第2話霧崎麻述と天宮愛①

 クラス内ではあまり人気のない、パっとしない男子生徒でした。

 それが直接の原因と言うわけでは無い、とみんなは言っているのですが、入学して1か月足らずで、彼は精神を病み、ある女子の私物用ロッカーに、犬の死体を詰め込んでしまいました。

 クラスメイト達は困惑しました。「いつかやると思ってました」と自信を持って、後ろめたさ無しに言ってのけられるほど、彼のことをみんな、嫌いではなかったからです。人気がない、と言うことは必ずしも、周りから嫌われているというのとイコールではありません。

 なんであんなことをしたのだろう? なぜ、彼はおかしくなってしまったのだろう? 誰にもわかりませんでした。

氷が常温下でゆっくり溶け行くのを、誰にも止められない様に。彼はいつの間にか、クラスで一番塞ぎ込んだやつになっていたのでした。

 おかしなことに、事件の目撃者はいなかったにも関わらず、犯行の翌日には、何故か罪は、露見される所となってしまいます。

 即座に、自宅謹慎処分。

 続いて、間を置かずに、退学処分。

 彼は、校長から退学を言い渡された後、校長室の前で、虚ろな表情を浮かべながら譫言を言っていたそうです。たまたま通りがかったクラスメイトが聞いていたらしいのですが、

「やっと言いたいことを言えた。だから、これでいいんだ」

 泣きながら繰り返していたそうです。

 その言葉の真意を、知る者はいません。

 誰にもその言葉の意味を悟られることなく、彼は学園を去って行ったのでした。




 校長という職業は、放課後ゆっくり、学内を散歩することも難しい。

「校長、今月の部活動記録集送っておきましたので、メールチェックお願いします」

「校長、私立会の学校から連絡があって、保護者対応マニュアルの比較、もう上がってるそうです」

 他の教師とエンカウントするたびに、仕事が増えていく。通りがかりに口答で告げられる用件を、一つ一つ頭に刻みながら、颯爽と廊下を通り過ぎていく。

「校長! 生徒が二言目には『学歴は?』って聞いてきますっ! 校則で禁止にするべきではないでしょうかっ!」

 女校長に、まだうら若き女性新任教師が声をかけた。その新任教師は、女校長が自ら引き抜いた逸材であり、厳格な女校長も彼女に対してだけは相好を崩し、暖かな対応を―――

「……百合屋先生、私は忙しい身なのよ。教師たるもの、自分の威厳で何とかしなさいな」

 ―――してくれるなどとは、これっぽっちも考えてはいなかったけれども。

 むしろ歩く速度を速めて、私を引き離そうとしている。慌てて食らいつく。

「うう、ごめんなさい……でもぉ……私が生徒に舐められる原因の一旦は、校長先生にもあると思うんですよ……」

「私? 何かしたかしら」

「全校集会を忘れたとは言わせませんよ!」

 私こと百合屋かおる子が、ここ章連学園に新任教師として赴任してきてから、一週間が経とうとしていた。一週間前、私は全校集会で、生徒達に挨拶をしたのだが、それが散々な結果だったのである。

 

 当日の模様は、こんな感じだ。

 私は、体育館のステージに続く舞台袖で、何百人もの生徒の前に出るというプレッシャーに押し潰されそうになっていた。そこに、校長先生が声をかけてきた。

「緊張してない?」

「任せてください。私はカリスマ作家だったんですよ? 作風的にありえないと気付くまでは、地方の高校に呼ばれて講演をやる妄想に、よく耽っていたものです」

 精一杯の強がりである。校長先生は安心させるように笑った。

「よしよし。まず私が、場を温めておいてあげるから」

「校長先生……!」

「ギターがなったら、入ってきなさい」

「へ?」

「それでは、新しい先生を紹介していただきましょう。校長先生、お願いします」

 進行役の先生の声。

 校長が、袖から舞台へ、悠然と歩を進めていく。

 ステージのライトが、スポットに切り替わった瞬間、心臓が飛び出しそうになった。

 校長を、生徒会の子がエレキギターを手にし、待ち構えている。

 ギターを受け取った校長は、私でも知ってるような有名な音楽番組の、入場曲を掻き鳴らし始める。日本の誇るトップギタリストが作曲した名曲が、体育館に鳴り響く。

 お膳立て、という名の、燻り出し。

 出て行かぬわけにもいかず、気の小さい私は、まんまと壇上まで、足を縺れさせながら躍り出る。

何か言わなければと自ら気を急かし、とにかく大声で叫んだ。

「百合屋かおっ、るこるこるこるこっ!」

 しまいに、マイクに頭をぶつけ、生徒達の失笑の中、退場することになってしまったのである。


「場を温めてあげたんじゃない」

「よくもまあ! さながら鉄板の上でしたっ!」

「教師は時に、他の職業では考えられないようなハプニングに直面するものよ。それを一つ一つ乗り越えて、成長するの。あれぐらいで躓いてちゃいけないわ。うちの新任は、みんなあれで自己紹介するのに」

「校長が最初のハプニングを用意するんですか……」

「どんな職業もそうだけど、初見のアドリブ力が大事だって、少しでも気づいてほしいからやってるのよ」

「……ぐぬぬ」

 口の上手い人だ。悔しがる私の横を、部活に行く途中の生徒達が通り過ぎていく。

「あ、るこセンだ」

「るこセンセー、ばいばーい」

 私は、笑顔で手を振りかえす。るこ先生と言うのは、赴任初日に決定した私の仇名である。

「屈辱です。かつてはカリスマ作家だったこの私が、お友達教師だなんて」

「お友達と言えば……あの子とは、もう、お友達くらいにはなれた?」

 私は、息を詰まらせる。

 あの子、というのは勿論、私がこの学校に来るきっかけとなった殺人鬼である、高等部一年A組、霧崎麻述きりさきあさのぶのことだった。

 私は、申し訳ない気持ちをにじませながら、答える。

「それが……まだあんまり話してないんです……」

「ちょっと、教師としてちゃらんぽらんでも、そっちはしっかりしてくれなきゃ困るわよ。本業をおろそかにしないで頂戴」

 ちゃらんぽらん。その言葉に反論する気はない。だが、校長はここ数日、仕事に追われ、ろくに私の対応をしてくれなかった。本業に対するビフォアケアをおろそかにしたのはどちらですかと、思わず食ってかかりそうになる。

「だ、だって……一対一で話すのは、恐かったっていうか……」

 洒落ではないのだ。霧崎麻述は稀代の殺人鬼であり、私はこの学校に足を踏み入れた当日に、彼のこさえた死体を目撃しているのである。

「校長先生は、この間の行方不明になった・・・・・・・・転校生の対応に追われて、全然相手してくれないし……色々相談したかったのに」

「それは……悪かったわね。言うのを忘れていたけれど、あの子には、他の子に接するのと同じように、気軽に接してくれればいいわ。二か月に一回のお楽しみ以外は、案外普通の男の子なのよ」

 二か月に一回、霧崎麻述は、殺人を犯す。こういう言い方をすると、まるでアラームか何かのように、それが機械的で、無機質な事象に思えてくる。そう言えば、私はまだ、彼がどうして殺人鬼なんてものをやっているのか聞いていなかった、ということに気付く。なぜ、殺すのか。ゲーム感覚のストレス発散? それとも、悲劇的トラウマからくる、フラッシュバックな衝動? 想像を巡らせど、どんな理由があれば、百人以上の人間をその手にかけることになるというのか。元カリスマ作家とは言え、見当もつかない。

 校長に質問してみようかと、思い立つ。

 しかし校長は、もう私の顔を見ていなかった。窓の外に視線を奪われているようだった。気になった私もつられて、そちらに意識を持っていかれる。問いは音も無く、嚥下され直してしまった。

 私達は校舎を出て、裏庭の花壇の傍まで歩み寄ろうとしていた。

昼休み等には人が多いが、放課後には人が少なくなる場所である。

 私には、自分と校長が、さながらフェロモンに惹きつけられた羽虫のように思えた。

 少し離れた所で、霧崎麻述きりさきあさのぶが花壇に水をやっているのが見える。

 楽しそうに。

花壇の花々はどれも、土と埃にまみれ、本来の鮮やかさが曇らされており、どこか汚らしい。じょうろを振るう霧崎君の手際も、花の美しさを育もうとしているのでなく、ただただ生かそうとだけしているかのような、餌やりがごとき風情。花に対するスタンダードな献身とはどこかかけ離れた振る舞いに、私には思えた。しかしそんな感想は、彼が殺人鬼である、という認識からくる偏見に過ぎないのかもしれない。

 校長が、霧崎君に声をかけようとした。

 が。

「ね、ねえ、麻述!」

 花壇に程近い方の校舎の影から突如、女生徒が現れ、霧崎君に話しかけた。私と校長はなぜか反射的に、再び校舎の入り口に引っこみ、身を隠していた。

「おお、天宮あまみや。何か用か?」

 放課後の裏庭。人通りも無いせいか、二人の声は良く通った。私は、校長先生に質問した。

「誰ですか、あの子。……まさか、霧崎君の彼女?!」

「それは違うわ。あの子に特定の恋人はいないの」

「へ、そうなんですか?」

「やっぱり意外よね」

 意外だった。ここ一週間、彼を遠巻きに観察して分かったことだが、理解しがたいことに、霧崎君は結構モテるようなのだ。先輩後輩同級生隔てなく、色んな女子から好意を寄せられており、ルックスは中の中でも、実績的には、この学校一の色男の称号は、彼にこそ相応しいと太鼓判を押せる。とっくに誰かしらとねんごろだと、思っていたのだけれど。

 だが、霧崎君がフリーを貫く原因に、心当たりが無くも無かった。

「変よね。ゲイでは無いはずなのに。どうしてだと思う?」

「…………恋人ができると、ラブコメが終わるから?」

 霧崎麻述の、青春をかけた欲求。あるいは、欲求にかける青春。

 霧崎君はラブコメ的な世界観を、私生活に降ろさんと本気で画策している……らしいのである。校長先生と霧崎君自身が言うには。

 校長先生は、私の回答に頷いた。

「正解。あの子を好きな女子は結構いて、アプローチはかけられてるけど、あの子は毎度、ひらりと躱してるのよ」

「誰か一人と恋仲になったら、それはもうエンディングですからね。少なくとも、彼の好きな王道では。より取り見取りの状態で、不特定多数と疑似恋愛を楽しむのが、ハーレムラブコメの醍醐味ですが……彼は本気で、それを現実でやろうとしているのですか? ……やっぱり、馬鹿げてます」

 いまだに半信半疑である私に、校長先生が、現実を突きつける。

「その馬鹿をフォローするのが貴方の役目なのだけど」

「……ううぅ、逃げたい」

 私は、校長先生に引き抜かれて、この学校に赴任してきた。

 しかし、教師としての有能さを買われて、というわけでは無い。

 今の私は、霧崎君の殺人癖を更生させるべく、彼のラブコメ的生活を補助するために雇われた、エージェントのようなものなのである。

 校長先生が、私の肩をつついた。霧崎君たちの会話に集中しろ、と言うことらしい。私は、耳を澄ませた。二人は軽い雑談をしていたのだが、今はそれが途切れ、女の子……天宮さんの方が、言葉を溜めているところだった。

「……ね、ねえ! あんた、今週の日曜、暇?」

「? ああ、特に予定はないが……何かあるのか?」

 天宮さんが顔を輝かせたのが、ここからでもわかった。彼女はポケットから、何やら紙を取り出し、霧崎君に突き付けた。

「あ、あのさっ、親が、仕事の知り合いから動物園のチケットもらってきたの。偶然、二枚。せっかくだから、誘ってあげるわ! 勘違いしないでよね! 別に、アンタと遊びたいとかそんなんじゃなくって……チケット、余ってるだけなんだから!」

「? 俺と行きたくないんだったら、他のやつを誘えばいいじゃないか」

「あ、アンタ以外全員、その、予定が空いてなかったの!」

 私は、二人の会話を聞きながら、思わず「うわぁ」と、うめき声を上げた。

「霧崎君、あの子のこと大好きでしょう」

「ええ。『いいキャラだ』って言ってたわ」

 いいキャラ。そう言えば、私の名前にも、「キャラの立った名前だね」とか言っていた気がする。『キャラが立つ』。霧崎君はきっと、この上ない賛美を送ったつもりなのだ。

 霧崎君は、天宮さんの勢いに慄いている……ように、見えた。あれも、もしかしてごっこ遊びなのだろうか。ヒロインに詰め寄られて、うろたえるという、遊び。確認する術は、無いけれど。

「わ、わかったよ……じゃあせっかくだから、行くか。動物園なんて久しぶりだぜ。楽しみだな」

「アンタ、動物好きだもんね」

「よく知ってんな……誰から聞いたんだ?」

「そ、それぐらい、見てればわかるっ!」

「お、おう、そうか」

「好きだから……ずっと見ちゃうの……あんたのこと、色々気づいちゃうの……」

 天宮さんの言葉は、最後がどうにも尻すぼみだったが、それでも、いや、だからこそ、強烈な色気のようなものを感じさせた。同性である私でさえ、耳にチョコレートホイップをねじ込まれた気分になった。

 霧崎君はさぞご満悦だろうな、と思ったが、彼は信じられないことを口にするのだった。

「……え、今なんて言ったんだ?」

 チョコレートホイップの上から、アイスピックが突き刺さる。

 私の隣で、校長が首を傾げる。

「あの子は何を言ってるのかしら? 確かに天宮さんの声は呟くような声だったけど、ここにいる私達だって聞き取れたんだから、あの子が聞こえないはずないでしょう……ちょっと、どうしたの」

口をあんぐり開け戦慄する私に、校長が心配そうに声をかける。私は、震える声で言った。

「……難聴です!」

「難聴?」

「ええ……先ほどの話にも出てきましたが、ラブコメというのは、主人公が、一人の女の子と恋仲になると、それで話が終わっちゃうんですよ。しかし当然、ラブコメは、楽しみにしている読者のため、女の子の、主人公に対する好意を描かなければなりません。10年代になってなお、ラブコメのメインストリームは『主人公は何もしてないのに、女の子が言い寄ってくる』という展開ですからね。女の子は積極的で、主人公に恋心をちらつかせます。ですが主人公はそれに気がついちゃ、いけないんです。なので主人公は、鈍感であることを強いられます。その鈍感さを表現する方法は、多々ありますが、その中でもメジャーな手法の一つが、『難聴』と呼ばれる手法……と言うよりもはや、型、ですかね。型と格好つけていっても、名付け親は、読者たちのようですが」

 校長は、興味深そうに聞いている。視線の先では、霧崎君と天宮さんが、どちらも言葉を発さず、一時停止ボタンを押されたように、ただ、立っていた。

「イージーにして、単純なやり方です。ヒロインの言葉が、主人公には聞こえなかったということにするだけ。聞こえない理由は何でもいいんです。急に風が吹いたからとか、ぼーっとしてたとか、その程度でいいんです。実際書いてみればわかるんですが、このやり方はすごい合理的なんですよ。読者にとって重要なのは、ヒロインが主人公に向かって、デレた台詞を吐くことだけで、それに萌えられれば、本当のところは、後はどうでもいいと思っているのです。作者としては、そういう前提があるにも拘わらず、ヒロインのラヴい台詞を、主人公がその好意に気付かぬよう、自然に受け流すためだけに、伏線だの展開だのを練るのは、コスパの悪い労力なんですよ。そんなところで読者を納得させても、仕方ないわけです。一見テキトーなやり方に見えるでしょうが、ある意味、これが一番いいんです。ウィンウィンなんです。……まあ最近は、また事情も変わってきてますけどね。今までは、主人公の耳を遠くするために使われてきた超自然的な理由を、『フィクションならではの嘘』という空気で誤魔化せていたのですが、最近は『創作だから仕方ない』で納得したがらない読者も増えてきましたから、安易に使えなくなってきてます。そもそも『難聴』という言葉自体が、読者のそう言った背景から生まれた、否定的なニュアンスを含んでますからね」

 校長は納得したように頷くと、私の口元に人差し指を押し付け、講釈を黙らせた。

「……ラブコメの主人公はいいわ。でもそれって、現実でやれば、単なる……」

「なんでシカトするのよおっ!」

 天宮さんの叫び声に、私達は耳をふさいだ。左右の校舎が、声を反響して、質の悪いホールのような音響を作り上げていた。遠くで、野球部の練習の掛け声が、一瞬だけ黙った。

「聞こえてないわけないでしょう! いい加減にしてよ! いっつもいっつも、肝心なところではぐらかしてっ! アンタのことが好きって言ってんの! わかる? ねえ、わかる?! すーきー!!」

 天宮さんが、怒りをあらわにしながら、チケットをビリビリに引き裂いた。進路希望が事務員なら、彼女の仕事場にシュレッダーはいらないかもしれないなと、私は思った。

「アタシのこと、好きでも、嫌いでもいいから、ちゃんと答えてよ……! こんなの、ひどいよ……頭おかしくなっちゃいそうだよ!」

 天宮さんは、左手を右手で包むようにして、胸に寄せた。

 その時私は初めて、彼女が、左手だけに革製の手袋を装着していることに気がついた。

「もうアンタなんか知らない! ばかっ! ばかのぶ!」

「ごふっ!」

 天宮さんが、霧崎君の胸を両手で突き飛ばした。霧崎君が花壇に倒れ込む。土が勢いよく舞った。天宮さんは霧崎君に背を向けると、一度も振り返らずに、校門の方へ走り去って行った。

 一人残された霧崎君は、花壇で、土にまみれながら、泣きじゃくり始めた。

「な、なぜこんなことに……ラブコメの神は、死んだのか……!」

 私と校長は、二人して嫌な汗を掻きながら、彼のことを見詰めていた。

「あれが、普通の子ですか?」

「…………貴方とは気が合いそうでしょう?」

「神様……助けてくれぇ」

 一向に起き上がる気配のない霧崎君を差しながら、校長が言った。

「呼んでるわよ」

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