けるなんて、中々やりますね」
内心の呆れを悟られたくなくて、適当に捻り出した言葉だった。
言った後に、わき上がる気持ち。
気付かされる。霧崎君が犬から少女を助けること自体を、私がすごく、意外に思ってしまっていたのだということに。
言動の後に続くとは、我が心ながらチグハグなものだと、妙な感慨に浸っているところを霧崎君が目ざとく突いてくる。
「殺人鬼のくせに、か?」
息が、詰まる。
私は今まで、無意識のうちに、霧崎君の心は幼少の頃から真っ黒だったはずだと、思い込んでいたというのに。
霧崎君の過去話に対し、私は仄かな絶望を覚えた。
私は昔、小説家だった。私の書いた小説の真似をして。現実で殺人を犯した高校生がいた。その少年が、一度でも善人だったことがありませんようにと、願わずにはいられなかった。
だが無情にも、霧崎君は話を続ける。
「先生、あんまり俺のこと怖がることないぜ? 別に俺は、気が狂ってて、手当たり次第に殺すタイプの殺人鬼ってわけじゃない。なんなら、先生のことは絶対殺さないって、約束してもいいぞ。……誤解っていうか、偏見があると思うんだけどさ、俺にも人並みの良心は、あるんだ。傷つけたい人もいるし、傷つけたくない人もいる。幸せにしたい人もいれば、恩を返したい人もいる。花が好きで、動物が好きだ。五歳のころから動物愛護団体の運動に参加してたし、シー・シェパードの運動にも賛成してた……だから実は、天宮の他にも、似たような動物絡みの人助けは結構してるんだよな。一人の少女を救えたのも、動物を愛する優しい心があった故なんだぜ? どうだ、見直したか」
「ええ、見直したっていいますか……」
偏見のベクトルが変わっただけ、ともいうか。
「……とにかく。人殺しだからって、人間性まで疑われちゃ、たまらないってことだ」
私の表情の変化をどう解釈したのか、霧崎君は満足そうに、締めくくった。
「俺は自分より残酷な人間なんて、山ほどいると思ってるぜ。……残酷っていや、そういやつい二週間前にも、そんなことがあったっけ。そういやあれも、犬絡みだったな」
二週間前。
霧崎君と出会ったのが、一週間前。つまり、あの時からさらに一週間前にも、何かこの学校で事件が起こっていたらしい。
「……この学校も、結構物騒なんですね」
「物騒じゃない学校なんてないよ。自分はもう大人だと思いこんでる子どもの集まりって、つまりは自分のことをまともだと信じてる異常者の集まりってことだろ?」
霧崎君は、目を閉じる。思考に集中しているような、素振り。二週間前の事件について、鮮明に思い出そうとしているようだ。
どうやら私に、事件の内容を語って聞かせてくれるつもりらしい。
「朝、天宮がロッカー開けたらさ……」
前科百三十犯近くの少年が語る、物騒な話とやらに、私は耳を傾ける。
夕焼けの教室で、天宮愛は泣いていた。
裏庭の花壇に、クラスメイトの霧崎を突き飛ばした日から、三日が経過していた。
「アタシのバカ……なんであんなこと言っちゃったんだろ」
激しい後悔に襲われていた。
「やだ、もうあんなやつのことなんか、考えたくないのに、考えちゃう……」
酷い男だ、と思う。色んな女子に愛想を振りまいて、簡単にその気にさせてしまう。しかし、なんであんな奴がモテるんだろう、とは思わない。自分も彼にひかれた、愚か者の一人だから。
いや、それも生半可な愚か者じゃない。
天宮は、自分と霧崎との関係を、他の女子達の存在など問題にならない位に特別なものだと、信じ切っていたのだ。
左手を見詰める。手袋の下。そこにある、忌まわしき傷。
だがその傷こそが、二人を繋ぎ留めてくれるはずだったというのに。
「こんな形で、終わるなんて、やだ……」
「天宮」
教室の入り口に、霧崎が立っていた。
「あ、
想い人の急な登場に動転して、声が裏返る。
「な、何よっ、話しかけないでっ」
どうして。本当は素直になりたいのに。
思わず、そんなことを言ってしまう。夕日の差し込む教室で、二人きり。喧嘩別れの後からずっと、心の底では、また話がしたいと思っていたのに。
「悪かった!」
霧崎が、腰より低く、頭を下げた。
「俺……変な意地張っちゃって、お前のこと、傷つけまくって……もう二度と、お前のいうこと、一言も聞き漏らしたりしねーから! だから……!」
霧崎は、傷心し切った表情を浮かべている。自分に会えなくて切なかったから、そんな表情を浮かべているのだと思うと、得も言われぬ甘い気持ちが、天宮の涙腺を刺激した。
「イヤっ……許さな……」
また、口が勝手に拒絶しようとする。霧崎が、天宮の言葉を遮る様に、二枚の紙切れを取り出した。
「これ……?」
「俺の気持ちだ」
それは、チケットだった。あの日、天宮がビリビリにした、動物園のチケットそのもの。どれくらいの時間をかけて、かき集めたのだろう。細かいピースはかけているが、バラバラになったはずのチケットは、テープでくっつけ直され、二枚とも、何とかチケットの形を取り戻していた。汚れたそれを見ながら、天宮は涙をこぼした。
「ば、バカじゃないの?! こんなことしたって、なんにもなんないじゃない! 」
「確かに、さすがにこれで動物園に入れるとは、俺も思わねーけど」
霧崎が、笑う。この笑顔が、いけないのだ、普段はぼんやりしているくせに、笑顔だけは、どんなアイドルでも勝てないほどに魅力的なのである。
「他のやつ誘わないで、俺のこと誘ってくれて、すげー、嬉しかったから……」
そんな顔で、ほっとするような声を吐かれたら。
「天宮の優しさまで、ばらばらになったみたいで……ばらばらにさせちまったみたいで、嫌だったから」
「……バカ」
「そう、だよな。こんなことされたって、困るだけだよな……」
もう天宮に、許さないという選択肢は無かった。天宮は霧崎に抱きついた。霧崎がうろたえる前に、天宮は言った。
「嬉しいわよ、バカ」
そして、ある決心をする。
「ねえ、麻述、これまでは、どうしても勇気が出なかったんだけど……」
天宮は、左手の革手袋をゆっくりと外そうとした。
「見てほしいものがあるの」
霧崎は驚いて、止めようとする。その下に、天宮が強いコンプレックスを抱いている、幼いころに犬から噛まれた時の傷跡があるのを知っていたからだった。
「どうして……ずっと、見られるの、嫌がってたじゃねーか」
「あたしの全部、好きになってほしいから。それに……この傷は、あたしのコンプレックスだけど、麻述と出会えた思い出でもあるから……」
この十年間ずっと、その思い出は、天宮の宝物であり続けた。鳴き声の大きい、恐い、犬。守ってくれた、男の子。その頼もしさと温かさが、これまで辛いことがあっても、天宮を励まし続けてきた。
「あれ以来、アンタはあたしのヒーローなの」
手袋が、取り去られる。霧崎がその指先をじっと、見つめている。
「汚い、よね。こんな傷のある子、やっぱいや?」
「んなわけ、あるか」
霧崎が、力強く、断言した。傷口を眺める霧崎の目には嫌悪感の欠片もなかった。天宮は、その目を、いつまでも見つめていたいと思った。
「薬指の、先っちょだけじゃねーか。こんなの気にする男なんて、最低だ」
「バカ。左手の薬指、だよ? ……一番、大事だよ」
二人で笑う。天宮が霧崎に、言った。
「アタシと、付き合って」
完璧なタイミングだと思った。喧嘩して、仲直りして、夕日に染まる中での、愛の告白。
万に一つ、懸念材料があるとすれば。
天宮にとって、そして恐らく大半の女子たちにとって、霧崎は謎の多い男子だったが、一つだけ、みなが暗黙の内に感じ取っていることがあった。
霧崎にはどこか、ムードを重視するところがある。それは、上手くは言えないのだが、他の、普通の人達が想像する「気分の盛り上がり」とはどこか違う、掴みどころの無いもので、霧崎の琴線を正確に把握している女子はいないのではないかと、天宮は思っている。
天宮も、実のところよくわかっていない。だが、この瞬間が完璧でないはずがないという、確信があった。
霧崎が、答えた。
「まだ……答えは出ない」
いつもと同じ答えだった。いつものように、はぐらかす。だが不思議な事に、天宮は落胆しなかった。
いつも通りの回答だったからこそ、自分と霧崎の関係が完全に修復されたことを、実感できたから。
それだけで胸が、夕日に焦がされたように熱くなってしまう。
我ながらチョロいものだと、天宮は内心で、自分自身をからかって笑う。
これでいい。
自然と、そう思えた。
これがアタシの好きになった霧崎なのだと、天宮は思った。明日から一味違った、二人の世界が待ってるような気分になっていた。
「わかった。アタシ……」
待ってるから、とは言わない。
「どこまでも、追いかけるから」
言うがいなや、天宮はカバンを手に取り、教室のドアから、走り去ろうとする。
最後に一度だけ振り返る。
強気に人差し指を麻述に突きつけ、言うのだった。
「とりあえず、今週末は、アタシと動物園だから! チケット、買い直して! アンタの奢りね!」
久しぶりに、手袋なしで、帰路につこうとしていた。もう誰にこの手を見られても平気だ。明日になったら、友達にもこの手を振り、笑っておはようと言ってみよう、と思った。
「すっぽかしたら、殺すっ!」
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